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F07 偽りだらけの道筋

「まったく、何て役たたずな道標だ!」
 古ぼけた木でできた看板を蹴飛ばすと、ジョニー・ボーイは大きな舌打ちを響かせた。
 看板には「←アーリー・ウェスト」と書かれていたが、この矢印はちっとも信用できない。同じ看板を朝から五つは見つけているが、道標通りに馬を走らせても町の姿はさっぱり見えてこないのだ。中には「↑」というものもあり、どうやら天国にでもあるらしい。
「よっぽど、人に訪ねて来て欲しくないらしいなこの町は」
 やれやれだぜとつばの広いカウボーイ・ハットを深く下ろすと、ジョニー・ボーイは道標がない方向へ馬を向けて走りだした。
 グリニッジ・タウンから西部の田舎町に飛ばされただけでも不運だというのに、そこにすらたどり着けないとはしゃれている。命令を下した保安官のハゲ頭に毒づいてやりたいが、同時に一人の若い女性がゆっくりと倒れる姿が脳裏に浮かんだ。
 癖のない黒髪にうっすらとそばかすの浮いた顔。手には布巾をかけたバスケット。その下には朝焼いていたクルミとリンゴのビスケットが詰められていた。熱い時につまもうとしてピシャリと手を叩かれたのも朝のこと。
「もう、男ってちょっとだって我慢できない生き物なの?」
 死んだ母親そっくりの口調で言う妹を、同じく叩かれた父親とともにニヤリと笑みを見交わした。
「冷めるのを待ってちゃ遅刻しちまう」
「熱い時はまた格別ってね」
 揃って手を伸ばす男たちに厳めしい顔を作り、追い出しながらも笑っていた。
「安心して、お昼には届けてあげるから」
 その目的が同僚のサム・ファイファーにあると知っていて、腕に抱きつく妹の頭をくしゃりとなでる。
「やれやれ、兄貴なんか損ばかりだぜ」
「何を言う。父親の方がみじめなもんだ」
 それが家族の最後の会話になった。突如として流れこんだならず者たちとの応戦。小競り合いだという油断が『速撃ちジョニー』の緊張を弛ませた。遊び半分で飛び出した影に発砲する。白いシャツに赤い染みが小さく浮かび、何が起こったか分からないまま地面へと崩れ落ちていく。それが妹の最後だった。
「何やってやがる!糞ったれ!」
 父親の怒声にも体が動かず、全てが終わった時には父親も死体になっていた。一人で奮戦したらしく、父親の周囲は死体がいくつも転がっている。
 それから、銃を持っても撃てやしない。応戦も役たたず。田舎で療養してこいと、今の状況になっている。
「やれやれ、撃てないガンマンなんて飛べない鳥みたいなもんだぜ」
 自嘲するように言ってみても、腹すら立たない。苦い唾を飲みこんだところで、妙な女に突き当たる。
 量の多い煉瓦色の髪を一つにくくり、炭で道標を「⇔」に変えている。犯人はこいつかと朝からの労力を思いだし、ジョニーは大きな舌打ちを響かせた。
 何もない荒野で道標は命綱のようなものだ。下手したら死人が出てもおかしくない。馬鹿に常識を叩き込むのが最初の仕事かよ、と帽子のつばを少し動かすと、撃てもしない銃を構えて注意を引きつける。
「ヘイ、手を挙げろ。何やってんのか分かってんのか、このイカレ野郎」
 普通の女なら驚き固まるジョニーの声に、落書きの主は振り向くと同時に遠慮もなく発砲した。腹にくる音が響き、頭に衝撃。そして見上げればつばに穴が開いている。
「ヘイ、銃を捨てて。分かってやっているのだから、放っておいてボーイ」
 カチリという音がして、早くと急かされればさすがに銃を捨てるしかない。女は素早く蹴飛ばすとジョニーの頭へと照準を向ける。
「それで、あなたは一体何者で、どんな用があるのかしら?」
「俺はアーリー・ウェストの新しい保安官で町に向かっている。ところが、俺に狙いをつけたように道標を変えていた馬鹿がいて、声をかけたわけだ。公共物への落書きは法律違反だと分かってやっているんだろうな?」
 ジョニーの言葉に女は大きく笑い声をあげ、馬鹿にするように肩をいからす。
「ええ、前任の保安官が死んでから、ここは無法地帯だと知っているわ。だから、保安官の出番はないというわけ。明後日おいで!」
