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G06  深紅の森

 森の中。
 太く長い木々の間隔は狭く広く、道なき道はどこまでも続く。
 木は一本一本が真っ直ぐで、枝葉は頭上高いところでようやく見つけることが出来た。その高いところから吊り下がっている蔦を引っ張ると、ギシギシと音を立てながら木片が落ちてくる。
 歩いても走ってもどこへ行っても深い緑の続く、かわりばえのしない景色に、旅人であるフォルスは何度もくじけそうになった。
 いくつもの困難を潜り抜けながら生きてきた自分は体力にだけは自信があった。それが、この単調な緑が繰り返される、それだけの場所で心ごと折れそうになっているのである。
 しかしそんなことよりもまず思うのは……
「くそあちーな、おい」
 一度足を止め、コケのびっしり生えた古い大木に背中を預け、滴り落ちる汗を手の甲で拭う。
 動き続き疲れきった身体を少しでも休めようとその場に腰を下ろし、緑の空を仰いだ。
 体力の限界も図れなくなっている。これ以上は、どこまでいけるのか、全く分からなかった。
「ったく、どこにありやがんだ、陽炎の樹」
 逆立てた短い金髪の中に片手を入れ、フォルスは思わずつぶやいた。
 この森に入り、どのくらい日が経っているのだろう。太陽が見えないから朝も昼も夜も分からない。フォルスの体内時計は狂っていた。手持ちの携帯食料が残っているから、腹時計を信じるのならばそう時間は経っていないはずなのだが……
 “陽炎の樹”
 それは、一言で言い表すのなら、万能薬だった。
 陽炎の樹を持って治せない病気はないという。
 されど、高額だった。なぜなら、この森にしか生えていないから。
 そしてこの森は、人喰いの森とも呼ばれ、一度入ったら二度と日の光を拝められないとも言われている。
 今まで幾人も金稼ぎのために屈強な男共がこの森に入ったが、生きて帰ってきたのは数えるほどだ。彼らは皆伝説とまでなって崇められている。
 フォルスは、本当ならここには来たくなかった。
 しかし、陽炎の樹でしか治せない病気に、いつも世話になっている宿屋の娘がかかってしまったのだ。
 トレジャーハンターを自負するフォルスは、見捨てることも出来ず、協力しないわけにも行かなかった。
 だが、どの薬屋にも陽炎の樹は品切れで、取り寄せるにも、どれだけ待てばいいのか、いくらかかるのか、何も保障できるものがないという。
 そんなもの、待てない。
 ひとひとりの生死がかかっているのだ。
「あー、ちくしょーっ!」
 フォルスは、叫んで気合を入れなおし、腰を上げ、当てもなく再び歩き出した。
 このまま何も得られず、森からも出られず、娘ともども死んでしまっては元も子もない。だからといって、娘を見殺しにすることも出来なかった。
 フォルスはやさしいのではない。きっとただのかっこつけだと、今になると自分でそう思う。
「さっさと出てこい陽炎の樹!」
 かっこつけて腰に巻いている金属片がジャラジャラと今はうるさい。
 フォルスは、通りがかりの木に蛍光シールで通ってきた道のしるしをつけていた。いざ本気で諦めざるをえない時にも、これを辿って戻ればいい。
 もっとも、そう簡単に諦めるつもりなど毛頭ないが。
 諦め帰ったときに、宿屋の親子がどんな顔をするのか、それを想像すると怖くなった。だからというわけではないが、逃げることはできない。
 陽炎の樹を見つけ、急ぎ帰る。
  それが、一番いい形だ。
 歩くにつれ、だんだんと感覚が麻痺し、疲れや足の痛みも限界を超えたのかむしろ快感になりだした。
 そんな頃。
 目の前のどこまでも続いていた緑が、赤く変化し出した。
 じわじわと、緑から赤へ変化していく。それは、ゆっくりと赤い森へ足を踏み出したかのように。
 非現実的な、幻想的な光景だった。
「あー? んだこれ。俺もとうとういかれちまったか」
 フォルスは疲労から自分がおかしくなったのだと判断した。ここまでハイになっていたら、もう何が起こっても動揺しない。
 ただ、歩き続ける。
 陽炎の樹。それだけを目指して。
「どこに行くの?」
 不意に、声が聞こえた。
 思わず進み続けた足を止め、フォルスは辺りに目を凝らす。
 だが、誰もいない。
「どこに行くの?」
 足を踏み出そうとして再び聞こえた同じ声に、フォルスはやや身を固くしながら、叫ぶ。
「誰だっ!?」
 反応はない。
 フォルスは、360度全てを見渡した。
「どこに、行くの?」
 三度目。
 ゆらりと、そうまさに陽炎のように、目の前にひとりの少女が現れた。
 色白の肌に、真っ白な髪は無造作に腰の辺りまで伸びていた。白いワンピースを纏い、細い手足がむき出しに伸びている。
 見た目10歳ほどの少女は、緑色の目でしっかりとフォルスを見据えていた。
「どこに行くの?」
 何度目になるだろう、その言葉でフォルスは我に返ると、思わず少女を凝視した。
「お前は、誰だ?」
「どこに行くの?」
「はぁ? だから、お前は誰だって聞いてんの」
