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C11 ある冒険者夫婦の帰郷

 まるで黄金の海を渡っているようだ。見渡す限り一面の小麦畑、その真ん中を突っ切るように伸びた街道を、一組の若い夫婦が馬車でぽくぽくと旅をしていた。のほほんとした冒険者風の夫が手綱を握り、美人だが気の強そうな妻はその横に座っている。
「平和だなぁアデル……つい三ヶ月前まで絶望まっしぐら、滅亡へのカウントダウンを刻んでいた世界とは思えないな」
「本当ねぇウォレン……勇者対魔王、勝つのはどっちだ、世界の運命やいかに!? 的な戦いがあったなんて信じられない」
どこまでも牧歌的な景色に似合わない事を口にする二人だが、それは冗談でも世迷言でもなく、本当にあったことだった。

 つい三ヶ月前まで、本当に世界は大ピンチだったのである。

 思い起こせば数年前、ずっと封印されていた悪い魔王が復活し、世界を滅ぼそうとした。文字通り世界は暗雲に覆われ、地震、雷、大嵐などなど一通りの天変地異に襲われた。魔物も各地に現れ大暴れだった。そんな中、お約束通り伝説の勇者が現れた。優しくて勇気はあるが、ちょっとさえない僻地の村の若者だった。
 伝説の勇者は伝説の剣を取り、伝説の仲間と魔王を倒しに向かった。僻地の村からスタートして洒落ではなく世界一周分あちこち歩かされ、ようやく魔王の城に辿り着いたのが三ヶ月前。着いてしまえばこっちのものだ。さくっと最終決戦に突入し、命がけの激戦の末魔王を倒し、世界に平和をもたらした。めでたしめでたし、である。

 「とりあえずこの辺で休むか、急ぐ旅でもないからな」
「賛成!ずーっと馬車に揺られてたからお尻が痛くなっちゃったわ」
妻の了解を得て、ウォレンは街道の脇に馬車を止め、近くで刈り取りをしている農夫に声をかけた。
「すみません、少し休みたいので場所お借りしてもいいですか?」
「ああどうぞ……あんたら冒険者かい、わざわざご苦労なことだね、畑と山と森以外なーんにもないこんな田舎に」
魔物だらけだった三ヶ月前まえでは、冒険者もそう珍しくなかったんだがねぇ……ジャックと名乗った農夫はそう言ってわははと笑いながら、遠慮はいらないと手招きする。ウォレンとアデルもその言葉に甘えて、馬車の中から敷物とサンドイッチの入ったバスケットを持ち出す。今朝、宿の台所を借りてアデルが用意したものだ。結婚するまで料理などしたことがないと言っていたが、今はなかなかどうして味も形も様になるものを作るようになってきた。
 「よろしければ一緒にいかがですか?」
「おっ、いいのかい。愛妻弁当ご相伴に預かっちまって」
「はい、ぜひどうぞ……まだ不慣れなので色んな方のご意見を伺いたいんです」
「それでもっと美味いものを作れるようになりたいって? 愛する旦那様のために……かい?」
「ええ、それはもう!」
お熱いねぇと冷やかすジャックの言葉に、ウォレンは照れ、アデルは嬉しそうにうふふと笑う。小麦畑の片隅はラブラブなピンクの空気に満ちる。その中で夫婦と農夫は広げた敷物に座り、バスケットの中から取り出されたサンドイッチを口に運ぶ。
