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G09  畦道の少年

「あっちぃな〜」
 夕方のコンビニエンスストア。
 店舗の前に置かれたごみ箱の前に、マウンテンバイクが二つ並んでいる。
「暑い暑い言ってんじゃねえよ、余計に暑くなるやろ」
 マウンテンバイクにもたれかかり、青いソーダのアイスキャンディーをかじっている黒縁眼鏡の少年が左右対象に眉をひそめた。
「アヂヂヂヂヂヂヂヂー」
 すると、もう一つのマウンテンバイクの前にしゃがみ込んでいたスポーツ刈りの少年が、当てつけのように再び暑いと口にする。
「ヂヂヂヂヂ」
「オメェはセミかっ!」
 ガツン、と相手のマウンテンバイクのタイヤを蹴飛ばして黙らせる。
「うあー、オレのアイス〜」
 マウンテンバイクを蹴られたスポーツ刈りの少年が悲鳴を上げる。マウンテンバイクが蹴られた衝撃で、少年が持っていた溶けかけのソフトクリームがアスファルトに落ちてしまった。少年の手には、もうコーンしか残っていない。
「なにすんねん、彰吾!」
「昌浩がうっせーからやろ!」
 眼鏡の彰吾とキャップの昌浩が睨み合う。傾き橙に染まる陽光が、アスファルトに落ちたソフトクリームをじりじりと溶かしていく。
「あっ」
 ボタッ。
 彰吾のアイスキャンディーも溶かされ、棒から滑り落ちた。
「天罰や」
 ニッと昌浩が笑うと、今度は無言でその背中を直に蹴飛ばした。
「もう行くで」
「待ってぇなぁ」
 彰吾はアイスキャンディーの棒をごみ箱にほうり込むとマウンテンバイクに跨がる。それを見て慌て昌浩もソフトクリームのコーンを口にほうり込んだ。
「あーあ、塾めんどいなぁ〜。なんで中学生になるからって塾通わなあかんねんやろ」
「行きたくなきゃいかなきゃええやろ。おバカな昌浩はずっとバカヒロでおったら」
「なんやそれぇ〜。ひでえ」
 コンビニの裏に広がる農道をひた走る。デコボコとした箇所を行くたびに、二人の背負ったリュックのなかから筆記用具が跳ねる音がする。
 水が入ったばかりのたんぼは瑞々しい緑の苗に彩られ、水面には暮れゆく蒼い空が広がっていた。
「あ、なんかおる」
 そう言って立ち止まったのは昌浩だった。
「なに」
 とまった昌浩を行き過ぎた彰吾がバックしてきて、昌浩の見つめる先を見た。
「ほら、あそこ。動いた!」
 指差した先には、もちろんたんぼ。底の泥を透かす水面、苗のそばの泥の上。そこで、濃い泥色が滑るように泳いでいた。
「おたまじゃくしじゃね?」
 動きがとまると泥と同化してしまうようで、生き物というよりはただの土くれにも見えた。
 昌浩はマウンテンバイクをその場にとめると、畦にしゃがみ込む。
「遅刻すんぞ」
「ちょっと待ってぇや〜」
 たんぼに身を乗り出し、手をのばす。ほそっこい腕が素早く動き、水が跳ねてなにかを捕まえた。
「うぎゃ、なんじゃこれ〜」
「うわっ、キモっ。なにそれ」
 昌浩の手に捕らえられたのはおたまじゃくしではなかった。
 カブトのような頭部に黒い一対の目があり、無数の触角が生えている。尾は蛇腹のホースのようで、先から触角と同じようなものが二本生えていた。
「気持ちわりぃ〜」
 なにより異彩を放つのはその腹部。ヤスデのように無数の足が、腹部の中心から左右に並んでいた。
 茶褐色で半透明の体。濡れてぬらりと光る体。大きさはおたまじゃくし程度だが、おたまじゃくしとは似ても似つかない。
「すげっ、カブトエビじゃん! 初めて見た」
 彰吾もマウンテンバイクをおり、昌浩の手元を覗き込む。
「あ、も一匹!」
「ズルイぞ!」
 両手にカブトエビを捕まえてご満悦の昌浩の背中を叩く。
「勝手に人のたんぼのもんとったら、叱られんで」
「許可とりゃええんやろ。すみませーん、ここらへんのカブトエビとか捕まえていいですかー?」
 都合よく近くの畑で作業中だった麦藁帽子の老人に、手をメガホン代わりに声をかける。老人は答える代わりに、両手で大きな丸をつくって応じた。
「だってさ」
「でも、苗とか傷つけたらあかんで」
 そう言いながら、彰吾も昌浩を真似てたんぼの中を泳ぐカブトエビに手をのばす。けれどその手は泥を掻き、澄んだ水を濁らせてしまう。掬いあげた手は、泥しかつかんでいない。
「ざんねーん」
「うっせ!」
 ドン、とまた背中を叩かれるがいつものことなので昌浩は気にもとめない。背中についた泥の手形にも気づかず、彰吾の乱暴を許す。
 そのことに、彰吾はバツの悪そうな顔をした。
「おれももっと捕まえよー。なんかこいつら入れるもんねぇかなぁ」
「口にでも入れとけよ」
「ふざけんな」
 昌浩は片手で二匹を持つと、リュックサックを地面に下ろしてごちゃごちゃとした中からペットボトルを掘り出した。
「麦茶はヤバイだろ」
「捨てるよ」
「環境破壊はんたーい」
「おれの胃にや!」
「いっき! いっき!」