 言うが早いか銃底でジョニーの馬の尻を叩くと、馬はいなないて棹立ちになる。慌てて手綱を引き締めるが勢いづいた馬は止まらない。基本的にデリケートな生き物なのだ。女がひらひらと手を振る様子を背後に、ジョニーは駆け去ることになったのだ。

「本当に……計算違いだわ」
 その様子を見送ったマディは残りの部分を仕上げてしまうと、自分の馬に軽やかに飛び乗った。そのまま捌いて向かった先は、アーリー・ウェスト。開拓されたばかりの小さな田舎町だが、マディはここの酒場の女将だ。稼ぎは決していいわけではないが、開拓者の男たちに酒と食事を提供し、威張りちらすのはなかなか性に合っている。
 このままここに骨を埋めるのも悪くないと思ったところで、問題が持ち上がったのだ。
 ならず者のジョス・カーリー率いる一団の縄張りに組み込まれたのである。アーリー・ウェストは豊かとは言えず、ジョス・カーリーのごく控えめな搾取でも死活問題だ。
 そこに最後の一滴を注ぐようにジョス・カーリーが保安官を殺したのだ。マディとジョス・カーリーの仲裁に入ったというだけで。
「いい加減にしなさい!この臆病者!私と決闘して決着をつけるのよ!」
 短気なマディが啖呵を切ったのが一月前。そして、その約束の日が明日である。
 馬を下り、自分の酒場へと戻ると、早い男たちが既に一杯やっていた。
「おう、マディ。明日の準備は万全だろうな?」
 そんなわけがあるはずないのに、酔っ払って口にするのは男たちも怖いからだろう。何せ、啖呵を切ってから随分と口さがないことを言われてきた。
『保安官ですら殺されたのに、女の腕で何ができる』
『お前が勝ったら、頭を殺された一団は誇りにかけてアーリー・ウェストの町を破壊しつくすだろうよ』
『残されたもののことを考えてくれ。あんたが逆らったせいで、もっと厳しくなったらどうするんだ』
 俺が代わろうなどという言葉を期待していたわけじゃないが、これではあんまりだとマディは思う。
(大体、絶対そんなことにはならないのに)
 ジョス・カーリーの仲間と見なされてしまうため絶対に口にできないが、明日が終わればアーリー・ウェストには一時の平和が訪れるだろう。ジョス・カーリーが拘っているのは自分という存在。どちらが死んでもこんな小さく離れた町を縄張りにしてもうまみがないと判断し、ならず者たちはアーリー・ウェストに近寄りもしなくなる。
「さあ、あんたたち。少しでも気づかいってもんがあるのなら、今夜くらいはさっさとお開きにしてちょうだい」
 さっさと帰って女房とベッドに飛び込むなり、隠し部屋を作るなり、やることはあるはずよと手を叩けば、マディと男たちからブーイング。
「俺たちゃ、逃げるあてもないような独りモンだぜ。あんたのベッドに招いてくれるなら、引き上げてもいいんだが」
 図々しく腰を引き寄せる男の腕をマディはピシャリと叩いて払う。
「はん、冗談ばっかり言ってんじゃないわよ。他人の代わりに決闘を買う勇気もない男なんてお断り。無理に押し入るってなら」
 重いライフルの発泡音が一つ響いた。パラパラと落ちてくる天井に慌てたように男たちは逃げていく。
「根性なし!女になっておとといおいで!」
 ふん!と強く扉を閉めればギィギィと音を立てて大きくきしむ。マディはグラスにバーボンを注ぐと、一気にそれを飲み干した。同時にからかうような口笛が聞こえ、マディはきっと睨みつける。
「誰よ!今日は店終いって言ったでしょ!」
「ったく。相当なじゃじゃ馬だと思ったら、ここでもそうかよ」
 呆れたような言葉とともに入ってきたジョニー・ボーイにマディは声を飲み込んだ。
「あんた……どうやってやってきたのよ……」
 人を近づけないために道標をことごとく潰したというのに、平気で立っているこの男が憎たらしい。
「これでも女にゃもてるたちでね、あんたが怒らせた可愛子ちゃんを宥めすかして、じゃじゃ馬のケツを追ってきた」
 酒でも一杯という男に、マディはミルクをカウンターに滑らせる。
「ボーイ、明後日おいでと言ったでしょ?他人の忠告を聞けないヤツにゃそいつで十分」
 馬鹿にしているのに、男はなぜかこんな面白い冗談はないとばかりに笑ってミルクを飲み干すと、そのまま滑らしグラスを返す。
「あんた勘がいいんだな。自己紹介をする前に名前を呼んでもらえて嬉しいぜ」
「ちょっと待って。本当に?ボーイとでも言うの?」
