作品・作者一覧へ

B07 俺は不良

 俺は不良。道を外れた不良だ。
 時代遅れの男と言われてもいい。髪はリーゼントで、丈の短い学ランを着ている。俺の通う高校の標準服はブレザーなので、この服装は校則から大いに外れている。我ながら、素晴らしい不良ぶりだ。惚れ惚れするぜ。
 そんな俺だが学校帰りに、大変なものを見つけた。子猫が……! 痩せた子猫がダンボールの中で、雨にうたれている。ダンボールには、誰か拾ってくださいと無責任な文字。なんてかわいそうなんだ。俺は子猫を抱き上げて、家に連れ帰ろうとした。
 そのとき俺の前に、ブルーの傘が現れる。傘の下から出てきた顔に、俺はぎくりとした。ぱっちりとした目はぱっちりとしすぎて、気の強い印象を与える。ふち無しの眼鏡をかけて、淡い茶色の髪は三つ編みにしている。
「お前はクラス委員長」
 不良である俺と対極に位置する女だ。同じクラスだが、――家も近いらしいが、まともに話したことはない。お互いにこいつとは合わないなと思って、なんとなく避けている。
「何をやっているの?」
 彼女は鋭い声で問いかけた。
「その子猫をどうするつもり? まさか動物虐待」
「くっ、見られてしまったのなら仕方が無い」
 腕の中で、子猫がにゃーんと鳴く。
「俺は不良だが、人としてこの子猫を見過ごすわけにはいかないんだ!」
 あぁ、なんてかわいいんだ。俺のハートは一瞬でとろけて、子猫ちゃんにメロメロだぜ!
「いや。拾って育てるのなら、文句は」
「悪いが、委員長!」
 彼女の台詞をさえぎって、俺は叫んだ。
「俺は早く家に帰って、子猫にノミ取りシャンプーをして、猫用ミルクを飲ませたいんだ」
 そして暖かい毛布で包んで、眠らせたい。にゃんこの寝顔を想像しただけで、――駄目だ、もう我慢できない!
「また明日、学校でな!」
 俺はダッシュで逃げた。
「ちょっと待って! なんで逃げるの?」
 委員長の声が追いかける。
「明日、また明日ね!」

 俺は不良。道を外れた不良だ。
 こんな俺を見て、母は涙を流して、腹を抱えて笑っている。……おかしい。そのリアクションは間違ってないか? 不良の親として、もっと他にやるべきことがあるだろう。そして父は背中を向けて、笑いをかみ殺している。妙な行動をする親たちだ。
 そんなことは置いといて。不良たる者、毎朝遅刻ぎりぎりで学校に駆けつけなければならない。クラス担任の教師は、俺が遅刻するかどうか正門のそばで見張っている。彼は俺を、ビーカーの中の不純物のように敵視しているのだ。……多分。
「今日は閉門四十六秒前に到着。いつもどおり遅刻ぎりぎりだね」
 俺は担任をにらみつけた。
「たりめーだろぉ、俺が遅刻すると思っているのか」
「思ってないよ。君は時間に正確だからね」
 何が面白いのか、にこにこと笑う。そして昨日は三十五秒前、おとといは五十二秒前、三日前は二十九秒前だったねと補足する。
「毎日、閉門一分前から一秒前までに来るから、すごいよね」
「ふっ、俺をなめるな」
 俺は不良らしく髪をかき上げた。
「遅刻ぎりぎりとは、こういうことをいうんだ」
 わー、えらいえらいと担任は手を叩く。
「ところで、化学の宿題はやってきたかい?」
「べ、別にやりたくてやったわけじゃないからな!」
 予習も復習も、嫌々やっているんだ。
「俺が授業を楽しんでいると思って、調子に乗るなよ!」
「やりたくてやる生徒は少ないと思うけどなぁ」
 ぼやく担任に、俺は馬鹿なことを言うなと怒鳴り返す。
「みんな好きでやっているに決まっているだろ。イオン化傾向とか芳香族化合物とか結晶格子とか、めちゃめちゃ面白いじゃないですか!」
 俺は肩を怒らせて、校舎へ向かった。相変わらず彼は、寝ぼけた発言をする。しかし俺が不良である以上、彼と戦わなければならない。今日の俺も、きちんと不良っぽいぜ。教師に対して敬語を使ってないしな! ……たまにうっかりして、ですます調になるが。

