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D12 ハイカラ娘と銀座百鬼夜行

一、お嬢さんの言い分のこと

「百鬼夜行が出たのですって」
 部屋に駆け込んでくるなり環蒔たまきお嬢さんは、華族の令嬢には似つかわしくない大きな声を出した。そもそも、ぼくが書生としてこのお屋敷にお世話になってしばらくたつが、お嬢さんがご令嬢らしくないことは今にはじまったことではない。
 暑いさなか、団扇で煽ぎながら文机デスクに向かっていたぼくは、書物に栞を挟んで文机に置き、お嬢さんの方に振り返った。お嬢さんは海老茶色の女袴の裾を蹴散らすようにしながら、ぼくの椅子の後ろで行ったり来たりしている。
「大事も大事よ。百鬼夜行が出たんだったら」
「また妙な噂話を聞きつけてきたんですね」
 ぼくは大仰にため息をつく。そんなぼくに、お嬢さんはやっと足を止める。
「噂話じゃないわ。見たお友達から直接じかに聞きつけてきたんだもの」
 結い流しにした自慢の黒髪を肩から払い落としながら、お嬢さんは興奮で頬を林檎色に染めて言った。開け放した窓から、風鈴売りの声と涼しげな硝子の音が聞こえてくる。
「嘘ですね」
 言い切ったぼくに、お嬢さんの顔はさらに赤くなる。
「どうして決めつけるの」
「百鬼夜行を見ると死ぬらしいですよ」
「おかしなことをよく知っているのね」
「教養です」
 お嬢さんは腑に落ちない、という顔をしていたが、ぼくは気付かなかったふりをした。だからお嬢さんもさっさと次の話にうつることにしたようだった。
「でも、出たんですもの。今からもう一度細かな話をうかがうことになっているわ。新橋駅でお友達と待ち合わせをしているの」
 お嬢さんは、当たり前の顔で言った。一緒に来い、ということか。お嬢さんはいつも妙な噂話を聞きつけてきたり、目新しいものを見つけたと言って騒いでは問題ごとをぼくに押しつける。予想していたことだけれど、ぼくは大げさにあきれた声を出した。
「まさかぼくも行かないといけないんですか」
 お嬢さんは少しきょとんとしてから、何を言っているの、と驚いて見せた。
「わたし、知っているのよ。あなたが何か隠していること」
「……なんですって?」
 ぼくは再び本を文机に置いた。
「よくあなたのまわりで妙なことが起こるじゃないの。物がとつぜん壊れたり、人が転んだり。わたし、気づいていたわ。あなたと一緒にいる人、何もないところでよく倒れているわ。最初はじめは不注意な人ばかりなのかしらと思っていたけれど、お父様もひっくりかえっていたもの」
 その様子を思い出したのか、お嬢さんは矢絣の袖で口元を隠して、くすくすと笑った。
「あなたこういう事に詳しいのではないの?」
 ぼくはとっさに言い返せなかった。その隙に、お嬢さんは付け足した。
「それに、あなたの教養を役に立てる機会だと思わないこと?」
 お嬢さんは少し得意げに、こまっしゃくれたことを言う。ぼくは揚げ足をとられたところで、少しも痛くないのだけど。お世話になっている家のお嬢さんが何かやらかそうというのを放っておくわけにもいかない。ぼくはまた、大きなため息をついた。


