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E11 幸せの道

1. 別道
 それじゃあ、と、彼女が言った。あぁ、と応える自分の声が酷く情けなく聞こえて、俯いたのを覚えている。
 村から伸びた一本道を背に立つと、街道はそこで二つに分かれている。東の王都に続く道に馬首を巡らせて、彼女は一瞬だけためらいがちに振り返った。視線を逸らせた俺は、その後の彼女の表情を知らない。
 身体に気を付けて。
 呟くようにいって、彼女は去っていった。王都で学院に通うために。
 成績優秀で、薬師になるのが彼女の夢だった。一方の俺は落ちこぼれで、彼女を追いかけることも、捕まえておくこともできなかった。
 あれから五年。今も俺は、彼女を忘れられずにいる……。

2. 野営
 火の中で何かが爆ぜた。ヒルム山脈から吹き下ろす冷たい風が、セロンの荒んだ心に染みるようだった。
「寒いな、畜生」
 ヒゲ面の熊のような大男が、小さくなり始めた焚火をかき回す。
「とんだ負け戦だぜ。面白くもねぇ」
 ぼやく声に応える者はいない。皆一様に、疲れた顔で火を眺めている。
 大陸に広大な領地を誇るサカン王国と、港をもち、小さいながらも栄えたカタル王国が戦を始めたのは、丁度一年前。はじめは圧倒的な軍事力で優勢だったサカンは、やがて、カタルの新兵器によって退却を余儀なくされた。
 悪魔の媚薬。そう呼ばれるカタルの新兵器は、人心を狂わす幻覚剤の一種。
 風とともに音もなく忍び寄る形のない兵器に、サカンの兵達は怖れ、士気は極限まで低下していた。
「セロン、なんか面白い話聞かせろよ」
「馬鹿、ドルフ。こいつに面白い話なんてあるわけないだろ。酒を飲めば女にふられた話ばかりさ。なんて名前だっけ?」
「煩い、黙れ」
 火を囲んで話す傭兵達にも、いつもの活気はない。とげとげした空気に嫌気がさして、セロンはふと立ち上がった。その拍子に、駆けてくる馬影が目に入る。
「ザック隊長」
 セロンの呼ぶ名に、男達は一斉に立ち上がった。引き締まった体躯の男が、馬上から声をかけてくる。
「喜べ、仕事だ。有り余った体力を使う時が来たぞ。全員集めろ」
「おぉ」
 隊長の言葉に、男達はあちこちの天幕へと駆けていく。負けじと走り出そうとしたセロンを、ザックの声が呼び止めた。
「セロン、ちょっと来い」
「……はい」
 立ち止まり、訝し気に振り返るセロンに、彼はついてくるように示して歩き出す。副長に行け、と顎で示されて、ようやくセロンは歩き出した。
 集まりだした傭兵達は、副長の指示で作業を始めている。活気づいた一団から離れ、セロンは薄暗い天幕の裏へと歩いていった。
 天幕の裏で、ザックは煙管に火を付けて夜空を見上げていた。しばらくゆっくりと紫煙をくゆらせていた彼は、ふっと息をつくと視線をセロンに転じた。
 濃灰色の眸にじっと見据えられ、セロンは居心地の悪いのを堪えるしかない。
 淡い栗色の髪に、緑がかった青い眸。カタル人特有のセロンの容姿をじっくりと眺めてから、ザックはようやく口を開いた。
「お前は、カタルの人間だったな」
「……そうです」
 気まずい思いで、セロンはザック隊長から目を逸らす。しかし、続けられたザックの言葉に、セロンは慌てて顔を上げた。
「俺の傭兵団は今、サカンの命令で動いている。辞めたければ、いつでも辞めていいぞ」
「それは、嫌です! 中途半端は、もう止めたんです。俺は、確かにカタル人ですけど、ザック・サンの傭兵になった時から、隊長の命令は絶対なんです。俺は、辞めたくありません」
 捲し立てるセロンの剣幕に、ザックは小さく苦笑した。
「別に辞めろと言ったわけじゃない。ただ、今度の仕事はな……」
 隊長の言いよどむ意味がわからず、セロンは小首を傾げた。
「今回の仕事は、……ある要人の捜索と拉致だ。カタルの王都から、学者が逃げ出した。あろうことか、悪魔の媚薬の機密文書を持ってだ。しかもそいつは、媚薬の元になっている植物の畑に火を放ったらしい。……学者は、カタル軍に追われている。そして、サカン王国も学者の身柄を、正確には悪魔の媚薬を、欲しがっている。そこで、」
「速やかに学者の身柄を捕らえ、サカン王国に無事届ける、ということですね」
「そうだ」
「大丈夫です。確かに、カタル人と顔を合わせて罵られるのは辛いですけど、俺はここ以外に帰る場所がないんです。仕事に文句は言いません」
 びしっと姿勢を正して応えるセロンに、ザックは少しだけ哀しそうな顔をしてみせた。けれど、それはほんの一瞬。次の瞬間には厳しい隊長の顔が戻り、セロンの肩を力強く叩いた。
「わかった。期待している。さぁ、隊に戻れ。明日は二手に分かれて捜索だ。ヒルム山脈の雪渓側まで探索するから、気合いを入れておけよ」
「はいっ」
 馬の手入れに、行軍の支度、朝までにやることは山ほどある。駆け去っていくセロンの背中を、ザックはただじっと見送っていた。

