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E12  錆色モノクローム

 グワンには白と黒だけが、世界のすべてだ。
 色という色は生まれた時から、奪われていた。それでも何かを殴り倒せば、その感覚が手に残るし、食べ物の味はしっかりと感じ取れる。
 膝まで浸かった川の冷たさもよく感じられる。白と黒だけが流れる中で、グワンはすっと意識を拡張した。膨張する知覚が、魚影を見つける。その魚にめがけて間合いを詰める。流れる水と不安定な足場をモノともせず、瞬く間に近寄る。そして、熊のようにスパッと拳を叩きつける。パッと水が破裂し、魚は川辺へと打ち上げられた。
「おー」
 その川辺から声がする。まだ幼い女の子がいた。七つの届くかどうか。
 気配に気付かなかったのは水辺に集中しすぎたせいか。未熟さを嘆きながら、頭をかく。わくわくしながら、こちらに目を向けてくる少女に苦笑して、グワンはもう一匹、川辺へ打ち上げる。
「おおー」
 楽しげに笑う女の子に満足しながら川から引き上げる。捕らえた二匹を確保しながら、喰うか、と短く聞く。嬉しそうに女の子は頷いた。見れば随分やせているようだ。飢饉があったという話は聞いたことはない。永く山に籠もってるグワンにも。もっとも単に貧しいのかもしれないが。
 まあ、そんなこともあるだろう。
 関心を封じ込めると魚の調理にかかった。横ではいちいち女の子が感嘆したような声で騒ぐのに、くすぐったい。魚を簡単にさばき、塩を簡単に塗り込んで鉄串に刺す。そして、事前に作っておいた焚き火で炙る。
 しゅうしゅうと焼けていく様を面白げに見る女の子にグワンは口を開いた。
「どっからきた。名前は」
 ぶっきらぼうな声だったが、心配は十分しているようだ。そもそも不吉な鬼鳴き山に続く、この川と森には人間など滅多に近寄らない。酔狂ものか、迫害されたものか。グワンは一応前者だが、それでも目のせいで他の土地では生きづらいし、鬼鳴き山に生家があるのもあった。女の子はどちらでもないようである。
「麓の村から。名前、千代」
 少し、ためらいがちに千代は答えた。
 麓の村は閉鎖的だった気がする。山には決して入らない。もっとも子供達は鬼鳴き山の恐怖を知らないし、誰も知らないだろう川辺で遊びたい、だの考えるはずだ。それが命取りになることもままあるが。
「あ、こげちゃう」
「ん、はやいなあ」
 魚を見てもよく変化が分かっていなかったグワンは魚達を炎から引き離した。そして、身を少し剥いでみる。鍛えて皮が厚くなっている掌からも伝わる熱、ほくほくとほどけた魚肉、十分焼けているようだ。念のため、むいた身を口に含む。悪くはなさそうだ。
 ほら、と一本を女の子に差し出す。奇妙そうな顔をする千代に苦笑する。
「ああ、色がわからないんだよ、すまんな」
 悪いことを聞いた、とばかり、曇っていく顔にグワンは笑いかける。
「そう、沈むなって。な、なら、どれがどんな色してるか、教えてくれよ、な」
 うん、と頷くと焼き魚を受け取った。ふぅふぅと冷ましながらほふほふと頬張る。小動物めいた動作がどうしようなく心をくすぐり、くくくっと自然に笑ってしまう。
 千代は何がおかしいのか分からないまま、目をしばたたかせた。



 二人は石の色について少し話していた。黒っぽい石が実は灰色だと。灰色というものの存在は中々、グワンには理解しがたかった。黒と白が混じった色というのはいまいち想像できない。
「はい、グワン、ばん」
「なー、むつかしいなー」
 気の抜けた子供のような声を出すグワン。その前には石が積まれ塔のようなってしまった。色についての講釈も結局は石積み遊びとかわってしまった。崩れそうになる石の塔をうまく支えられないだろうか。
