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F10 俺 in QQ 24時
コンビニで夕飯を選んでいるとケータイが鳴った。
「シゲ? どうした?」
今日は“大盛り竜田揚げ弁当”だ。飲物、どうしようかな?
「合コン? 今から? ムリムリ」
飲料冷蔵庫のガラス扉が、ネイビーのスーツに浮かぶ白いピンストライプを映す。
「違うって。休みで都合良いのは、28日か4日って言っただろ」
麦茶のペットボトルをカゴに入れて、レジ台に乗せる。
「いらっしゃいませ。こんば、こんにちはっ」
今日のレジはこの女か。ハズレだ。
「ななひゃくにじゅうにゃな円になります」
ブスだし、すぐかむし、手は遅いし――
「800円お預かりし、あっ! すいませんっ!」
――金は落とすし。
イラッときて、思いっ切り舌打ちをする。「何?」と、シゲに訊かれて「何でもない」と笑う。
「そうなんだよ。給料安いし? お前らとも全然予定合わないし」
俺とそう変わらない時給の、ドジなレジ係から、釣りと袋をぶん取った。
「でも他に良い職も無いしなぁ。水商売とガテン系はゴメンだし」
レジ横にある小さいカゴに投げたレシートには“16:45”の表示。そろそろ時間だ。
「まぁ次が見つかるまでの繋ぎってことで、適当に頑張るよ。
ん? 4日? OK。詳細決まったら連絡くれよな」
エンジン掛けっ放しの車に乗り込んで、ケータイをカーナビ横のホルダーに入れた。
太いフレームの赤眼鏡を拭いて、掛け直す。軽いはずのプラスチック製なのに、なんだか重たく思うようになったのは、2年程前に鼻の骨折ってから。コンタクトにしたいが、作る金が無い。
さてと。今から尊い労働ですよ。
ハンドル握ってアクセル踏んで、駐車場から車道へ出る。職場に向かう道。ビル群の細い隙間から、フロントガラス一杯に広がる夕日が、やたら眩しかった。
救急車のサイレンが近付いては遠ざかり、廊下をストレッチャーが往復する。受付係もかねた年配警備員の徳さんは、次々やって来る患者の対応に大わらわ。夜間救急外来の待合室はソファーが足りず、立ったままの人がちらほら。ガキ共のギャン泣きも続いている。
「ちょっと喋っただけで薬も出てねぇのに、何でこんなに金掛かるんだ!?」
会計部屋の小窓から請求書を差し出すと、男の子を抱えたヤンパパが、短く剃った眉を跳ね上げた。
こんな“お問合せ”は、いつものことだ。
「まずこの時間は初診料に深夜加算が発生します。
息子さんは2歳児ですし、乳幼児加算や地域連携小児夜間・休日診療料なども付きますねぇ。
更に当院みたいなベッド200床以上の病院は、紹介状無しの初診だと“選定療養費”を頂くことが厚労省から認められてるので、2100円が上乗せ――」
「あーあー! 病院様は金ふんだくることしか考えてねぇよな!」
俺の丁寧な説明をヤンパパはぶった切り、スエットパンツのポケットから、札束や小銭を釣り銭トレーに投げ付けた。
「オラよ! 持ってけ! ボッタクリ!」
トレーに残った分、床に落ちた分から、丁度の金額を掻き集め、パーテーション裏の金庫に入れる。領収証を持って戻ると、ヤンパパは、黙ってそれを奪い取り、肩を怒らせて帰っていった。
「お大事にぃ」
スケルトン柄パーカーの背中を見送り、席に戻ろうとした時、廊下のソファーにお馴染の親子が見えた。
(また来てるな)
ハゲ散らかした頭を “VIP”と縫われた青いキャップで隠した中年男。その横で絵本に夢中なオカッパ頭の幼女。静かで影の薄い親子だが、約2週間にいっぺんの割合で来られれば、さすがに覚える。
VIPが俺を見て「ハー」と、わざわざ言って聞かせるような溜め息をついた。
珍しく不機嫌だ。何だよ。常連なんだから、混むのは分かってるだろ?
