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E09  BUN-BORG

「おっとここで、桜居君のランスが炸裂、柏木君の盾にひびを入れたー!」
 盛大な歓声と共に実況の声が満員の観客席にこだまする。円形のフィールド中央、白魔導士のローブ&マント姿で白銀に輝くブレードを右手にかざし、荒い息づかいで立ち尽くす柏木に対して、特撮ヒーローのような姿の桜居は低い姿勢を保ちながら赤いラインが美しい黒いランスで柏木を狙う。
「いけ! 柏木!」
「ぶちかませ、桜居!」
 耳をつんざく観客の声が沸き立つ。
 先に柏木が動いた。ブレードを上段にかまえて桜居の頭部をめがけ振り下ろす。桜居はそれを巧みに避けつつ、
「うおーーっ!」
 叫び声を上げながらランスを柏木の右肩に突き立てた。
 一瞬の静寂の後、
「SAKURAI WIN」
 機械的な女性の声と共にアナウンサーが絶叫した。
「きまったー!! 試合終了ー! BUN-BORGチャンピオンシップノース予選優勝、本選への切符を手に入れたのは、桜居将真君!」
 モニターに「WINNER SAKURAI」の文字と観客が放つ色とりどりの祝辞を述べる文字と花火が夜空に浮かび、満面の笑みを浮かべる予選の優勝者を祝った。フィールド中央では、勝った桜居がまだ膝をついている柏木に手を貸し立ち上がらせると、笑顔で声援に応え手を振る。
 片隅でその様子を見ていた善司は、優勝した級友に背を向け仮想空間から落ちた。

 ネットが発達しスマホが一人一台当たり前の勢いで伸びる今でも、文房具を持っていない学生はいない。そこに目をつけたゲームメーカーだった。
 今や世界中の学生を虜にしている BUN-BORGは、文房具を武器にネット上の仮想空間でバトルするゲームだ。
 まずペンケースをスキャン。中身の文房具はデータベースに照会した後、使用感も加味され古今東西の武器からその文房具に合ったものが選別される。予選では桜居のコンパスがランスに、柏木のシャープペンがブレードになった。ペンケースがスチール製なら防御重視の甲冑や鎧に、革製なら機動性が上がるレザーアーマーというように防具となる。桜居のペンケースはスピード重視のエナメル製。特撮ヒーローのスーツのように体にフィットした防具になる。柏木のローブは布製で若干HPが増える。ペンケースのデザインはできる限り反映されるため、桜居の胸にはスポーツメーカーのロゴが貼り付いていた。武具、防具共に多種多様であるため選別が戦略の鍵となる。
 低迷していた文房具業界はデータベースを提供する見返りに、ゲームで照会されたデータに基づきニーズにあった製品を作るようになった。BUN-BORG初心者向けに専用のペンや定規のセットが発売したり攻略本を製作することでかなりの利益を上げている。
 老若男女、誰もが楽しむゲームのチャンピオンシップ予選は、1万を超える観客がそれぞれの端末から見守った。明日のニュースはこの話題がトップを飾ることになるだろう。かくしてそうなった。

「すごいね、桜居君!」
 スマホでゲームニュースを読んでいた菅山綺羅璃は、朝から居眠りする雲井善司をつついた。
「私もやりたい! ねえいっしょにやらない?」
「やらねえ。ダリいし」
「ええー? やろうよお!」
 綺羅璃はむくれながら居眠りを続けようとする善司の体を揺すった。
「おはよう、菅山さん」
 顔を上げると昨日の優勝者が微笑んでいた。
「桜居君! 優勝おめでとう!」
 綺羅璃は自分のことのようにうれしそうにスマホをかざした。その記事を見た桜居は照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとう。本選もがんばるよ」
 桜居は善司を見るとにっこり笑い自分の席へと戻っていった。善司も手を少しだけ上げてそれに答えるだけで、声すらかけなかった。その様子に綺羅璃はぷくっと頬をふくらませた。
「善司はおめでとうって言ってあげないの?」
 むくれる綺羅璃を無視して桜居を目で追えば、あっという間に人垣が出来た。昨日の優勝の興奮のまま桜居にペンケースを見せてアドバイスを求める奴までいる。
「桜居、次の対戦相手強そうなんだけど、なにか対策ある?」
「大事な対戦なら初めての武器は避けた方がいいよ。それから……」
 真剣に相談に乗っている桜居はさぞ頼もしく見えるのだろう。綺羅璃もその輪の中に入っていく。
 善司の口元が嘲笑うように少し上がった。