「どこに行くの?」
 少女はそれしか言葉を発さない。
 フォルスは諦めて息をついた。
  話しても無駄だ。この森自体がおかしいのだから、誰に会おうと、何が起ころうと、それはもう不思議ではないのだ。
「陽炎の樹を探してんだ」
 疲れたような低い声で答えるフォルスに、少女は無表情で応えた。
「それは、ここにある」
 思いもしなかった言葉に、フォルスは不意を突かれて一瞬固まった。
 赤い視界の中、白い少女は妙に映えている。
 その絵の中にいるような少女を、フォルスはまじまじと見つめた。
「探しているのでしょう?」
 フォルスは、素直に頷いた。
「何のために?」
 素直な問いかけ。
 フォルスは、応えなければいけないと思った。
 この不思議な少女に、本当のこと、大切な真実、嘘偽りのないものを応えなければいけない。
 無意識に、敬わねばならないと感じた。
「世話になっている娘さんが、重病にかかったんだ。そのために、陽炎の樹が必要なのさ」
 それでも、疲れているせいか、端的な答え方しかできなかった。
 少女はそれでも満足だったのか、静かにひとつ頷いた。
「あなたは人のために動いている。自分じゃない誰かのために。それならば、与えてもいい」
 少女はくるりと向きを変えた。
 フォルスに背中を見せ、着いて来いといわんばかりの態度で、口調で、フォルスを促す。
「ただし、覚えておいて。陽炎の樹を使うたび、木が枯れる」
 歩き出した少女の後を追いながら、フォルスは首をかしげた。
「木が、枯れる?」
「そう。何かの犠牲なしに、何かを得られはしない」
「陽炎の樹が、なぜ?」
「それだけの力がある。陽炎の樹は、万物を癒す。大樹の寿命と引き換えに」
「……」
「本当に必要としている人にだけ道は現れる。陽炎の樹を使いよからぬことを企む人に、道は現れない」
 少女の言っている意味は分かる。だが同時に、陽炎の樹、その力と重さも理解した。
 しばらく黙って歩き続けると、今度は白い森に辿り着いた。
 そこからは、木の形が変わった。今までは木の葉は空に届きそうなほど高いところにしか生えていなかったのが、今度は地面すれすれのところから生えている。そして木自体の背は低く細く、木々の間隔も広い。
「ここは……?」
 フォルスは思わず呟いて、足を止め景色に魅入った。
 幻想的過ぎる。
 風が吹くたびに白い葉はゆれ、それと同時に金色の粉が舞った。
「ここに陽炎の樹は実る」
「……」
 少女の姿を追いながら、フォルスは頭がぐらぐらするような体調の変化を感じた。
 丈夫なだけが取り得の自分が、これはおかしい。
 だが、フォルスは自嘲的に少し笑う。
 この森に、おかしいも不思議もないのだ。
  何度も何度も、そう感じてきたではないか。
  自分の常識なんて、世界が変われば通用しない。
「ここ」
 少女が足を止めたそこ。
 そこは、一際大きな白い木が、枝を広げ、存分な葉が覆いつくし、貫禄を持ち堂々と聳え立っていた。
「これが、“陽炎の樹”」
 少女が空に手をかざす。
 すると、少女に応えるように、赤い葉が、白い葉の間から降りてきた。それはゆっくりと少女の小さな手のひらの中に収まり、そして少女はそれをフォルスへ差し出した。
「これが?」
 一見、ただの落ち葉だった。
 枯葉。フォルスは、そんな感想を抱く。
「さぁ」
「受け取っても?」
「もちろん。その為に来たのでしょう」
 最もだ。
 フォルスは苦笑して、陽炎の樹を受け取った。
 これが。
 これが、入手困難といわれている陽炎の樹。
 多くの者がこれを探し、この森に足を踏み入れ、帰ってくることはなかったという、その、陽炎の樹。
 フォルスは、受け取った陽炎の樹を、空にかざした。白い森を背景に、陽炎の樹はとても映えていた。
 そうだ。これを、これを探していた。
「ありがとう」
 フォルスは、無意識に言った。
 少女は、無表情のまま頷いた。
「さぁ、ここにはもう用はないはず。行きなさい」
「あ? んなこといっても、どう帰ればいいのか分かんねぇよ」
 帰れと言われて、途端にフォルスは現実を思い出した。
 途中まで印してきた蛍光のテープは、少女に会ってからは何もしていない。
「大丈夫。望む人に、道は現れる。ここは、そういう森」
 少女は、フォルスを見上げると、一方向を指差した。
 白から赤へ。赤から緑へ。
 続いていく木々の向こう、その奥から、光が自分を待っているかのように存在していた。
「振り返らずに行くの。あなたの望みは、もうここにはない」
 言うなり、少女は現れたときと同じように、陽炎のように、消えた。
「あ、おい!」
 慌てて呼びかけるが、ついさっきまでそこに存在していたのが嘘のように、少女は完全に消えていた。
「名前くらい聞いておくんだったな」
 呟いて、そしてフォルスは歩き出した。
 光に向かって、真っ直ぐに、振り返らず、躊躇わず、そこだけを目指して。

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