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F10  ひとつの道からはじまる

そこに、人々が通る、町と町の間の一本の道があった。
サーリャの町からルーレンの町までの長くはないが短いわけでもない一本の道。

わたしは毎朝太陽が山の端から昇った頃その道を通って、仕事へ出かける。
そして太陽が完全に沈み行く頃にその道を通ってサーリャの町の自宅まで戻っている。
たかが一本道だけれども、盗賊も魔物も出ることはない、州政府によって舗装された道なので安全だけれども、わたしは怖かった。

10年前に母と父を亡くしてからずっとひとりでこの道を往復しているのが怖かった。
(……そう、あれは、ちょうど10年前の今日だったわ…)
10年前―――10代半ばにさしかかった頃―――、わたしがまだルーエンの町まで仕事ではなく、学校へ行って、サーリャの町へ帰って来た時だった。

◆―――◇―――◆

―――最初に見たのは鮮やかな赤いインクをぶちまけられた家の中。
ただいま、といういつもの返事を言葉に紡ぎ出すのも忘れて、ただ凝視し続けていた。
赤い液体の中に蹲る(うずくまる)のは、少女の最愛の二人だった父と母……。
『ママ…パパ…』
やっとしぼり出せた声とともに少女の頬を冷たく伝うものがあることに気づいた。
涙が彼女の顔を覆い尽くすように流され、いつのまにか床板を濡らしていた。

『野生の熊が、突然凶暴化して襲ったんだって』
その大惨事から数日後に少女が周辺住民から聞いた事の顛末だった。
『マルガちゃんの帰りを待っていて扉の鍵を開けたままにしておいたんだからホント災難な話よね』
『その時に限ってご主人も早めに仕事から帰ってマルガちゃんを待ってたんでしょ』
そういえば、と少女は思い返していた。
あの悲惨な情景の奥にひそやかに存在していたものはなんだったのだろう―――と。
黄金に輝く七面鳥の焼肉、緑と赤色のみずみずしい調和のサラダが包みのなかで今か今かと出番待ちをしていた。そして極めつけはつややかな白粉と口紅で化粧を施されたケーキ―――。
ああ、と少女は父と母がどんな想いでわたしを待っていたのかと愛の深さを思い知らされた。
―――そう、10年前の15歳の誕生日の日に母と父は凶暴化した魔物に殺されたのだ。

◆―――◇―――◆

あれからずっと、《愛》というものが怖かったのだ。
それまでは妹に愛情が注がれていた分、自分が父からも母からも愛されてないって思っていたから―――弟が15年前に病気で亡くなってからもずっと。
それでも弟が亡くなってからの五年間はすごく幸せだった。
それは、母と父が帰りを待ってくれたから不思議と怖くはなかったのだ。
なぜかはずっとわからなかった。けれども―――。

その日も朝からルーレンの町まで仕事に出かけ、太陽が沈んでから帰る途中だった。




* * * * * *


(……ママはどこ行ったの?)
少女は叫び続けた。最初は喉を通して生きる世界に声を発していたのだ。
そのうち、声が疲れ始めてからは少女の心の中でずっと叫び続けている。

―――おまえの母親は俺が殺したよ

そう言ったのは誰だったのだろう…?
父親を名乗りつつ、父親らしいことをしてくれなかった人。

《ママ》を買ったのだ、と言っていた。
少女はその人と《ママ》が扉の向こうに消えていったのただ待った。
(ママが言ったんだもの…おとなしく待ってればあとで一緒にお風呂入って、そして歌をうたってくれるって…)
しかし、次に聞いたのは、男のその言葉と横たわる《ママ》の姿。

その光景を見た瞬間は何もわからなかった。ただ漠然と思う。
(……ママはどこ行ったの?)
いつの間にか、父親を名乗った男も消えていた…赤く染まった《ママ》を連れて。

ただ少女は泣き、叫び続けた―――。


どれくらい経ったのだろうか?
「何してるんだい?」
少女は声をかけられ…ハッとして空を仰いだ。
目が大きく見開かれた。そこにいたのは、探していた人の顔にそっくりだったのだ。
「ママ……っ?」



たぶん、その日、彼女に声をかけたのは特に理由なんかなかったのだと思う。ただこの、夜も更けたサーリャの町へ帰る道の途中でわたしより幼い少女が声を押し殺して泣いていたからだ。たんなる偶然にすぎない―――わたしより前にこの少女に誰かが話しかけていればわたしが声をかけることは絶対にないだろう、という程度の偶然にすぎなかった。
ただ、その日もいつものように隣町へ買い物をしてただ帰るそれだけだったのだから。
何故だろう…と自分でもおかしく思うくらいだ。

(髪の色も、性別すら違うのにね…)
目の前で見つめ返す少女の髪はこの夜の闇と同化するような濃い青灰色だ。頬をかすめる赤茶が混じる金色の髪を手で軽く抑えながら、わたしは苦笑いを浮かべた。


おそらく押し殺して泣く姿が、幼くして死んだ弟に似ているのだと。


そう思うことで彼女に声かけた理由を作ろうとした。
したかったのだと。

「ママじゃないよ…似てるかい?あなたのママに?」
少女はわたしの問いにこくりと頷いた。

「ママはどこにいるんだい?」
「……《ママ》は知らない人が連れてちゃった」
「ママに会いたいかい?」
少女の髪と同じ色の瞳が微かに揺らぐ。わたしはそういえばどんな表情でこの子と話していただろうか?
(もしかして、この子をすごく不安にさせているのかな?)
軽く首を振って、つとめて私は優しく微笑みかけてみた。
「ああ、だいじょうぶだよ…お姉ちゃんね、あなたをママのところまで連れて行ってあげたいの。ここにひとりは危ないからね…すごーくこわーい魔物に食べられちゃうよ」
少女はぶんぶんと大きく首を振って言葉を紡いだ。
「……ママはいらない。お姉ちゃんのそばにいたい」
少女の言葉にわたしは思わず、え?と目を瞬かせた。
「ママ、知らない人といっしょでしあわせそうだった。いままででいちばん」
少女は一生懸命言葉を紡ぎ続けた。
「だからそのままにしてあげた。きっとママ、あたしがいたら困った顔する。だってママ、あたしの顔をみていつも困ってる。知らない人といるといつもしあわせそう、だから」
少女は顔を上げてわたしの目をまっすぐ見ている。
「お姉ちゃんのそばで笑っていたい。そしたらお姉ちゃんも笑ってくれる?」
わたしは、はっと虚をつかれた。なんということだろう、こんな幼き少女に自分が無理に笑っていることに気づかされるとは。

「お姉ちゃんと一緒に行くかい?」
少女はじっとわたしの方を見つめていたがややあってからこくり、と静かに頷く。
「じゃあ、行こう」
その時のわたしの表情を、数年後美しく成長した少女が思い出してこう語っている―――『あの時手を差し伸べてくれたお姉ちゃんはやっぱりあたしの理想のママに似ていた、すっごく優しく幸せそうな笑顔だった』と。


薄暗い道を手をつなぎ歌いながら歩く二人の姿は、いかにも親子連れにしかみえないだろう。

見れば、サーリャの町へ続く道に太陽が恥ずかしそうに昇ろうとしていた。
今まではずっとひとりで太陽とこの道を通ってルーレンの町へ出かけていたけれど、これからはふたりで歩いていこう。
(…ふたりなら夜の暗い道も怖くないわ)
そう呟くわたしの顔は太陽を正面から見据えていた。

―――いつも光に満ちあふれた朝はその日から少しずつ変化していた。

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