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G04  道端の石

 仕事を終えて部屋に戻ると、薄暗闇の中に女が1人うずまっていた。年は13〜4。正確な年齢も名前も、俺は知らないし知ろうと思わない。
「今日も人を殺してきたの?」
 女の問いかけに、俺は頷きもしなかった。愚問だ。
 俺が仕事道具を持って出かけた日には、必ずどこかの誰かが死ぬ。もちろん、俺が仕事道具を持って出かけない日も、必ずどこかの誰かは死んでいるのだろうが。
ただ、前者と後者の違いは、俺が関わっているか、いないか。それだけだ。
「血の臭いはしないはずだ」
 今日は血の出るような殺し方はしていない。
 俺の言葉に、女は薄暗闇の中で静かに立ち上がる。
 その動作を合図にするように、俺は電灯のスイッチを入れた。痩せた女の姿がちらつく明かりの下ではっきりと見える。髪も目も黒い。背丈はこの年代の女の平均身長を知らないのでなんとも言えないが、あまり長身ではない俺よりもかなり低いことだけは確かだ。
「お帰りなさい」
 女の声は平坦だった。俺が出かける前も女はその場所に座っていて、今も同じ場所にいる。多分、一歩も動いていない。
 いや、便所にくらいは行ったかもしれないが、部屋の隅の食器棚の前が女のいつもいる場所だった。夕方になろうとも、電灯をつけるために動こうともしない。
 おかげで、俺が帰ってくる時に、いつも部屋は薄暗い。
 全く、俺の育て方が悪かったのだろうか。
 そもそも、俺にまともな子育てなんかできるはずもないのだが。

 女を拾ったのは4年前。
 俺が殺した相手と女は一緒に暮らしていた。親子だったらしい。父親が死んでも女は泣かなかった。それどころか、薄く唇の端に笑みなど浮かべていた。
 目撃者を作ってはいけないというのがこの世界の鉄則なので、俺は女を殺すべきだった。けれど、俺はそれをしなかった。

 俺は女を連れ帰り、女は今ここにいる。
 なぜそんなことをしたかは、俺にもよく分からない。

 仕事をした日の習慣で、まずシャワーを浴びた後、買ってきたパスタの入ったプラスチックケースをテーブルに並べる。すると、食器棚の前に突っ立っていた女が動き出した。
 椅子の上に膝を抱えるようにして座る女の足を、俺は指さす。
「親でもないのに、指示しないでよ。」
 眉間にしわを寄せながらも、仕方なく足を下ろす女に、俺は片頬で笑う。
「”お父さん”って俺を呼ぶじゃないか。」
 揶揄する響きに、女はむっとした顔になる。
 仕事で遠出をする時など、俺は女を連れてホテルに泊まったりする。そういう時、女は俺を”お父さん”と呼び、俺も女を適当な名前で呼ぶ。
 俺が教育したわけでもないが、どちらからともなく決めた約束ごとだった。

 俺が女に施したのは、人を殺す技術だけ。

 ためらわず心臓を貫き、喉を掻き切る技術を女にはたたき込んである。そのために、ペットショップから何匹も育ちすぎた犬猫を安く仕入れて、練習もさせた。
 俺はそれ以外の方法でも人を殺せるが、体格的に女には難しい技術は、無駄なので教えなかった。
 店で暖めてもらったパスタはのびきっていたが、女は文句も言わず、もそもそとプラスチックのフォークでそれを食べる。不器用にすすり上げる音の汚さに、俺は頭痛を覚えた。
 これは俺の教育の範疇ではない。だが、あまりにも聞き苦しすぎる。
「フォークはこう使うんだ」
 くるくるとパスタを巻いてみせると、女はちょっと首を傾げてから、馬鹿にするような嫌な笑いを見せた。
「こう使うんじゃなくて?」
 握りしめて降り下ろすような暴力的な動作は、殺傷を思わせる。プラスチックフォークで人を殺すのは非常に難しいが、できないわけではない。しかし、それよりももっと簡単な方法を、女は知っているはずだ。
「持ってるか?」
 俺に問いかけられて、女は洗濯されてしわしわだが清潔なスカートの内ポケットから、小さな物体を取り出した。
 女の手の平の中にも楽に隠れるようなそれは、俺の親指ほどの太さで、小指ほどの長さしかない。しかし、その能力は使うものが上手に使えば限りない。
 鍵開けもできるように、先を尖らせて細工してある折りたたみナイフ。それがこの物体の正体だ。強化セラミック製の特注品なので、切れ味は鋭く、金属探知機にも反応しない。
 女は顔色一つ変えず、今までに何度もその折りたたみナイフで動物の喉を掻き切り、心臓をえぐった。血を嫌う人間は多いものだが、女はそんな性質ではないようだった。
「最初に殺した人の話をして」
 食事時にする話かどうかは分からないが、女が請うので俺は記憶を探る。深く探らずとも、最初の殺しはよく覚えていた。
 親だったから。

