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B12 光の道標

大切な君に、光を贈ろう。
僕がこの手で、君の為に道を作ろう。





 近づいては遠ざかるエンジン音と、規則的に敷き詰められた石畳に打ち付けられる踵の音。
行き交う人々の朗らかな声は、歩道の端に置かれたベンチに腰掛ける二人の耳に心地よく届く。
 眩しい白のワンピースを着て腰掛けている少女は、長い睫毛を伏せて目を閉じていた。
口元は微かに笑みを浮かべ、それらの音を、まるで音楽でも聴いているかのように楽しそうに耳を澄ませていた。
彼女の細く白い手は、その脇に座る青年のシャツの端をきゅっと掴んでいる。
青年の手元は淀みなく膝の上に置かれた紙の上を滑り、色鉛筆で眼前に広がる通りの姿を描き写している。


 「ねえ、まだ?」

 すぅと通る声で彼女が聞くと、青年は通りと紙を往復していた目をふと隣に向け、

 「あと少しだから待ってて、硝子」

と、幼子を宥めるように言って、再び紙の上へと視線を落とす。

 「だって待ちきれないんだもん……早く見たい」

 硝子は大きく息を吸い込んだ。
胸の中に、ガソリンの臭いや、太陽の匂い、そして嗅ぎなれた青年の匂いがふわりと流れ込む。
再び口元を緩ませると、待ちきれないというようにゆらゆらと足を揺らした。





 丹念に磨き上げた鏡面に、自分の顔が映った。
予想以上に真剣な目をしていて、それでいてとても生き生きとしていて、思わず青年は噴き出した。
 こんな姿を見たら、きっと硝子はからかいながら楽しそうに笑うだろう。
――そんなことは、有り得ないことだけれど。

 磨き終わった三枚の鏡を三角形に接着して筒に入れ、固定する。
手馴れた仕草で筒の片側を塞いで覗き口を作り、逆さにして筒のもう一方に透明のフィルムを貼ると、戸棚の奥から小箱を取り出した。
蓋を開けると、ぎっしりと詰まったビードロやおはじきやガラス片が、一斉に光を浴びて煌いた。
 その中から透明のビードロをひとつつまむと、灯に透かして覗く。
眩しく輝くそれが、彼女の目に映る世界と似ているのか、それとも彼女にはもっと違うものが見えているのか、青年には分からない。

 硝子の目は、生まれたときから像を結ぶことができない。
しかし、光は微かに感じることができるらしい。

 青年はそのビードロをころりと掌に転がした。
それは、光を感知して輝く硝子の瞳にも似ている。
光しか映さない瞳は、まるで清らかなものしか彼女に見せないための特注品のようだ、と青年は思う。

 ビードロを小箱へと戻すと、昼間描いた通りのスケッチを取り出し、じっと眺めた。
それから徐に小箱から、ひとつ、またひとつと、フィルムの上に色とりどりの欠片を散らす。


降り注ぐ太陽の朱を。
建物の窓枠にはめ込まれた水色を。
通りを歩いていく人々のまとっていた鮮やかな色を。
誰かから、その誰かの大切な人へと声を届ける電線の黒を。
彼女のワンピースの白を――。





 「―千代紙ね」
 白い指が、大切そうに筒を撫でる。
見えないはずの模様を探すように、何度も何度も。

 「硝子、覗いてみて」

 こくりと頷いて、ビードロのような瞳で万華鏡を覗き込んだ。


 彼女は決して「ありがとう」なんて言わない。
 ただ、ただ、夢中で万華鏡を、白い左手でくるくると回しながら、耳を澄ますだけ。

 その間、青年はそっと少女の右手を引く。


 彼女は今、道を歩いているのだ。
己が与えた光だけを頼りに、記憶の中の音と匂いを結びながら。


 口元に淡い笑みを浮かべて、飽きもせずに万華鏡を覗く硝子の手に、じわじわと力を込めると、反射的にか意図的にか、ふわりと柔らかく握り返してきた。


 次の瞬間、青年の右手が、万華鏡を奪う。
――そして代わりに、薄桃の唇に温かな口付けを。


 顔を離すと、硝子が像を結ばないはずの目をぱちぱちとしばたく。


 「…どうした?」

 青年が可笑しそうに訊ねると、少女は目を伏せて、ぽつりと呟く。



 「……眩しい」

ゆっくりと顔を上げると、目を細めて微笑んだ。

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