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G04  色づく君の居場所

『げ、ボス消えた消『ここまで来てテレポとか『探して探して!』『見つけたら連ら『右上ー! マップ右上いるぞ!』『今行く!』『なんとか持ちこたえ『ぎゃー! 呪文唱えて『死ぬー』

 ……スカイプ、とかいうインターネット電話から津波のように押し寄せてくる言葉を、淳は華麗に聞き流していた。脳が情報を処理することを諦めた。マップ上に表示されている複数の赤い点を見つめる。そのうちいくつかは動かない。ボスとやらに倒された仲間たちだ。生きている者は皆右上に集まっていく。
「よくやるなぁ、みんな」
 淳はもちろん倒された組だ。敵のAIは弱者を一瞬にして見抜くのか、いの一番に餌食になった。大地に倒れ伏すキャラクターを俯瞰するアングルで画面は止まっている。通りがかる人々が親切にも『生き返りますか?』と尋ねてくれるのを丁重にお断りして、ボス討伐に奮戦する仲間の声をただ聞き続ける。正確には、その中に混じる学友の声に耳を済ませていた。
『みんな、あと少し! 踏ん張って!』
 ボスと仲間の間に立ち、皆の盾となっている女騎士を思い浮かべる。己をも鼓舞するような、ハキハキした声。このゲームを始めなければ知る機会もそうなかっただろう声音に、そっと目を細める。
 淳がこのネットゲーム――【エンピレオ】をプレイするきっかけとなった想い人、戸川彩乃だ。


 授業が始まる直前の未練がましいざわつきの中、淳は自席でぼんやりと教室を眺めていた。「試験勉強してる?」「宿題の答え教えて」「夏休みどっか行く?」――およそ一ヵ月後に控えた二大ビッグイベントへの焦燥感と期待の入りまじる独特の空気が身を包む。大学受験を意識した予備校に通ってる友人も既に何人か居た。
 ちら、と視線をアリーナ席へ走らせる。
 艶のある黒髪を無造作に束ねた女性徒がひとり、ぽつねんと授業の開始を待っている。喧騒のただ中に在って、けれどそんなざわめきとは切り離されているような、そんな背中だった。昨晩の勇猛果敢な女騎士をその背中に重ねてみても、あまりしっくり来ない。
 ゲームの戸川はギルド【Colors】のマスターを務め、中心で笑っている。まだ一週間という短いプレイ期間ではあるが、彼女のキャラクターが独りで居るところを、淳はまだ見ていない。それとは反対に――。
 授業開始のチャイムが生徒を追い立てる。律儀に時間ぴったりにやって来た教師を見て、皆自分の席へと慌しく戻っていった。名簿に目を落とし名前を読み上げる教師の声はいかにも眠そうである。
「戸川ー。……戸川ー。居ないのか?」
 ――おいおいおい、目の前目の前。しかもちゃんと返事してたぞ。小さかったけど。
 教師の発言に教室がにわかにざわつく。「マジで?」的な面白がっている空気だ。
「先生、居ます」戸川がさっきよりも大きめの声で恥ずかしそうに抗議する。「居るならちゃんと返事しなさい。次……」
 ……興味を持って受けるにはあまりに教科書をなぞりすぎな50分が終わった。大きく伸びをする。休み時間になると連れ立って手洗いに行く女子グループが後を絶たないが、全員で行ったら個室が足りなくないか。どうでも良いことを考える。
「なにぼーっとしてんだよ」
「盛野……」
 この顔はなにか確信があって近づいてきた男の表情だ。主に人の弱みやその類についての。にやにやって表現が非常によく似合う。
「別に、次の英語だりーって」「嘘だね」「嘘じゃない」「いーや嘘だ。俺には判る!」こいつめんどくせぇ。淳の額に、刹那青筋が浮かぶ。
「お前今、戸川見てただろ? ていうか授業始まる前からずっと見てただろ?」
「いやお前こそずっと俺を見てたのかよ。悪いがお前の気持ちに応えてはやれ「ちげー!」おおげさな動作で淳の頭をはたき、「で、戸川だけど」と即行で話題を戻す。肩越しに目線だけで彼女を振り返り、
「可愛いとは思うけどな。でもなんか暗いよな。去年一緒のクラスだったけど、課外授業のグループ決めとか微妙な空気流れてたぜ」
 盛野の言葉通り、休み時間も放課後も、いわゆる「リアル友だち」と一緒の戸川を見た記憶はほとんどない。頻繁に携帯はいじっていて――今も猛烈な指さばきで打ち込んでいる。
「戸川は別に暗くないよ」
 ムキにならないようさり気なさを装って反論する。こんなことを言っている連中に昨日の戸川の姿を見せてやりたい。180度その認識を改めるだろう。盛野はその後二言三言の戯言を残し、チャイムと共に去っていった。