こっちが溜め息モンだ。やれやれ。
「ねぇあんた! もう二時間よ!? アタシの番まだ!?」
太ったオバハンが金髪のモジャモジャ頭を会計窓に捩じ込んできた。
「こんなにつらくて死にそうなのに!」
(元気じゃないか)
心の中で突っ込みつつ、
「受付の時に警備員が申し上げた通り、救急車の患者様が最優先でして」
笑顔で御説明差し上げる。こんな“お問合せ”も、いつものことだ。
「じゃぁ救急車で来れば良かったの!?」
(や。元気なくせに救急車呼ばれても社会の迷惑)
心の中で突っ込みつつ、
「ファイルお借りしますね」
その件は笑顔で無視。突き出された救急外来用会計ファイル――通称QQファイル――から“患者票”を取り出した。
「さっきお話し伺ったナースが患者様の症状を確認しまして――」
患者票の“識別救急欄”を指し示す。
“緑・黄・赤・青”
並んだ選択肢。“緑”に○印が付いている。つまり“もの凄く軽症”。
「――こんなふうに色分けして、診察の順番を決めてますので、もうしばらくお待ち願えませんかねぇ」
ウ~~ウ~~ピーポーピーポー――
俺の丁重なお願いが終わらない内に、遠くから何かが聞こえてくる。
「えっ? 何? 救急車??」
オバハンにも分かったようで、音の出所を探るようにグルンと目玉をひと巡りさせた。
「また来たの!?」
「また来ましたねぇ」
「また待たされるの!?」
「そうなりますねぇ」
オバハンは金髪頭を引っ込めた。
「帰るわ」
(やっぱり元気なんじゃないか)
サイレン音がやみ、代わりに徳さんの怒鳴り声が響く。
「前にとめてある銀の軽ワゴン! さっきから救急車の邪魔なんだが!」
「じゃかましいわね! 今、帰るわよ!」
「うるさいお前の喉を食い破ってやる」と飛び掛らんばかりの剣幕で、オバハンは玄関へ突進していった。
「お大事にぃ」
一歩ごとにブラジャーからハミ出た肉が揺れるオバハンの背中を見送る。
入れ違いに徳さんが来て、
「救急車入ったよ! 付添いも保険証も有りだ!」
受診申込書と健康保険証のコピーとを、会計窓口に滑り込ませて戻っていった。
救急隊員の押すストレッチャーと、家族らしい人達が、VIP親子の前を行き過ぎる。
患者は酸素マスクを付けた赤ら顔のデブオヤジ。おおかた酒の飲み過ぎだろう。
電子カルテに連動した会計ソフトに患者情報を入力する。救急車で来院したのが一目で分かるように、プリントアウトした患者票に“QQ車”と記入して、QQファイルに入れる。
診察室のナースにファイルを届けに行く時、またVIPの溜め息が聞こえた。
患者の波が切れて、院内処方待ちが後数人にまで減った。時刻は24時半を回っている。
「あぁ、疲れた!」
防犯上の理由で会計部屋と繋がっている警備員室から、徳さんが顔を見せた。
「俺もです。こんな忙しいのは久しぶりですね」
「お前、ここ、何年めだったけ?」
「1年経つか経たないか、かな」
頭の作りが残念な先輩と喧嘩して、鼻の骨を折られ「やってられるか」と前の会社をやめたのが、26歳の春。
正社員狙って1年程就活したが、連戦連敗。貯金も失業保険も底を突き、かと言って、うるさい親元に帰りたくもなく、ホイホイ飛び付いた仕事が、総合病院の夜間救急外来での嘱託医療事務員。
無資格だから駄目かと思ったら、意外にも、採用された。医療事務はじつは資格が無くても出来る仕事らしい。
最初は何もかもが意味不明だったが、騙し騙しやってる内に慣れてきた。入院や死亡患者の重たくて面倒な会計は、俺には回ってこない。そういうシステムになっている。計算間違えても、謝って修正すればいい。笑顔作って患者からの罵声を聞き流していれば、何とかなった。こんなモンだ。
「まだそのぐらいか。もうここの主みたいな貫禄なのにな!」
