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A07 ドM道

 道なる生物、発見。
「思いっきり誤字ってんじゃねーか」
 ヨシナカ・クロードは舌打ちしながら携帯電話を閉じ、待ち合わせ場所に向かう。
 異国の空気を吸う度、まるで血液から入れ替わるような錯覚に陥る。自国とは違う空の色が何だか妙に切ない気分にさせ、彼の足を速めた。
 彼の仕事は、未確認生物の調査・研究である。はっきり言って、世間からは未だに嘲笑される分野だ。最近になってようやく国際的な機関が設立され、学会の体裁も整ってきた段階である。支援者もだいぶ増えた。費用だけが嵩んで、思うように研究が進められない日々は、終りを告げようとしていた。
 思えば、昔から幽霊だの妖精だの見えていたのに、親からは気が狂っていると言われ、友人たちからは笑いの種にされてきた。その悔しさが、彼を今の職業に押しやったのかもしれない。やつらがいるということを証明したくて、がむしゃらに努力してきた。気がついたら、とっくに普通の人生のレールからは外れていた。
 今回は、数ヵ月後に控えている定例報告会のための、相方である弟と二人での調査だった。この日は、弟と手分けをして、未確認生物を探していた。そして、弟がとうとう標的を発見したわけだ。
 弟もまた、自分と同じ、不思議な物が見える人間だった。まだ若すぎるのに、クロードが苦労して切り拓いた道を颯爽と駆け抜けるかのように、研究者としての地位を確保していっている弟の姿は、若干妬ましい。しかし、今となっては、弟はクロードの活動に欠かせない人物だった。
「兄ちゃーん!」
 合流地点に向かうと、無邪気に手を振るトーシローの姿があった。ただでさえ年齢が低いのに、弟の振る舞いは彼を益々幼く見せている。クロードは溜め息を吐きながら、軽く手を挙げた。
「悪い、待たせたか」
「ううん。僕もここまで戻ってくるのに時間がかかったんだ。さ、行こ」
 トーシローはクロードの手首を掴んで引っ張る。
「あ痛ぇえっ!」
 思わず変な声が出てしゃがみ込む。トーシローは、力がとてつもなく強い。クロードが辟易するような険しい場所も、難なく進んでしまうほどの体力と身体能力の持ち主だった。不意に掴まれたものだから油断し、危うく手首が脱臼するところだった。
「ちょ、おま、馬鹿力自覚してるなら、もっと優しくしろよ!」
「あ、ごめん」
 そう言って、全然悪気がなさそうな弟に怒る気も失せ、クロードは立ち上がってトーシローを追うように歩き始めた。
 何時間も山のなかを歩いているというのに、トーシローは全く疲労していない様子だった。クロードは、弟よりもずっと狭い範囲である自分の持ち場を休憩しながらうろついていただけだというのに、もう息が上がっている。泣きごとを言いたいところだが、兄としての矜持がまだあって、それだけは言えなかった。
「あともう少し。ほら、気配がだんだん強まってきているでしょ?」
 トーシローは耳を澄ませるように眼を閉じた。しかし、クロードにはまだ何も感じられない。弟にとっては近く、自分にとっては遠いところに例の生物はいるのだろう。こういう時、自分と弟の器の違いを思い知る。
 昔から、自分より弟のほうが未確認生物との交流が上手かった。調査活動だって、自分が先に始めたのに、一気にトーシローに追い抜かされた。切っ掛けはクロードが少し与えるだけでいい。それだけで、弟はどこまでもそれをバネに飛んでいけるのだ。
 気配の感じ方だってクロードが教えたのに、すぐにトーシローのほうが優れた才能を発揮した。今回の調査地であるこの外国だって、トーシローが気配を感じたからやって来たのだった。クロードは海を越えた気配は感じることができなかった。
 敵わないなぁ。こういう時、どんな表情をすればいいのだろう。不器用な笑顔になりながら必死で呼吸を整えて、クロードはトーシローについて行く。そうしている内に、次第にクロードにも未確認生物の気配が感じられるようになった。ああ、もう近いのだ。
「ほら、着いたよ!」