 その考えに割り込むように気配が一つ、川辺へと近寄ってくる。感じからいってモノノケやアヤカシの類ではない。人のようだ。草履のすれる特有の音もする。それでも念のため、拳を構えて、そちらをじっと見る。千代は戸惑っているが、残念ながら説明する時間はなさそうだった。
 黒い藪をガサッとかき分け、出て来た腰に刀を差している男だ。汗にまみれてはいるが、着ているものが中々いい。おそらく武士だろう。はじめは積まれた石と、不審な男にぎょっとしたが、横にいる小さな影を見つけると見下したような瞳に変わる。
「千代、こんな所にいたか」
 不快げに、実に迷惑そうに言い放つ武士は、帰るぞと命令口調で言い放つ。千代は諦めた表情で頷くと、武士に近づく。モノを見る目で千代を睨んでから立ち去る。追っていく千代は一度だけ振り返ると、小さく手を振った。
 それに静かに振り替えす。不安げな顔を少しでも紛らわせることを願いながら。
 二人が去った後、グワンは無言で二人を尾行する。なんとなく気になって体が動いたのだ。
 川辺から離れたせいか、じわじわと暑さがぶり返してくる。まだ日が傾きはじめた程度で熱はなくならない。
 無言で、重く苦しく歩く二人を追いながら森の小道を抜ける。
 星が見え始め、日が静かに役目を終える頃、麓の村が見えた。薄白く見える村は、殺伐とした雰囲気をまとっている。祭りのようなものの準備をしていて、武士の帰りにも反応することはなかった。
「皆の衆、供物は無事だぞ」
 その言葉におおおっと声が上がる。視線の先には千代がいた。
 安心じゃあ、と誰ともなしに声が上がる。これで、ウラガミに喰われなくて済む。活気をいびつに取り戻したような村人達。よそよそしい冷たさで、千代を眺めながら口々に言った。千代を気遣うものは一人もいない。
 それをどうどうと抑えるような動作をした跡、武士は問う。
「今夜にもウラガミは来る、仕上げは終わったか」
「ええ、出来ています」
「忌まわしい、紅髪も始末できる、ウラガミもいなくなる、金は手に入る。ははっ、まったくいいことづくめですな」
 武士は薄笑いで、それに答えた。宵の口に入る薄暮れにいやに目立つ笑いだった。
 ゾッとしながら耳をそばだてる。ウラガミは知らないが紅髪は聞いたことがある。燃えるような赤い髪の女は、丙の女、火と飢饉を呼ぶという凶兆の象徴だった。村の者の目が冷たく、関わりたくないと思うのは当然だった。
 ああ、赤髪だったのか、と場違いな関心をしながら、村から外れる。一度だけ振り返ると、走り去った。
 関わるべきでないと、理性が告げていた。戦うべきだと感情が叫んでいた。
 答えるものはなく、グワンは山へと消えていった。



 山の中の色は黒が強く、おそらく闇が辺りを支配しているようだ。それに一体化しながら進んでいく。苔に覆われた地蔵の横を通り、異様に大きな羊歯の群生地を抜けるとグワンの家だった。
 がらがらと戸を開けて、台所に行き、瓶の水を一口飲む。写るのは真っ黒な水面だけだった。生まれてこの方、自分がどんな顔なのか、グワンは知らなかった。
「おやおや、戦ですか」
 女の声がする。いつの間にか忍び込んだのだろう。ぬふっと台所の隅からカラスが一匹顔を出した。ただの鴉ではない。天狗だ。グワンに生きる技術を仕込んだ師匠の同胞で、よくよく人の飯を食いに来る。
 不機嫌そうに、グワンは言い返す。
「わからない」
「そうですか、私にはそう見えたんですけどねぇ」
 黒い羽根を毛繕いしながら、天狗はどうでもよさげに答える。
 壁に掛かった大太刀を手に取る。止める理性を押しつけるように鯉口を切る。そうして鞘から引き抜くと、肩に担いだ。
「結局行くんですか」
「そういう風に見えたんだろう」
「ええ、だからとっと行きなさい。精々後悔しないように」
