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G01  黒と白の世界

 ―黒は罪の色。白は死の色。
 産まれた事が私は「罪」だった。母親は不貞を犯していたらしい。
その罪が、私―黒目に黒髪の娘だった。父親にはゴミでも見るような目で見られ、母親にはお前さえいなければ、と殴られた。その時の私の視界を満たすのは灰色。私の世界に色なんて無かった。空を見ても、人を見ても、みんな灰色。
そんな私の世界を変えたのは一人の少年。地面に蹲っていた私に声を掛けてくれた。顔を上げた私の視界いっぱいに広がったのは白。なんだろうと思い、その白を辿り、目線を上げていく。その先に有ったのは綺麗なお人形さんみたいな顔だった。少し痛そうな顔をしているその少年に首をこてんと横に向けた。どこか違うところを見ていた少年は、私に気が付いた。
「君、どうしたの?」
 私に声を掛けてくれる人は誰もいなかったから、すごく嬉しくなった。ちょっと笑いながら答えてみた。この人も私をぶったらどうしよう、って頭の隅で思った。でもそんなものは気にならない。心配してるみたいな顔が嬉しかった。
「家から追い出されたの」
 笑いながら答えるものではなかった。それを感じたみたいに少年も苦いものを食べたみたいな難しい顔をした。少年はきょろきょろと辺りを見回す。誰も私たちの近くに来ないのを見て大きく溜め息を付いた。
「……君のその色のせい?」
 あ、やっぱり皆知ってるんだ、と納得した。こくりと頷けば少年は困ったように笑った。
「私の色も皆には忌避したい色だから、悪目立ちしてるね」
「きひ?」
 少年は難しい言葉を使う。意味が良くわからなかったけど、きっと良い意味ではないのだ。私を見て少年はしゃがみ込んだ。ずっと見上げていたからちょっと首が楽になった。しゃがんだ膝の上に腕を組んで、その上に顎を載せてこてんと顔を倒す。それにつられて私も首を同じ方向に倒すと少年は笑いながら呟く。
「勝手に連れて行ったら、やっぱり人攫いになっちゃうよね」
 ちょっと考える顔になって下を見ていた。けれどすぐにこっちを見て綺麗に笑った。
「まあ、いいや。君、私と一緒に来る?」
 それはきっと、同情だったのだ。でも、この世界に私を必要としてくれる人がいることが嬉しくて。すぐさまその言葉に飛びついた。
「どうしたの?カラス」
 はっと気づいて姿勢を正す。目の前には不思議そうな顔の皇子。その傍には次期宰相候補の青年官僚。二人とも私を見つめていた。
「な、何でもないんです!」
 言って口を手で押さえた。私の馬鹿、と思いながら皇子に視線を向けると可笑しそうに笑っていた。
「珍しいね。カラスが仕事中に地を出すなんて」
「す、すみません」
 しおしおと肩を落とす。臣下としてきちんとした言葉遣いをしろと徹底的に仕込まれたのに。私のこういうところが皇子に陰口を叩かせる要因になってるから気をつけていたのに。
「そろそろ潮時、かな」
「そうですね」
 二人は目で語り合う。そしてその先には黒い少女。青年官僚は音も無く立ち上がり、部屋を後にした。残されたのは白い皇子と黒い少女。皇子は少女を呼び寄せた。
「カラスはどんな世界が見たい?」
 拾われてから良く聞かれる言葉。どんな世界。自分の世界を考えてみた。それから出た答えは一つ。
「灰色ではない世界」
「灰色?」
「私の世界には色がありませんでした。殿下に出会うまで」
 それは灰色一色の淋しい世界。その言葉に皇子は痛みを堪える顔をする。まただ。そう思うがそこは堪える。
「よく、母上が言っていたよ。この世界は灰色だって……」
 それは王に見捨てられた王妃の思い。顧みてくれない人を思い、不貞を働いた己が夫を恨み、死んでいった女の思い。
「世界を変えるには、王が変わるのが一番だよね」
 それは無邪気に見えた命令だった。王を殺せ。そう言われたのだ。それに小さく頷き、彼女は皇子の前から消えた。
 真っ暗な闇の中、それを見つける。それは椅子に座り、ワイングラスを傾けていた。少し飲んだところで手を止め、こちらを見つめる。
「誰の差し金だ?」
 穏やかな声。それには答えず、一歩踏み出す。月の光に照らされ、自分の顔が相手に見えるようにする。