 連れて来られたのは、人々が日常的に通る道から外れてかなり奥まった場所。かろうじて朽ちた柵や石畳がいくらか残っているような、小さな隙間としか言えない古道だった。大地から、未確認生物特有の気配は立ち上っている。しかし、どこにもそれらしき姿は見えない。
「どこだよ」
「だから、そこだって」
 お前には見えても、俺には見えねーよ。クロードは心の中で毒づいた。ということは、少々手ごわい生物だろうか。そうすると、俺じゃ手に負えない。でも、まだトーシローは調査能力が一人前であって研究のほうは勉強中の身だし、俺がしっかりしてなきゃ……。
 うだうだ考えながらクロードは、道に足を踏み入れた。
「ああっ、いい……」
 一瞬、空耳かと思った。しかし、確かに声がした。何というか、できれば聞きたくないような種類の。クロードは訝しみながら更に足を進める。一歩ごとに、声がする。
「う、ああ、何という幸せ……」
 盛大に眉をしかめながら、クロードは下を見た。気配は、自分の足の下から感じる。クロードの視線に気がついたそれは、吐息交じりの甘い声で囁いた。
「あの、すみません、そのぅ……もっと私を踏んでくれませんか?」
 クロードは一瞬固まった。
「な、な、なんじゃこりゃあああああっ!」



「兄ちゃん、ちゃんと人のメール見てよ。言ったじゃん、<道なる生物>って」
「ああ、兄ちゃんが悪かった。お前は間違っていない、間違ってはいないが」
 クロードは、動揺を抑えようと持参した水筒に手を伸ばした。が、あまりに手が震えて、うっかり零してしまった。
「はあ……沁みる……人の飲み物に触れるなんて、何十年ぶりでしょうか……」
「まさか、道そのものが未確認生物だなんて、思わなかったんだ!」
「だって、既に報告されてるじゃん。建物とか山とか物体そのものが命を得るってやつ」
 もちろん、それらの存在はクロードも知っているが、物に宿った魂の大抵は具現化して人間などの動物の形をとったりするケースが多い。物体がそのまま命を持つという事例は、実を言うとなかなか少ない。
「……それは兄ちゃんの専門外だ。兄ちゃんは龍とか人魚姫とか妖精とかが好きです」
「じゃあ、私は嫌いなんですか!」
「お前は黙ってろ!」
 クロードは腰にぶら下げた銃を地面に向かって構える。ひいぃっ、という情けない悲鳴が上がり、食事休憩をとっていたトーシローが呆れた声を出す。
「兄ちゃん、銃刀法違反」
「ばーか。ここは日本じゃねーよ」
「あ、そっか」
「いやいやいや、いくらなんでも銃を無闇矢鱈と振り回すのはどの国でもいかがなものかと……」
 クロードが睨みつけると、道は黙った。別に道はただの道であって身体も何もないわけだが、慄いていることは気配でわかった。精霊とか幻獣とかは気位が高く、時に人間に対して傲慢に振る舞うこともある。しかし、こいつは何なんだ。気弱だし、変態だし。
「いいですか? 道っていうのはですね、踏まれることに意味があるのですよ。人間や獣が踏んで歩いてくれることが何にも勝る喜びなのです!」
 クロードはわざと大きな音を出して、思いきり地面を踏みつけた。そして、足首のスナップ効かせてグリグリと踏みにじった。爪先が左右に揺れるにつれ、どんどん土が削られて、足の両脇に寄せられる。
「これでもお前は喜ぶのか?」
「気持ちがいいことは否定しません」
 否定しろよ。何だか馬鹿らしくなったクロードは、手に持った銃を元の位置に収めた。
「だって、獣はたまに来てくれるけれど、人間が来ることなんて滅多にないんです。私が、私として自我を持ってから一度も、人間なんて来ていないんじゃないですかね」
「自我を持ってから、一度も?」
 最後の一口を口の中に放り投げたトーシローが、小首を傾げる。
「はい、もう日にちを数えることもしなくなりましたが、<道>としての私が造られた時から考えると、私がこうして自我を持ったのはつい最近のことなんでしょうね。その時には既に、私は世間から忘れられた存在となってしまっていたようです」