 頷くと家から素早く立ち去る。暗くなった中で天狗が、ガアっとため息のように鳴いた。



 グワンは藪に隠れながら、機会をうかがっていた。
 村ではかがり火が白く焚かれていた。
 広場には祭壇のような場所があり、千代がそこに立たされている。諦めたような顔のままで、それがグワンには腹立たしかった。
 その近くにいるのは武士だ。村人は遠巻きにそれを見ている。緊張した面持ちと、わずかな囁き声。闇の中からぬるり、と人間が現れる。神官風の姿ではあるが、どことなくドジョウを思わせる風貌で人間とは異質な雰囲気を持っていた。
 ごぽっと水が動くように声を発する。
「いい夜だ、静かで、やりやすい」
「・・・・・・それより、先払いはしてくれるんだろうな」
 武士はそう矢継ぎ早にいって掌を出す。神官らしき男は狩衣の袖に手を入れる。
「その前に、ネズミを始末しなければなりませんな」
 しゅっ、と藪へ向けてクナイが投げつけられる。舌打ちし、転がるように出てくる。光の写らない瞳を向けて、睨む。
「ほう、これは珍しい。どうやって回りを見ているのですかな。邪魔者のようですし、えぐって確認でもしますかねぇ」
 神官は、さっと手を伸ばすような動作をする。ざざざざさっといって何かが震える。ばわん、とかがり火の影から大柄な影が表れる。
 それの影は、骨の折れるような音を何度も鳴らしながら、ごつごつとした筋肉をした、角を持った大男へと形を転じる。
 鬼だ。
 背負い投げの要領で大太刀を引き抜くと、グワンは斬りかかった。躊躇いもない早業である。
 鬼の肩から黒い血がパッと咲く。
 そのまま、心臓まで裂くと蹴り飛ばして引き抜く。どぼどぼと墨色の血を吹き出しながら鬼はどうっと倒れる。
 ざざざっとまた音が鳴る。グワンの後ろから白い鬼がくにゃりと湧く。相手の爪が動き始める前に、大太刀を引きずりながら反転する。強靱な足捌きがたった一歩で、鬼を上下に分けるほどの横薙ぎの一撃を繰り出す。
 ぐわぁんっと空気が唸った跡には、倒れた鬼が黒をぶちまけていた。腸がいやら白々と見える。飛び散った中にあった夥しい髪の毛と小さな頭蓋が、鬼は何を食べていたのかよく分かる。
「ウラガミはその程度では死にませんよ」
 ざざざっと今度は神官の影が波打ち、その中から鬼が立ち上がる。
 よく、目を凝らすと白っぽい何かが、影と同時ぼんやりと動いているのが見えた。
「ふむ。ウラガミに喰わせればどんな鬼になるか、楽しみですな」
「ふむ。ちょっと見てみたい気もしますね」
 どこかで女の声がする。武士と神官は怪訝な顔をして見渡すが、なんの影もない。
 世話焼きめ、と心中で呟いたグワンは、神官に駆け寄り袈裟切りを放つ。重い太刀の一撃だ。太刀の名の由来は、断ち、断ち切ることだという。それを体現したような剣閃だった。
「おっと、危ない」
 鬼を盾にして防ぐ神官。互いに予想できた動きである。鬼は両手を挟んで体を守るが、その両手も断ち切られ、肩の半ばに大太刀が入り、逆にがっちりと固定されてしまった。  
「これで、得物は」
 言い切る前に、グワンが跳び上がり、太刀を足場にして神官の横にすとんと降り立つ。目を見開いている彼に、丁度いいとばかり、拳打を放つ。
 拳が顔面をひしゃげさせると、ぷちっといい音がした。グワンはそのまま振り抜いて藪の奥まで神官を吹き飛ばす。
 その隙に祭壇まで走り抜け、千代を引っ掴んでおろした。
「なんで、なんで来たの」
 虚脱した様子で問う千代に、頭をかいてグワンは答える。
「まだ、教えて貰ってない、色があるからなあ」
「そんなのでいいの」
 千代は小さく首を下に傾けた。
「まあなー、こっちはそれで十分だしなー」
 そう言って笑いかけると、少女の表情はやっと砕けた。
