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G08  宮女の告白

では、まずは私が王妃様に毒を持った理由をお話いたしましょう。

命令した方のお名前ですか……ふふ、そう焦る事はございますまい。短い、女の繰言でございます、どうぞこちらから、お聞き下さりませ。
私の名を、知っておりますか?知るはずもございませんね。……リイラと申します。貴方の大事なお方のお命を、奪う女の名前です。どうぞ、お見知りおきを。どうぞ、お忘れ下さいますな。
陛下のお命が尽きるまで、永遠に。
私が、陛下と初めてお会いしたのは、ある戦火の村でした。…そうです、陛下が陛下になる、いえ、将軍にもならぬ、一介の傭兵だった頃にございます。私は、戦火に見舞われた女たちが一様にたどる運命をなぞっておりました…まだ男など知らない少女だった私を、何人だったでしょうね…覚えていない程の男たちが貫いてゆきました。目の端に家族の死体が横たわる中で、男たちは酒を飲み、私を指差して笑っていた。涙も枯れて、痛みも消えて、ああ私はもうすぐ死ぬのだろうなあと思った時でした。陛下…ゴドー様が現れたのは。
無言で私の家に入ってきた貴方は、いきり立つ男たちを切り伏せて、私を介抱してくださった。少しのお金と、水と、食べ物と。…嬉しかった。貴方は覚えていないでしょうが、私は本当に嬉しかった。
村を離れて、何年か過ぎた頃です。この国に流れて、住み込みの給仕婦として働いていた私の耳に、貴方の名が聞こえてきたのは。貴方は将軍になったいた。当然だと思いました。強く、優しい貴方なら。…王になられたときも。もちろん、王都まで参りました。貴方の晴れ姿を見るために。宮殿から民を見下ろし、手を振る貴方は、本当に素敵でした。…お隣に立つ、ジリオン様も。こんなに美しい方が、この世にいるのかと思いました。

私は、必死で勉強して、女官として宮殿に仕えました。
少しでも、貴方のお側にいたかった。…もし、できるなら、貴方のお手がつくことも…などと、浅はかな夢を抱いたこともありました。
何を驚かれるのです、陛下。貴方は御自分を過小評価する癖がおありですが、貴方に憧れる娘は、多いのですよ。
本当に、罪な御方です。…本当に。
貴方は本当に、ジリオン様しか見ておられない。
不幸にも、ジリオン様に気に入っていただいた私は、それを思い知らされました。
お側番、というお役目をご存知ですか?…そうです、貴方が廃止したお役目です。
室をたくさん置く殿方が、御自分の御種を確かめるために、閨の脇に女官を置く。
フフ…確かに、陛下には必要ありませんね、陛下にはジリオン様だけ。他にお子など、ありえませんもの。
ですが、ジリオン様のお部屋の隣には、そういうお役目の小部屋が、残っているのです。

ご存知では、なかったでしょう。
私も、たまたまお部屋を片付けているときに、見つけたのです。

それが、今回の事の引き金です。

もう、お分かりでしょう。陛下、顔を背けないでくださいまし。
私を、見て。この穢れた、浅ましい女を。

私は、毎夜のように、その小部屋におりました。
陛下も、きっと、刺客なら気づいたでしょう。ですが、私にはお気づきにならなかった。
意外だったことが、一つあります。貴方がた夫婦の睦言の少なさです。
毎夜のように、交わっておられると、思っておりました。
そういうことが、苦手…とも違いますね。とにかく初心なジリオン様を貴方はいつも気遣っておられた。
ですが、いざそういうときの、貴方の激しさ、逞しさ。…ジリオン様の控えめな、けれど切なげな声。可憐で淫らな姿。
羨ましかった。本当に…本当に!私は、どんどんおかしくなった。
いつからか、お二人を見ながら、私は自分を慰めるようになりました。
そんな汚いものを見るような目は、止めてくださいませ。
私は、ただの一度きりでいい、貴方が欲しい。ジリオン様のように、愛されたい。その大きなお身体に、包まれてみたいのです。

ご存知ですか?
ジリオン様は、貴方とのお食事は、ご自分でお作りになることが多いのですよ。
…やはり、ご存知なかったようですね。ジリオン様は、そういうことをひけらかす方ではございませんもの。だから、お毒見は、基本的にないのですよ。
だから、毒を入れるのは容易かった。

