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B11 本とキム子とスイカバー

 人口よりも野鳥が多い。住宅地より田んぼが広い。市に昇格なんてもってのほかで、今時住所に郡がつく。
 7月のある日、そんな町の裏山に流れ星が落ちた。
 落ちた星は四方八方に光を放ち、この町を包み込んで消えた。偶然近くを飛んでいたテレビ局のヘリコプターがその様子を撮影し、超常現象だと騒ぎ立てた。
 けれど、本当の超常現象はこの後起きる。
 きっかけは、テレビの取材を受けていた町の人間が突然空に浮かんだことだ。浮かんだ本人も何が起こったのかわからず驚いて、テレビ局の人たちはもっと驚いた。超常現象の専門家だと言う人間が何人もやってきて町は大騒ぎになった。
 数週間にわたる調査の結果、専門家たちは一つの結論を出した。
『流れ星の光を浴びた人間が何らかの特殊能力に目覚めた可能性がある』
 その日この町にいた全員が各々個別の特殊能力を持ってしまったのである。テレビ局は沸き立ち、住民たちは戸惑った。自覚症状など何もなかったからである。
 住民たちは自分の特殊能力が何なのか探り始めた。テレビも連日それを取り上げて支援し、個々の能力が次々と判明していった。

 例えば、野菜を握っただけで賞味期限がわかる奥さん。
 例えば、面と向かった相手の実年齢がわかってしまう若い男性。
 例えば、つぼみを見ると何日後に花が咲くのかわかるご老人。

 全国のお茶の間の皆さんが期待するような特殊能力を持つ人間はほとんどいなかった。住民たちが目覚めた特殊能力は使い道が限定されており『あったら便利だけどなくても別に困らない』ものが多数であったのだ。
 いつしか、町からは野次馬が消え、テレビの人間が消え、怪しげな研究者たちが消えた。流星事件から半年経ったころには、町は本来の静かな生活を取り戻していた。
 それが今から10年前の話である。



 須藤貴司は畳の上に寝転がって天井を見ていた。昼寝をしたいが暑くて眠れたもんじゃない。8月。夏真っ盛り。
 クーラーなんて高尚なものはこの部屋にないから、ゆっくり首を左右に振る扇風機と窓から入ってくる風で暑さをしのがなければならない。加えて開けた窓から聞こえてくるのは、うるさい蝉の声。両耳を塞いで少しでも涼しい方にと寝返りをうつ。
 その拍子に腕が文庫本の山にあたった。
「誰だよ、こんな所に本を積んだやつは」
 自分に対する嫌がらせとしか思えないので、反対側に寝返りをうってそこから離れた。
 貴司のいるこの場所は商店街にある喫茶店の二階。数年前、地域の子供たちが集まる場所を作ろう、とオーナーが二階を開放したのだ。それ以来、この場所は貴司たち近所の小学生のたまり場になっている。今日、貴司が一人でここにいるのはみんなが川遊びに出かけてしまったからだ。泳げない貴司は川に行かず、ここで昼寝をするのだ。
 この部屋にはいろいろなものが置いてある。漫画、オセロ、けん玉、カードゲームのデッキ……。児童書や文庫本はオーナーや近所の大人たちが寄付してくれたものだが、普段は使われずに本棚にしまわれている。こんな所に積んであるのは、多分、夏休みの宿題の読書感想文のためだろう。
 そう、読書感想文。
 六年生の貴司にも読書感想文の宿題が出た。小学校生活最後の夏休み、宿題を残さず悔いのないように終わりましょうね、なんて担任の先生は言っていた。
「感想文、苦手なんだよな」
 憂鬱な顔で貴司は起き上がり本の山を見る。ただでさえ苦手なのだから早めに取り組んだ方が良いに決まっている。どうせ暇だし、本ぐらいは選んでおこう。
 貴司は本のタイトルをじっくりと観察した。見たところ全て小説である。悩んでいても仕方がないので、とりあえず一冊を掴んで目を閉じた。