 記憶にある限り、親が俺に最初に贈った本は、医学で功績をあげた男の伝記だった。
 親は俺を医者にさせたがった。俺の前に道を作って、それ以外のどこにも行けないようにしてしまった。
 だけど、俺は親を嫌いではなかったと思う。
 ただ、俺は普通の人間ではなかったのだ。

「石があれば蹴っていただろう。グラスがあれば割っていただろう。俺の場合には、目の前に親がいた。だから、殺した」

 母親はキッチンでシチューを煮込んでいて、父親は対面キッチンから見えるリビングで新聞を読んでいた。普通の休日の午後。まな板の上に、野菜くずと包丁があった。
 その包丁を手に取った時には、もう全てが決まってしまっていた。
 俺はその包丁で親を殺した。
 警察に捕まって尋問されるのは面倒だったので、家を出てふらふらしていたら、チンピラに絡まれた。だから、そいつの首を腕で絞めて殺した。そうしたら、そいつが裏組織の一員だったらしく、警察よりも執拗な追っ手がかかり、俺は捕まって幹部の前に突き出された。
 俺は殺されると思った。
 それでも構わなかった。殺すのも殺されるのも、俺の中では息をするのと同じくらい自然なことに思えたのだ。
 しかし、幹部は恐れを見せない俺に興味を持ったようだった。
 幹部は聞いた。
 同じことをもう一度できるかと。
 俺は答えた。何度でもできると。
 俺の答えを面白がった幹部は、金を払うので人を殺せと命じた。俺は腹が減っていたし、財布は空だったので、その申し出を受けた。
 俺が大学で得た医学知識は、人を殺す技術につながった。それに関しては、親に感謝してもいいだろう。

 話を熱心に聞いていた女は、少し考えてから問いかけた。
「お父さんとお母さんを殺すの、怖くなかった?」
「怖いわけがない。道端の石を蹴るのと同じだ」
「私も殺せばよかったんだね。ねぇ、私にも殺せるかな?」
 その問いかけに俺は力強く頷く。
「お前はきっと、上手に殺せるさ」
 警察に捕まって、裁判の末に奇妙な椅子に座らされて殺されるよりも、俺は誰かに喉を掻き切られるか心臓を貫かれて死にたかった。だから、そのために女を育てた。
 女にも、いつか俺を殺せと伝えてある。
 親を殺した時もそうだったが、俺は本当は殺してほしかったのかもしれない。だが、親は俺を殺してくれなかった。だから、仕方なく俺は親を殺した。
 女の手に俺の手を添えて、くるくるとパスタを巻いてやると、女は黒い目でじっと俺を見上げた。それから、にっこりと微笑んだ。
「”お父さん”」
 ただの言葉遊びだと分かっているので、俺も笑い返してやる。すると女の笑みがもっと深くなって、くすくすと声を上げて笑いだした。

 無粋な電子音。

 テーブルの上に乗せておいた携帯電話が鳴ったのだ。見なくても分かる。仕事の依頼のメールだ。そのメールの指示通りに人を殺せば、俺の口座に金が入る。
 メールの内容を確認して、俺はぎこちなくフォークを使って最後の一口を頬張った女に視線を向けた。
「明日から旅行だぞ、可愛い俺の一人”娘”」
「嬉しいわ、”お父さん”」
 女の笑顔はその言葉と同じ作りもの。
 俺は食べ終わった二人分のプラスチック容器をビニル袋に入れて縛ってゴミ箱に放り込み、仕事道具が入ったカバンをテーブルに置いた。中には絞殺用具、撲殺用具、刺殺用具、毒薬用具などかさばらないが様々な道具が数種類ずつそろえてあった。殺人の方法を特定しないのは、足がつくのを避けるため。
 道具の手入れと確認は念入りにする。いつも同じ場所に同じ道具が入っているのが好ましい。間違わず迅速に殺人が行えるように。時には道具を使わずに殺すこともあるけれど。

 仕事に失敗したことはない。
 けれど、抵抗されて怪我をすることもある。

 翌日の仕事は簡単ではなかった。殺す相手は、俺を雇った幹部と違う裏組織の幹部で、銃を持っていた。持っていること自体はそれほど問題ではないが、ためらいなく撃つ度胸と当てる技量が、そいつにはあったのだ。
 仕事を終え、腹を撃ち抜かれて車に戻った俺を見て、女が息をのんだ。
「血が出てる。痛い?」
「痛いし、熱い」
 俺は穴の空いたわき腹を押さえて、短く答えた。血は止めどなく流れ出て、車のシートを汚す。後部座席に倒れ込んだ俺が、車のドアを閉めたのを確認して、女は助手席から運転席に移動してアクセルを入れた。
 女は免許を持っていないが、運転技術は仕込んであった。警察の検問に引っかかると面倒なので、極力運転させないようにしていたが。
 目がかすむ。意識がもうろうとしてくる。
 人通りの少ない深夜、隣の家まで数キロもある僻地の道はがたがたで、車は容赦なく揺れて地面の形を刻み込む。揺れるたびに痛む腹を押さえて、動脈を探す。止血しようとシャツの前をあけて、親指を傷口付近に持っていくが、ぬるぬると滑って上手にできない。
 気がつくと、車が長く延びる道の脇に止められて、女が後部座席のドアを開けて俺をのぞき込んでいた。
「大丈夫?救急車を呼ぼうか?」
 携帯電話を貸せと手を出す女に、俺は首を振る。

