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F03  モノクロメトロ

 黒いあたしは、白いあなたを好きになった。
 白いあなたは何故だかあたしを好きになった。
 触れてしまえばあなたまで汚れてしまいそうで、伸ばしかけた腕を引っ込める。
 振り返るあなたの笑顔に、涙が出そうになる。

「好きだよ」
「知ってる」

 どちらともつかない会話。
 何度となく繰り返されたじゃれ合い。
 あたしの涙に、あなたは気付かない。
 触れたくて触れたくてたまらないのに、あたしは汚れすぎている。

「どうしたの?」
「何でもないよ」

 あたしの伸ばした腕に、あなたは気付かない。
 それとも知っていて知らん振りしているのか。
 あたしは全ての感情を押し殺して笑う。
 笑うしかない。



―――



 うそでしょう。
 私は唇を噛み締める。
 あまりにも酷すぎる。
 私は傍迷惑にも道の真ん中に立ち尽くしたまま動けないでいた。
 酷い雨が容赦なく私を打ちつける。
 傘が重い。
 私は目の前を凝視し白い彼を観察した。
 ブラックジーンズにピンクのラインの入ったチェックのシャツ。
 白さは、肌だ。
 見知らぬ黒い女と歩いている。
 彼は純粋だから気付いていないんだろう。
 だけど私には分かる。
 女は黒い。
 魂ごと黒い。
 まるで私みたいに荒んでいる。
 そんな女、彼には相応しくない。
 気付かせてあげようか。
 彼にあの女は不似合いだと。
 あの女にお前は汚れていると。
 私は重たい傘を握り締めて彼らに近づいていった。
 衝動を抑えられなかった。

「ねぇ」
「あ……」
「誰?」

 彼は私に気付いて立ち止まる。
 女はきょとんと私を見返す。

「あんた、私と別れた理由忘れたの?」
「あーっと……」

 めんどくさい話になると思ったのか、彼は私から目を逸らし女を促して行こうとした。
 この私が逃がすわけがない。

「その女、汚れてる」
「何てこと言うんだよ」
「あんたは純粋だから分からないでしょう。だから教えてあげたの。あんたに近づく女はみんな汚れてんだよ。だから私は別れてあげたのに、あんたは違う黒い女見つけたのね」
「意味わかんないんだけど」
「その女と別れなさいってことよ。さもないと」
「お前、俺らに近づくな!」

 彼は女を促すと逃げるように去っていった。
 私はその方向を睨みつける。
 彼の幸せは、私が作ってあげなきゃならない。
 勘違いしている奴らには、分からせてあげなきゃならない。



―――



 あなたの手がそっとあたしに触れる。
 至上の幸福にあたしは目を閉じる。
 降ってくるあなたの唇が何とも心地いい。
 こんなに幸せなのに、あたしは涙が止まらない。

「どうしたの?」
「うん?」
「元気ないの?」

 心配そうなあなたの声に、あたしは目を開けた。
 あなたの無垢な大きな瞳。
 吸い込まれそう。
 あたしはまた目を閉じた。

「大丈夫。続けて」



―――



 私は待ち伏せをするようになった。
 彼と女を別れさせる為。
 私がせっかく彼と別れてあげたのに、彼はまた女を手に入れた。
 許せないのは彼の裏切り。女の愚かさ。
 彼ほどの純白な人は汚れてはならない。
 決して。
 決して。
 
 まだ来ない。
 おかしい。
 この辺にいれば彼か女か両方か遭遇しておかしくないのに。

 陽が落ちる。
 ネオンが輝く。
 不細工な男がナンパしてくる。
 構うものか。
 私は目的達成のために待ち伏せを続ける。
 例え何日かかろうと、私は彼を純粋なままにしておかなければならない。

 

―――



 目を閉じたあなたの頬に、指先で触れる。
 横たわるあなたに覆いかぶさって、その両頬をこの両手で包み込む。
 暗い中でも青白いほどあなたの肌は白く、まるで死んでいるかのようにも見えて。
 あたしは目を閉じたあなたにしか触れられない。
 あたしがあなたを汚していくことに気付かないで。
 白いままでいてほしい。

 そっと唇を重ね合わせた。
 あたしの涙が彼の頬を伝っていく。
 胸が締め付けられる。
 強く、強く、唇を押し当てる。



―――



 乗り込もうか。
 私は黒い心で暗い空を見上げた。
 今日も雨が降りそうだ。
 いっそ乗り込んでしまおうか。
 彼の家へ。
 ただし私と付き合っていた頃と同じ場所に住んでいるかは分からない。
 偶然見かけた場所だって、私とは一緒に来たことなかった。
 私だって偶然通りかかっただけだ。