それは私の顔を見た途端、顔がこわばった。なぜ、と声が漏れる。立ち上がり、こちらに近付いた。
「お、お前は、なぜここにいる?」
「貴方の命をいただきに」
 狼狽の仕方に違和感を抱きながら王に短剣を向ける。
「カラスは灰色の世界を壊す為にユキに従うの」
 ふわりと穏やかに笑う。それに王はあることに気づいた。
「こんな悪趣味なことを企むのは一人しか思い付かんな」
 あの白い息子。あれは私の罪を知り、暴いたのだ。そして目の前の娘は自分の罪の結果であり、何も知らない哀れな存在。笑いがこみ上げてくる。そしてこの娘になら命を差し出しても構わないのだろう。 
「お前は、私の罪」
「え?」
 王の言葉がうまく飲み込めない。この人は、何を言ってるの。言葉を理解したくは無い。そう心が伝える。それでも目の前の王は言葉を紡ぐ。とても残酷な言葉を。
「お前は私の不義の子。お前は母親に良く似ている」
 だから解った。そう言われてもとっさに反応は出来なかった。私が、誰の、子、だって。ゆるゆると頭は理解する。その度に一歩ずつ王から足は離れていく。
しっかりしろ、と自分を叱咤するが身体は言うことを聞いてくれない。
「罪が私を罰する、か」
 自嘲気味に嗤うその声に足元から恐怖が這い上がってきた。王は手に持っていた剣を私に差し出す。それは王位継承の証。皇子には王を殺し、それを奪ってくるように言われていた。青ざめながら、剣と王を交互に見つめる。見つめ返す王の顔色も尋常ではないほどに悪い。
「さあ、これが欲しいのだろう?これをお前の大切なあれに渡せば終わるぞ」
 すべて気づいている。先程とは違う種類の恐怖が身体を支配する。皇子の為に私が来た事を知っていた。だが、王は尚も嗤う。
「あれは恐ろしいな。このためだけにお前を飼っていたのだろう」
 ふとその言葉で気づいてしまった。あの人は私を捨てるのだ、と。きっとこの剣を渡せば、私は殺される。王殺しの罪で。それとも親殺しの罪かも。王が剣を手放す。耳障りな金属の音が部屋に響いた。その音で扉の外が慌しくなる。それにも何の感情も浮かばない。
「おう、さ、ま?」
 床に膝を付き、王は胸を掻き毟る。そして吐血した。何度も、繰り返し。崩れ行く王を咄嗟に受け止めてしまった。そのまま王は吐血し続ける。黒い服は紅く染まる。
「陛下!」
 そう言って一番に入ってきたのは一番上の青い皇子。私がいることで皇子は警戒し、剣を抜く。それを私の首に宛がう。それを理解しながらも、王を抱えたまま私は動けないでいた。扉の直ぐ傍に立つのは私の主。
冷ややかな表情に普段なら怯えが走るのに、今は何も感じない。耳元で聞こえるひゅうひゅうという荒い呼吸が私のものなのか、王のものなのか判別できない。
だが、彼の顔を見て王の言った言葉は本当だったと理解した。
「カラス、何してるの」
「ユキ!お前の知っているものか!」
「うん、まあね」
 冷笑をたたえる私の大切な主。私のすべきことは解っている。王に止めを刺し、青の皇子を殺し、この剣を渡すこと。
でも、王に植え付けられた自我が疑問を口にする。それでこの国に灰色の世界は無くなるのか、と。私のような子供は居なくなるのか、と。
答えはあまりにも簡単。
――否、だった。
 じっと主を見つめる。私がどう動くかを観察しているのだろう。私は王を見つめる。王は私を見つめ返す。そして穏やかに笑った。
「お前の望むままに。我が娘」
 それに首を振ることで答え、私は剣の柄に触れた。ずっしりと重いその剣を持ち、横に薙いだ。それだけであっさりと王は倒れた。色めき立つ騎士たちは口封じに剣を閃かせた。
 残るは二人。白の皇子と青の皇子。主は満足そうに微笑んでいた。青の皇子は理解出来ないという顔だった。一歩、皇子に近付く。剣を引き摺りながらその人の前に立つ。
「一つ、聞かせてください」
「なんだい?カラス」
「すべて、全て知っていて、私を拾い、こんなことを計画したのですか?」
「……そうだよ。でなければお前なぞ王家の恥として抹殺したよ」