 ストーリーが頭の中を駆け巡る。

「……感想が書きにくそうな話だ。ハズレかあ」
 目を開け本を放り出す。
 10年前、2歳だった貴司も星の光を浴びた。貴司の特殊能力は『本に触れただけで内容がわかる』ことである。ただし、この能力は小説のみに有効な上、一度に多くの本に触れるといろいろな内容が一気に流れ込み、頭痛とめまいに襲われる。不便なことこの上ない能力だ。
 一冊目がハズレだったのでやる気がなくなり、貴司は再び寝転がる。しばらくして、階段を上がってくる足音が聞こえ、五年生のキム子が顔を覗かせた。
「あ、タカやん。一人でどうしたの?」
 ここでは、年の近いものはみんな互いをあだ名で呼ぶ。
「キム子こそ、川に行かなかったのか?」
「うん」
 貴司の足元に散らばった文庫本に目を留め、キム子は顔をしかめた。
「もう、散らかしたの誰?」
「オレじゃないって」
「知ってるよ。タカやん、本に触るの嫌いだもんね」
 キム子は手早く本を集めると棚に戻していった。貴司は手を出さずにそれを見る。
 再び、階段を上がってくる音がした。現れたのは、下の喫茶店のウエイトレスである一美さんだ。都会で生まれた一美さんは何故かオーナーに惚れてこの町にやってきた。そして、もうすぐオーナーのお嫁さんになる。
「暑いでしょ。はい、これ」
 その一美さんはアイスを持っていた。スイカバーとアズキバー。歓声を上げ伸ばした貴司とキム子の手がスイカバーの上でぶつかる。
 睨み合い火花を散らす。どちらにも引く気はない。
「早く決めないと、とけちゃうわよ」
 一美さんが楽しそうに言う。キム子は、名案があるという顔をした。
「よし、タカやん。ここは公平にじゃんけんで決めよ」
「嫌だね」
 10年前は1歳だったキム子も特殊能力を持っている。キム子は『じゃんけんで相手が何を出すのかわかる』のだ。ここの連中はみんなそれを知っているから、キム子とは絶対にじゃんけんをしない。
 こういう時は別の方法をとるのだ。貴司はその辺に転がっていたサイコロを拾い上げた。
「キム子、偶数と奇数のどっち?」
「……偶数」
 神妙な顔でキム子が答える。貴司はサイコロを転がした。出た目は2。偶数だ。
「いっただきます!」
 嬉々としてキム子はスイカバーの袋を開ける。対照的に、貴司はふくれっつらでアズキバーを開けた。その様子を見て一美さんが笑う。
「オーナーに、スイカバーをいっぱい買ってくるように頼んでおくわね」
「お願いします」
 ふくれたままでそう言った貴司に向かってキム子は赤い舌を出し、そして笑った。