3. 異道
 翌朝、ザック・サンの男達は軍服の襟を立て、馬に跨がり、ヒルム山脈の麓を行軍していた。
 吹き付ける風は冷たく、馬の吐く息も白い。
「こんな山道を逃げにゃならんとはな。なんだって、カタルから逃げ出したりしたんだか」
「悪魔の媚薬を作った奴だっていうじゃねぇか。いい罰さ」
 ぼそぼそと悪態を吐く傭兵達の中で、セロンは黙って馬を進めていた。
 前方に、少しばかり開けた場所が見えた。先頭がそこに到達する頃、山間に全体止まれの笛が響く。
 開けた土地に散開しながら、男達はゆっくりと馬の歩を止めた。
「ここから先に、沢がある。目標は馬で、道を避けて逃げているはずだ。この辺りを通るとすれば、沢沿いが一番、可能性が高い。これより一刻、手分けして目標を探索せよ。見つけ次第、呼笛を吹くこと。一刻の後、一端ここに戻り休息をとる。その後は一気に隣国トナンとの国境までを走る。いいか」
「おぅ!」
 よく通る隊長の声に、野太い声が応じる。途端に、疾風のように馬の一団が駆け出した。沢の上流、下流、双方に馬が駆けていく。セロンは上流に向けて、愛馬を走らせた。

 ピューイッ、と、遠くに響いた音に、リザロは耳をそばだてた。
「笛。カタルか、それともサカンかな」
 顔にかかる栗色の髪を後ろに追いやって、馬の手綱を握り直す。
「もう少し、我慢して。沢沿いはもう無理だろうから」
 小柄な馬はいななきもせず、息を殺して歩くリザロの後ろを静かについてくる。自分の気持ちを酌んだような賢さに、リザロはそっと馬の首を撫でてやった。
 足場の悪い崖沿いは、学者であるリザロには険しい道だった。一方で、追っ手の意表を突くという意味では、この上ない逃げ道だ。灌木の間を縫うように身を潜ませながら、リザロはゆっくりと、しかし確実に、国境へと歩を進めていた。
 眼下に、沢沿いの木立が見える。下流からいくつかの馬影が登ってくるのに気がついて、リザロはそっと腰を下ろした。
「しばらく休憩しよう」
 革袋から水を出すと、馬は嬉しそうに水を飲んだ。それを横目で眺めて、リザロは自分も水を喉に流し込む。
 銀桂の香りをつけた甘い水が、身体に染み渡る。その懐かしい香りに、リザロの心は遠い故郷の景色を思い出す。
(これは、山査子。あっちは夾竹桃。夾竹桃は毒があるんだよ。そっちは……)
(知ってる。銀桂だろ。俺、この花好き)
 他愛ない会話をしながら、野山を駆けた子供時代が、リザロの脳裏をふぅっと過って去っていった。
「どうしてるかな」
 幼い頃の少年の面影を思い出し、リザロは呟いた。便りもないまま、もう随分と経ってしまった彼の人を思う。
 夢を追いかけて、その手を離してきてしまったけれど、今は後悔している自分がいる。
 自分の思い描いた道を歩むこともできず、気がつけば、カタルの研究所で兵器開発に携わっていた。今の自分を知ったなら、彼はどう思うだろう。
 あのとき、王都へ続く道を選ばなければ、今の自分は、違うところにいたのだろう……。
 自分で選んだ道を悔やんでも仕方がない、と思う一方で、もしもあのとき、という思うが頭を渦巻く。
 ここ暫く続いた堂々巡りに陥って、リザロはぐっとかぶりを振った。
「やっぱり歩こう。止まっていたら、溺れてしまいそう」
 立ち上がったリザロは、馬の手綱を引いた。けれど、馬は頑として動かない。
「どうしたの?」
 振り返った瞬間、リザロははっとして身を屈めた。彼女の足下に、赤い矢羽根のついた矢が刺さる。
「動くな」
 背後から響いた制止の声に、リザロは観念して眸を閉じた。