二、ミルクホールにて、ハイカラ女学生ふたりと書生がひとり

 着色硝子ステンドグラスもまぶしい新橋駅前の雑踏の中、やけに目立つ女学生がいた。英吉利結びみつあみにした髪を輪っかにしてリボンで結んだまがれいとマーガレット金縁ゴールド眼鏡に海老茶の袴、革の靴をはいたハイカラ娘だ。姿勢を正して、清々しい佇まいだった。
「ごきげんよう、環蒔さん」
 彼女は上品な仕草で頭を下げ、お嬢さんの後ろにいたぼくにも会釈をした。
 立ち話も何だからと、ミルクホール『アカボシ』へやってきたぼくたちは、にぎわう学生たちから少し離れた隅に腰かけた。
 お嬢さんのお友達は、千歌絵さんと言った。
「千歌絵さん、うちの書生さんよ。外国語学校でお勉強されているの」
「こういったことに詳しい方ね」
 いつの間にかぼくは祈祷師か何かのような扱いになっていたようだ。正すのも面倒で、ぼくは聞き流すことにした。
「お嬢さんたちは、ご学友なんですか」
 ぼくの問いに、お嬢さんは千歌絵さんの顔を見て、周囲をうかがいながら、声をひそめて言った。
「女子嗜読会「雛菊」のお友達よ」
 女学校では、小説などの読書をあまり認めていない。恋愛小説など読んで風紀に問題が生じてはいけないということだが、つまらないこじつけだ。だいたい禁止したところで、女学生たちは物語が好きだし、女の子は秘密が好きなものだ。
「お父様には秘密にしておいてちょうだい」
 お嬢さんが、共犯にぼくを選んだ理由がもうひとつ分かった。この秘密を話しても、彼女たちを罰しない相手である必要があったのだろう。本当なら、女学生同士でなければいけないのだろうが、そうも言っていられないということなのか。
「まずお話の前に確かめておきたいのですが」
 とにかく早く面倒を終わらせてしまいたく、ぼくは話を切り出した。
「お嬢さんたち、本当は何をしていたんです」
 突然の話に、お嬢さんは、「えっ」と大きな声をあげて、慌てて口元をおさえた。
「百鬼夜行なんて早い時間に出るものではありませんよね。朝日が出てきて助かったという逸話もあるくらいです。そんな夜中に何をしていたんですか」
 まさか、気付かれると思っていなかったのだろうか。お嬢さんは少し迂闊なところがあるから、狼狽を隠せずにいる。けれど千歌絵さんは、どこか観念した様子がある。お嬢さんたちは顔を見合わせて、しきりに目配せをしていた。視線で会話をしているようだった。
 結局千歌絵さんが言葉を選ぶようにして、ゆっくりと話した。
「近ごろ銀座で夜中に騒ぎを起こす狼藉者がいるという話。書生さんはご存知?」
 それはぼくも聞いたことがある。煉瓦だとか電気灯だとか鉄道だとか、政府は大慌てで西洋に追いつこうとしているが、めまぐるしく変わる世情に反発を持つ人たちが少なからずいる。外国人居住地区である築地に近く、大火のあと西洋風に造りかえられた銀座は、西洋化の象徴シンボルのようなものだ。
「それが、女学生を嫌っている一団だという話もあるんです。わたしたち、許せないわねと言うお話をいつもしていて。わたし、犯人を見てやろうと家を抜け出したのですわ」
 彼女たちの好奇心と正義感では、夜中に抜け出して一人で対峙するほうがよほど危険だということに気づかないのだろうか。
 お嬢さんが訳知り顔で言った。
「女性が知識を得るのを嫌って、書物を夜に焼いているのですって」
「それで夜中に銀座に行って、百鬼夜行に出くわしたというわけですね」
 ぼくの言葉に千歌絵さんが神妙にうなづく。けれどぼくはつい、率直な感想を漏らしてしまった。
「石畳に電気灯に鉄道に百鬼夜行だなんて。似合わない」
「でも、出たんだもの! ……ねえ、どうして銀座にそんなものが出るのかしら」
 見てもいないお嬢さんが強く言ったが、そんなことぼくに聞かれても分かるわけがない。
「百鬼夜行が何かは、色々な説があるのでぼくが一口にいうことはできません。付喪神が自分を捨てた人間を探しているのだとか、何かの前触れであるとか。いずれにしてもぼくに言わせれば、人外のすることを、人の定義にあてはめようというのが間違いです」
 そうですね、と千歌絵さんが囁くように言った。そして顔をあげて、ぼくを見る。
「悔しいですけれど、書生さんのおっしゃる通りですわ」
 大真面目な顔で言った。

 千歌絵さんと別れて、ぼくたちは帰路についた。線路を行く馬車鉄道を見ながら、お嬢さんは不思議そうに言う。
「百鬼夜行を見ると死ぬというのなら、千歌絵さん、どうしてご無事だったのかしら」
「きっと、お守りか何かをお持ちだったんです。経文の書かれた服を着ていて助かった話などがありますから」
「そうなの。千歌絵さんは、基督和英女学校の方だわ。十字架ロザリオをお持ちだったのね」
 そういった西洋のものが効果があるのかは分からないが、つまりは信心が大事だという話だと聞いたことがあるから、お嬢さんの言う通りなのだろう。お嬢さんはつまらなそうな、それでいてどこかほっとした顔をした。
「じゃあ、お守りを持っていけば安心ね」
 その口ぶりにぼくはひどく嫌な予感がした。