 放課後。
 善司は駅のトイレで私服に着替えると、ロッカーに制服と鞄を押し込んだ。夜勤で帰ってこない母親から夕飯用に渡された金で駅前の牛丼屋の並盛りをかき込む。店を出ると少し歩いて路地裏のビルに足を踏み入れた。一歩一歩階段を下がる度に都会の喧噪は聞こえなくなり自分の足音だけが存在を誇張してくる。開店前のバーやスナックのドアが並ぶ地下一階の静かな通路を歩き、一番奥にある鉄製の重厚な扉を開けて中にすべり込んだ。そしてもう一つ木製の扉をゆっくりと開けば、煙草とピアノの音が彼を日常から大人の世界に誘う。最低限のライトとアールデコ調のランプのやわらかな明かりがカウンターにいるマスターと客を照らしている。さほど広くない店の奥に設置された漆黒のグランドピアノで、緑色のチャイナドレスを着た女性がゆるやかなジャズを奏でていたが、善司がスツールに座ると同時に曲にピリオドを打った彼女は、ゆっくりと善司に歩み寄った。
「クラウド、いらっしゃい」
 甘い声で善司の耳元に囁くと、彼の腰に手を回すと頬にキスした。深く入ったスリットから伸びる白い足を彼の左足に少し絡めてとろけるような笑顔を向けた。善司は香水とアルコールの吐息に軽いめまいを感じていると、先客の大柄の男がゆっくりと煙草を燻らせながら笑った。
「よう、昨日の決勝すごかったな。なんでお前、予選出なかったんだ?」
 今朝からその話ばかりだ。善司は辟易していた。
「ガキの遊びなんかやるかよ」
 苦笑する彼の前に白いコースターが置かれ、美しく塩の結晶が飾られたグラスにシェイカーから白濁した液体が注がれた。見た目はソルティドッグだ。グラスの塩をなめながら飲んでみれば、よく冷えた塩辛いグレープフルーツジュースだった。
「ガキだろうが」
 子ども扱いされた善司はむっとしながらもグラスを傾けた。
「オーカー。あんまりクラウドをいじめないで。かわいそうよ」
「ライム、離せ」
 善司は彼女の名前を呼び首に回された腕を叩いて放せと合図した。
「あら、今日はご機嫌斜めなのね」
 ライムは手を離すとマスターからジンライムを受け取った。きらりと光るネイルを見ていると、オーカーが善司の肩に手を回した。
「そういえば、今日のデュエル何かあるのか? お前のオッズ、跳ね上がってるぞ」
 俺もお前に賭けてるんだとオーカーが笑った。
「相手はローシェンナじゃないだろうな。あんなのとやるのはごめんだ」
 先週のデュエルで無様なデュエルをした青年の名前を口にすると、オーカーもライムも含み笑いをした。
「いいや。オーキッドってヤツ。お前をご指名だと。ガキだって見破られたんじゃねぇか?」
「まさか」
 善司は苦笑するしかなかった。

 BUN-BORGを楽しんでいるのは子どもだけではない。
 表のバトルに対して、裏で秘密裏に大人が楽しむBUN-BORGはデュエルと呼ばれる。デュエルには試合ごとに金を賭けられ、一攫千金を狙う大人達が集う。デュエル参加者は勝てば賭けられた総額の一割が手に入る。
 表同様全身をスキャンするため顔もそのまま反映されるが、表とは違いここでは顔を隠すのが常識だ。必ず本名で参加するよう義務づけられている表とは違い、デュエルではお互いを色に関連した名前で呼び合う。万が一、本名や顔を知ったとしても双方の世界に持ち込むことは禁止されている。