 俺は不良。道を外れた不良だ。
 そんな俺だが今、困っている。日曜日の今日、委員長が子猫を見に俺の家へやって来るのだ。あの日以来、彼女とはよく話すようになった。そして会話の流れという不可抗力により、俺は彼女を家に誘ってしまった。なんということだ! 俺は不良にあるまじき失敗をした。
 リビングの中おろおろと歩き回り、どうすればいいんだと頭を抱える。そしてインターホンの音に、本気と書いてマジと読むぐらいにびびった。
「来たーっ!」
 キッチンでマフィンを焼いていた母が大はしゃぎで、玄関へ突撃する。
「待て、母よ!」
 俺は出遅れた。玉子や薄力粉のタイムセールじゃないんだ、家の中を走らないでくれ!
「いらっしゃーい」
 母は玄関の扉を開けて、びっくり顔の委員長を家に入れた。
「やーん、かわいい! 不良のガールフレンドは優等生、少女マンガの定番よね」
 彼女は目をぱちぱちとさせた後で、頬や耳を赤くする。
「私は子猫を見に来ただけですから!」
「まぁまぁ、靴を脱いで上がってちょうだい」
 母に促されて靴を脱ぐ委員長は、普段のおさげ髪ではない。ゴムで縛らずに、背中に流している。
「髪が長かったんだなぁ」
 今まで気づかなかった。髪型が違うせいで、えらく女らしい雰囲気になっている。
「なんでいつも、くくっているんだ? 校則じゃないだろ」
 俺たちの高校の校則はゆるい。校則を破ろうとすれば、俺のように相当な努力が必要だ。
「私、くせ毛なの。三つ編みできつく縛らないと、髪が跳ねるのよ」
「今日は跳ねてないじゃないか」
 朝からドライヤーとブラシで直したと、彼女は身振り手振りを交えて説明した。
「すごく手間がかかるから、毎日は無理なの。だから髪を下ろすのは」
 ぴたっと口を閉ざす。そして俺の目を見て、続きを言った。
「特別な日しか、髪は下ろさないの」
「そっか、大変だったんだな」
 リビングから、にゃおんと子猫の甘える声がする。
「あ、昼寝から起きたみたいだ」
 ちょうどいいタイミングで起きたものだ。俺はいそいそとリビングへ戻る。
「ごめんなさいね、鈍感な息子で」
 母の苦笑いが、玄関から聞こえた。

 俺は不良。道を外れた不良だ。
 夕暮れの放課後は、近所の高校の番長と川の堤防で決闘をする。素手で殴り合い、武器などという卑怯なものは使わない。拳を振るった後は、二人で仲良く寝そべって、おしゃべりをする。
「俺、喧嘩はやめようと思う」
 俺は番長に向かって宣言した。
「何だって?」
 彼は驚いて起き上がる。
「更生したいんだ」
 彼女のために。まっとうな道へ戻ろうと思う。
「だからこれからは、番長とは会えない」
「なぜだ?」
 彼は泣いていた。まさに男泣きというもので、俺は胸を打たれた。
「お前がいなくなったら、俺は一人になってしまう」
 彼は情に厚く、多くの友人がいる。だが不良仲間は俺しかいない。
「お願いだ、俺を置いて行かないでくれ」
 もはや不良は絶滅危惧種だ。俺たちはずっと、身を寄せ合って生きてきた。けれど、
「すまない」
 すると番長は激情のあまり、体の上に乗ってくる。
「俺のことが嫌いになったのか!?」
「番長のせいじゃないんだ。これは俺の問題で」
 彼のつぶらな瞳から、滝のように涙が流れた。
「俺にはお前だけだ。どうか見捨てないでくれ」
「俺も番長のことは大好きだ。でも暴力を伴う行為は」
「そういう趣味だったの?」
 そのとき、冷たい声が降ってきた。顔を上げると、体をぶるぶると震わせた委員長が立っている。
「不潔よ、不潔だわ! こんな場所で、しかも男同士で、さいってぇぇええ!」
「違う、誤解だ!」
 走り去る彼女を、俺は追いかけようとした。しかし番長が体の上からどかない。
「俺よりも女を取るのか!? しょせん男の友情なんて、そんな程度だったのか!?」
「頼む。今は離してくれ!」
 俺は押しつぶされた。そして遠ざかる委員長の背中に手を伸ばす。俺は、……俺は君が好きなんだーっ!
「カムバーック、委員長!」
 大きな夕陽に向かって、バカヤロー! と力いっぱい叫んだ。

「そしてパパは番長を説得して、ママを追いかけたんだよ」
 俺の青春の思い出を聞いた息子は、しらーっとした目で俺を見返した。むむ。高学年になってから、何かと生意気な表情をするようになったな。
「パパが動物のお医者さんになったのは、捨て猫を拾ったから?」
「いいや。パパはもともと動物が好きで、猫を拾ったのは初めてではなかった」
 ただ猫を拾う現場を目撃されたのは、初めてだった。あのときの猫は、まさにキューピッドだったわけだ。ちなみに現在、我が家には三匹の猫がいる。そのうちの一匹は、俺の膝の上で眠っている。
「ふーん」
 ぷいとそっぽ向いて、息子はリコーダーの練習を再開させた。よどみなくメロディーが流れる。聞き覚えのある、俺も小学生のときに習った曲だ。ふつふつと、楽譜通りの道から外したいという欲求がわき起こる。あの頃の不良少年はまだ、俺の心の中に住んでいる。
 俺は膝の上の猫を移動させて、息子の小さな背中に忍び寄った。色素の薄い茶色の髪は、母親似だよな。そして脇を、うりゃっと指で突っつく。ぱぽーと音が飛び跳ねた。
「パパ!」
 息子は怒って、真っ赤な顔で振り返る。
「いたずら成功!」
 俺はおどけて逃げ回る。うわっ!? つばを飛ばしてきやがった、汚いな! 道を外れても、ど真ん中を歩いても、おかしな道に迷い込んでも。愛しているぞ、我が息子よ!

B07 俺は不良
作品・作者一覧へ

inserted by FC2 system