 表にある登山道も、出来てからかなり年数が経っていた。おそらくそちらが拓かれてから、この道は放棄されたのだろう。残った柵を見ると、どんなに少なく見積もっても百年ほどは前のものだ。
「ミッチーみたいなのも僕ら聞いたことあるけれど、大体は、人々が使いこんで思い入れが込められている間に魂みたいなものが生まれるんだ。忘れ去られてからっていうのは、あんまり聞かないなぁ」
「はぁ……ところで、その、ミッチーというのは?」
「えーっと、君みたいなのを僕らの国ではミチって呼んでるのね。で、それをあだ名っぽく、ミッチー」
 道の気配が、パッと明るくなったような気がした。
「そんな、名前を付けて下さるなんて……私、自分が現役時代、何て呼ばれていたのかさえ知らないんです。嬉しい……誰かに自分の存在を認めてくれるのって、こんなに嬉しいものだったんですね。今、初めて知りました」
 急に湿っぽさを感じる。もしもこれが人型に実体化していれば、確実に泣いていただろう。
「一応、獣はこの辺、通るんですよ。彼らは人間の作った道に従う必要ありませんからね。でも、私はどうも存在感がないらしくて、皆通り過ぎてしまうんです。ましてや、人間は全然来ないし……。ずっとこのままだろうって思っていたから、まさか今になってこうして、私の声が聞こえる人間が二人もやって来てくれるなんて……」
 ふと、クロードはトーシローと目が合った。トーシローはにっこりと微笑む。クロードは無意識に目を逸らしてしまった。
 別に、自分は何もしていない。海や山を隔てた遥か向こうの国で未確認生物の声がすると言ったのも、実際にこの変態な道を見つけたのも、弟だ。クロード自身は何もやっていない。
「僕らはそういう人間なんだよ。なんかね、多分ミッチーが寂しいって感じたから、それがちょうどこっちまで届いて、それで僕らがここまで来れた。ね、兄ちゃん」
「ん? ああ……」
 愛想のない返事にも拘らず、トーシローは嬉しそうに笑った。全く、無邪気っていいなぁ。クロードは、崩れた姿勢を正した。
「それにしても、どうしてお前に自我っていうものが芽生えたのかねー」
「私には全く見当もつきませんよ。私はまだ、私のことがよく解っていないんです。この件に関しては、貴方達の方がご専門では?」
「俺達の仕事の順序としては、まず目当ての物を見つける。次に、そいつについて調べる。色々検証したり実験する。報告書にまとめる。学会とかで発表。以上だ。今はまだ、その一段階目なんだよ」
「とりあえず、僕達は今日のところはミッチーに会えただけでも良かったかな。明日以降は一回、地元の資料を漁って、ミッチーの背景とか調べないとね」
 道の気配がサッと曇った。こういった変化は、流石にクロードでも分かる。
「もう来てくれないんですか?」
「人の話聞いてろよ。検証とかするからまた来るっつってんだよ」
「もしそれが終わったら?」
「また次のターゲット探すとかかな。レーダーはこいつが引き受けてくれるから、どうにかなる」
 そう言ってトーシローの頭を叩いた瞬間、自分が猛烈に虚しくなったクロードだった。トーシローはますます落ち込む道の表面にそっと手を置いた。
「その後どんな風になるかは、上の人の判断次第なんだ。ミッチーみたいなのは貴重だから引き続き調査って言われるかもしれないし、もしかしたら別のやつ探すかもしれないし」
「も、もしも、調査が終わっちゃっても、また会いに来てくれたりしますか?」
 兄弟は目を合わせて、考え込んだ。クロードが先に口を開いた。
「日本国内ならともかく、こんな外国の片田舎じゃ無理だな。俺達そんなに金ないし」
 表記が難しいような唸り声をあげながら、道は泣きだした。何だか、乾いていたはずの土が若干湿っぽい。
「独りは嫌ですよー。どうして、どうして」
「ミッチー、泣かないでよ。しばらくは僕達この国に留まるからさ」
「ひっく、ずびばぜん……。人と会話したせいか、どうも涙もろくて……」
