作品・作者一覧へ

E06  ただいまセルフィ

 登校だけでなく、下校の電車でも彼と一緒になるなんて、今日はラッキーだ。
 試験前で部活が休みになったおかげかな。私は無意識のうちに緩んでいた頬を、隣に座る白雪に悟られないようにと引き締める。朝の満員電車とは打って変わって、夕方の車内は閑散としており、ほとんどが同じ中学の生徒だ。なんの隔たりもなく見つめられるということは、向こうがこちらに気付くことだってあり得るかも、と私はひとり胸を高鳴らせた。
 彼は友だち二人と一緒に談笑していた。話の内容まではよくわからない。右耳に挿し込んだイヤフォンのフォーカスが、電車待ちのときからお喋りをしている白雪に合っているせいだ。もしも彼らにフォーカスが合っていたとすれば、聞き取れる距離かもしれない。
「ああっ、部活がない喜び!」
 私の心中など知らない白雪は、学校指定のカバンを抱きしめて体を左右に揺すった。名前とは正反対の、すっかり日に焼けた肌が眩しい彼女は水泳部で、この季節はくたくたになるまで泳ぐため辛いのだそうだ。
「でも、泳ぐの好きでしょ?」
「今は、別! セルフィが待ってるからねえ」
 まるで初めて彼氏ができたときのオノロケのように、彼女はうきうきした様子で話す。
「あんまりセルフォイドに構ってると、試験、ボロボロだよ」
「なに言ってんの、勉強、教えてもらうんだよ」
「セルフォイドは勉強なんて教えてくれないよ、アンドロイドじゃないんだからさ」
「え、そうなのお?」
 白雪は残念そうに目を細める。まあ所有し始めて一週間らしいから、構いすぎてしまうものなのかも。もしかすると私もそうだったのかもしれない、と考えてみるけれど、幼すぎてよく思い出せないのだった。
 セルフォイドの所有は十三歳以上が推奨されているのだが、父は母と離婚してすぐ、私が寂しくないようにと買ってくれたのだ。まだ八歳だった。だから、私は同年代の子たちより、ずっとセルフォイドとのツインレベルは零に近い。零に近いということは、自分に近いという意味だ。
 白雪と会話をしながら、私はちらちらと彼に視線を移した。
 ありふれた赤茶けた髪をしているのに、まだ成長期が訪れていないほどの背の低さなのに、さして整った顔立ちでもないのに、友人らしい二人に囲まれて笑顔を作る彼は、私を惹きつけて止まないでいる。そしてセルフォイドは、この気持ちすら共有できる。
「なあ、あれ――」
 そのときふと、彼の友人ひとりが電車の上部に等間隔に設置された、レーザーグラフィビジョンを指した。彼が視線を上げ、私もつられてそちらに目をやる。隣で、白雪もそうした気配があった。波が広がるようにして乗客のほとんどが一斉に注目した。その瞬間、車内が静まり返ったので、イヤフォンのフォーカスがグラフィビジョンに合わさり、ニュースの内容が耳に滑り込んでくる。
 ――本日十四時頃、新東京湾にて破損したセルフォイドが放置されているのが見つかりました。持ち主は近くに住む十四歳の少年で、――どうやらセルフォイド破壊事件のようだ。しかも、十四歳だって! 私たちと同い年じゃないか。急に車内はにぎやかになった。この年頃の子どもたちは、ほとんどがセルフォイドを所有してから間がなかったり、これから購入の予定があったりするので、この手の話題には敏感なのだ。もちろん私だって動揺する。
「やだなあ、帰ったら、親がうるさいだろうなあ」
 隣で白雪が眉をひそめた。
「うちも、なんか言われそう……」
「やっぱり? だよねえ、親としては心配なんだ」
「先月もなかったっけ、セルフォイド破壊」
「あったあった、それで私、購入が延期になったもん。まったくいい迷惑だよね、普通、殺さないって」
 白雪の発言に、私は心底同意した。うちの父も、こういったニュースがあるたびに心配している。私がセルフォロイドを殺さないか。
 セルフォイドはロボットだけれど、私たちは「壊す」ではなく「殺す」という表現を使う。だって彼らは人間の形をしていて、人間と同じように話して、感情だってしっかりと持っているんだもの。自分の思考パターンを学び、自分に限りなく近しい存在でい続けるセルフォイドは、自分を客観的に見つめるためにあるらしい。まあ、私たち子どもにとっては高いオモチャ感覚だけどね。でも実際、彼らとスキンシップを取るのは楽しいし、何よりも私を理解してくれる存在だということは、間違いない。