「うまい、あんたいい嫁さんもらったな〜。料理上手な嫁さんはどんな宝石よりも貴重な宝だぜ」
「たとえ消し炭のような料理を出されても、僕の気持ちは変わりませんけどね」
「あっはっはっ、惚れてるねぇ!」
「そりゃそうですよ、命がけで口説き落としてようやく奥さんになってもらったんですから」
「もうっ、ウォレン!」
そんな二人の様子に、ジャックは微笑ましい気持ちになる。若い二人に困難は付き物だ。彼らにも色々とあったのだろう……だが、それを乗り越えて未来へ歩もうとしている姿は人生の盛りを過ぎた自分には眩しく、羨ましいものだった。
 「しかし、このあたりもずいぶんと落ち着きましたね、以前通った時は魔物の被害が酷かったはずですが」
照れ隠しのつもりか、手にしていたサンドイッチを一気に頬張りながら、ウォレンは話題を変えた。
「その通り、だから何人もの冒険者を雇って警備や護衛をしてもらってたんだ。だが、魔物がいなくなって仕事もなくなり、波が引くように連中も去っていったよ。まぁ、あんたらには悪いがそれでいい、平和が一番だ」
「全くです。それに僕達も仕事で来たんじゃないんですよ」
「ほう、そいつはますます珍しい。仕事じゃないのにこんな辺鄙なところに何の用だい?」
「里帰りです。今まで結構ハードな仕事していたので、結婚を機に生まれ故郷の村に戻ろうかと思いまして」
「そうか、そうだなぁ……一人身ならいいが、嫁さん抱えて冒険者稼業は辛いだろう。転職を考えて正解だ、俺みたいに小麦や野菜を作って、牛豚鶏を飼って暮らせば、このご時世、少なくとも食いっぱぐれることと身の危険にさらされることはねぇよ……あんたいい選択したな」
ジャックは自信を持って言う。ウォレンもその通りと頷く。だが、アデルは一人浮かない顔になった。
「……本当ですか、本当にそう思いますか?」
「ん、どうしたんだい急に深刻な顔をして」
「……アデル」
さっきまでのピンク色の空気はどこへやら、アデルの表情は暗い。男二人が心配そうに覗きこむと、アデルは大きな瞳に涙を浮かべていた。
「アデル、どうしたんだいアデル!?」
「ごめんなさい、ごめんなさいウォレン……でも私、ずっと考えてて……やっぱり、わ、私のせいであなたは……」
「ああアデル、またそのことかい。何度も言ったじゃないか、この選択は君のせいじゃない。僕達が幸せになるために選んだ道なんだよ」
でも、とアデルは首を振る。そんな妻を優しく抱きしめるウォレン……そして置いてきぼりの部外者ジャック。あまりの急展開に、一体どうすればいいのか。
「あー、ちょいといいかい若いお二人さん。部外者が口を出すことじゃねぇとは思うが、よかったら話してみねぇか?これでも人生経験だけは積んでるつもりだからよ」
無視することもできず、その場から逃げるのも薄情だ。人様の家庭の問題に口出しするのは野暮だと思うが、状況が状況だ、仕方無い。そう思ってジャックは口を開いた。これも何かの縁、ただの農夫の助言でも、若い二人のゆく道を照らす事もあるだろうと、さして気負いもせず何やら込み入った事情を抱えていそうな若夫婦に言った。