つまらない女の、嫉妬で、貴方の大事な方は死ぬのですよ。


さあ、どうしますか?
このあと、罪人の嬲り者になる。望むところです。私は、淫乱な女ですから。そうやって狂って死んで行くのは、一向に構いません。
ですが、私の嫉妬の炎を見抜き、毒を渡したものの名は…

貴方が私に、お情けをかけて下さったら、お教えしましょう
































 ようこそ、おいでくださいました、王さま。
 王さまには縁のない血の香る場所で、見苦しい姿を御前に晒しますこと、どうかご容赦くださいませ。
 ふふ、もう痛みも感じなくなりました。
 何からお話いたしましょうか。
 ……そう急かさないで下さいまし。それでなくとも意識は朦朧として、まるで夢を見ているようでございます。王さまが私ごときの目の前に居ること……瞳に映るのは、この私ただ一人……ああ!夢ではないのでしょうか!嬉しゅうございます、ほんとうに。
 お妃さまのお加減は、如何でしょうか。
 世間知らずでお優しく、いつも微笑みを湛えていらっしゃるお顔は、青白く歪んでいるのではないでしょうか。お可哀相に、さぞお苦しみのことでしょう。
 食後の御酒にもう少し、毒を多く入れて差し上げればよかった。
 なぜ、と仰いますか。
 ……残酷な王さま。
 あなたさまは日の光の中を歩く王であられます。常にご自分を信じて、ご政道を歩いてこられました。
 言い換えれば、影の中でひっそりと生きるものの気持ちなど、お分かりにならないのですよ。いいえ、それでいいのです。それこそが、王さまなのですから。私の憧れの、王さまなのですから。

 お水を少し、いただけますか?喉が焼けるようで話を続けることが辛うございます。ありがとうございます、ああ、何日ぶりの水でしょう。生き返るようでございます。
 ふふ、この水の中に、毒でも入っていたら、私はもうすぐ死んでしまうでしょうね。あの麗しいお妃さまのように。

 この煌びやかで広大な後宮に、私のような者があがったことこそ、そもそも間違いであったのです。
 ですがこのように卑しい女でも、それは死に物狂いで様々なことを学んだのですよ。宮女になるための門戸は、広く開かれていましたから。身分を問わず、優れたものを、大事な、大事なお妃さまのお傍にと思った王さまのお気持ち……、まさかこのような結果を招くとは思いもしなかったことと、ご推察いたします。
 宮廷とは恐ろしいところでございます。策略、陰謀。美しい白い宮殿につまっているものは、汚くて真っ黒いものばかりです……お妃さまだけが、眩しいほどに真っ白でございました。
 お妃さまを憎んでいたのか、と仰せですか。
 そんな、滅相もございません。どうしてどうして、美しく優しいお妃さまを憎むことなどできましょうか。私の知る限り、あの方以上の貴婦人などおりません。
 では、お妃さまに私が毒を差し上げた理由を、お話いたしましょうか。
 指図した者の名前ですか?
 そう焦ることはありますまい。私が毒を盛ったことには変わりはないのです。
私はおぞましい拷問を受けて、ようやく生きておりますが、幸いにも舌は無事でございます。舌を傷つけては、話すことが出来なくなりますもの。先ほどまで手足どころか口にまで枷をされて、身動きもままならず叫ぶことさえ許されなかった私ですが、こうして直に王さまのお尋ねを受けることなり、今は口の枷はありません。
 私は今、舌を噛み切って死ぬことも出来るのです。
 ああ、王さまを脅すことになってしまいました。そのように恐ろしい顔をしないで下さいまし。
 ただ私は、王さまに話を聞いて欲しいのです。穢れた罪人の言葉で、太陽にも等しい王さまを汚すことになってしまうでしょうか。
 いいえ、それでも王さまは、輝かしい道をお歩きになるはずです。
 私の憧れのかたは、どんな悲劇のあとも立ち直り、正しい道をゆくでしょう。
 あなたさまにだけ見える、孤高の道を。

