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F03 魂に著作権はない

「格人複製規制法」
 ヨリカの囁きを感知して、腕のタブレットが作動し、視界をジャックする。言葉をもとにコンピューターが探し当てた番組が脳裏に映し出される。
 一目で数十年前とわかる画質だ。重苦しい布地を前で合わせた服装の女が一礼して、「人格複製法」と書かれたフリップをあげた。
 人格複製法とは、簡単に言えば、クローンをつくる権利を定めた法律だった。幾つかの条件を満たせば、誰にでも、好きな人間の好きな時点のクローンをつくることができる。主な条件は三つ、と映像の女性が指を三本立てた。
 ひとつ、クローンは人権を有し、いかなる者もその自由意志を阻害してはならない。
 ふたつ、作成者はクローンの複製費用の他に、クローンのために定められたリソースを用意しなければならない。
 みっつ、クローンを作成することによって、オリジナルの権利を侵害してはならない。※同都市内でのクローンの禁止。
『――変わったものに興味があるようね』
 食い入るようにホログラムに見入っていたヨリカの頭の端から、囁き声がした。意識を傾けると、もうひとつの感覚にアクセスして世界が開けるのがわかった。視角と聴覚が入り混じって、新たな世界を構成する。異質だが、馴染み深い。それは、ヨリカとは違って、大人で整然とした意識だった。静かに、だが濃密に議論する人々囲まれながら、意識を地球の裏側に飛ばしている。大学の講義に退屈してヨリカに茶々入れしてきたのだろう。言語化しない気持ちまで共有できるわけではないが、ヨリカにはタヨの考えていることがわかった。
 バディなのだから。
『わたし、見たの』
『何を?』
『父さんがわたしと一緒にいた――わたしじゃないわたしと』
 曖昧な言葉を、タヨは即座に理解した。記憶の一部を読み取ったのかもしれない。
『離婚した夫婦にはよくあることね。親権争いで相手の悪口を言い合うよりも、子供を複製した方がいいこともある』
『タヨは、勝手に自分が複製されていてもなんとも思わないの?』
『自分じゃないわ。複製後十二時間経てば別の人間よ。あなたと彼女の道は分岐した。あなたに彼女の人生をどうこう言う権利はないのよ』
『でも、あればわたしよ!』
『あなたの居場所だったところを取られて、腹立たしい気持ちはわかるわ。でもあなたは母親のところを選んだのでしょう? 両方は手に入らない道理よ』
『でも父さんは……』
『その道理を曲げるのがクローンだわ。“リソースが無限ならすべての人を幸せにできる”――それが現代の世界観なのだから』
 タヨの言葉を反芻しながら、ヨリカは唇を噛んだ。定められた幸せのリソース。衣食住と娯楽、そしてそれを共有する仲間。それ以上を求めることを、社会は否定も肯定もしない。ただ、定めるだけだ。最低限ではなく、それが幸せだというとこをだ。そこに愛情が含まれないことに、ヨリカは束の間愕然とした。定められた幸せ以上を求めるのなら、自らの手で掴み取らなければならないのだ。
『でも、わたしのクローンには、タヨはいないの?』
『あなたのお父さんが、わたしのことも複製していなければ、ね』
『そんな……』
『普通に考えれば、わたしを複製しなかったとしても、別のバディを用意したでしょうね。それが定められたリソースなのだから』
『タヨがいないなんて、わたしのクローンはきっと不幸だわ』
『ヨリカ、なぜみなバディを持ちたがるかわかる?』
 ヨリカは心の中だけでなく、実際にも首を振った。
『クローンが合法化されてからというもの、オリジナルの独自性は崩れた。そしてひとは、決して揺らぐことのない価値を求めたのよ。それがバディ。あなたがあなたであるという、唯一の証明がわたしよ。何人複製されても、わたしは他でもない、あなただけのバディでい続ける。それで十分じゃないの』
 何が十分なのだろう、とヨリカは思った。それが、自分が唯一無二であるという証明になる、とタヨは言いたいのだろう。けれども、納得はできない。何か、靄のかかったような不満が残る。
『でも、わたしの父さんだってひとりきりよ!』
『同じことよ、ヨリカ。クローンと父親を共有できないというのなら、今度はあなたが父親をクローンするしかない。まだ、母親と仲がよかった頃の父親でもいい。もしかしたら、今度の“父さん”は離婚しないかも――』
 ヨリカはタヨの言葉に意地悪なニュアンスを感じて、強制的に接続を切った。ヨリカのよくする癇癪なので、タヨは気にしないだろう。タヨはいつだっていい相談相手で、ヨリカの話を無条件に聞いてくれるが、ときどき彼女のあまりにも物のわかった態度にいらつくことがある。年上なのだから仕方がないが、何もいわずに自分の気持ちを肯定してほしいときだってある。
 ――バディだって万能じゃない。
 いつも繋がっているタヨにすら、ヨリカのこの気持ちはわからないのだ、他の誰にも、理解はできない。
 不意に湧き上がってきた感情に目眩を感じる。熱いような冷たいようなふしぎな感覚に、胸を押さえる。心がどこにあるのかはわからないが、この感情は頭で繋がっているタヨには伝わらない気がした。ドキドキと脈打つ胸の鼓動を数えながら、ヨリカはもうひとりの自分を見てからというもの、揺らぎ始めた自分の存在について考えていた。
 タヨはバディこそが自分の存在証明だと言った。だが、それは違う。むしろ感覚は、共有できない領域に肥大していくものの存在を教えていた。痛みを伴いながら、確かな存在感とあやふやさを同時に撒き散らす何か。何一つ証明しない代わりに、共有不能な唯一無二の感覚。傷跡を探るように、胸においた手をどけてみる。
 ヨリカは、どこか後ろ暗い喜びを感じて瞬いた。それは、ヨリカが初めて知る孤独だった。