三、夜の銀座と文士崩れと憑かれ者

 真昼には鉄道が走り、多くの人が行きかう銀座の石畳の大通り。夜でさえビヤホールで大人たちが騒ぐこの街も、今は人の姿が見えない。ただ電灯が静かに輝くばかりだ。
 その中をいくつかの人影が走り回っていた。路地に入って、隠れて何かをするという考えはないのだろう。彼らも所詮はそうやって自分たちの力を誇示したいだけに違いない。彼らは道の真ん中に集まって、少女たちが好んで読むような尾崎紅葉だとか、少年向けの雑誌「少年世界」だとかを山と積んでいる。
 ひとりがマッチを取り出し、擦って火を灯した。焚書、というところだろうか。
「おやめなさい!」
 それを本の山に投げ落とす前に、お嬢さんの甲高い声が響き、マオカラーのシャツに袴という格好の男たちが振り返る。彼らは仰天した様子でお嬢さんを見て、それから憤慨したようだった。
「婦女子がこのような夜中に、男と何をやっている。ふしだらな!」
「なんですって……!」
 お嬢さんは怒りと羞恥にか、また頬を真っ赤にして、二の句を継げずにいる。
「何をしているんですか」
 結局お嬢さんに引っ立てられ、夜中の銀座まで一緒に自転車で来る羽目になったぼくは、とりあえずお嬢さんの隣に並んで言った。
「見ての通りだ、つまらぬ小説を焼くのだ」
 一人が吐き捨てるように言った。婦女子と一緒に夜中をうろついている書生も気に食わないという風で、たいそう態度がでかい。
「我ら青柳会は、国文学の行く末を嘆く文士である。つまらなぬ書物が世にはびこるのは許せん。こと、女学生などいい気になった小娘たちが、このような軽薄な知を振りかざしていい気になっているのも許せん」
「西洋かぶれが。女子が文学を嗜むなど言語道断。女は家で裁縫でもしていれば良い」
 口々に言う男たちに、まあ、とお嬢さんはまた肩を怒らせた。お嬢さんの世間知らずに加えて、恐れ知らずと矜持は、多勢に無勢でも少しも怯まないらしい。
「何よ、文士崩れが! あたらしいものを学んでいくことができないだけじゃない」
 ひときわ甲高くお嬢さんが言い放つ。
 ぎゃああああと、あまりきれいではない悲鳴が響いたのはそんなときだった。
「何か来る!」
 道の向こうを見張っていた文士崩れの一人が叫んでいた。大通りを、真夏だというのにひやりとした風が流れてくる。異様な空気だ。先程まで白熱して大声を出していた文士崩れたちも、ぱたりと口を閉ざしている。
 道の向こうに突然明かりが灯った。ゆらゆらと不自然に舞っている。鬼火のように。
 ぎゃああああと、今度はそこにいた文士崩れ皆が叫んだ。その大声にぼくが仰天している間に、お嬢さんが走りだす。逃げるのではなくて、光のほうに向けて駆けている。ぼくは慌ててお嬢さんを追いかけた。あたらしき女というのは、こういうときにまるで鉄砲玉のようで、手に負えない。大騒ぎする文士崩れたちに少しばかり味方したくもなる。
 月明かりの中で服部時計店が見える。その下にある石畳の路を照らしていた電気灯が、ふいと消えた。路の向こうからひとつひとつ、消えていく。鬼火だけが揺れている。
 お嬢さんはそれに気付いたのか、立ち止まった。笑いさざめき、また怒り唸るような、どよめく声が聞こえてくる。揺れる明かりの中に、たくさんの者どもの影が見える。
「わたし、お守りを落としたわ」
 ぼくが追いつくと、お嬢さんは震える声でそっと言った。
 その間も、何かの行列が近づいてくるにつれて、空気がどんどん冷たくなるのがわかった。吐いた息が白い。

