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E10 見返り坂道具店

 「三日続けて雨の降る夜、見返り坂の数えて四十九段目、歩んだ道を見返ると不思議な店が現れる。
 その店主は温厚で、どんな願いでも聴いてはくれる。だが、逆らうととんでもない対価を払わされることになるだろう」
 そんな噂話のある、通称「見返り坂」は学生たちの通学路だ。「坂」という名前こそついていたものの、歌の示すとおり、一本の長い階段である。
 誰がそんな歌を作ったのか知らないが、その道を通った先にある学校では有名な話だ。生徒どころか教師まで知らぬものはいない程である。
 ただ、それを知っているからといって、心の底から信じているという訳ではない。定期考査の前に「見返り坂の店主にテスト問題を教えて欲しいよ」と、冗談混じりに話す程度である。
 しかし。その噂を確かめようとする者もいて。雨の続く日はホームルームもそこそこに、教室を抜けていく者も後を絶たなかった。



 今日はちょうど、三日続いての雨である。ノゾミにとって、絶好の機会であった。
 だが部活によっては、結構遅くまで学校に残っていたりする。彼女がやってきたのは人目の少ない、夜半近くのことであった。
 夜闇に透明のビニール傘が一つ、街灯に照らされて浮かび上がる。ノゾミは足下の段を一つ一つ、真剣な面もちで数えていた。
「……四十五、四十六……四十七」
 ブツブツと独り言をつぶやきながら、彼女は階段を登り続ける。
「四十八……四十、九――」
 目的の段数にたどり着き、少女は一息つく。後は歌にあるとおり、上ってきた道を振り返るだけだ。
 緊張をほぐすように深呼吸をし――そして、勢いよく来た道を振り返った。雨の降る音が、安物のビニール傘に当たってパラパラと音を立てている。
 そして、視界の悪い中――暗闇に紛れて、一軒の建物が浮かび上がった。まるでおとぎ話に出てくるかのような、パステルカラーに彩られた木造の小屋だった。その入り口の上には、白地に黒い塗料で「見返り坂道具店」と書かれている。
 ――あの話、本当だったんだ!
 何度もこの道を利用しているが、あのような建物を見たのは初めてだ。そもそも、昇っている途中にも見かけたことなんて一度もない。ノゾミは喜び勇んで、来た道を駆け降りていった。
 間近にまでせまり、一旦足を止める。改めて店舗を見てみると、本当にこぢんまりとしている。入り口の扉も低く、気をつけて通らないと額を打ってしまいそうだった。深呼吸を何度か繰り返し、それから扉のノブに手をかけた。
 扉を開くと、カランカランとドアチャイムが音を立てる。そして中から古い倉庫のような、湿った臭いが溢れだしてきた。
 傘を畳み、中に足を踏み入れる。部屋は暗闇に支配されており、人の気配などは全く感じられない。
 どうしたものかと思いあぐねていると、暗闇の向こうから声を掛けられた。若い男の声だ。
「おや、人間のお客さんとは珍しい。……何かお探しかな?」
「あ、あの、暗くて何も見えないんだけど」
 ノゾミが困ったように問いかけると、暫し沈黙の後、同じ声が返ってきた。
「おや、失敬。人間は暗闇で物を見ることが出来ないんだったね」
 言葉が終わると同時に、真っ暗だった店内が突然明るくなった。少女が明るさに慣れる頃、そこには不思議な光景が広がっていた。
 その店内は、一言でいうと雑然としていた。壁には不思議な文様を描いたタペストリーが釣り下げられ、床には分厚い図鑑のような本が平積みされている。図鑑の上には、角の生えた生物のドクロが重し代わりに乗せられていた。
 側にある陳列棚も、商品を見せようという気は感じられず、ただそこにスペースがあったから置いている、といった印象を受けた。ごちゃごちゃと散らかった棚の上に、籠に入った赤いリンゴを見つけた。そのリンゴに手を伸ばそうとすると、先ほどの男の声が、今度は間近から聞こえてくる。
「それは白雪姫の毒リンゴ。素人さんにはあまりお勧めできないね」
 声のした方を見ると、そこには仮面をつけた人物が、カウンターの向こう側に腰掛けていた。その仮面はかろうじて目の部分に穴が開いているだけで、表情を伺うことはできない。
「その毒は扱いに難しい。自分で飲んで死ななかった人間なんて、白雪姫一人だけしかいない」
「え……だって、このリンゴで白雪姫は死んだんでしょ?」
 思わずノゾミが反論すると、仮面の人物は笑い声をあげた。
「そんな訳ないだろう? 白雪姫が毒リンゴを食べたのは、馬鹿な王子をひっかけるためなのさ。君はあからさまに怪しい人から貰ったもの、口にできるかい?」
 その言葉に、ノゾミはぐっと言葉を詰まらせた。自分の知っているおとぎ話を否定されたこともあるが、それ以上に本当にこの店に頼ってしまってよいのか、今更ながら不安が心中に渦巻いてきたのだ。
「さて、お嬢さん。ここにやって来た、ということは何かお望みなのだろう? 何が願いなのかね?」
 店主が低く笑う。カウンターの真下にいる、老いた大型犬が僅かに尾を揺らした。
「……先輩のカノジョになりたいの」
 先程は若干おののいたものの――ここで帰るわけにはいかない。ノゾミは覚悟を決め、店主に事情を語り始めた。

