作品・作者一覧へ

A06 たとえ何があっても

 行く、と決めた道がある。
 
 兵隊に見立てられた駒が、魔術で生み出された幻の炎によって次々と倒されていく。机上の地形図の多くのマス目が、西軍の統制下であることを示す青から、東軍の統制下であることを示す赤へと色を変える。実習教室内の磨きぬかれた壁がその色を反射し、西軍の落日の悲壮感を煽った。
 弾き出された数値をもとに勝敗の結果を台帳に書き付けて、ちらりと横を流し見る。案の定、西軍大将のルオンが怒りで顔を真っ赤にさせていた。彼の背後の西軍側の学生たちは、逆に葬式の参列者のような表情で棒立ちになっている。この状態の連中に勝敗判定を下すのかと思うと、気が滅入って仕方がない。俺が口にするのは、連中にとって死刑宣告と同じだろう。誰もこの演習で東軍が勝つとは思っていなかっただろうから。たぶん、俺と、当の東軍大将のクェス以外は。
「え〜、西軍兵力の八割の喪失を確認。よって、東軍の勝利とします」
 今回の机上演習で、審判をする統裁教官の補佐という貧乏くじを引いた俺は、出来る限り平静を装って結果を告げる。そう、統裁教官補佐なんて貧乏くじだ。誰が務めても、おまえの判定が間違ってて負けた、などと難癖を付けられる存在なのだ。それに、本当なら東軍大将のクェスに飛びついて彼の勝利を喜びたいのに、それが許されない。審判が一方の陣営に偏った態度をとると、その陣営の減点対象になるからだ。
 クェスの背後でひとかたまりになっている東軍の連中に視線を転じると、こちらもなぜか呆然と立ち尽くしていた。勝者なのだから盛り上がっていいはずだが、石化したように動かない。指揮を執った大将のクェスを労おうという雰囲気さえ感じられなくて、俺はイライラした。その状況を、まったく気にしていないクェスの姿が、寂しそうに見えて切ない――実際、クェスは不遜な顔付きで腕組みをしているのだが。
「両軍大将ならびに演習員、判定に対する異論は?」
 進行を見守っていた統裁教官が、東西双方の陣営を見て問いかける。が、東軍の勝利は明白で異論など出るはずがない。というより、全員まだ地形図上の作戦領域に釘付けで、結果の是非を考える余裕がないようだった。
 休憩の後に学科教室で講評と検討を行うことを告げて、教官は退室していった。その姿が見えなくなると、西軍大将のルオンが低い声で唸った。
「馬鹿な、こっちは二倍の兵力だったのに」
 怒りで拳を震わせているが、必死に自制しようとしている努力が見て取れる。湧き上がる激情をそのまま表に出さないあたりが、彼が机上演習の大将役の常連たる所以だ。たかが演習。でもこれは、将来国を背負って立つ人間ばかりが通う魔術学院の授業。学生間のこととは言え、求心力の低下は将来に影を落としかねない。悔しさを完璧に押さえ込んでしまうと、彼に従った演習員が白けてしまう。それを、きっと十分承知しているだろうルオンは、微妙な匙加減で自分の感情を操っている。はっきり言って、すごい。そのルオンを負かしたクェスは、もっとすごい、と俺は思っているのだが。
「数的優位が勝利の条件とは限らない。それに、何十年も前に通用した作戦が今も有効とは限らない」
 はっきり言い切ったクェスの言葉にルオンが反応し、クェスを睨み付ける。ルオンはクェスに対しては例外的に感情を抑えきれないでいる。それはルオンに対するクェスも同じ。二人は仲が悪かった。
 片や、先の大戦の英雄の孫で、現国王の弟という肩書きを持つ文武両道と名高い優等生。片や、その大戦で破れた賊将の孫で、秀才と言われた王弟に初めて敗北を味あわせた、自他共に認める天才にして学年首席。学院を卒業した後も、将来に渡って否応なく対立が予想される二人だ。その二人の不穏な空気を感じ取った他の連中が後退るなか、俺だけが一歩前に踏み出す。ああ、やめておけばいいのに、俺って馬鹿だ。自分から貧乏くじを引きに行くのだから。