 カンケリをしたことがない下級生がいるというので、次の日は朝からカンケリ大会になった。泳ぐわけではないので貴司ももちろん参加する。
 ただし、貴司たちのカンケリは普通とちょっと違っている。貴司と同い年のカッちゃんがずっと鬼の役なのだ。カッちゃんは『その辺にある軽い物を一瞬だけ浮かせる』ことができる。カッちゃんが逃げる役になると、少し離れた場所からカンを倒してしまうので、鬼が泣く羽目になるのだ。
 三回ぐらいやったところで、カッちゃんが飽きたと言い出した。気温も上がり暑くなってきたので、昼からは川に行こうという話になった。
 そういうわけで、貴司は昼ごはんの後、また喫茶店の二階にきた。昨日と同じく昼寝をしようと頑張っていると、昨日と同じようにキム子がやってくる。
「タカやん、タカやん、聞いて!」
「キム子、カンケリ来なかっただろ」
 川へも行かなかったらしい。文句を言いながら貴司は上半身だけ起き上がったが、キム子は聞く耳を持たない。
「イケメンを発見した」
「こんな田舎にイケメンがいるのか?」
「都会から来た人。源さんのお孫さん!」
 源さんとは町の外れの田んぼをいつも耕しているおじいさんである。
「お孫さんいたんだ」
「小6だって。さっき見に行ったら家の中で読書してたの! その姿がかっこいいの!」
 貴司は眉をしかめた。
「ね、ね、タカやんも一緒に見に行こう」
「何でオレが?」
「イケメンと同い年でしょ。話しかけて友達になって!」
「お断り」
 貴司は再び寝転がった。キム子はしばらく文句を言っていたが、諦めて外へ出て行った。また見に行くのかな、と思いながら貴司はその後姿を見送る。
 夕方になり、そろそろ帰ろうかと伸びをしていると、またキム子がやってきた。興奮した様子で身を乗り出して喋る。イケメンと仲良くなれたのだそうだ。
「宮内くんってすごいんだよ。本をたくさん読んでるの。今はね、ええっと……ア、アサガ何とかって人の本にハマってるんだって!」
 イケメンの苗字は宮内というらしい。そういえば源さんもそんな苗字だった。
 宮内の素晴らしさを好きなだけ語り、キム子は帰っていった。その姿を見送ってから、貴司は立ち上がった。アサガ何とかという作者の本は本棚の中になかった。
 次の日。
 みんなは朝から泳ぐと言うので、貴司はいつものように喫茶店に向かった。商店街に入るとキム子がいた。見覚えのない少年と談笑している。
「あれが、源さんのお孫さんの……」
 遠目に見たが、細っこくて色白で眼鏡をかけていて、どうにも頼りなかった。けれど、キム子は楽しそうに喋っている。
 2人が駄菓子屋へ入るのを見て、貴司は気づかれないよう後を追い、駄菓子屋の中を覗き込んだ。2人は店の奥にあるアイスボックスに向かっている。
「私、スイカバーが好きなんです」
「僕も好き。ああ、でもスイカバーを食べるのは久しぶりだな」
 仲良く笑いながら2人は店のおじさんに、スイカバーを2つ注文した。店のおじさんは困ったように頭をかく。
「ごめんねえ。売れちゃって1個しか残ってないんだよ」
 キム子と宮内は顔を見合わせた。先に口火を切ったのは宮内である。
「木村さん食べなよ。楽しみにしてただろ」
「ううん、私はいいよ。宮内くんこそ、久しぶりなんでしょ。食べなよ」
「僕はいいよ。木村さんこそ……」
「あ、じゃあ、じゃんけんしない?」
 宮内は笑って頷く。
「そうだね。じゃあ、うらみっこなしで」
 じゃんけんほい。
 宮内が出したのはグー。キム子が出したのはチョキ。
 それを見て貴司は店の前から離れた。



