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C04 選ぶべき道

 目の前にあるのは、標識などは一切ない、分かれ道だった。
「……分かれ道だな」
「だね」
 二人は顔を見合わせた。最初に言葉を発した方は茶髪で、年齢ははっきりとは分からないものの、十代後半だろう。身長は、並といったところだ。
 彼の言葉に同意したもう一人の彼は、茶髪の彼よりもいくらか身長が低い。青く長い髪を風にそよがせて、小さく笑いながら茶髪の彼を見やる。
「僕は右の道をオススメするかな」
「阿呆か。見るからに怪しげな道を選ぶやつがいるか」
 右の道は草が生い茂り、木々が道を描くように群れを成している。奥に行けば行くほど暗くなっており、果てが見えそうにない。対照的に、左の道は土煙が立ちそうなくらい完全に開けている。多少雑草が生えているものの、右の道のように暗くもなければ怪しくもない。何の変哲もないただの道だ。
「だって平坦でつまらないよ。多少のスリルは必要だと思うけど? ……旅だけでなく、何事にもね」
 にこりと笑った背の低い彼は、その青い長髪を揺らしながら茶髪の彼に顔を向けた。少しだけのぞいた耳は、人間のものと考えるにはあまりにも細く尖っている。ふう、と一つ溜め息を吐いて、茶髪の彼は取り出した帽子をそっと青い髪の頭にかぶせた。
「今重要で必要としているのははスリルじゃない。一刻も早く街に文書を届けることだ。避けて通れる危険は避けるべきだ」
「えー、いいじゃん。文書の期限は後一月もあるし、このままのペースなら二日もあれば街には着くよ」
「油断は禁物だ」
 青髪のかれは黙ったが、その顔は納得したという風には到底見えない。そして言う事を聞かない子供に厭きれたように、肩を落とした。
「盗人はどっちの道を選ぶと思う?」
「……いきなり何だ」
「いいから。……どっちだと思う?」
 そう問われても、茶髪の彼は首を傾げるばかりだ。盗人の習性など考えようとしてもわかりっこない。何せ何一つ情報などないのだ。どう答えるべきか、悩む。
 それを知ってか知らずか、青髪の彼は帽子をぎゅっ、と掴んで深く頭にかぶる。
「あのね、答えは左だよ。だって左は安全そうで、右は危険そうだもの」
 一拍置いて、彼は話を続ける。
「盗人は、自分をよく分からない危険になんて晒さない。そこまで仕事熱心な盗人はいないし、第一、旅人(カモ)だって危険な道は通らないしね」
 ――つまり彼は、個人的な興味で右の道を推しているわけではない、ということだ。
 起こりうる危険を回避する為に、その脳にあまりある知識の一部を提供しているに他ならない。他者との接触を限りなく避けてきた彼なりの、処世術だったのだろう。
「だけどね」
 くす、と彼は笑う。どんな顔で笑っているのだろうかと、興味は湧く。
「それでも君が、右の道を行きたくないのだというのなら、……文句を言うつもりはないよ」
 ふるふると顔を横に揺らして、彼は笑った顔のまま彼を見上げた。その瞳の輝きが、何処か眩しい。