 上背のあるルオンが、クェスに覆い被さる格好で低い声を響かせる。
「クェス、我が祖父を愚弄する気か」
「本当のことを言ったまでだ。それがわからないとは、嘆かわしいな王弟殿下」
「……三方包囲は、今や勝利の定石。実践での成功例は数に限りが無い。だが、それを破った今日の貴様の作戦は、所詮机上の空論だ」
 敵の二倍の兵力を与えられたルオンが執ったのは、三方包囲網作戦。数に物を言わせて敵を三方から包囲し、封じ込める作戦だ。ルオンの祖父は、先の大戦でこの作戦を指揮して戦果をあげて英雄になった。
「では、俺は定石を破る名将として名を馳せることが確定したわけだ」
 クェスが不敵な笑みを浮かべる。クェスは各個撃破作戦と銘打って、三つに分かれた西軍を一勢力ずつ全力で撃ち破る方法を選んだ。全体の数では劣勢でも、西軍の一勢力に対しては東軍の方が優勢になるからだ。また、東軍は包囲網の中心にいるため、ひとつの戦場から他の戦場への移動が容易だったことが勝利の一因としてあげられる。一方、西軍一勢力が他の戦場に移動する場合は大回りをしなくてはならず、その際に生じた時間の無駄と体力の消費が西軍の数的優位の足を引っ張った。さらに、東軍は数的不利を補うために与えられた武器の大半を放棄して機動力を手に入れ、常に先手を取って行動し、短期戦に持ち込むことに成功した。そして、勝った。
「こんな作戦、実戦で使えるものか。移動の邪魔だからと新型の魔術制御式二連大砲を地中に放棄するなど、ふざけたことをしおって。現実に戦場でやったら懲罰ものだぞ」
「待てルオン! やめろって」
 ルオンがクェスの胸倉をつかむ。その勢いでクェスの教本が床に落ちるのを横目で見ながら、俺は二人の間に割って入った。ルオンをクェスから引き離そうとするが、離れない。よくよく見ると、クェスの方もルオンの胸倉をつかんでいる。俺は青褪めた。この学年首席は短気なのだ。相手が誰であろうと関係ない。王弟にだって容赦しない。
「実戦ね。それなら、あんたは今ごろ俺と口きけてないよ」
 敗将殿下、とクェスが鼻で笑った。うわ、馬鹿、挑発してどうするんだよ、という俺の心の叫びはクェスには届かない。更に間の悪いことに、外野からクェスを後押しする声が飛んだ。珍しいことにルオンに対する野次だ。声は、ようやく自分たちの勝ちを実感した東軍のものだった。
「負け惜しみだぜ、ルオン!」
「机上演習の授業で『机上の空論』なんて罵るなよ。本末転倒だ。悔しかったら、次の検討の授業で反撃しろよな!」
 大勝ちして気を良くしたのだろう。普段、王弟殿下に対して畏まっている連中が、活き活きとルオンを口撃している。正直、聞いていてあまり気持ちのいいものではない。おまえら、ちょっと都合が良すぎるだろう、と俺が嗜めようとしたとき。
「黙れ」
 クェスの鋭い声が、その場の全員の言動を制した。
「確かに東軍が勝ったが、当初の作戦を完遂できなかったおまえたちに、ルオンを見下して物を言う資格はない。アスラー、おまえが攻撃範囲の設定を誤って作戦領域を広げなければ、新式の大砲を放置せずに済んだこと、わかってるのか? ケイン、おまえが担当した左翼部隊の消耗が激しかった理由が部隊内の兵力の配置間違いだってこと、ちゃんと気付いてるのか?」
 名指しされた二人が、さっと顔色を変えた。クェスの叱責に、東軍の盛り上がりが一気にしぼむ。
「勝ったのは東軍の、俺だ」
 そう宣言したクェスは、ルオンの胸を押して突き放すと、拾い上げた教本の埃をはたきながら教室を出て行った。俺は頭を抱えつつ、クェスの後を追う。背後から俺とクェスを非難する声が聞こえたが、空耳だと自分に言い聞かせた。
 