「見えていないのに、教えて貰うとは、不可思議なこと言いなさる」
 藪からぬぅっと立ち上がったのは、神官の男、そしてぬるりとした黒い影で出来た長虫だ。ぎちぎちと口をならし、無数にある牙が動く。人の数倍はある体躯だった。
「ウラガミだあ」
 武士が呆けたように言うと、慌てて立ち去った。
 グワンは拳を固めて、そちらへ向く。
「何も、見えていない目だというのに、何を見ているんでしようね」
「そっちこそ、何を見てるんだ」
 神官の顔面はひしゃげていた。血と潰れた目が混じった液体を両方の眼窩から吐き出すように落としていた。それを無視すると手を振り上げた。
 ウラガミと呼ばれた長虫が口をもごもごとさせる。パッと口を開けると、白い何かが水しぶきのごとく吐き出される。牙が散弾のように飛んできたのだ。
 舌打ちと同時に千代を庇うように、前へ出る。そして、まだピクピクとのたうち回っていた白い鬼を掴んで盾にする。
 ととととっ、場違いな小気味いい音と共に牙が鬼に突き刺さる。今度こそ絶命したのだろうか、だらりと血を流して倒れた。
 鬼を手放しながら、すうっと息を吐く。
 目をギィっと唸らせて、集中する。確かにグワンはそもそも普通の視点を持ち得ない。生まれたときから盲目であった。それ故に、師から気の流れを見る技術を賜った。そして操る技術もまた、学んだ。決して才覚があったわけでもないが、それがなければとても生きていけるものではなかったからだ。
 影のように伸びてこちらに食らいつこうとするウラガミ。
 迎撃せんと、腹に力を溜める。ぐわんっと大気が震動し、黒と白がグワンの回りでハラハラと舞う。余剰した気や辺りにある気だった。体の周囲にあるその力を体内へと集中する。。
 鬼の死体や臓物で濡れる大地を物ともせず、脚を踏み出すと大地が揺れるように鳴る。そのまま、ウラガミに叩きつける。
 意外な速さで、ウラガミは紙一重で避けた。しかし、かすっただけでも皮が裂けて、影の色をした血が舞う。しかし、これを好機と取ったのか、グワンの腹へ目掛け牙を向いた。
 グワンは、避けなかった。膝を蹴り上げて長虫の顎を打つ。外れやすくなっているのか牙がバラバラと吐き出された。のたうつ長虫の腹へ回るように踏み込んで、体全体の力という力を肘へ込めて叩きつけた。
 ぱんっとあっさりした音共に、影が爆ぜて立ち消える。はらはらと紙吹雪のように白と黒の気が散っていった。
 神官は服を残してしゅるしゅると縮まっていく。人間ではなくウラガミの端末か何かだったのかもしれない。
 村人が怯えた目でこちらを見ていた。無個性に沈んでいる瞳をじっとにらみ返すと、グワンは千代を掴んだ。
 ガアっと鴉が鳴いた。そしてガアガアガアと鳴くと辺りにカラスが集まって来た。何羽もの鴉達は千代とグワンを包むほど集まると、次の瞬間パッと立ち去った。そこには鬼もグワンも千代もいない。一羽の鴉が満足そうに笑うとパッと飛び去っていった。



 三人は旅の空にあった。追求されるのも面倒だったから、あの土地よりさっさと離れたのだ。
 大荷物を背負ったグワンは時折、道々の草木を見て千代にあれは何色だと聞いては、仕切りに頷いていた。天狗はグワンの荷物にとまり、それを興味深そうに見ている。
 ふと、千代が立ち止まる。
「ねぇ、本当よかったの、出て行ったりして」
「いいんですよ、ほら、こいつ楽しそうじゃないですか、気にしないー気にしないー。それに男なんて使い潰してナンボですよ」
 口を開こうとしたグワンに天狗が割り込んでカッカッカッと笑う。微苦笑すると、情けないような嬉しいような感情が浮かんでくる。
 きっと灰色はこんな感情の色なのだろう、とグワンはふと思った。


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