4. 邂逅
「ゆっくりと両手を挙げて、こちらを向け」
 弓を引き絞ったまま、セロンは緊張とともに目標に声をかけた。相手は、悪の媚薬を作った人間だ。どんな攻撃をされるかわからない。そんな恐怖が、セロンの額に汗を浮かべていた。
 本来なら、すぐにでも呼笛を吹くべきだったのだろう。けれど、笛を吹いた隙に薬を撒かれるかもしれないと思えば、弓から手を離すこともできない。
 いつまでたっても、自分は役立たずの落ちこぼれだ。そう、自分に舌打ちしたい気持ちを抑えて、セロンは語気を強めた。
「もう一度だけ言うぞ。ゆっくり手を上げてこちらを向け!」
 強い口調にびくりと肩を震わせて、目標がゆっくりとこちらに振り返った。
 想像していたよりも、はるかに小柄な人間だった。肩は細く、カタル人特有の栗色の髪は腰に届く程長い。掲げられた手首の白さと細さを、セロンは意外な気持ちで見ていた。
 そんな彼の緑がかった眸が驚きに見開かれるのと、目標の相手が顔を上げるのがほぼ同時。
「リザロ」
 思わず溢れたその名に、セロンは慌てて口元を覆った。
「セロン? まさか……」
「動くな」
 歩み寄りかけたリゼロに、セロンは険しい顔で矢を向ける。リゼロの表情が凍り付き、セロンは苦々しい思いが胸に広がるのを感じた。
「カタル軍、ではないのね。軍服が違うもの」
「……サカンの傭兵団に、いる」
 いいながら、セロンは脳内を駆け巡る様々な思いに悩まされていた。
 サカンとカタルに追われる学者は、幼い頃からよく知る友であり、今も忘れられない人だった。少し顔色が悪いのは、厳しい逃亡を強いられている所為だろう。それでも変わらぬ面影が、セロンの胸を苦しめる。
「なんで……」
 呟き、眉に力を込めた。
 リゼロは挙げた両手を降ろしもせずに、ただひたとセロンを見つめている。その眸の浮かべる色は複雑で、セロンには彼女の意図はまるで読めなかった。
「仲間を呼ばなくていいの?」
「……その隙に悪の媚薬を撒かれるかもしれないだろ」
「私が持っているのは文書だけよ。信じてもらえないかも、知れないけど……」
 困ったような、哀しいような、そんな顔をしてリゼロは言った。その顔は、あの日、あのとき、王都へ続く道を歩みだしたときの、セロンが最後に見た顔によく似ていた。
 その顔を見た途端、セロンは何故か、リゼロを信じなくてはいけない気になっていた。
 今ここで、彼女に矢を向けてしまったら、あのときと同じになってしまう。あのとき、リゼロを追いかけることも捕まえることもできなかった自分。その自分の未熟さが今に繋がっている気がして、セロンは唐突に弓の構えを解いた。
 馬を下り、驚いた表情で首を傾げているリゼロに、ゆっくりと歩み寄る。
 なんという言葉をかければいいのか、セロンにはわからなかった。わからないけれど、ただ、再び人生の道が交わったことに、感謝する気持ちでいっぱいだった。
「リゼロ」
 名を読んで、その肩を抱く。あのとき届かなかった手が、今ようやく届いた、そう思うと、まなじりから温かいものが溢れてきた。
 背中に細い腕がまわり、静かな嗚咽が止むまでの間、セロンはずっと震える小さな肩を抱きしめていた。