 彼女には今、猛烈に想い焦がれている人物がいた。一つ上の学年にいる、部活の先輩である。
 スポーツも勉強もそこそこ、見た目も決して悪くない、そして誰にでも優しいとなれば、人気がでないはずがない。部活の中でも一目置かれているのは当たり前だった。
 だからこそ、彼の横を独り占めするのは受験よりも厳しい戦いを勝ち抜かなくてはならない。自分は成績が特別良いわけではない。部活でも他に優れた選手はたくさんいる。見た目だって雑誌から流行を取り入れたりしているが、どうしても生まれ持ってついた顔は変えられないし、そこで差が出てきてしまう。
 それを分かっているからこそ、ノゾミはここへとやってきたのだ。
「――ふうん。そんな人間なんているのか。完璧過ぎてつまんない感じがするね」
「先輩を馬鹿にしないでっ!」
 ノゾミが激昂する。だが、店主は動じることはない。悠然と腰掛けたままであった。
「馬鹿になんてしてない。私個人の考えさ。聞き流してくれたらいい。……そうだな」
 男は何やら紙に文字をしたためると、それをカウンターの足下にいた老犬へと落とす。それを拾った老犬は重たい腰をあげ、商品の山の中へと入っていく。
「何をしてるの?」
「せっかく来てくれたんだ。ちょっとくらいは助けてやろうと思ってね」
 暫くした後、老犬が籠を加えて戻ってくる。犬はノゾミの前までやってくると、籠を足元に置いた。
「その籠の中、見てごらん」
 店主の言葉に、ノゾミは籠の傍らに膝を付いた。中には小さな香水瓶が入っている。
 その瓶はくもりガラスでできており、中には淡いピンクの液体が入っていた。すり合わせの蓋を外すと、フローラルな香りが僅かに漂ってきた。
「ただの香水じゃない、コレ」
「『ただの』じゃないさ。『恋の叶う』香水」
 店主が低く笑う。
「君がよく読む雑誌に出てくる恋コスメ、なんてものじゃない。正真正銘、恋愛成就の香水さ」
 「恋コスメ」以上に胡散臭い売り文句だったが、相手はあの「見返り坂道具店」の店主だ。ノゾミは吸い寄せられるように、香水瓶を見つめていた。
「使い方は簡単。普通の香水みたいに使えばいいのさ」
 ああでも、と店主は付け加えた。
「もし思う通りにならなくても、クレーム・返品は受け付けてないから。あと一点ものだから、それ以上欲しくても渡せない。その辺は覚えておいて」
 どう? と店主が首をかしげた。
 何を出されるのかと思えば、香水程度であったのが幸いだ。使い方も普通に使えばいいという。入っている量もそんなに多くはなさそうだし、失敗しても痛手は少なくて済みそうだ。ノゾミは決心した。
「……わかった。これ、いくら?」
 店長が告げた値は、効能の割に破格であった。高校生の懐には多少厳しかったが、これで願い事が叶うなら安いものである。
「ありがと」
「いやいや。またのお越しを」
 店長に別れを告げ、ノゾミは店の外へと勇んで出て行った。