「ただいま、セルフィ」
 家に着くなり私は自室へと向かい、自分の右耳からイヤフォンを抜いて、部屋の一角にたたずむセルフォイドの耳にそれを挿し込んだ。毎日こうしている。家に帰ったら何よりも先に、この端末を彼女に渡し、今日一日がどういったものだったのかを伝える。音声だけではなくそのときの私の体温や脈拍なんかもわかるらしく、なかなか精度は高い。
「おかえり、花束」
 セルフィのマネキンのような腰に服の上から腕を回すと、彼女も私の名前を呼んで優しく背中を撫でてくれる。おはようのときもするし、おやすみのときもする。一日最低三回は、セルフィとハグをしていることになる。
「怖い事件があったんだねえ」
「私、自分のセルフォイドをあんなふうにするヤツの気が知れないよ」
「うんうん、どうかしてるよね」
 彼女の二つのレンズが私を捉える。彼女がかぶっているカツラの形も色も私の髪とおそろいだけど、顔立ちはまったく違っている。こればかりは特注になるので難しい。でも、彼女は私だ。セルフォイドを殺すということは、つまりそういうことなのだ。そんなこと、とても恐ろしくてできない。私はセルフィに口付けをした。
「好きな人がいる間は、キスしないって決めてたじゃん」
「だってしたかったんだもん、なんか……」
「とても悲しくて」
 言いよどんだ先をセルフィが続けて、私たちは再びお互いの背中に腕を回す。肌も唇も作り物だけど、とても柔らかくてほんのりと暖かい。こうして遠慮なく肌を分かち合える対象がいることは、幸せなことだ。特に、私たちくらいの年齢では、幸せであると同時に大切なことだ。愛するためではなく大切に思うためにこうしている。きっとセルフォイドを殺してしまう彼らは、そのことに気付けないでいたのだろう。破壊でしか道が切り開けないと思い込んでいるのだ。
 物思いに耽っていると、急にセルフィが私の両肩を掴んで体を離した。
「ねえ花束、彼の名前わかったかも!」
 そして、笑顔でそう叫ぶ。
「彼の名前! イヤフォンが拾ってたんだよ。タ――」
「ちょ、ちょっと待って!」
 両手をセルフィの眼前に広げると、私はベッドに体を投げ出した。
 彼の名前。どうしてか知りたくなかった。いままでの恋は、私はどちらかと言えば積極的なほうだった。相手の情報を集めてアプローチもした。でも今回は違うのだ、見ているだけでいいんだから。新しい恋の楽しみ方を知ったから、もう少しこの状況を楽しんでいたいのだ。
「まだ、知らなくていいの」
「知らなくていいの?」
 いままでにないパターンなせいだろう、セルフィは困惑しているようだ。
 いつか映画で疑似体験したことがある状況に似ている、と私は思った。奥手なヒロインに私はやきもきし、どうしてそんな密やかな恋があり得るのだろうと強く疑問に感じたが、いまならあのヒロインの気持ちもなんとなくわかる気がする。そうして過去に覚えた似通った感情をかき集めながら、ベッドの上でクッションを抱きしめた私は目を伏せた。甘ったるい蜂蜜に、このままの形で沈み込んで、体の芯までしたしたになってしまいそうだ。
「セルフィ」
「なあに、花束」
 セルフォイドはどうあっても所有者と同一にはならない。ツインレベルは限りなく零に近い値を行ったり来たりするだけで、それが零になることは決してない。人の心は常に変化し続けるものだし、それを後から追いコピーする形になるセルフォイドは、私たちに追いつくことはあっても同じにはならないのだ。一秒前の私と零であっても、まさしくこの瞬間、私と彼女の距離は零ではない。
 セルフィも彼のことが好きだ。でもそれは、まだ過去に私が誰かを好きになったパターンを模倣した恋心のようだった。
「もっと早く追いついて」
 理不尽なことを言ったと自覚する。セルフィの顔が不愉快に歪むのが見えるようで、私は両手で顔を覆った。彼女が不快だということは、私も誰かにこういう態度を取られれば不快なのだ。わかってる、不快に感じることを他人には平気でしてしまうのが、私の大きな欠点だ。