 私は小さな村で生まれました。読み書きが好きでしたが、貧しい暮らしの中で学ぶことは許されませんでした。私たちの暮らしは、天候と重い税に支配されていました。田は干乾びて、種籾すらなくても、お役人たちは容赦なく、税を毟り取っていきましたから。年寄りから子どもまで、朝から晩まで働いても、口に出来るのは薄い粥だけ。そんな暮らしの中で、勉学など無駄以外の何ものでもなかったのです。
 その様な筈が無い、と仰いますか。ふふふ。
……王さま、大変失礼をいたしました。つい、笑ってしまいました。不思議なものですね、もう笑う力など、どこにも残っていないと思っておりましたのに。さすがは、王さまでございます。罪人の私にまで、光を下さるのですね。
 ですが、お優しい王さま、あなたさまの布いたまつりごとは、この広い国の隅々までは行き渡っていないのですよ。先ほども申し上げたように、宮殿には黒いものが渦巻いていて、いつしか溢れて、それは止め処なく流れ出しているのでございます。あなたさまが、お妃さまをだけを愛しんでいる間に。あなたさまのお耳には、お妃さまの小鳥のさえずるようなお可愛らしい声しか聞こえないのですから。
官吏が皆等しく、王さまのいうことを聞いているとお思いですか?
どんなに凶作で民が飢えても、王さまの前に食べきれないほどのご馳走が並ぶのは、なぜなのでしょう?
 王さまのご存じないことも、この国にはあるのですよ。
 いえ、それでよいのです。諸国の王が沢山の側女を置く中で、王さまはお妃さまただお一人を愛していらっしゃる。素晴らしいことでございます。後宮のあるじは、お妃さまただひとり。お妃さまのためだけに、ここは在るのですから。
 話がずれてしまいましたわ、申し訳ありません。
 私は貧しい中で、眠る時間を削り、自分の食べる分を減らし、飢えをこらえて勉学に励みました。どうしても、王さま、あなたさまのお側にお仕えしてみたかったのです。
 地位?名誉?
 そんなものには興味がありません。私はただ王さまのお側に居たかった。それだけにございます。
 きっかけは、即位の儀式でした。お父上であられる先代の王さまが突然に身罷られ、ただひとりの御子である王さまが、慌ただしく戴冠されたときにございます。
 忘れもしません、この世のあらゆる鮮やかな色に溢れたお祭りは、今でもはっきりと思い出すことができます。あの時私は偶然にも、父とともに都に来ておりました。
 宮殿の前庭は解放されていて、見物の人でごったがえしておりました。王さまになったばかりのあなたさまは、大人たちにつぶされそうになりながらやっと父の後を歩く幼い私がころんだときに、私の前にお立ちになられた。
 ……まあ、覚えておいででしたか。そうです、私はあの時の子どもでございます。戴冠式を終え粛々と続く祝賀の列の先頭に誤って飛び出し、立派な馬車をお停めした、汚い子どもでございます。
 幾人もの兵が寄ってきて、膝をついて謝る父を打ち据えました。そのうしろでおびえる私に、馬車から降りた王さまは、微笑んでくださいましたね。
 こんなに立派で凛々しい男性を見たのは、初めてのことでございました。
 王さま御自らが、光を放っているようでした。
 こんなに立派なかたが、先の王さまを暗殺したというのは、きっと嘘でしょう。
 こんなにお優しいかたが、片田舎から窮状を訴えに来た私たちの村の長を牢に入れてしまったというのも、きっと誤解でしょう。結局、父が探しに来た村の長は、どこに行ってしまったか分かりませんでしたけれど。
 金の冠をいただいた王さまは、この世の誰より清廉であられた。
 私は夢心地のまま父に手を引かれて、とぼとぼと田舎への道を歩きながら、心を決めたのです。貧しい生活を抜け出して、王さまのお側に上がりたいと。