*   *   *

 「村に帰ると決めたのは夫です。私は妻として、この人の行くところならたとえ地獄の底でも付いて行くと決めています。けど……この人だけならば、他にもっといい仕事につけたはずなんです。実際、仕官話も縁談話も山のように来ていました。それなのに、この人それを全部断って、田舎に引っ込むって……この人は違うと言ってくれたけど、きっと私のせいです、そうに決まってます!やっぱり私みたいな女と結婚したせいで……」
「そんなことはない、今回の仕事が終わったら田舎に帰ると決めていたんだ。確かに王宮からの話もあったけど、僕に宮仕えは向かないよ。何よりも、これからは使命よりも愛する人との生活を大切にして生きていきたいと思ったんだ」
「嘘よ、使命に燃えるあなたは輝いていたわ。その充実した生活を私が捨てさせてしまったのよ!」
「アデル……確かにあの頃の僕は毎日が充実していた、必死だったと言ってもいい。でもそれは全て君のためだ。君と共に生きる未来のためだから、僕は頑張ることができたんだ……それを手に入れた今、昔の自分を捨てることに何の躊躇いもない」
「ああ、ウォレン……」

 さて、一体どうしたものか。

 二人の話を横で聞きながら、ジャックはぽりぽりと頭を掻く。自分もそれなりに人生経験は積んできたつもりだ。ただの農夫でもそれなりの苦楽は味わってきた。一家を持つ責任や喜び、苦労も知っている。だが、この夫婦の経験値は、自分のそれを軽く越えている。ジャックの想像を超える壮大かつドラマティックな背景を感じ、余計なことを言ったかと一瞬後悔する。だが、ここで投げるわけにもいかない。
「あんたらに何があったか知らないが、とりあえずあんたらが夫婦になるまでにものすごく苦労したことは分かった」
「はい、それはもう紆余曲折の愛憎劇が繰り広げられましたもの」
頷いたのはアデルである。
「加えて、結婚後もゴタゴタしてる。特に嫁さんは自分のせいで旦那の出世がパァになったと思い込んでいる。が、旦那はそんなことこれっぽっちも思っちゃいねぇ」
「もちろんです、今の僕にアデル以上に大切なものなどありません」
ウォレンは断言する。赤面もののセリフを大真面目に言えるのは若さ故の特権だろう。
「だったらいいじゃねぇか。あんた、旦那のこと愛してるんだろ。愛してる奴の言うことが信じられないのかい?信じていない男と連れ添えるのか?」
「それは……」
「旦那も旦那だ。自分の考えを押し付けるばかりじゃ嫁さんは不安になるばかりだぜ。キッチリ腹を割って話し合って、その上で納得させてやらんとな……守るばかりじゃいかん、支え合ってこその夫婦だろう」
「……はい」
ジャックの言葉に、ウォレンとアデルは神妙な顔で聞き入っていた。ジャックとしては自分の経験論を語っただけだったが、それでも若い夫婦の心には響くものがあったのだろう。よかった、何かしらの力にはなれたようだ。
「ごめんなさい、ウォレン」
「いいんだよ、アデル。僕も悪かった」
そう言って二人は顔を見合わせた後、ジャックに向きなおった。
「ありがとうございます、ジャックさん……私、ウォレンを愛しています。だからこれからは、愛するだけでなく、信じられるようになります。弱い私ですが、頑張ってみます……頑張って、二人で幸せになります」
「守るばかりじゃ駄目だったんですね……彼女にはもう傷ついてほしくなかった、悲しい思いをさせたくなかった。だから必死でした……でも、片方だけが必死になっても意味がない。ええ、僕も目が覚めました。これからは二人で理解し合い、支え合いながら生きていこうと思います」
二人は顔を見合せて微笑んだ。その姿は強く、幸せそうだった。その様子を見て、ジャックは心から思った。若い二人のゆく道に幸あれと。

*   *   *

 「ごめんなさいウォレン、私、あなたを信じきれてなかったんだわ……あんなにも命がけで愛を告げてくれたのに」
ジャックに別れを告げ、ウォレンとアデルは再び彼の故郷への旅路につく。日は西に傾き、金色の小麦畑は輝くばかりの美しさを見せる。その真ん中を走る街道を、相変わらずぽくぽくと馬車を走らせる。
「いいんだよ、僕も少し神経質になっていたんだと思う。愛しているといいながら、一度は君を傷つけた。だから、これからは絶対に守る、辛い思いも悲しい思いもさせないと意地になっていた部分があったと思うんだ……それが君を不安にさせた、すまなかった」
「そんな、あなたは悪くないわ!勇者が魔王を倒そうとするのは当然のことだもの!あなたの手にかかるなら、それでもいいと思っていたのよ」

 アデルは嘘や酔狂を言っている訳ではない。三ヶ月前まで、彼女は正真正銘の魔王、そして夫は、彼女を倒しにきた伝説の勇者だった。

アデルが悪い魔王として復活し、ウォレンが伝説の勇者として旅に出て以来、二人は世界各地で死ぬか殺すかの逢瀬を繰り返して想いを深め、最終決戦の最中の劇的なプロポーズをもって、その愛を成就させた。彼の妻となる道を選んだアデルは、迷いなく魔王を引退することを決め、世界の混乱はみるみるうちに収まった。だが、世界を不安なままにさせておくのもどうかと思い、仲間に口裏を合わせてもらってきちんと魔王は倒しましたということにしてもらった。その後、世界を救った勇者には山のような仕官話と縁談が持ち込まれたが、ウォレンはその全てを断わり、妻と共に故郷に帰ることを選んだのである。
「けど僕は君を失いたくなかった。たとえ君が魔王であっても愛する気持ちは止められなかった。まぁ、仲間にはちょっと引かれたけどね、最終決戦でプロポーズとは何事だ!って」
「そうね、わたしもちょっと空気読め……って思ったわ」
「仕方ないじゃないか、あの場が最後のチャンスだったんだから」
「確かに、あそこであなたにプロポーズされなかったら、私は魔王として死ぬことを選んでいたわ。でも……あなたがいたから、愛していると言ってくれたから……生きてみようと思ったの。魔王としてではなくただの女として、あなたの妻として」
そう言ってアデルは手綱を握るウォレンの方にもたれかかる。元魔王であっても、そこにいるのは一人の女で、ウォレンの大切な妻。それ以外の何者でもなかった。
「……アデル」
「何、ウォレン?」
「幸せになろう、平和なこの世界で……一緒に生きていこう」
「ええ……」
 夕日に輝く道を、二人を乗せた馬車はゆく。この道の先に待つ懐かしい故郷、そして希望に満ちた明日へ向かって。

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