 翌日の登校時、満員電車の中で彼の姿を見つけ、私はいつものように、なるべく彼が見える位置にと体を動かした。白雪の乗車駅はあと一駅先だが、朝に一緒になることは稀だ。視線の先の彼も朝は大抵一人らしく、いまも耳に差し込んだイヤフォンを時折いじりながら、眠そうな表情で窓の外へ視線を向けていた。彼を遠慮なく人影から眺めていられる朝は好きだけど、今日は何故か素直にこの幸せに身を任せられないでいた。昨日のセルフィとのやり取りが引っかかっているのだ。
 彼の名前。
 セルフィが先に情報を入手することは多々あるけれど、逐次報告されるその内容を、私はいままでずっと素直に受け入れていた。私が知っていて彼女が知らないことも同様だ。報告を拒否したのは初めてで、またそのことを、彼を目の当たりにした私はひどく悔やんでいる。聞けば良かったな、と、唇を噛む。どうして断ったりしたのだろうかと。
 そのとき、聞き覚えのある声が耳に滑り込んできた。
「おっはよー」
 白雪だ。私はその姿を探そうとして、しかしすぐに挨拶が私に向けられたものではないと知った。おはよう、と別の誰かが返事をしたのだ。そしてそれは、紛れもなく視線の先の彼だった。
 どういうこと?
 カバンを持つ手に力が入る。それ以上の力で心が押し潰されそうになって、あまりの事態に震えている。見え辛いが、確かに彼と白雪が、お互いの肩がぶつからないように、窮屈そうに身をよじっている。イヤフォンは明確に二人の会話を捉えたが、私はそれを聞きたくなかった。いますぐ抜いてしまいたい。でも、吊革もカバンも手放すわけにはいかない。
 カーブに差し掛かったのだろう、ガタンと大きく電車は揺れ、白雪の小さな叫び声が律儀に私の耳元に届く。
 大丈夫? カバン落ちたよ。
 うん、平気。ありがと、拾ってくれて。
 いいよ、持っとくよ。
 だめだめ、どこで見られてるかわからないよ〜。
 何が?
 タツミくんのこと見てる子が、いるんだよ。
 すっかり視界から二人の姿は消えてしまってからも、二人の会話はまるで耳元で囁かれているかのように明確に聞こえてくる。頭痛がして、顔をしかめた。笑いを含んだ白雪の声を、こんなにも耳障りだと思ったことはない。
 自分のセルフォイドを見て、反省しろ!
 心の中でそう叫んだ。叫びながら、私は次の駅で逃げるようにして降りた。