 そして数年が過ぎた頃。
 ノゾミは再び「見返り坂道具店」に現れた。顔つきも服装も大人びており、髪の毛も長くなっている。化粧もするようになったのか、顔は流行のメイクに彩られていた。
 だが、そのメイクは無残にも土砂降りの雨で崩れ。髪の毛も洋服もずぶ濡れであった。そんな姿のままで、彼女は乱暴に道具店の中へと足を踏み入れた。
「いらっしゃい……おや、いつぞやの」
 数年前と変わらぬ位置に、店主は座っていた。相変わらず黒いマントに仮面をつけた姿で、あたかもそこにずっと存在しているかのような、そんな雰囲気すら受ける。
「……騙したのね! あの香水、嘘だったじゃない!」
 カウンターを叩きながら怒鳴るノゾミ。対照的に、店主は調子を変えずに聞き返してきた。
「おや……? 効きが悪かったですかな?」
「効きは良かったの! 付けてすぐに先輩の方から告白されるくらい、効いたの! だからなくなるまでずっと使っていたの! そうしたら……!」
 そう言って、ノゾミがうなだれる。濡れた髪の毛が、まるで井戸の底から這い上がってきた幽霊のように、ゆらゆらと揺れている。
「……なくなった一週間前、途端にふられたの……他に好きな女ができたって。……どういうことよ、これ……ずっと効くんじゃなかったの?」
 だが店主は無情に告げた。その口調は、無関心からくる冷たさを持ち合わせていた。
「うん、効き目はあったんだろう? それなら問題ないじゃないか。
 ――言ったはずだけど? 『クレーム・返品は一切受け付けない』って。ふられたのは君の魅力が足りなかったんじゃないかなぁ」
 そういう店主に、ノゾミが笑い始めた。始めは肩を震わせる程度、そしてそれは次第に大きくなり――喉も割れんばかりに笑いだした。
「……そうよ、そう言われたわ! 『君に何の魅力も感じない、何で付き合ってたのか分からないくらいだ』ってね! だから」
 ノゾミは手にしていたショルダーバッグから、あるものを取り出した。それは、血に塗れた包丁であった。その刃はまだ乾いておらず、刃先からは一定の間隔で滴っていた。
「刺してやったのよ、女ごとね!」
 ――馬鹿みたい! このことは俺とノゾミの問題だからカナエは関係ないだろ、だって! あははははは! だから先に女の方を刺してやったのよ、先輩の前でザクザクザクザクってね、もう堪らないったらないわよ、はははははは!
 狂ったように笑い続けるノゾミに、店主はやがて静かに告げた。
「――で、何でわざわざ私のところに来たんだい? 警察から逃れられる道具を下さい、って?」
「……そんなのいらない」
 そう言ってノゾミは包丁を店主に突きつけた。彼女の目には最早、理性という光は残っていなかった。
「あんたがあんなの売らなきゃ、こんなことにならなかったのよおおおっ!」
 ノゾミがカウンター越しに、店主の喉元に包丁を突き立てた。抵抗する間もなく、仰け反る店主。だが、ノゾミの表情は驚愕の色に変わっていた。
「なっ……!」
 床に落ちる仮面、マント。その中に入っていたのは――ただのマネキンであった。街中でよく見かけるような、普通のマネキンが虚空を見つめている。
「……やれやれ、だから人間は嫌なのだ」
 店主の声が、ノゾミの足元から聞こえてくる。彼女の目線の先には、老犬が座っていた。数年前、ノゾミに香水瓶を運んできた、あの老犬だ。
「い、犬が……!」
「人間にしては可愛い願い事だから、聴いてやろうと思ったのだが……それが間違いだったようだ。――女」
 そう言って老犬の背後、薄暗い空間に無数の赤い瞳が浮かび上がる。獣のような唸り声が、息遣いが店内を支配した。
「道具は人の行く道を作るもの。無理に道を作れば、それだけの見返りが必要になる。白雪姫の毒だってそうだった。毒で馬鹿な王子を引っ掛けたとしても、相手を自分に留めておくだけの魅力が無くては意味がない」
 カラン、とノゾミの手から包丁が抜け落ちた。その顔は真っ青であり、ガタガタ震えながらその場に尻餅を付く。
「あ……!」
 ――その店主は温厚で、どんな願いでも聴いてはくれる。
「残念な話だが、それが現実」
 ――だが、逆らうと。
「……支払ってもらおうか、その魂で」
 その言葉を最後に、女の絶叫が闇にこだました。



 翌朝。雨は上がっていたが、未だに空は重たい雲に覆われていた。
 見返り坂の上にある高校では、ホームルームが始まる前からにぎやかであった。無論、今朝のニュースによるものである。
「今朝のニュース、見た?」
「見た見た。うちの卒業生が殺された話でしょ? 殺された人のモトカノが犯人らしいよ?」
「怖いよねぇ。犯人、まだ見つかってないんだってー……」

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