 △

 名前を呼ばれて顔を上げると、歩道から手を振る人物が見えた。カフェのオープンテラスに広げていた宿題を大急ぎで片付け、彼に駆け寄る。
「父さん、早かったね」
「ヨリカ、ちゃんと宿題してたか?」
「当たり前でしょ」
 と、胸を張って答える。
 父親と二人だけで暮らすようになってから、こうして待ち合わせをして一緒に帰るのがヨリカの日課になっていた。子供に無関心に見えた父親が、ただ躾の厳しい母親に遠慮していただけで、本当は子煩悩で愛情深い人だと知った。
 父親が用意した部屋は、ピンク色のメルヘンな内装で、あと数ヶ月で十七歳になろうかというヨリカにはあまり似つかわしくなかった。女の子が必要とするものを精一杯考えて用意したのだと思えば微笑ましいが、結局のところ、彼はヨリカのことを普通の女の子という以上には何も知らないのだ。これが、父親の考えた幸せのリソースなら、甘んじて受け入れるしかない。だが、こちらの生活が長くなるにつれ、ヨリカは母親の元での生活を折に触れて考えるようになっていた。母親は確かに厳しいし、ムカつくことも多かったが、本質的にはヨリカを理解していた。それゆえ、母親の期待通りでないことに関しては反発も大きくなったが、今の窮屈さはそれとは正反対だった。ヨリカ自身が、父親の理想通りに振舞おうとして自分を押し殺している。
 ――一度、帰ってみようか。
 いろいろなものを向こうに置いてきている。お気に入りの化粧品も服も、友達でさえも。あの時は泣く泣く諦めたが、今なら少しくらい取りに戻っても平気だろうという気がした。
 次の休み、ヨリカは都市間移動の飛行艇に乗って、かつて住んでいた都市を目指した。ほんの数ヶ月前まで住んでいた街に足を踏み入れる。ヨリカのいたアパートメントは以前と変わりがない様子でそこにあった。窓辺に飾られている可愛くデフォルメされた動物のぬいぐるみまでそのままで、まるで今でも自分が住んでいるかのようだった。
 ヨリカは母親の姿が見えないことを外から十分観察してから、扉の前に立った。家を出てからシステムは変えられていないようで、ヨリカの姿をカメラが認識して扉が開いた。数ヶ月ぶりの我が家にどことなく違和感を覚えながら、自分の部屋に足を踏み入れる。
 最初は、母親がヨリカの部屋を片付けることなく、そのままにしているのかと思った。だが、よく見回してみるにつれ、家を出たときと部屋が微妙に違っていることがわかってきた。物が増えていたり、なくなっていたりする。しかもそれは、母親が手を入れたというよりは、同年代の女の子が今までここにいたかのような、そんなさりげない変化なのだ。
 そのとき、不意に背後で物音がして、ヨリカは振り向いた。部屋の入り口で、同年代の女の子が大きく目を見開いてこちらを見ていた。
「あなた……誰?」
 震える声で、問いかけてくる。誰か、それほど明白な答えなどないというのに。
「どうしてなのかしら……」
 俯いて、ため息混じりに呟く。女の子は、ヨリカの次の言葉を待つかのように沈黙した。だが、次に彼女と目を合わせたとき、女の子は踵を返して駆け出していた。ヨリカも続いて駆け出し、居間で追いつく。ヨリカは相手の服を掴んで床に引き倒した。悲鳴をあげる女の子の上に乗りかかり、細い首を締め付ける。
「どうしてなの? どうして、また……!」
 詰問しながら、手に力を込める。
「ま、た……?」
 ヨリカとそっくりな顔に恐怖が浮かんだ。その表情が、徐々に苦しみに変わっていく。
 どうして――。