 必死になれば、夢は叶うものなのですね。……途中まで、ですけれど。
 即位されたとき、おひとり身であられた王さま。ですが私が宮女となったときにはすでに、ご結婚されておりました。お妃さまは摂政さまのお血筋で、ご幼少のころから美しいと評判の姫君であったと聞きました。政治的なご結婚と聞いておりましたが、お二人の睦まじさといったら……朝に夕に、人目も憚らずに、睦みあうお姿。お二人は心底愛し合っておられました、純朴な田舎娘が頬を赤らめるほどに。
 幸運にもお妃さまのお目に留まった私は、嫌でも、お二人の忍びやかなお声を聴くことになってしまいました。
 私は少しでも、あなたさまのお側にいたかった。もし、できるなら、貴方のお手がつくことも……などと、浅はかな夢を抱いたこともありました。
 王さま、今さらそんなに驚かれることはありますまい。
 王さまに憧れる宮女は、私だけではありませんよ。
お幸せなお妃さま。お望みになるものはすべて叶えられた。毎日替えても着られないほどの、柔らかい絹の衣装。強く触れれば壊れそうな、金銀細工の耳飾り、珊瑚や真珠の指輪。夏がいつもの年よりも暑いと気だるげに長椅子にもたれれば、すぐに水辺に屋敷が建てられ、雪が冷たくて凍えるようと細い肩を震わせれば、国中の狐が狩られることになりましたね。ずらりと広間に並んだ狐の毛皮から、嬉しそうにお気に入りをお探しになるお妃さまは、無邪気でお可愛らしゅうございました……。
ご存じではないでしょう、王さま。その冬に、どれだけの民が飢えと凍えで死んでいったかを。

恨み、と仰いますか。
申し訳ありません、私の話が分かり辛いこと、どうぞお許しください。
体中の傷が、痛むのでございます。時には気が遠くなるほどに。自分の発する言葉が、理解できなくなるほどに。この薄暗い牢につながれている哀れな女は、もしかしたら私ではないのでは……とさえ思ってしまいます。

先ほど申し上げたように、王さま、私はあなたさまをお慕いしていただけです。

私は王妃さま付きの宮女でございます。ちっぽけな田舎娘には、身に余るほどの栄誉でございます。ですが女として、これほどの不仕合せはありません。おこがましいことですけれど。
ご存じではないでしょうが、お二人の閨のとなり、小さな部屋に、毎夜控えて声を潜めていたのは、私でございます。お役目とはいえ、むごい仕打ちでございました。
しんと静まり返った空気を乱すのは、衣擦れの音と、甘い息遣いのみでございました。どんなに耳を塞いでも、みだらな音は、私の耳を責めるのでございます。
いつからでしょうか。私は王妃さまになり替わる夢想をするようになりました。防ぎきれないお二人のお声を聴きながら目を閉じると、そこに浮かぶのは、憧れの王さまに乱される私……。

そんな汚いものを見るような目は、お止めくださいませ。
私は、ただの一度きりでいい、あなたさまが欲しい。
私は醜い嫉妬で身を焼いて、焼き尽くして、贅沢がお好きで無邪気な王妃さまを手に掛けたのです。
あなたさまは名も知らぬ女の嫉妬で、この世で一番いとしい女性を亡くすのですよ。

流石に疲れました。少しお休みをいただいてもよろしいでしょうか。
ああ、忘れておりました。私に毒を盛るよう命令したかたのお名前でしたね。
聡明であられる王さまですもの、私がお教えすることもありますまい。王妃さまを亡くしたあとに、悲しみが晴れたらもっと疑いの目で、周囲に侍る者たちを見てくださいませ。
この宮殿は黒く澱んでいるのですから。湯水のように血税を浪費するあなたがたご夫妻を、憎んでいる者は多いのですよ。そしてその憎しみを、打算で利用する者も。
いいえ、最近のことではありませんわ、もうずっとまえから。
黒いものはやがて火種となり、大火となって、王さまを焼くでしょう。これは頭のおかしい女の予言ではありません、必ず起こる近しい未来なのです。
すべて、王妃さまを愛しすぎてしまった、代償でございますよ。王妃さまを失ったあとで、そのことをよく、お考えくださいませ。
あなたさまは日の光。ですが眩しすぎる光に映しだされる影は、とても濃くてどろどろと黒いのですよ。

このあと、私は罪人の嬲り者になると聞きました。望むところです。私は、叶わぬ恋に身を焼いて、夢の中でみだらなことを幾度も考えた淫乱な女ですから。そうやって狂って死んで行くのは、一向に構いません。

……どうしても、指図をしたものの名をお知りになりたいと仰いますか。まったく、どこまで王妃さまを想っていなさるのか。王妃さまを亡くしても、王さまの心はそこにとどまるのですね。口惜しいこと。
そうですね、私の嫉妬の炎を見抜き、毒を渡したものの名は……。

あなたさまがこの私に、ただ一度きりでいい、お情けをかけて下さったなら、お教えいたしましょう。


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