「やっやめて下さいよ。こんな所、次までのただの繋ぎです」
「次? 儂らの警備会社はどうだ!?」
「嫌ですよ。定年後の爺さんだらけの会社なんか。老けちまうじゃないですか」
「老けるもんか。元警官の、屈強で気の若い奴らばかりだぞ!」
胸張ってガハハと笑う徳さんの目が、6分割の監視モニターにとまる。人の姿はほとんど見えない。VIP親子はまだ座っているが、場所が少し変わっていた。
「やっと落ち着いたな」
徳さんが制帽を脱いで白髪を掻いた。
「そうですね。今日は救急車とガ――子供が特に多くて」
「また大したこともないのが多いんだろう?」
「ええ。トリアージ黄色や赤なんて、ほとんど見ませんしね。緑ばっかり」
「心配ないってことだろう? 今時の親は過保護なんだよ!」
「全く。熱も無いのに鼻水だけで『ウチの子を一番に見ろ』って大騒ぎ」
「その後は『金が高い』と暴れる! 昼に来た方がよほど安上がりなんだから、微熱ぐらいなら朝まで待てっていうんだ!」
熱の話しをしている内に熱が上がってきた。俺の愚痴熱が。
「順番割り込んだり、備品盗もうとしたり、さんざん勝手しておいて、ちょっと御遠慮願うようなことを言えば『カス』だ『死ね』だと喚き立て。仕舞いには『お前らの仕事は患者様への御奉仕だろ』だそうで。
何なんですかね? 『病院職員は患者の奴隷』とでも思ってるんですかね」
「とんだ“色眼鏡”だな!」
徳さんは俺の赤眼鏡のブリッジを指で小突いた。誰が上手いこと言えと。
ニヤッと笑い合った所で、パーテーションの向こうから呼ばれる声がした。
向かうと、会計窓口にQQファイルを持ったVIPの姿。またひと家族片付くな。
「お会計ですね? 今から計算しますので、しばらくお待ち下さぁい」
ファイルを受け取ろうとするのだが、VIPはなぜか俺を真正面から凝視して動かない。よく見ると、顔が赤く、目は血走り、早い息遣いで体が震えていた。
「……今、中で喋ってたのはキミか……?」
訊ねる声も変に震えている。
マズイ。聞かれていたのか。徳さんの声大きいからな。
「あ、はい、すみません。でも別にあなた達のことじゃな――」
苦笑いで弁解しようとすると、目の前でQQファイルが空中を舞った。
と、思うが早いか。顔面の左で鈍い音が響き、激しい痛みに俺はよろめいた。
傾いて外れかけた眼鏡のフレームからは、歪んで見えるVIPの握り拳。
な……殴られた……!
――いきなり何するんだ! ふざけろ! このクソハゲ!!
食らった不意打ちに、啖呵切って倍返しで反撃しようとしてしまう衝動を、咄嗟に歯を食い縛り会計台を膝蹴りして発散させる。徳さんが「なんだぁ!?」と、すっとんで来た。
「俺はなぁ! 前に息子を亡くしたんだ!」
拳を振り上げたまま怒号を上げるVIP。腰のベルトから警棒を構えようとした徳さんの手がとまる。
「最初は微熱で『これぐらいで夜間救急に行ったら迷惑だ。朝になったら病院行こう』って様子見てたんだ!
そうしたら見る見る内に悪くなって、気が付いたら手遅れだった!
死んじまったんだよ!!
俺も女房もどれだけ後悔したか! 女房はまだ泣き暮らしてるんだぞ!」
出入りしやすいように開いたままだった警備員室の入り口から、VIPが入ってきた。衝撃の告白内容に愕然として立ち尽くすばかりの俺達は、侵入を止められない。
「息子が突然死したんだ! 娘だってそうなるかも知れんだろう!?
少しの異変でも怖くて堪らないんだよ!」
オカッパ頭の幼女はこの騒がしさをものともせず、廊下のソファーでスヤスヤ眠っている。
「トリアージだか何だか知らないが、勝手に色分けされて順番抜かされたりするのも不愉快だ!
『他なんか知らん! 今すぐ俺の子を診察しろ!』って俺だって言いたいよ!