「なあ、クェス。もうちょっと考えて物を言ったほうがいいよ」
 俺は、特別教室棟を出て中庭の小道をどんどん進んで行く背中に言った。クェスは聞こえているのかいないのか、背後を振り返る気配もない。だが、クェスは常日頃からそうなので、俺は特に気にすることもなく距離を詰めようと歩調を速めた。無駄な言動を嫌うクェスに拒絶されなかったということは、ついていくことに対して了承を得たも同然だからだ。
 クェスは誰に対してもこの調子だから、周囲に余計な誤解を与えてしまう。会話が弾まない、返事が素っ気ない、雑談をふると無視される……等々。クェスに初めて接した人間は、まず、愛想がないと彼を評し、一歩距離を置く。そしてクェスの才能を目の当たりにし、自分との残酷なまでの力の差を見せ付けられ、壁を作るようになる。自分の中の嫉妬を悟られまいと、クェスに対して疎遠になるのだ。なかには、それでもクェスと友好関係を結ぼうとする連中もいるが、クェスの淡白な態度が、その好意を跳ね除けてしまっていた。
 俺は、そうやってクェスが孤立していくのが嫌で嫌でたまらない。本人がよくても、俺は嫌なのだ。大事な友人が悪く言われるのを黙ってみていられる奴がいたら、そいつの顔を見てみたい。きっと、俺とは似ても似つかない顔をしているのだろう。
「ルオンは王族だ。今更仲良くしろなんて言わないけど、あまり怒らせるな。それと、せめて他の奴に対してはもうちょっと愛想良くしろよ」
 易々と追いついた俺は、自分より低い位置にあるクェスの肩に手をかけた。
「なあ、クェス」
「……うるさい、面倒臭い」
 肩に乗せた手は、蚊を追い払うような軽い仕種で払い除けられた。その真剣味のない態度に、かっと頭に血がのぼる。つい怒鳴りつけそうになったが我慢した。ここで口論になったら、クェスは間違いなく俺を突き放す。そうなったら、俺はおしまいだ。俺はどうやらクェスを甘やかしているところがあるらしく、クェスの願いに反する態度をとることができないからだ。だから、俺は怒気の類の感情は、ぐっと堪えて食い下がる。
「この状態のまま卒業したら、おまえ、他の連中に潰されるよ」
「ないな。ルオンは妙に真面目だから、王族の権威を振りかざすようなことはしないだろう。他も連中も、俺の成績を上回る可能性はないから、俺が潰されることはない。下から足を引っ張られることは、あるかもしれないが」
 クェスは苦笑して続けた。
「……いいんだよ、煙たがられるのも、疎外されるのも慣れてる」
 小さく呟いて、俯いて小走りになる。まるで遊び場で仲間外れにされた子供が、拗ねて一人で家に帰ろうとしているようにも見える後ろ姿に、俺は言葉を失ってしまった。
 賊将の一族として世間から虐げられ、貧しい生活を送ってきたクェスは、同年代の連中に比べて随分と体が小さい。クェスはそれに対して劣等感を抱いている。それを隠そうとして、周囲に素っ気ない態度を取ってしまっていることに気付いている連中は、たぶん、あまりいない。
 それはクェスが、所詮は賊将の子孫と侮られないように、必要以上に自分を律しているからだ。不遜な態度は相手に弱みを見せないための武装。素で優秀な人間が、さらに完璧になろうと努力するから、誰も手も足も出なくなる。我知らず、クェスは他者から反感を買って、さらに頑なな態度をとる。断ち切る糸口すら見えない悪循環。どちらかが、その悪循環に気付いて流れを変えない限り現状は変わらない。外野にいる俺はクェスの傍で溜め息をつくばかりだ。
 クェスは人一倍強がりで負けず嫌いなだけで、本当は繊細で優しい奴なのだ。そうでなければ、田舎から一人で出てきた不安と緊張で入学試験直前に卒倒しかけていた俺に、その場で初めて顔を合わせただけのクェスが甲斐甲斐しく声をかける理由がない。他の連中は、競争相手を蹴落とそうと躍起になっていて、青ざめた俺の顔を見て笑っていただけだというのに。
 結局、俺はクェスと同点の首位で入学試験を通った。俺は結果を知ったとき、クェスが俺を気遣ったことを後悔すると思った。だがクェスは、おまえすごいな体調悪かったのに、と尊敬の目で俺を見て、でも入学後の試験では絶対に俺が勝つからな、と言って握手を要求してきたのだ。そのとき、俺は一生こいつに付いていこう、と決めた。
 そう決めたら、クェスの寂しい後ろ姿を放っておけなくなり、邪険にされても世話を焼かずにはいられなくなった。勉学に関しては恐ろしいほど頭が回るのに、日常のこととなると途端に不器用になるこの天才を、どうにかして助けてやりたい。一人ぼっちにはさせておけない。たぶん、これは、兄弟が沢山いるなかで面倒見のいい長男として生きてきた俺の性分だ。
「なぁ、クェス。今はおまえが首席でまとめ役だから皆おまえに従っているけど、ずっとそうとは限らないんだ。そのうち、誰もおまえについていかなくなるよ?」