「その通り、一族の伝統さ。長男は全員ジョニーって名前で、親父もジョニー、じいさんもジョニー、そのまたじいさんもジョニーのはずだ。だから次のジョニーが生まれるまでジョニー・ボーイって名前になる」
「じゃあ、お父さんは今は何て名前なの?」
「ジョニー・ドラム」
「それって……」
 お酒じゃない、とマディがバーボンを指差すと、ジョニー・ボーイはにやりと笑う。
「そういうこと。一滴も飲めないくせに、面白がって言い出したらしい。ちなみにウチの客人は名前に寄せてあいつを持ってくるんだが、親父は倉庫に山のように溜めてあるジョニー・ドラムを見せては悪趣味にも面白がっていたぜ」
 さあ、あんたの名前は?と促され、しぶしぶマディも口を開く。
「マディ・グレンファー。面白い話のお返しにこいつは私のおごりでいいわ」
 今度は滑ってきたバーボンにありがてえとグラスを掲げる。
「さて、マディ。名前も知った。一緒に一杯やっている。友達に今回の理由を話してくれねえか?アーリー・ウエストに着いてみりゃ、ならず者のジョス・カーリーとあんたが決闘騒ぎときたもんだ。啖呵を切ったにしちゃ随分と強情だ。聞いた話によるとジョスはお前に言い寄ってるそうじゃねえか。命よりもあいつの女になるほうがよっぽと賢いと思うがね。それにどんな手を使えば、あのならず者に決闘を承知させられるんだい?」
 女をモノにしたければ暴力に訴えればいいはずだと言う男は、さすが田舎の善良な人々とは一味違う。どうしようかと迷ったが、腹を決めて口を開いた。
「無理よ。半分は血の繋がった兄妹だもの」
 ジョニー・ボーイの片眉がピクンと上がるが、マディはもう一杯バーボンを煽るとそのままの勢いで言ってやる。
「あいつは私を追ってきたのよ。もう何年にもなるわ」
「金のガチョウてわけか?」
「違うわね、私の上利なんか微々たるものだもの。単純に心の整理がつかないんでしょ」
「血の繋がった兄妹なのにか?」
 ジョニー・ボーイの疑問にマディは小さく頭をふると、胸のクルスを強く握る。
「最初は知らなかったのよ。私は孤児として引き取られたから。ジョスもそう信じていたし……」
「それで、恋に落ちたと言うわけか……」
「――初恋、だったわ……でもそれを知った父さんが、不義の子だって。血が繋がっているって引き裂いたのよ。後は知っての通り父さんを撃ち殺しならず者への仲間入り。そして私も一緒になんかいけなかった」
「なぜ?」
「生まれからして神の道を外れた女が、今度は人の道も踏み外すの?そんなのお笑い草だわ。もういい加減、誰かが犠牲になるのも真っ平よ。決着をつけさせてジョニー・ボーイ。どうせなら全てが終わった明後日に来てくれればよかったのに」
 白くなるほど握ったクルスがマディの決意なのだろう。仕方ないとため息一つ。ジョニーは自分でバーボンを注ぐ。
「分かった。ただし俺の着任は決闘後すぐだぜ。どっちが死のうと住民の安全を守る義務があるからな」
 そして、これは賄賂でいいだろう?とグラスを掲げるジョニー・ボーイにマディは小さく微笑んだ。
「あんた結構いいヤツね。それから、ようこそアーリー・ウエストへ」

 決闘は真昼ちょうどに始まった。
 緩い金髪のジョス・カーリーとマディは向き合って対峙していたが、全く似たところはない。
「よく逃げ出さなかったな、マディ。考えを改める気になったのか?」
「そっちこそ。いい加減にしたらどう?どうせ私が言い寄ったて抱く度胸なんてないんでしょう。だったらこいういう結末の方がよっぽど健全というものよ」
 はん、と顎を突き出してマディはガンベルトに手をかける。
「そいつは誰だ?」
「ジョニー・ボーイ。今日の立会人だぜ」
 その名前にジョス・カーリーは少しだけ目を開いてクルスを握る。
「グリニッジ・タウンのか?だとしたら傑作だ。実の妹を撃ち殺した本人が今日の立会人だとはな。いいだろう、マディ。始めよう」
 十歩だ。ただし、女にそんな緊張は耐えられないから五歩の時点から歩こうか――二人してクルスを握り見つめあったその目には狂おしい何かが渦巻いている。背中が触れることさえ拒むように。そうしなければならないのだと言わんばかりに。
 その時だった、一発の銃声が大きく響きマディの腕を貫いた。
『マディ!』