けれどあんたら病院も大変なのは分かってるから、我慢してるんじゃないか!
それをよくも――」
涙と鼻水を垂れ流して訴えるVIPの手が、わななきながら俺の首へと伸びてくる。だが寸前で腕は落ち、膝が折れた。
「なぁ頼むよ……患者達の不安や必死な気持ちを、詰ったり嘲ったりしないでくれよ。
俺らに出来ることなんか、病院に来ることぐらいしか無いんだから……。
後は、どれだけ不愉快でもあんた等を頼るしかないんだからよぉ!!」
VIPは床に前額部を擦り付けた。被ったままのキャップのつばをへし曲げて。
足元でうずくまって咽び泣く背中を前に、俺はもう、
「大変申し訳ございません!」
謝罪を繰り返す他に何をすることも出来なかった。
それから。
VIPは「どんな理由であれ殴ってすまなかった」と頭を下げ、娘をしょって帰っていった。
俺と徳さんも互いに謝り合って、後は通夜のさなかのようにダンマリだった。
赤眼鏡のフレームが、腫れ上がった左頬を押す。もの凄く痛い。
救急医の診断は、ただの打撲だった。鼻骨骨折の時よりも痛いのに。
俺のトリアージは“緑”……当然か。
ストレッチャーの近付く音に、窓口へ目を向ける。さっき救急車で来た赤ら顔のデブオヤジだった。
さっきよりも顔がどす黒く見えた。酸素マスクはしていない。その後を、啜り泣く家族がついてゆく。
(何だよ? あの顔色)
すぐパソコンに目を戻してマウスを掴み、患者の電子カルテを開いた。
――“死亡”。
今、運ばれていったのは、死体。28年生きてきて、そして、夜間救急外来で1年近く働いてきて、はじめて見た死体。
入院や死亡患者の重たくて面倒な会計は、俺には回ってこない。
そ《》う《》い《》う《》シ《》ス《》テ《》ム《》に《》な《》っ《》て《》い《》る《》。
ディスプレイの中で、カーソルが激しく痙攣する。
(……やってられるかよ! クソッタレ!!)
汗まみれになった手で、俺は机にマウスを叩き付けた。
コンビニで夕飯を選んでいるとケータイが鳴った。
「もしもし。おぅシゲか」
今日は“とろ~りチーズのオムライス”だ。飲物は紅茶だな。
「あ? そうだっけ?」
飲料冷蔵庫のガラス扉が、青いアロハのヤシの木を映す。
「すまん。4日、行けなくなった」
紅茶の紙パックをカゴに入れて、レジ台に乗せる。
「りらっしゃいませ。きょんにちわっ」
今日のレジもこの女か。
「りょっぴゃくごじゅうはち円になります……700円お預かあっ、すいませんっ!」
――また金落としたよ。
「じつは今の仕事の資格を取ることにしてな。それまでは休みの夜も、おうちでお勉強だ」
俺とそう変わらない時給の、ドジなレジ係から「どうも」と、釣りと袋とを受け取った。
「前、話しただろ? 患者の家族にブン殴られてクビ寸前になったって。あれで目覚めちまったみたいだ。
Mに? あぁMにかもな。給料安いわ、罵られるわ、殴られるわ。て、コラ!」
レジ横にある小さいカゴに投げたレシートには“17:03”の表示。
「まぁ繋ぎでやってられる仕事じゃないって思い知ったんだよ。
まだ良い職も見つからないし。じゃぁとりあえず今の仕事に本気出すか。という訳」
エンジン掛けっ放しの車に乗り込んで「じゃ、またな」と切ったケータイを、カーナビ横のホルダーに入れた。
太いフレームの赤眼鏡を拭いて、掛け直す。相変わらず重たいのは何のせいなんだか。……ま、コンタクトはしばらくいらないな。
さてと。今から尊いお勉強ですよ。
ハンドル握ってアクセル踏んで、駐車場から車道へ出る。アパートに向かう道。住宅街の立ち並ぶ屋根の間から、フロントガラス一杯に広がる夕日が、やたら眩しかった。
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