 すれ違う人は皆俯いている。
 まるで私を見ないように。
 真っ黒い私を見ないように。
 私は自分を嘲笑う。

 
 本当にね、彼の幸せを願っていたの。
 今でもよ。


 私じゃ幸せに出来ない。
 それを知って自分が傷つく前に自分から身を引いたのに。


 他の女に彼が渡るなんて、許さない。



―――



 卑怯なのはあたし。
 全て悪いのはあたし。
 あなたの白さを知っていながら手に入れたがった。
 まさか本当に手に入るなんて思わなかったけど。
 先へ進むことは怖かった。
 あなたは何も恐れていなかった。
 だから着いてきたの。
 自分の黒さを隠して。
 目を開けたあなたは本当に純白だから、あたしでは触れられない。
 眠っているあなたにしか触れられない。
 だから。
 だから。
 どうか、あなたから触れて。
 あたしは全てを受け入れるから。

「ねぇ」
「うん?」
「キスしよっか」
「うん」
「こっちにおいで」
「うん」
「好きだよ」
「うん」

 白いあなたがあたしを抱きしめても、あたしの黒さは浄化されない。
 黒く染まる方が簡単だから。
 あたしはあなたが染まらないよう、常にそれだけを気遣っている。



―――



「許さない」

 声に出すと力が沸いてきた。
 昔住んでいた彼のアパート。

 いない。

 偶然会った場所。

 いない。

 彼が昔働いていた場所。

 いない。

 私とデートを重ねた場所。

 いない。


 いないいないいないいない。
 いないいないいないいない。
 いないいないいないいないいないいないいないいない。
 イナイイナイイナイイナイイナイイナイイナイイナイ
 イナイイナイイナイイナイイナイイナイイナイイナイ
 私は狂いながら夜だろうが朝だろうが昼だろうが寝食を忘れ徘徊した。

 許さない。

 私の強い感情は、私の体を支配した。
 それはどす黒く。
 ここまでかというほどどす黒く。
 まるで私が私じゃないみたい。
 疲れきって休みたくても体は勝手に動き続ける。

 死ぬことさえ恐れぬように。



 どこに行っても、彼には会えなかった――



―――



 バカだなぁって思うよ。
 自分からしたら、この子もあの子も自分よりよっぽど白いのに。
 この子達はどうして自分を黒いと思うのかな。
 
 今隣で寝ているこの子は自分からは決して触れてこないけど、寝ている振りしてれば触ってくるんだ。
 本当は起きているときにでも触ってくれて構わないんだけどね。
 この子の寝顔見ていると、壊したくなるんだよ。
 存在そのものを。
 だって自分以外のものを見て欲しくないし、触って欲しくもない。
 自分以外のものに微々たる興味も持ってもらいたくないし、誰にも声すら聞かせたくない。
 自分だけの宝箱にしまって、厳重に鍵をかけておきたいんだ。
 だってそうでしょう。

 好きなんだもの。


 いつかのあの子も、自分の危険に気付いて逃げたんだと思ってたのに。
 バッタリ会ったときに変なこと言ってたね。
 わざわざ自分が加害者になることないのに。

 覚えておいたほうがいいよ。
 黒いのは自分のほう。
 キミたちのほうがよっぽど白いから。



―――



 もう許そうか。

 私はボロボロになって泣いていた。
 足がガクガクでもう動かない。
 道端に座り込んで懺悔するように両手をつく。
 髪も肌もボロボロ。
 体中所々擦り切れている。
 俯くと、地面が濡れた。
 辿り着ける場所なんて最初からなかった。
 彼に会えなかった。

 私はバカだ。
 私は一体何をやっているんだろう。

 やるべきことを放り投げて、別れたはずなのに彼に執着して。
 私は一体何をやっているんだ。
 やるべきこと他にあるだろう。

 私は声をあげて蹲って泣いた。
 まるで独り善がり。独り相撲。


 もう忘れよう。
 偶然彼と会ったことも全て。
 忘れてしまえ。
 私のために。


 東の空から薄日が差し込む。
 もう朝だったんだ。



―――



 朝が来る。
 窓の外から薄日が差し込み始める。
 眠るあなたの横顔にそっと触れる。
 あたしは泣いている。

 どうしてこんなに好きなんだろう。

 魂が震えるかのよう。
 骨の髄まで染み入るよう。

 使い古された言葉が丁度いい。
 

 あたしはあなたを愛してる。


 両手であなたの両頬を包み込み、唇を重ね合わせる。
 涙が止まらない。
 
 不意に強い力が加わって、抱きしめられたんだと知った。


 あぁ。
 あぁ。
 遂に。
 遂に知られてしまった。
 あたしがあなたに触れているって。
 汚しているって知られてしまった。

 離れようとすると更に強い力が加わって、あたしは身動きが取れなくなった。


「好きだよ」
「知ってる」
「もっとしてよ」
「いいの?」
「もちろん」


 あたしは両手を伸ばした。
 あなたの目が開いている状態で、初めてあなたを抱きしめた。


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