 あぁ、本当だ。私は結局馬鹿だったのだ。どんなに知識を身につけ、この人を守る為に剣の腕を磨いても、私は所詮捨て駒だった。この人の特別には成れなかった。馬鹿みたいだ。勝手に笑みが零れ落ちる。眼の奥がすごく熱い。何かが溢れてくる。叫びだしたい。でもそれを飲み込む。ゆるゆると視線をこの人の眼に合わせる。この人の嘲笑が一瞬崩れた。それだけで充分。何かが私の頬を駆けた。それは消え去る。それが何か、理解する前に目の前の顔に自分の顔を近づける。
ほんの一瞬、冷たい唇に唇で掠めるように触れて離れた。笑う。うまく笑えている自信は無かった。
「貴方が王になっても、灰色の世界は消えない」
「……何を」
 口を掌で覆い、驚愕にその瞳を一杯にしても私の心は晴れない。
「白いユキに、誰の足跡も付けてはいけないの。私がその最たるモノ。黒は白と相容れない」
 剣を青の皇子の足元に投げ、王が座っていた椅子とテーブルの傍に立つ。あの人は用心深い。何かあった時の為に、これを用意していたのだろう。ワイングラスを手に取る。あの人は私が何をするのか解ってしまった。焦るあの人の声が聞こえた。
「カラス!」
 その叫びと共に、王が残したワイングラスの中の液体を飲み干す。喉が焼けるように痛む。それはアルコールのせいなのか、この酒に含まれた毒のせいなのかはわからなかった。私の手からグラスが零れ落ち、床に当たって砕けた。
がくりと膝をついた私は、王と同じように胸が焼ける苦しみを味わう。視界がゆらゆらと定まらず、身体もふらついた。
「カラス!」
 私の名を呼ぶ声と一緒に身体が温かいものに包まれる。それが何か、そこまで考えられなかった。痛みと苦しみに思考は途切れる。
「なんて馬鹿な事を!兄上!侍医を呼んで!」
「わかった!」
 眩暈と吐き気、わんわんと耳鳴りもする。口を押さえ、吐き出したいのを我慢すれば、その手をむしり取られる。怒りも露な声で命じられた。
「この馬鹿!全部吐き出せ!」
 否、と首を横に振って意思表示するが、そのせいで怒声を浴びせられる。
「死にたいのか!吐け!」
 死にたい。それが今の私の望み。大切な人に裏切られても、やっぱり大切な人だった。私が貴方の消えない傷になるなら、私は死にたい。
 絶望に縁取られたその人の顔を最後にきちんと見たかった。最後に視界を埋め尽くすのは、死の白。ゆっくりと目を閉じ、大きく息を吐き出した。
 その身体を皇子は駆け込んできた侍医に預けた。後ろには痛みを堪えるような兄。ふらりと立ち上がり、皇子はあの剣を視界に入れた。
「……こんな物のために……」
 こんな物の為にあれは命を落とすのか。それは自分が命じたこと。
 あぁ、確かに、と小さく呟いた。確かに私は王には向かないのだ。たった一人の命を犠牲にすることがこんなにも辛いことだった。
 生きてくれるなら、もう一度やり直せるなら。今度こそあの娘に灰色ではない世界を見せてやりたい。
「……ユキ、あの娘は本当に……?」
「うん、父上の落とし胤」
「では」
「私たちの妹、だね」
 黒は罪。あの娘の罪は、一体誰の罪なのか。父親か、母親か、それとも己の罪か。
白は死。この身に纏わる人間の死か、それとも自分の未来の、野望の死か。
 
ベットに横たわる少女の髪を梳く。さらりと手から流れ落ちる髪は黒。それを飽きずに繰り返した。そこへ部屋に入ってきたのは新しい王。いつもと同じ光景に王は嘆息する。
娘の寝顔をとくと見下ろし、傍に座る青年に声をかけた。
「何度か意識を戻したときに気づいているとは思うが」
「うん。なにもかも全部、捨ててしまっていたよね」
 記憶も、自分が与えた名も、全て。
 沈む弟にどう声を掛けるべきか迷い、結果溜め息を付きなから肩に手を置くに留めた。深い眠りに付くもう一人の妹を見つめながら。

 ふと眩しさに意識が戻る。ここはどこだろう。ゆっくりと目を開けると人影が見えた。しかし逆光のせいでよく見えない。
「だ、れ……?」
 ぼんやりとした表情のまま目の前の人物に尋ねる。
「おはよう、カラス」
 晴れやかな笑顔で青年は答えた。
「今度こそ、私の為に生きて。そして、できれば私と一緒に逝ってほしいな」
 彼の根底に在った願い。この少女に言う日は来ないと諦めていたその願いを口にする。 
きらきらとした世界は、もう灰色ではない。
黒と白の世界は始まったばかり。


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