5. 逃道
 一刻が過ぎていた。猫の額程に開けた場所には、あちこちで馬を休める兵士たちの姿がある。
「やはり、セロンが戻っていないようですな」
 近づいてきた副長に、ザックはにやりと笑って応じた。
「運がいいのか、悪いのかな」
「どうするので?」
 副長に飲みかけの革袋を押しつけ、ザックは馬の手綱を引き寄せた。
「一刻の休憩が終わったら、お前に隊を預ける。俺はちょっと野暮用だ」
「一刻でいいんですか」
「妥当なところだろう。それ以上は、あいつに運がなかったと思うしかない」
 強靭な脚をもつ黒毛の馬にひらりと跨がると、ザックは任せた、と言葉を残してあっという間に木立の合間に消えた。
 呆れとも諦めともつかない溜め息を吐いて、副長は革袋から酒を一口煽る。
「物好きだな」
 苦笑めいた呟きは風に消え、誰の耳にも届くことはなかった。

 二頭の馬は、稜線に続く崖道を駆け上がっていた。空は陽が傾き始め、稜線は薄らと赤く色づき始めている。
 少し前、ようやく落ち着いたリゼロに、セロンは言った。
「このまま、シア郷国との国境まで抜ける。傭兵団も非戦闘国との国境は侵せないから、これしか道はない」
 彼の言葉に、リゼロは躊躇うように首を振った。自分の所為で、セロンを危険に晒したくはなかったのだ。けれど、セロンもまた、ここで手を離すのだけは嫌だった。
 今度こそは、一緒に行く。そのセロンの決意を感じて、リゼロは止まった涙がもう一度溢れそうになるのをぐっと堪えた。
「トナンに逃げるのは?」
「無理だ。リゼロの逃げた方角はもう知れているんだ。最短距離はカタルもサカンも罠を張ってる。きついが、ヒルム山脈を越えるしかない」
「わかった」
 リゼロの小柄な愛馬は、セロンの軍馬とは決定的に違う。それでも、リゼロを乗せ、険しい崖道を必死に駆け上がる。セロンは時折馬上で振り返りながら、馬を休めることなく先を急いだ。
 そんな彼らの前に影が差したのは、沈む夕陽が稜線を緋色に染め上げる頃だった。
 横合いから飛び出してきた影に、先に反応したのはセロンの馬だった。高く前脚を蹴り上げて、突然現れた影に脚を振り下ろす。
 それをひらりと躱した相手は、一定の距離をとってぴたりと動きを止めた。相手の姿に、セロンが小さく呻いた。
「……隊長」
 絞り出すようなその声に、はっとしてリゼロは影を見上げた。鍛え抜かれた体つきの精悍な男は、感情の読めない顔でセロンを見下ろしている。
「道草を食ってるようだな」
 淡々と響く声に、リゼロは体中の血の気が引くのを感じた。セロンが腰の剣にそっと手をかける。その覚悟が、リゼロには恐ろしく感じられた。
「隊長、俺は……」
「中途半端が嫌、なんだろう」
「……え」
 思いもかけない優しい声に、セロンは息を止めて眼をみはる。視線の先のザックは、腰の剣に手をかけるでもなく、ただじっと二人を見ているに過ぎない。困惑する二人に、ザックは口調を変えて一気に捲し立てた。
「俺の隊は、一刻の後トナンとの国境まで探索を進める。が、お前には別動隊としてシアへの探索を命じる。昨晩言い忘れたが、目標の名はリゼロ・テッサ。何処かで聞いたような名前だから、覚えやすかろう。山越えは厳しいが、集合に遅れた罰だ。……返事は!」
「は……、はい!」
 胸を張って応えるセロンに、ザックはふっと笑みを浮かべた。
「今度は、途中で諦めるなよ」
 言いざま、馬首を巡らせる。力強い手が、しっかりとセロンの肩を叩いた。
 駆け去っていく背中に、リゼロとセロンはそっと頭を下げた。
 
6. 幸せの道
 春。黄色い花が一面に咲く野原を、幼い少女がとたとたと駆けてくる。
「おとーさーん。ごはーん」
 あぁ、と応える自分の声に、思わず笑みがこぼれる。少女の後ろから歩いてきたリゼロが、弁当の包みを掲げてみせるのが見えた。
 足にしがみついてきた少女を抱き上げて、リゼロと並んで歩き出す。

 こうして、今俺は、幸せの道を歩いている……。

E11 幸せの道
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