 男二人の声が重なる。駆け寄るジョニーの横をジョス・カーリーの弾丸が通り抜け、マディを撃った男が地面へと倒れた。ネッカチーフできつく縛るが、じわりと滲む腕を見ればガンファイトなど無理だろう。
 それをジョス・カーリーも見抜いたに違いない。しかし、延期の申し出はマディによって阻まれる。
「嫌よ。もうこっちだって飽き飽きよ。それから条件を追加するわジョス・カーリー。このならず者たちが暴れ出しては堪らない!」
 マディの言葉にジョス・カーリーは頷くと部下を並ばせクルスと聖書に手をかける。神へと誓わせるのかと思ったら、見事な手際で十人近い部下たちを一瞬にして撃ち殺した。
「ジョス!この……人の道から外れた外道!」
「そんなこと、とっくに知っているだろう?人の道なんか知らないと。それにしたって、お前の腕じゃ俺との勝負は見えているな。どうだい、ジョニー・ボーイ。ついでだ保安官の座をかけるのもいいだろう?」
「ちょっと待って、ジョニーは……」
「俺が知っている限りグリニッジ・タウンのジョニー・ボーイといやあ、早撃ちで知れた名前だぞ」
 もっとも、妹を殺してからはふぬけになったと聞いたがなと残酷なジョス・カーリーの声が響く。マディはくっと唇を噛みしめたが、このままでは見殺し同然だ。仕方がない。運を天に任せようと、ジョニー・ボーイはマディを庇うようにジョス・カーリーの前に立った。
「ジョニー……」
 マディの躊躇うような声に、ジョニー・ボーイは笑みを作る。銃をそっと撫でてみた。乾いた大地に若い女が倒れる残像は、今でもしっかり目に焼きついている。それでも……
「ここで、勝負を受けないと男じゃない、だろ?あんたは、そうだな生き残ったらベッドに招いてくれると嬉しいぜ」
「じゃあ、始めるぜジョニー・ボーイ」
 互いに背中を合わせて、二人で数を数えていく。一歩、二歩、三歩……七歩――残り三歩のところで立ち上がったマディの姿にジョニー・ボーイは目を見開いた。スカートを託し上げたその中に、嫌になるほど見慣れてしまったライフルが留められている。しかも、マディは強張った顔でライフルの照準をジョニー・ボーイの頭へと合わせたのだ。
「マディ……」
 昨夜の打ち明け話がジョニー・ボーイの頭を掠める。初恋の人。そして、兄。最後の最後で殺せなくなり、止めようとしていてもおかしくない。その様子にジョス・カーリーも気づいたのだろう。振り向き、マディの姿に歓喜の笑い声をあげ、銃を手に取りながら命令を下す。
「そう、いい子だマディ。そのまま引き金を引くんだ」
 マディの背中を押すように、ジョス・カーリーの発砲音が空に高く一つ響く。同時に重たいライフルの爆発音が三発続き、ジョス・カーリーは地面に倒れた。額の中央には見事に穴が空いていて、ジョニー・ボーイはマディの頬を流れる涙を呆然と見ていた。そして、どこか幸せそうなジョス・カーリーの死に顔を。
 確かに、これなら……罪にはならない。ジョス・カーリーが先に撃ち、撃ち合った結果だとも言える。
(もしかして、ジョス・カーリーは……)
 まさかな、と首を振りマディの頭をくしゃりと撫でる。マディは胸のクルスを握りしめ、声も立てずに泣いていた。

 とはいえ、結局、女というのは強いのだとジョニー・ボーイは一人ごちる。自分など未だに妹の残像に囚われているというのに、あの決闘から一ヶ月経った今、マディは絶好調らしい。男たちを怒鳴りつけ、手早く料理を出している。
「急がせないで。この酒場にはあたししかいないのよ。あら、ジョニー」
 ベッドに招いてはもらえないが、何も言わなくてもカウンターを滑ってくるのはバーボンだ。それはそれで、ちょっとばっかしこそばゆい。グラスを掲げてバーボンを飲み干せば、マディの胸元のクルスが増えたことにジョニー・ボーイは気づいてしまう。
 二つのクルスは同じ作りで、まるで対であるかのようだ。
 道標は相変わらず間違っていて、マディは笑顔の嘘つきだ。そして、自分は未だに銃の撃てない保安官。
「やれやれ、全く。偽りだらけの世の中だぜ」
 置いとくぜとジョニーはチップをカウンターに置くと、そっと店から出て行った。

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