「殺せ、今が、その時だ」

 俺はこのために女を拾って育てた。毎日食事を買ってきてやったし、水光熱費も払ってやったし、椅子の上に足を上げないように注意したし、パスタの巻き方も教えた。
 この傷ではかなり高度な技術を持つ医師でなければ命を助けられないと、俺には分かる。しかし、即死しないことも分かっている。
 苦しみに苦しみ抜いて死ぬくらいならば、俺は女に殺されたかった。
 女はよそ行き用のクリーニングされたスカートのポケットから、折りたたみナイフを取り出す。その動作にためらいはない。
 そのまま、女は決められた動作で、俺に馬乗りになって、折りたたみナイフの表面のボタンを押して、中身をスライドさせて刃を取り出した。
 ナイフの刃がぴたりと、後部座席に倒れ込んでいる俺の喉に当たる。それが冷たいのか、ポケットの中で女の体温を吸って生ぬるいのか、意識の飛びそうな俺にはもうよく分からない。
 俺は終わりの時を待って目を閉じた。しかし、それはなかなか来ない。
 女が折りたたみナイフを動かさないのだ。
 訝しく思って目を開けた俺の頬に、ぽたりと、水滴が落ちてきた。
 痛みに意識が飛びかけている俺でもはっきりと分かるくらい、断続的に落ちてくる水滴。
 暗く狭い車内ではよく見えないが、女は泣いているようだった。

「殺す価値もない。あなたは、私の手を汚す価値もないよ」


 女の言葉に、俺は苛立ちを覚える。
 価値。殺すために価値が必要かなど、俺は教えていない。
「殺せ。そのために俺はお前を育てたんだ」
 いつも言い聞かせてきた言葉だが、あんなにたくさんの動物で練習したに関わらず、女は一向に俺を殺そうとしない。それどころか、折りたたみナイフを俺の首から遠ざけた。
「殺せ!殺さないなら、俺がお前を殺す!」
 語調を強めて脅すが、女は汚い音を立てて鼻水をすすり上げただけだった。
 ただの脅しではないことを示そうと、血まみれの手を伸ばしてナイフを奪おうとすると、女はあっさりとそれを手放した。
「私はあなたを殺さない。あなたは道端の石じゃないんだから」
 細い喉にナイフを突きつけられても、恐れずに女は続ける。

「あなたは、人間なんだから」

 お前なんか道端の石にも劣る!蹴る価値もない!
 せっかく育ててやったのに、俺を裏切るのか!
 そう罵ろうとしたが、出血が多すぎて、もう限界だった。女が俺のズボンをまさぐって、携帯電話を取り出してどこかに電話しているのを、俺は遠くなる意識の中聞いていた。


 気がつけば、白い病室にいた。そこに女の姿はなく、医者と警察が目覚めた俺を迎えてくれた。
 医者は俺が難しい手術に成功して助かったことを、警察は俺が今回の殺人事件の重要参考人であることを告げた。
 重要参考人どころか、俺は覚えていられないくらい人を殺してきたのだ。警察は言外にそれを告げる疑いの目を向けてくる。いつかはこんな日が来るだろうと思っていた。その前に女に殺されるつもりだったのにと、俺は胸中で歯噛みした。
 病室には、鍵がなければ中からは開けられないような仕掛けがしてあり、外には警察が立っている。そばにも医者と警察が俺を警戒しながら見張っていた。
「君に会いたいという人が来ていてね・・・・・・会えないと何度言っても聞いてくれない」
 警察が目を光らせる中、医者が眉値を寄せて話しかける。
「君に育ててもらっていたという少女だ。会うかね?」
 会わせて警察は俺の反応が見たいのだろう。俺は医者の申し出に頷いた。手ひどい裏切りを演じてくれた女には、言いたいことがある。
 警察は女を病室の中に入れた。女はうつむいて歩いてきて、ベッドの脇の椅子に座り、たくさんのチューブにつながれた俺の手を握る。
「”お父さん”」
 この期に及んで演技かと、俺は苦笑しようとしたが、腹が痛んで表情が歪んでしまった。
「俺は裁かれて死刑になるだろうな。お前のせいだ」
 お前が俺を殺さなかったから!
 俺の言葉に女はきっぱりと首を振った。

「私には、殺せない」

 女の手は熱く、小さかった。
 それ以上何も語り合おうとしない俺と女に、数分後、警察が女を部屋から連れ出した。女は振り返りもせず部屋から出ていく。
「娘さんのためにも、本当のことを話したらどうだ?」
 親切そうな言葉の裏に、憎しみと嫌悪を隠す警察の声を聞きながら、俺は女がこっそりと手渡したものの感触を手の中で確かめていた。

ーー 鍵開けもできるように、先を尖らせて細工してある折りたたみナイフ。
ーー強化セラミック製の特注品なので、切れ味は鋭く、金属探知機にも反応しない。

G04  道端の石
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