 英語が終われば、淳の最も楽しみにしている昼食の時間だった。購買のパン派とお弁当派にだいたいの生徒は属するが、淳は前者だ。小銭を握り締め、数分間の戦場に身を投じるのだ。戸川も購買の列に並んでいる。女騎士の凛々しさはないものの、ちらちらと前へ視線を投げているところを見ると、目当てのパンが売り切れていないか確認しているのだろう。残念ながら、話しかけるには人が溢れすぎていた。ここで割り込んで前へ行こうものなら誰かしらの舌打ちと、けん制という名の肘鉄が飛んでくるのは必至である。
「あ、財布忘れたー。取ってくる」
 戸川の前には同じクラスのギャル系グループが並んでおり、その一番後ろの女子が列を抜けて駆けていく。隣に居た子が「いってらっしゃーい」とか言っていたが、話に夢中になっているほかのギャルはひとり抜けたことに気づいていない様子だ。
「えー! 違うよ! ねぇ、そう思うよね?」
 リーダー格が突然大声を出したかと思うと、同意を求めながら後ろを振り向く。当然、そこに居たはずの子は財布を取りに行っているのでおらず……
「え? う、うん……?」
 きょどりながら答えたのは、当然その後ろに並んでいた戸川。リーダー格はあからさまにぎょっとした表情を作ると、返事もせずに仲間内の会話に戻り「ちょっとー、話しかけちゃったじゃん! やっだぁもぉー!」なんてばかみたいに笑いながら言っている。そこへタイミング良く問題の女生徒が帰ってきた。
「ちょっとぉ、今美羽に話しかけるつもりで戸川サンに話しかけちゃったじゃんー。どうしてくれんのよぉー」
「あっは! マジで?」
 彼女達が配慮に欠けるやり取りを続ける間、戸川は押し黙ってただ下を向いている。離れたところに並んでいる淳にその表情を知ることはできない。


「戸川。今日もやるのか? あのゲーム」
 帰りの電車。『たまたま』同じ車両だった戸川の隣をキープする。つり革に掴まる白い腕がオレンジの光に照らされて眩しい。購買でのことに触れてみようかと思ったが、何か気の利いた台詞が言えるわけでもなし、思い出させるのも酷かと思い無難な話題を提供してみる。
「え、えっと……まぁ、そう。宿題やってからインするけど」
 先週と同じように少し歯切れ悪く言葉を返してくる。先週――淳が『エンピレオ』のことを戸川から聞き、プレイを始めた日。偶然たまたまなんの因果か戸川と車両が同じになり、神の思し召しか運よく隣に立て、そのときの「土日は何してたの?」アタックでそのゲームのことを聞き出した。こうした地道な努力がいつか実を結ぶのだ(恐らく)。
 あの時は非常に恥ずかしそうに俯きながら「エンピレオっていうネットゲーム、やってた……」とぼそぼそ会話に乗ってくれた。淳が興味を示すといささか驚いたように顔を上げて、それでもちょっと嬉しそうに、ぽつりぽつりゲームの説明をしてくれたのを昨日のことのように覚えている。
「あ、今日はみんなで地獄の『第二の圏谷』に行こうかって話してるんだけど、来る?」
「俺の激弱キャラでも邪魔にならねーかな」
「うん。まぁ、みんなネタキャラだし……それに昨日のところよりはずっと、弱いよ。昨日は無理しちゃった。ボス討伐は『Colors』にとって観光だから、いいんだけど」
 戸川はそこで「あ」という表情をつくると、
「ネタキャラって判る? その職業ではまずありえないステータスを伸ばしてるとか、あまり実戦では役に立たないスキルを覚えてたりして、パーティ戦とかにはまず誘ってもらえない感じのキャラクターのことをいうの」
「あー、なるほどね」
 言ってみれば変人の集まりって感じか――淳は妙な納得の仕方をする。
「もしよかったら、あの、そういうキャラも育ててみて。その、私も、手伝うから」
 アナウンスが次の停車駅を告げる。トンネルを通過すれば淳の下車駅に到着する。およそ十分ほどの短い会話だが、淳にとっては何にも換えがたい貴重な時間だった。無論、想い人を目の前にしているのだから落ち着くとは言いがたいけれど、これもまた心地良い緊張感だ。
「なぁ――今度の土日にどっか一緒に行かない?」
「今度の? えっと……あ、みんなとカロンの舟に乗ろうって言ってるけど、じゃあ一緒に、行く?」
「………………それってゲームの話だよな?」
 上手くはぐらかされたのか、判断がつかないまま、電車は無情にも淳の下車駅に進入する。
「それじゃ、今夜また」
 淳の挨拶に、戸川は軽い会釈で返してくる。
 いつかこうして二人で帰ることが当たり前の日々が来ればいい。