 喫茶店の二階で汗を流しながら寝転がっていると、一美さんが上がってきた。そして、スイカバーを貴司のおでこに当てる。
「はい。オーナーがたくさん買ってきてくれたよ」
「……商店街の駄菓子屋で?」
「うん。よく知ってるね」
「オーナーは昔から間が悪いんだ」
 貴司は起き上がってスイカバーの袋を破った。その横に一美さんが座る。
「タカシくん、どうしたの? 元気ないよ」
「暑いんだよ」
「キムちゃん、宮内くんと仲良くなれたみたいだね」
 思わず振り向くと、一美さんは人の悪い笑みを浮かべていた。
「驚いた? 一美さんは何でもお見通しなのだ」
 貴司は視線を逸らしスイカバーをかじる。
「キム子ってああいうのがタイプなの?」
「どうして?」
「キム子、わざとじゃんけんに負けて、あいつにスイカバーを譲ってやったんだ」
「ふうん」
「オレが相手なら絶対負けないくせに」
 一美さんは楽しそうに笑った。貴司が睨むと謝りながら咳払いをする。
「この町には宮内くんみたいな草食系男子がいないから、珍しいんじゃないかな」
「あいつ、頼んないよ。本を読むのが好きなんだって。アサガ何とかって人の本を読んでるんだって」
「アガサ・クリスティね。ミステリーの女王と言われている人で、あっと驚くような犯人とか、びっくりするようなトリックを使った話が多いの。最後まで読んだらね、ああそうか騙された! ってなるのよ」
「そんなのどこが面白いんだよ。全然、わからない」
 貴司は乱暴にスイカバーを噛み砕く。
「まあまあ、張り合うな、少年」
「張り合ってない」
「でも、本当にキムちゃんが宮内くんのことが好きなんだったら、かわいそうね。宮内くん、明後日には帰っちゃうんだって」
 頭の中に、楽しそうに宮内のことを話すキム子の姿が浮かんで消えた。貴司はスイカバーを噛みしめる。
「夏休み中いるんじゃないの?」
「最初から一週間の予定だったらしいよ」
「キム子は知ってるの?」
「さあね」
 貴司の頭の上に手を置いて、一美さんは優しく言う。
「そんな顔しなさんな。これからどうするのかは、キムちゃんが決めることよ」



 次の日の朝はみんなでサッカーをやったが、やはり昼が近づくと川遊びに変更になった。当然のように貴司はそこから抜けて喫茶店の二階へ向かう。
 今日は先客がいた。キム子だ。膝を抱えて部屋の隅でうつむいている。
「サッカー来なかったな」
「失恋しちゃったの」
 キム子はそう答えた。
「この町はすごく遠い場所で、木村さんはこの町の人だから無理だって言われた」
「そう」
 貴司は寝転がった。そして、すすり泣くキム子の声をBGMに、いつものように昼寝を始める。
 そしてまた次の日。貴司はカッちゃんを誘ってバス停に向かった。数人の客がバスが来るのを待っていて、その中には宮内の姿もあった。宮内は本を読んでいる。付き添いの源さんは隣にいるおばさんと喋っていた。
 それを確認して、貴司はカッちゃんと2人で歩き出した。顔見知りの大人に挨拶をしながらバス停の前を横切り、貴司が宮内の前に差しかかった。その時。
「あ……」
 前触れもなしに宮内が本を取り落とした。貴司は目の前に落ちたそれを屈んで拾い、一瞬だけ目を閉じる。
 立ち上がって目を開け、宮内に本を手渡した。
「どうぞ」
「ありがとう」
 お礼を言う宮内に、貴司は笑って言った。
「オリエント急行殺人事件か。この本、面白いですよね。だって、犯人が……」



 複雑な顔でバスに乗って去っていった宮内を貴司とカッちゃんは見送る。
「なあ、タカやん。これどういうこと?」
「個人的な仕返し。協力してくれてありがとう、カッちゃん」
「本を浮かせるぐらい余裕だって」
 突然浮き上がった本を宮内は取り落とした。それを貴司が拾ってあげて、親切にも犯人まで教えてあげたのだ。
 結末のわかった推理小説を宮内は読むのだろうか。あの顔では多分読まないだろう。読書好きなんて笑わせる。ストーリーがわかってしまえば、本も開かないくせに。
 こっちは結末がわかっていても、本のページをめくらなければならないのだ。
 川へ遊びに行くカッちゃんと別れて、貴司は喫茶店に向かった。二階では今日もキム子が膝を抱えている。一美さんにアイスをもらい、貴司は階段を上がった。
「キム子、スイカバーとバニラアイス、どっちがいい?」
「……スイカバー」
「オレも。じゃあ、じゃんけんで決めよう」
 キム子が目線だけ上げて貴司を見た。
「いくぞ、じゃんけんほい」
 貴司が出したのはグー。
 キム子が出したのはパー。
「……はい、どうぞ」
 スイカバーをキム子に手渡し、貴司はバニラアイスの蓋を開けた。

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