 トーシローは思いつく限りの言葉を口にし、道を慰める。こういう時、未確認生物の精神を落ち着かせるのは彼の役目だった。トーシローに色々と教え始めた時は、クロードの方が慰めたり楽しませるのが上手かったのに、いつの間にかトーシローの方が未確認生物達に好かれていた。その分、クロードはどんどん彼らとのコミュニケーションが取れなくなっていった。
 弟の後姿と彼から伸びる影を見つめ、クロードは空を見上げた。朝からこいつの捜索をして、気がついたらもう夕暮れ。宿に帰る時間を考えたら、今日の活動はここでお終いだ。
「とりあえず、俺達は、今日はここで帰る。明日は聞込みとかだから来られないかもしれないが、なるべく早くまた来る。だから、しばらく待ってろ」
「……わかりました。その前に、お願いがあります。私を一往復してから帰って下さい」
「はぁっ?」
「それだけで、数日は私幸せです。お願いです、思いきり踏んで下さい!」
 クロードはそのまま逃げ帰りたかったが、トーシローがどうしてもと言うので、仕方なく二人並んで一往復する羽目になった。変な声付きで。これは拷問だろうか。
「お前、本当に変態だな」
「そんなこと言ったって、私にとっては人に踏まれることが大事なのですよ。だって、必要としたから誰かが森を切り開いて私を作り、私が必要だから皆が歩いていたんでしょうから。踏まれるということは、生きている実感なんです」
「俺にはよく解らないよ」
「お二人とも、道を歩くときは気持ちを込めて歩いて下さいね。それは、偉大な誰かが拓いて整えてくれたのかもしれません。そういう人がいるから、私達は存在し、貴方達は様々な場所をきちんと歩くことができるんです」
「吐息交じりに言われてもなぁ……」



「何だか、すんごく疲れた」
「え? 僕はすんごく楽しかったよ! ミッチー、良いキャラしてるよね」
 あの道と別れて宿へ帰る道中、トーシローは鼻歌交じりで兄の前をスキップしていた。
「お前はどっからそういう体力が出てくるんだ」
「日々の鍛錬だよ!」
 その言葉は、クロードの胸に深く突き刺さった。確かに、トーシローは何事も努力している。体力作りだってそうだ。クロードみたいに、研究に耽って他を疎かにするなどということはない。
「ご機嫌だな」
「まぁね。僕、ミッチーの言うことにちょっと感動してさ」
 クロードは気を失いかけた。あの変態の言動のどこに感動できるポイントがあったというのだろう。
「僕らの歩いている道は、いつか誰かが拓いて整えてくれた道ってさ、いいね。僕にとって、その誰かっていうのは、兄ちゃんかなって思ってさ」
「はぁ?」
 トーシローは、満面の笑みで振り返る。
「僕に未確認生物の見方や調査の仕方を教えてくれたのは、兄ちゃんじゃん。こうして研究とかしているのも、兄ちゃんが先にやっていたからだよ。だから、僕は迷いなく飛び込むことができたんだ」
 クロードは歩くのをやめた。トーシローも立ち止まった。
「本当は、何かを始めるのってすごく怖いんだ。兄ちゃんがいるから、僕はこの世界で生きているんだよ。……ありがとう」
 クロードは俯いた。本当に今度こそどんな顔をすればいいのか分からなかった。感謝されることにありがとうと言えばいいのか、兄を実験台にして堂々と真似するなと怒ればいいのか。
「うん、ごめん。やっぱりちょっと傲慢っぽいかな。でも、感謝しているのは本当だよ」
 言いたいだけ言うと、トーシローはまた前を向いて歩いて行ってしまった。クロードはふらついた足取りで後を追う。
 今は未熟だけど、必ずいつの日か、全てが弟に敵わなくなる日がやって来る。それまで、自分はどう生きればいいのだろう。
 今まで自分は道を歩いていて誰かに感謝することなどなかった。道の開拓者達は、当たり前のように歩く自分達をどう思っているのだろうか。あの道にそんなことを訊いたら、何か答えは返ってくるだろうか。
 ただ当たり前のように自分が苦労して拓いた道を誰かが歩く。それを笑える人間だったら、きっと快く弟のために何でもしてやれるのに。クロードはどこか軽やかな弟の後姿を見つめながら、翌日以降のことを考えた。

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