 電車を降りた私は、休む間もなくカバンの中からパーソナル・メモリアの携帯端末を取り出し、自分のセルフォイドにダイアルする。
「花束。どうしたの、学校は?」
「わかったよ、彼の名前。タツミくん」
「ああ……」
 セルフィはそう頷くと、私の説明を待っているのだろう、沈黙した。けれど、どう話せばいいのかわからない。わからないままに先ほどのことを話す。イヤフォンを渡せばすぐ伝わるのにと思うともどかしい。こんなにも自分が説明下手だとは思わなかった。
「もっと知りたいよ、セルフィ」
 彼のフルネーム、クラス、活動サークル。白雪の言った「タツミのこと見てる子」とは、私のことなのか。もし白雪が私の気持ちを知っていたのだとすれば、きっと影で笑っていたに違いない。昨日の車内だって、私がこっそり彼に視線を注いでいることを知りながら気付いてない振りをしていたのだ。なんて惨めなんだろう。
「彼のセルフォイドを割り出して」
 名前からナンバー絞り込み繰り返し検索すれば、いずれ彼が所有するセルフォイドが判明するだろう。けれどもいまは、それだけの作業環境がない。駅前で拾った無人タクシーで家に向かっているが、待ちきれない。彼女が媒体になってくれれば学校指定のメモリアでも十分対応できる。
「だめだよ、セルフォイドから個人情報を引き出すのは……」
「ロックくらい解除するよ」
 できる自信があった。私はいままでだって、この手段を持ってして恋のアプローチを仕掛けて来たのだ。相手が迷惑になるようなことはしない。むしろ好きな食べ物を調べて作ってあげたり、興味のある本をプレゼントしたりと、喜んでもらうためにやってる行為だもの。それ以外の情報には手をつけたりしない。
「学校の公開プロフィールじゃだめなの? いままではそうして来たじゃない。調べようか?」
 私はセルフィに、セルフォイドから情報を抜いてきた事実を知らせたことがないないため、私がそうして情報を集めていたと思っているのだろう。学校関係者なら誰もが引き出せる内容だし、簡単で、合法だ。
「それじゃだめなの」
 でもそれはあくまで入学時に彼が入力したプロフィールなのだ。
 彼が何年生なのかは知らないが、遥か過去のデータであることには間違いない。ツインレベルで言えば初期値に近いだろう。それではだめなのだ、私が求めているのはそんな役立たずな情報ではない。いまの彼が知りたいのだ。限りなく零に近い彼を知りたいのだ。
「花束、今日はもう帰って来て。いまどこにいるの?」
「どうしてわかってくれないの、セルフィ。いつの間に私を理解しなくなったの。いつの間に私を理解しなくなったの? 好きになった相手をとことん調べるのが大沢花束だよ、知らなかった? そんなの大沢花束のセルフォイドじゃない、全然同調してない!」
「そんな……そんなこと言うあなたが花束じゃない」
「いま、なんていったの?」
 私を否定した。
 私が、私を、否定した?
 もしも他人が私と同じことをしていたとすれば、とても不快に思うだろう。どうしてそんなアンフェアなことするのって。でもだって、知らなければ彼のために色々なことができないから、最初は抵抗があったけれどだんだんとそれも薄れていった。相手が喜ぶ顔を見れば、後ろめたさは一瞬にして消え失せた。それがわからない私なんて、私であるわけがない。自分が許せるのが私なのだ。自分で自分を許さなかったら、一体誰がこんな私を許してくれるんだろう。
 私は私を否定しない。
 あんなの、私じゃない。
 タクシーを降り、玄関の鍵を開けた。部屋の扉を開けると、目に涙を溜めたセルフィがこちらに顔を向けた。手に持ったままのパーソナル・メモリアを投げつけ、顔を背けた隙に首元に飛びつき、細い指を締め付ける。すると逆に彼女の手が私の首に巻きついてきた。
「花束……っ」
 ロボットのくせに顔を歪ませたセルフィは、まるで本当に呼吸困難に陥ったかのように息を詰まらせて呻いた。私の首を締め付ける力も弱々しい。涙がひとすじこぼれて、私の手を濡らす。脈が強く、まるで抵抗するかのように強く打つ。
 ああ……。
 私はいま、凄く怖いことをしているんだ。
 殺そうとしている、セルフォイドを殺そうと……。
「逃げないで、花束!」
 私の力が緩むと、彼女はすぐに私の体を抱きしめた。
「何も隠さないで。限りなく零に近いツインレベルを望むのは、私も一緒だよ。だって私は大沢花束のセルフォイドだよ? だから話して。話して、花束」
 制服にしわができそうなくらい力を込められる。いままでで一番強い抱擁だった。私はどうすればいいのかわからず、ただひたすら、いま自分がしたことに驚いていた。手のひらがまだ熱くて、自分の汗で濡れている。セルフィの胸に反射した鼓動が体中に響いている。
 そうか、私は、こういう子なんだ。
 初めて他人のセルフォイドから情報を抜き出したとき、もしあの後ろめたさを拭え切れないでいたなら、私はこのセルフィのようになっていたのだろう。
 きっと。
 殺すべきなのは、こんなふうになってしまった私のほうだ。
「セルフィ」
「うん」
「ごめん、セルフィ」
 イヤフォンを彼女に渡すべきか考えながら、私は動けなかった。この衝動や感情が、彼女に伝わってしまうのがなんだか怖かったのだ。そうなる前にセルフィに殺されてしまいたいと思うけれど、彼女はそれを受け入れてくれないだろう。でも一体どうすれば、この襲い来る自己嫌悪から立ち直れるのかがわからない。
 生まれ変わるなら、手伝うけど?
 ふとそんな文句を思いついて、私は彼女の腕の中で苦笑する。
「ただいま、……私」
 精一杯の気持ちで、ただそれだけをつぶやいた。
 彼女の中に私を見つける。もしかするとそれは、新しい自分との出会いなのかもしれない。

E06  ただいまセルフィ
作品・作者一覧へ

inserted by FC2 system