 ゴッゴッゴッゴッとペットボトルの中の麦茶を飲みほすと、そこにたんぼの水を汲んでカブトエビを入れた。
「おー、泳いどる泳いどる」
 ペットボトルを横から眺めると、カブトエビが器用に無数の足を動かして泳いでいるのが見えた。たんぼから汲んだ水には、ミジンコなど他の微生物も泳いでいる。
「よっしゃ、もっと捕まえんでー!」
 それぞれ散り散りにカブトエビを求めてたんぼを見渡し、中腰になって水中をのぞき込み、カニのように畦を歩く。
 もう傾いているとはいえ夏の日差しは強く、額に汗がにじむ。
「よっしゃあ! 捕まえたでー!!」
 意気揚々と右手を掲げ、彰吾が昌浩のもとに駆けてくる。
「入れさして」
「なんでぇな、自分の水筒使いいや」
「ええやん、茶ぁなくなるやろ。昌浩が喉渇いたら、わけたるから」
「…………しゃーなしやで」
 しぶしぶとペットボトルを差し出すと、彰吾が捕まえたカブトエビが滑り込む。
「こいつ、なにやってんだ? 背泳ぎしとる」
「ほんまや」
 覗き込んだペットボトルのなかで、一匹のカブトエビが背中を底に向けて、水面をワサワサと掻くようにして泳いでいる。
「へーんなのぉ」
 あははははー、と笑いながら畦道を意味もなく走る。
「あ、おもしろいもん見っけ! 来いよ、昌浩」
 その声に昌浩が辺りを見渡しても、彰吾の姿は見えなかった。 
「どこだよ、彰吾ー」
「こっちだよ。はよこい、バカマサ」
 たんぼに水を入れる用水路の先。横にそれた堤防の向こうから、こまねく手が見えた。堤防の向こうは、大きな池だった。
「見ろよ、これ」
 汗で滑り落ちそうになる眼鏡をおさえながら、池の中を覗き込んでいる。
「そいやあ、たまに釣りしてる人おるけど……魚でもおんの?」
 昌浩が覗き込んだ池はコンクリートで固められ、茶色く濁った水は底の深さを教えない。
「なんもいねーじゃん」
「バカ、ここだよ。ここ!」
 彰吾の指さすのは池のふちギリギリの水の中。コンクリートの壁にへばりつくように、透明な小魚が泳いでいる。
「メダカ?」
「さあ、なんかの稚魚かもな」
「あ、エビもおるで、エビ!」
 言うが早いか昌浩が両手を池の中に突っ込む。
 透明な小魚とエビの群れを、自分の手を網代わりにして追い詰める。
「捕まえた捕まえた! ペットボトルペットボトルー!」
 両手で捕まえた魚とエビを包みながら、コンクリートのふちにおいたペットボトルを開けるように急かす。彰吾がペットボトルを開けて差し出すと、そこに捕まえた魚とエビを入れようとするのだが、いかせん口が小さすぎる。何匹かは逃げてしまった。
「うおー、エビ跳ねたぁ! よっしゃ、もいっちょっ!」
「おまえ、落ちんで」
 池に身を乗り出す昌浩の首根っこをつかむと、シャツは面白いほどよく伸びる。
「さっきみたいに素早くやれよ。そんなんじゃ捕まんね――……おわあっ!」
 池に手を突っ込んで魚を追いかけまわす昌浩の手元を覗き込んだとき、彰吾の眼鏡が鼻からも耳からも汗で滑り落ち、宙を舞った。反射的に差し出した手が眼鏡をキャッチしたものの、池に向かって大きくバランスを崩してしまった。
「な、ナイスタックル……ゲボッ。さっきのアイス出そー」
「あっぶねー」
「もう……帰っか」
「せやな」
 池にダイブしそうになった彰吾に昌浩がタックルしたおかげで溺死は免れたが、昌浩の頭がモロ胃にヒットしたあげく、二人揃って倒れ込みコンクリートに頭を打ってしまった。
「血ぃ、出てへん?」
「あー、擦れとるけど大丈夫や」
「よかったー」
 ペットボトルを拾い上げて、マウンテンバイクに戻っていく。
「後で分けてな。一匹は俺んやで」
「おう。じゃあ、麦茶一口くれや。喉渇いた」
「はいよ」
 彰吾の水筒からお茶を分けてもらい喉をうるおすと、それぞれマウンテンバイクのカギを外した。
「で、塾どうするよ」
「あ、忘れとった……」
「バカマサ」
「まあ、ええんちゃう? 一日ぐらいサボったかて」
「母さんになんて言い訳しよ」
「途中で具合悪くなったとか?」
「カブトエビ捕まえる元気はあるのに?」
 二人は仲良く会話をしながら、マウンテンバイクで農道を走りだした。


  * * * * *


「懐いなぁ〜、ここ」
「ああ、塾サボってカブトエビ捕まえたりしとったな」
 農道を走る、一台の乗用車。
「あんときは大変やったなぁ。オマエが肥溜めに落ちたりしてなぁ」
「なに記憶の捏造しとんねん。肥溜めて、いったい何十年前の話や」
 車を運転するのは銀縁眼鏡の青年。助手席には同世代らしきソフトモヒカンの青年が乗っている。二人はスーツを着込み、めかし込んでいた。
「同窓会、何時からやっけ? みんな元気にしとるかな」
「おれは元気やでー」
「知っとるわ!」
 二人は仲良く会話をしながら、車で農道を走っていく。

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