「だって僕は、君すら守れないほど弱くはないもの」

 半人半妖精(ハーフエルフ)は、性質よりも性格が悪い。

      +++

「ねえフィー。あの花は何ていうのだろう? あの木の実は食べられるのかな」
 長い年を生きる半人半妖精にしては、あまりにも子供過ぎる台詞が次々と零れ落ちる。髪に絡まった枯葉など気付いてもいないように彼は悠々と奥へ奥へと足を進める。
「イディス、先走るな。何処に何があるか分からないんだぞ」
「大丈夫だよ。木々たちから悪意は感じないし、この森にただで足を踏み入れられるなんて思えないしね」
 踊るようにターンして振り返った青い髪のイディスは、まるで自分の事のように誇らしげに言葉を続けた。
「この森は絶対的な守護下にある。半人半妖精と称される僕並みの魔力の持ち主じゃなきゃ、ここには入れないよ」
 君は僕が招いたようなものだから、関係ないけれどね。ふふっ、と彼はまた笑って踊るように駆け始めた。そよそよと、風が彼を包むように吹く。
「僕が誰かをこういう場に招く事があるなんてね。――我ながら、驚きだよ」
「そうか」
「ああ、冷たいなぁ。僕はね、感謝してるんだよ、フィー。君にね」
 凛とした空気が辺りを包み込んだ。風が激しく吹き出す。まるで何かを排除するように。歩みを止めたイディスは、ゆっくりとその方を向いた。
「だから、死んでほしくはないんだよ」
 彼の足元から、勢いよく風が吹き出す。自然のものではないが、決して人工のものではない、魔力の風だ。魔力は保持者の感情に敏感だ。おそらくだが、彼はひどく怒っているのだろう。原因は分からない。
「うん、……ふふふっ。地獄に落とそうとするなら、落とし返すだけだ」
 ――NydUrThornCen NydUrThornEolh(我は焔の力を欲する、我は守る力を欲する)。
 彼の魔力が言の葉を紡ぐ。空は荒れる、風が激しく薙ぐ。それなのにどうしてか、魔力の主であるイディスは勿論、フィーの周りだけが静まり返っている。風すら感じない。けれどこれは恐ろしい力だと、確信した。
 まだ見ぬ誰かへの怒りを、確かに彼は抱いているのだ。その矛先に誰がいるのかを、フィーは知らない。
「何を言うの、僕が負けるはずないだろう……? 勝利を引き寄せるシグルドリーヴァだって振り向く、ラーズグリーズなんだから」
 イディスは唐突に、意味の分からない事をいう。普段は気にした事は無かったが、今回は何処か苦しそうだ。
 苦々しく笑って、彼は魔力を完結させた。
「Eoh(死を)」
 蛇のような焔が辺りを焼いた。だというのに木々は、生い茂る草は、何の変わりもなくそこに存在している。『絶対的な守護下にある森』故か。
「……イディス」
「んー何? フィー、どうかした?」
「何をした?」
「侵入者が居ただけ。大丈夫、もういなくなった」
 これ以上問いかける事は、やめた。きっと彼は誤魔化すに違いない。長年付き合ってきて、それくらいは分かっている。
「じゃあ、早いところ街に行こっか。メアリ姉さんの結婚式も近づいてきてるもんね?」
 話を誤魔化すように別の話題を出すイディスを見て、フィーは疑問を抱いた。何が原因だと、問い詰めたくなる。訊ねればきっと彼は応えるだろう、嘘一つなく、事実だけを率直に。それが、恐ろしい。
 イディスの言葉にどう答える事もできなかった。そうする理由すら分からない。
「ふふ。――」
 微笑んで、静かにイディスはフィーの出方を待つ。彼は実に素直だ。だからこそ、答えが出ない。
「その文書、何が書かれてると思う?」
「……読んだのか?」
「いいや、まさか。君は読んでいいとは言ってないもの。だけど、――領主様たちの密談は耳に入ってきたけどね?」
 そう、彼は人間の『半人半妖精』。始祖は同じながらも、遥かに高い魔力で全てにおいて人よりも格段に優れている。
「人身御供関係の話だったから、そこまで覚えてるわけではないけど」
 ひとみごくう、人身御供。一体何のために、とフィーは思う。けれども裏腹に、答えなどすぐ傍にある。気付かないふりをして、彼はこれ以上踏み込むかと無言で尋ねているのだ。
 無言を肯定と受け取って、彼は言葉を続けた。
「そう、今度起こるという巨大な地震を治めるための魂鎮めの儀式だよ。意味無いのにね。話によればきっと、君の街は滅ぶよ。メアリ姉さんももちろん、誰一人残らないだろう。だけど領主はそれでも構わないと言ったのさ。……自分の今後の保身をしてくれるのであれば、と」
 ヒトは卑劣だね、と彼は零した。本当に、そうだ。どう否定できるだろう。力に屈服し、ただそれに敵うだけの力を盲目に求める。力を持つが故に苦しんできた彼にとっては、あまりにも滑稽なことだろう。卑劣だ。
「それを承諾した『親書』。それが、君の持っている文書の正体だ」
 彼は、あまりにも素直だ。
「だからこそこれを届ける君が危険だと思ったし、だから僕は君に無理に付いてきた。だけど此処から先に行くというのなら、君にも選ぶ権利がある。これを見過ごすか、何処かへ逃亡するか」
「お前に意志はないのか」
「意思はあるけど意志はないね。言ったでしょう? 『僕は君すら守れないほど弱くはない』って。君の選ぶ道を邪魔する理由もない」
 首を傾げてイディスは答えを待つ、静観の構え。それこそが、彼の意思で選んだ選択だ。覆す事は誰にもできない。だからこそ、答えを出さなければならない。――悩む必要が、どこにある?
「阿呆」
 イディスの頭を軽く叩く。いたっ、と彼は声を上げた。
「止めるほかに、何の選択肢があるというんだ」
「…………」
 呆気に取られた様子で、けれども小さく微笑んで。
「君なら、そう言うと思った」
 彼の笑顔は何処までも無垢で、輝いて見えた。
「じゃあ行こうか。知ってた? この森は移動するんだよ、主人である僕の命令に沿ってね」
「何処へ行くんだ?」
 楽しそうに、魔術師の高嶺の花と呼ばれる『半人半妖精』の肩書きを持つ彼は笑う。青い髪が、森の風にそよいだ。
「今回の儀式には反対派も多く居る上に、お国の許可すらもらってないらしいからね。反対派の街の領主達にその『親書』でも見せて、国家治安維持組織に訴えかけてもらえばいい」
 多数の街からの申請に、国家治安維持組織が無視をするわけはないだろう。どれほど時間が掛かるかは分からないが、やってみない理由もないだろう。
「本当に大丈夫なのか?」
 冗談と本音を半分半分、織り交ぜた言葉だった。


「大丈夫だよ。……この僕が、君の味方なんだから」

 子供らしい悪戯心が入った、頼もしい言葉が返ってきた。


 これ以上の幸運は無いだろう。
 最強の『半人半妖精』の友人が、自分の傍には残っている。

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