 突然ふわりとした温もりが首元を覆った。予測していたがぼくはとりあえず文句を言う。
「急に首に巻きつくのやめてくれないか」
「何を言うかこの恩知らずめ。そのままでいると食われるぞ」
 狐が、ぼくの肩に乗っている。長い鼻面をぼくの方に向けて言った。
 見回すと、文士崩れたちはとっくに逃げ出したようで、ここにいるのはぼくたち二人だけだった。
「お嬢さん、こちらに」
 少しためらったが、ぼくはお嬢さんの手を掴むと、路の向こうを見て固まっていたお嬢さんを引っ張った。
「まあ、あなた、手、手を」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう」
「でも、あなた、なあに、それ」
 ぼくの首に巻きついた白い狐を見て、お嬢さんは仰天していた。狐はお嬢さんを見て口をぱかりと開き、両端をつりあげて笑ったようだった。なんとも底意地の悪そうな笑顔だ。
「小僧が東京に来るというから、付いてきて間違いではなかったな。こんなおもしろいものが見れるとは」
 ぼくがお嬢さんを引っ立てて道の端へと寄り、煉瓦の壁に寄り添ったところで、行列の先頭がやってきた。お嬢さんは狐のしっぽを首に巻いて、ぼくの手を強く握って、震えながら息を押し殺している。
 石畳の道を最初に来たのは、巨体の男だった。頭に角が生えいる。そして欠けた茶碗、土鍋、傘を被った何かの動物などおなじみの姿のほかに、車夫のいない俥が一人で進み、もはや電灯にとって変わられた瓦斯灯が、細長い体で跳ねるようにして歩いてぼくらの前を通り過ぎていく。
 百鬼夜行は付喪神だという説がある。付喪神は九十九神ともいう。九十九年、それくらい古くなった物などには魂が宿るらしい。
 西洋化だなんだと言って、瓦斯灯だ電気灯だと浮かれ騒いだところで、こうやって彼らが通る跡には暗闇しか残らない。彼らはそれを忘れさせたくないのかもしれない。闇を押しやって忘れたつもりでいる人間に。
 だいたいあの文士崩れたちが、物を焼いたり、古いものへの固執だとか新しいものへの嫉妬だとか、後ろ暗い感情をこの新進の町で煮えたぎらせるから、百鬼夜行などが呼ばれてやってきたような気もする。
 とはいえ、自分でも言ったように、人間の考えに当てはめようなんていうのが間違いではあるのだろう。行列は石畳の道をどこかへ歩いていく。どこへ行って何をするのか、人の予測がつくことではない。何か起きるにしても、今はただ彼らが去ってくれるのを願うばかりだった。

 行列がどこへともなく消えていき、しばらくたった後でようやくお嬢さんは大きく息を吐いた。ぼくをみて、しみじみとつぶやいた。
「生きているわ」
「そうですね」
 ぼくがいつも通りに応えると、お嬢さんは何が気に入らなかったのか、少しむっとしたようだった。それから手をつないだままなことに今更気付いたようで、慌てて振り払った。
「それ、なに」
 そちらの手を後ろ手に隠しながら、反対の手でぼくの肩の上を指さして言う。
「狐です」
「それは、見れば分かるわ」
 そうだろう。あまり言いたくないが、これほどはっきり見られたのでは仕方がない。
「ぼくは狐憑きなんです。旦那さんには、お世話になるときにきちんとお話しています」
 そうなの、とお嬢さんはちいさくつぶやき、それから頬をふくらませた。
「わたしにだけ黙っているなんてひどいわ。お父様もあなたも」
「狐憑きなんて外聞がよくありませんからね」
 それは西洋化を嫌う人がいるという話とは比較にならない。狐憑きは気が触れた人間のことを言ったりもする。昔からこの国では忌まれている。
 ぼくと一緒にいるとなぜか転んだりひっくり返ったりする人がいるのは、この狐がつまらない悪戯をするせいだった。何百年生きているのか年寄りの意地悪と年季の入った悪戯心は抑えられないらしい。
「この小僧は昔から妖怪にからまれやすい性質でな、我が守ってやっておるのだ」
「こいつは、祠を壊されて消えかかっていたんです。ぼくは何か霊力が強いらしくそばにいるとこいつの霊力も回復するからと、勝手にとり憑いているんですよ」
 お互いを利用している共存関係なのであった。狐はおもしろいものを見て満足したのか、
薄ら笑いをして見せてから、するりと姿を消した。お嬢さんがまた目をまんまるにしてそれを見ている。
「さあお嬢さん、気が済んだでしょう。早く帰らないと抜け出したのがばれてしまいます。あの文士崩れも、当分焚書などしないでしょう」
 お嬢さんひとりがいないのに気付かれるのも困ったことになるが、ふたりで抜け出したと気付かれるともっとまずいことになる。旦那様にお世話になっている身として、旦那さまを失望させるわけにもいかない。
 空が白みだした。煉瓦の町に、先程の青白い炎とは違う、明るい陽の光が満ちはじめている。道を走る線路がちいさく鈍い光を返し、建物の硝子窓がまたきらきらと光を放つ。ぼくはこの街が大火に包まれる前のことを知らない。多くの人やあやかしが昔を懐かしんでいるとしても、この街もまたきれいだと思ってしまうのは仕方のないことだろう。
 けれど今はそれよりも、今日も学校だというのに、これはまずい。
 これから自転車で上野まで戻るのは骨が折れる。ぼくはげんなりしながら、お嬢さんを急かして歩き出した。

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