 △

 現代の人々のあり方を、まるで放浪人のようだとタヨは言った。持ち物を持たず、どんな場所にでもその日から“幸せ”に暮らし始めることができる。すべてが代替可能であり、それは人間ですら例外ではなかった。危機管理が極限にまで至り、精神にまで及んだとき、自分の存在も他人の存在にも特別はなくなった。良し悪しではなく、事実として、人々はその価値観を受け入れた。
 自分とは所詮世界への窓口でしかない。そもそも執着すべきものではない。だから、自分が特別な存在だと思い込んで、だだをこねているヨリカは子供なのだとタヨは言った。まるで先祖返りしたみたいだと。
『しばらく見ない間に、大変なことになっているわね、ヨリカ』
 頭の隅からの囁きが聞こえる。数ヶ月ぶりの気配に、ヨリカは肩の重みが外れたような安堵を覚えた。不意に、涙が溢れてくる。
『どうしてなの? どうして、父さんも母さんもわたしを裏切るの?』
 タヨは涙で不確かになる前に、ヨリカの視界越しに床に倒れている物体を見ただろう。そして、すべてを理解したことだろう。ヨリカが犯した罪を。
『どうして、わたしひとりじゃ満足できないの?』
『もう、人はそのジレンマに悩むのを止めたのよ。必要なら必要なだけつくるだけよ。リソースが許すかぎりは、ね。いつしか、人々は足し算しかしなくなってしまった。でも、ヨリカ、あなたは“引いた"のね』
 そして、これが最初でもない。
 父親の元へ行き、自分のクローンと成り代わった。だが、今度は母親が自分のクローンを作っていた。
 もう、どうしようもない。袋小路だ。
『わたしは、どうしたらいいの? 自分を殺しても、罪に問われるの?』
『クローンは自分じゃないわ。彼女には人権がある。それを、あなたは奪った。これは、違法よ。でも、ヨリカ、あなたが望むなら、すべてなかったことにすることもできるわ』
『え……?』
 何か、信じられないことを聞いた気がして、ヨリカは顔を上げた。実際の視界を見る代わりに、脳裏の向こうにいる相手に意識を集中する。だが、いつもなら見ることのできるタヨの視界が今は見えなかった。ただ、実体の感じられない相手の声だけが聞こえる。
『リソースが無限なら、人は幸せになれる。それに、嘘はないわ。少なくとも、前半は。そして、リソースは、時間にも当てはまるのよ。あなたが望むなら、この世界をなかったことにしてもいい。そして、好きなところからやりなおしてもいい。両親が離婚する前でも、幼い子供の頃でも、生まれたときからでも』
『……それは、どういうことなの?』
『つまりは、そう、すべての人の幸せを実現するには、クローンを認めるだけじゃ不十分だったということよ、ヨリカ。だから、世界を複製した。そこにいるすべての人間と一緒に。すべての人間は、人権を持ち、自由意志を持っているけど、その人の権利が完全に保障されるのは、たったひとつの世界だけ。そして、あなたの世界はここだということよ。あなたはこの世界であっても、誰かの人権を侵害すれば罰せられるし、誰の自由意志も動かすことはできない。でも、やり直すことはできる。あなたは、この世界でだけは、誰に権利を侵害されることなく、生きることができる。そういうことなのよ。
 ――どうする? ヨリカ』
『そんな……』
 言葉のでないヨリカに、タヨは軽やかに笑った。
『心配しなくても大丈夫よ。リソースは、十分あるのだから……』

 △

 何度でも、何回でもやり直せる。
 でも、それは決して、単に都合のいいことではない。何度やり直したとしても、その記憶を消せるわけではない。
 ただ、痛みだけが降り積もっていく。
 気がつくと、ヨリカはひとり自分の部屋にいた。何も変わらない、母親と暮らしていた頃の部屋だ。
 ヨリカは、そこで目を閉じて意識を集中した。頭の裏側にある世界に向けて。
『ヨリカ?』
 そして、馴染み深い意識へと通じ合う。
『タヨ……あなたに会いたい』

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