 夜中から活気を見せるのがネットゲームである。戸川のギルドでも遅めの時間帯にプレイしている人が多い。何となく同世代の集まりだと思っていた淳は、半数が社会人だと聞いて仰天した。
「『第二の圏谷』は簡単だったでしょ?」
 チャットだと饒舌(に見える)戸川の質問に「そうだね」と頷く動作つきで返した。溜まり場には二人しか居ない。まだ元気のあるギルドメンバーたちはより難易度の高いダンジョン攻略に向かったのだ。ギルドメンバーにしか見えない会話ログが苦戦してる彼らの姿を鮮明に映し出している。ちなみに、戸川との会話はこの場に居ないと聞こえない。いろいろややこしい。
「なんか変だけど、地獄が一番簡単で、天国が難しいのよね。ボスが居たとこは水星真珠天って言って……」
 この一週間、戸川は献身的にゲームの説明をしてくれている。
 きっと、本当は仲間たちと次のダンジョンに行きたかったに違いないのに、淳が「今日はもうすぐ落ちるから」と断ったら戸川も留まったのだ。(悪いことしたかな)とは思うものの、嬉しかったことに変わりはない。仮想世界とはいえ、こうして二人きりで会話できるのだから、喜ばない方がどうかしている。
『はーい、暴言ひとつ頂きました~』
『ネタギルドは地獄めぐりでもしてろってww』
『この前うちがボス倒したの根に持ってるのかもねー。アイテムもわりとよかったし』
 にわかにギルド会話が活発になり、戸川がすぐさま反応する。しかしいたって冷静だ。暴言を吐かれたという面々も笑いを示すらしい「w」を連発し、どこか楽しんでいるような印象すらあった。
「結構有名なの、うち。ギルド作ってからずいぶん経つし、人数も多いからね」
 こちらの会話に戻った戸川の女騎士が、苦笑いを作った。
 淳も感心したのだが、この【エンピレオ】というゲームはキャラクターの動作や表情といったところまでよく作りこまれており、ボタンひとつで簡単にそれぞれのモーションを呼び出せる。実際に会って話さないと判らない機微やニュアンスを伝えるのを補助する――というよりも、
(現実より表情豊かだな、こりゃ)
 淳は心底、そう思う。ここひとつ取ってもハマる人間はハマるだろう。
 誰でも理想の自分をロールすることができる。
 自分だけの【自分】を作る。
 容姿も、表情も、性格も、能力も――果ては性別だって思いのままだ。ゲームの中だけとはいえ、誰もが羨望の眼差しを向けるようなステイタスを得ることだって可能なのだ。
 それなのに。
「なぁ、アヤノ」
 女騎士を呼ぶ。本名をカタカナにしただけの名前を呼び捨てにすることに若干の気恥ずかしさも覚えながら。
「なんでネタキャラなんてやってんだ? しかもギルドまで作って」
 こんな、ある意味誰にも見向きもされないキャラクターを操るなんて。
 アヤノは決して弱くはない。けれどそれは「装備でガッチガチに固めてるからね」ということであり、きちんと育成すればもっと強力なのだという。
「最初はもちろん正統派でやってたんだけど、なんか……あぁ、こんなもんかぁって。それで、何となく作ってみたら面白かったっていうか。世間的に需要なくても、色んなタイプのキャラが居たって別にいいじゃない?」
 でも、と戸川は続ける。
「やっぱ、独りだとツラいのよ。いろんな面で。それで、こういうキャラが集まってわいわい騒げる場があってもいいんじゃないかなって」
 太陽のエフェクトがきらりと光り、アヤノを一瞬だけ照らしていく。
「そうだね。そういう場所は、必要だよね」
 すでに日付は変わっていた。いくら精巧な動作や表情を付与しようと、この世界は呆れるほどにヴァーチャルだ。現実を模倣し、理想を植えつけることである程度のリアリティは得られても、現実味を帯びることはない。
 頭をリフレインするのは、学校での数々の言葉たち。
 これは戸川に対して失礼なのかもしれない。

 このゲームをプレイすること自体が――代償行為なのではないかと、勘ぐることは。

 ふと淳はある衝動に駆られた。
「じゃあ俺そろそろ寝るわ。あと、」
 衝動というよりも、ほとんど反射的な行動だったかもしれない。
「俺はアヤノのこと、好きだよ」
「……はっ? はぁっ!?」
「驚きすぎじゃないか?」
「いや。だって、いきなり変なこと、言うから」
 微動だにしないキャラクターの向こう側に、きっと慌てふためいてどう反応していいか困っているであろう戸川の姿を想像する。
 ここまで細やかに想像できれば立派なストーカーである。目だけで追うストーカー。あながち盛野の言葉も否定できない。
「入学式のとき、みんなで急いで体育館向かって、俺がすっ転んだとき――アヤノだけが立ち止まって、手とハンカチを差し出してくれたんだ。鼻血出てるよって。覚えてないだろうけど。俺超恥ずかしかった」
「うん……ごめん、覚えてない。そうだっけ?……えっ? さっきの台詞はいわゆる、本気、ってやつなの? え?」
 戸川はタイピングが早い。淳が次の言葉を打ち込んでいる間にもどんどん「え?」という疑問が量産されていく。はたから見れば混乱する女騎士を放置しているS男のようだ。無論最悪のSだ。
「冗談であんなこと言わないって。じゃあ、そういうことなのでお休み」
「え、や、何がどうそういうこと――」
 戸川の言葉を最後まで聞くことなく、淳の画面はブラックアウトした。少し卑怯だとは思ったが、後悔はなかった。


 明日からもまた、戸川と電車で他愛のない話をして、地道に距離を縮めていこう(もしかしたらこの告白で離れてしまったかもしれない)。
 いつか自分のとなりを、心地良いと思ってもらえるその日まで。


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