 小さな背中に声をかけると、クェスは不意に歩調を緩めた。おお、俺の忠告をついに聞く気になったか、と一瞬喜んだが、どうやらそうではないらしい。クェスは相変わらず俺に背を向けたままだ。そして、なぜか急に足をとめた。
 不思議に思ってクェスの前方を見ると、学科教室棟へ続いているはずの中庭の道が途中から沼地になっていた。誰かの魔術の失敗の副産物か、それとも学院が根野菜の栽培でも始めるつもりなのか。どちらにしろ、橋も小船の見当たらないので、ここから先へは進めない。
「だめだ、引き返そう」
 一端、実習教室棟に戻って建物伝いに行こうという俺の提案に、クェスは首をふった。
「いや、引き返さない」
 続けてクェスが言った言葉の意味を、俺は直ぐに理解することができなかった。
「おまえがついてくるから、いいよ」
「へ?」
 なんのこと? と疑問符を浮かべる俺を尻目に、クェスは軽く膝を屈伸させて地面を蹴った。空気が流れてクェスの周辺の魔力が動く。クェスの体が空中に浮くのを見て、俺はあらかじめ靴底に仕込んであった飛行魔術陣を慌てて起動させる。一瞬躊躇ったが、覚悟を決めて跳んだ。
 黒々とした沼地の上を、前を行くクェスは綺麗な弧を描いて、後をついていく俺は上下左右にぶれる軌跡を残しながら飛行する。飛行魔術陣を満足に扱える学生は少ない。垂直に飛び上がれるだけで御の字。ふわりと浮いて、優雅に空中を移動できる腕を持っている学生は、今のところクェスとルオンだけだ。
「ちょ、クェス待てよ! 速いって! う、わ、落ち、落ちるって、俺落ちるっ!」
 魔力を上手く制御できず、逆さまになって四苦八苦する俺を、今日初めてクェスが振り返った。
 クェスは綺麗な姿勢を保って空中に静止し、いつもと変わらない表情で俺の予想外の言葉を口にする。
「それでも、おまえは俺についてくるんだろ? だから、他はいい」
「は?」
 あれ? なんだ、その告白まがいの宣言は。さっきと同じ。やっぱり、俺の聞き間違いか? きっと、聞き間違いだよな。でも、念のために聞き返しておこう。と、俺は反射的に問い返した。今、俺は物凄く間抜けな顔をしているに違いない。
「なんのこと?」
「だから、おまえがついてくるから、それで十分。他の連中はいいって言ってるんだ。ぞろぞろつきまとわれると鬱陶しい」
 なんでわからないんだ、と珍しく顔を顰めたクェスの言葉の意味を理解した瞬間、俺は体中の血が沸騰するのを感じだ。たぶん、顔面真っ赤だ。
「クェス、おまえ、それって……」
「そういうことだから、行くぞ」
「は? え? ちょ、待てって」
 クェスが反転してさっさと飛んでいってしまうのを見て、俺は慌てて体勢を立て直そうとしたが、飛行魔術陣はちっとも言うことを聞いてくれなかった。雑念ばかりで少しも集中できないのだから、当然だ。がくん、と体が大きく上下に揺れて、落下が始まった。もうこうなったら打つ手はない。沼の泥と口付けをする覚悟を決めなければ。だが、そんなことは二の次だった。
 あの雰囲気からして、クェスはあまり深く考えずに言葉を発したに違いない。さっきのはクェスの心にある素の言葉だ。普段は憎まれ口ばかり叩くのに、たまにこうやって恥ずかしいことを臆面もなく言える性根の素直さが、俺には眩しくて羨ましくて仕方がない。そんなクェスにとって自分が特別な存在だとわかったのが嬉しくて、正直、他のことはどうでもよくなってしまった。
 クェスの後姿がどんどん遠ざかって、逆に下の沼地がどんどん近づいてくる。それでも顔がにやけるのを感じて、俺ってこんなにもクェスのことが好きだったんだぁ、と我ながらあきれてしまった。ああ、俺って本当に馬鹿だ。いつも貧乏くじを引く。でも、これが自分で選んだ道なのだから仕方がない。
「クェス! ちょっと遅れるかもしれないけど、ちゃん後をついていくからな!」
 だから泥まみれでも邪険に扱うなよー! と叫んで、俺は頭から沼地に突っ込んだ。
 講評と検討の授業に泥だらけの格好で遅れてきた俺を見て、教官は青筋を立てて怒り、他の連中は指を刺して笑った。ルオンは一瞬鋭い視線を寄越したが、あまり興味がないのか、俯き加減で教本を開いたまま顔を上げようともしない。クェスは目が合った瞬間ににやりと笑って、すぐに視線を逸らした。
 クェスの視線の先、教室内でひとつだけ空いている机の上に、俺の教本が置いてあった。そういえば、ずっと手に持っていたはずなのに、いつの間にか無くなっていた。クェスが持っていてくれたのだろうか。あとで聞いてみよう。俺は泥を落としながらクェスに笑いかけて、クェスの後の席に着いた。

 行く、と決めた道がある。
 棘道なのは、もとより承知。王弟に睨まれようが、他の連中に嫌味を言われようが、道の先が突然沼地に変わっていようが関係ない。クェスが行くというのなら、俺はクェスについて行く。それが、俺が行くと決めた道なのだから。

A06 たとえ何があっても
作品・作者一覧へ

inserted by FC2 system