 9時10分前、マスターが店の内側から鍵をかけると、レンガの壁一面に白いスクリーンを下げた。瞬時に全国どこからでもアクセスできる仮想空間のコロッセオが映し出される。既に千人もの観客が待機しているらしい。数字を見て今日の観客の多さに驚いた。
 オーカーが店の奥に消えた。やがてスクリーンに戦国武将姿の男が映し出された。顔は仮面で確認できないが、画面の表示でオーカーということがわかる。
 彼は腰の日本刀をすらりと抜いて両手でかまえた。相手はタバルジンというインドの戦闘用の斧をかまえている。スチールメイル姿の相手がオーカーににじり寄る。オーカーは限界まで引きつけるつもりなのか微動だにしない。やがて相手のタバルジンがオーカーの左肩口に振り下ろされた。オーカーがその柄に日本刀を食い込ませる。
 歓声はない。武器のぶつかり合う音と、オーカーと相手の息づかいだけが聞こえてくる。表のバトルと違い、デュエルは静かだ。
 オーカーがいきなり相手の後ろに回った。急な攻撃に対応できずにいる相手を後ろから突き上げると、相手はそのままの形で倒れた。瞬時にオーカーの勝利が画面に表示されるのと同時に配当金の知らせが表示され、デュエルは終わった。
 しばらくしてオーカーが戻ってきた。汗を手でぬぐいながらカウンターにいるマスターに向かって、
「マスター、ビール」
 注文をしながらすれ違う善司の肩を叩いた。
 店の奥にあるそれは西洋の棺桶の形をしている。マスターが特注したデュエル専用の装置なのだが、善司は毎回のようにマスターの悪趣味に苦笑する。横に置かれた黒光りする小さな台の上にペンケースを置いてスキャン。棺桶のスリットにエントリーカードを差し込み開いたままの棺桶に寝転がる。微かにオーカーの汗の臭いがして眉をひそめる間に自動で蓋が閉まり、全身のスキャンが終わった。
 目の前の小さなスクリーンに映されていたコロッセオに『WELCOME』の文字が浮かび上がる。目を閉じ、そして再び開けるとギリシャにあるコロッセオを模した仮想空間にいた。文字とシルエットのみで表示されたたくさんの観客を仰ぎ見、目を落として手にした武器を見る。愛用のボールペンから変化したクレイモアという諸刃の剣。刀身に刻まれたメーカー名を確かめるように握りしめ、どう攻めるかをシミュレーションしていたその時、
「今日はよろしく」
 聞き覚えがある声がした。絶対にここでは聞かないはずの声だ。まさかと顔を上げた善司は相手の姿に目を見張った。そして今日のオッズが急上昇した訳を理解した。見覚えがあるスポーツメーカーのロゴ。昨日の試合で予選を勝ち抜いた級友は優雅にフェイスマスクを上げ、デュエルに似つかわしくない爽やかな笑顔。
「初めまして、クラウドくん。今日は存分に戦おう」
 ノース予選チャンプの桜居将真の登場したのだ。観客達は静かに興奮しているようで、掛け金が更に上がっていく。
「本選前の腕試しか? さ」
 名前を言いそうになり、思わず口をつぐむ善司を桜居は鼻で笑った。
「オーキッドだ。ここはリアルを持ち込んじゃいけないんだろ? ゼンジクン」
 桜居は右手で自分の武器を持ち上げた。BUN-BORGでは個人の身体能力は反映されないが、武器の大きさは攻撃力と機動力に加味される。大きなハンマーは、破壊力はあるが動作が鈍くなる。桜居は重そうにハンマーを持ち上げ、善司に振り下ろす。善司はハンマーの頭をコンマ五秒でよけた。そのままハンマーは地面に激突。振動でふらつく善司の動向を見ながら桜居はゆっくりとハンマーを持ち上げた。その跡にはピンクの肉球が刻まれていた。
「思ったよりいいなぁ、ハンコって」
 楽しそうに桜居が呟く隙を突き、上段から袈裟懸けに斬りにかかるが、桜居のハンマーの柄でふさがれた。ぎりぎりと金属がこすれ、嫌な音をさせる。
 善司を思い切り押して後方へ跳び、その反動を利用して桜居と間合いを詰めて切りつけた。HPが少し削られ、桜居から余裕の表情が消えた。
「てんめええ!」
 桜居は叫びながら、両手でハンマーを善司の左側部に振り下ろす。地面を叩く轟音ととんでもない衝撃で体が吹き飛ばされ、武器が手から離れた。咄嗟に視界の右端にあるゲージを確認、HPは残り50%。クレイモアがはじかれ回転しながら場外へ飛ばされていく。場外に飛ばされた武器は使えない。右手を握り次の武器を出して善司は驚愕した。それは全長20センチくらいの警棒のようなものだった。こんなものを入れたか覚えがない善司は焦った。
「なにそれ。もしかして試合放棄?」
 片手で武器を探っていると警棒に小さなスイッチがついているのを見つけた。善司は、強く警棒を握りしめると体制を低くして桜居の懐に飛び込んだ。
「え?」
 戸惑う桜居のハンマーの下に潜り込み、手元のスイッチを押した。ブン、という音と共に警棒から光の剣が伸び、桜居の腹部に突き刺さった。桜居はその衝撃に奥歯をかみしめ体勢を立て直そうとした瞬間、善司はすかさず光の剣を抜いてもう一度切りつけた。絶叫と共に桜居のHPが0になった。
 静かに、「CLAUD WIN」の文字と配当金が画面に表示され、善司は安堵のため息をついた。桜居はゆらりと立ち上がると握手を求めるように手を伸ばした。
「強いんだな」
「もう来るな。お前のいるべき場所はここじゃないだろ」
 手を取ろうとしない善司に何か言いたげに口を少し開いたまま、桜居はリアルに戻っていった。

 カプセルが開くとオーカーの煙草の匂いとゆったりとしたジャズのリズムが善司を安堵させた。ペンケースを掴んでカウンターに戻ると、中からちびた鉛筆を取り出した。蛍光緑の半透明キャップをしていなければ使うことさえ困難なそれは、父親が小学校入学する時に買ってくれた鉛筆だ。たまたま入れたこれに助けられるとは……善司は苦笑した。
 オーカーはビール片手に善司の隣に座るなり、真面目な顔で聞いてきた。
「さっきオーキッドと話してただろ? ノース予選チャンプと知り合いか?」
「別に」
 善司の前にビールとジンジャーエールをステアしたグラスが登場した。シャンディ・ガフ。狂犬のよだれという名のカクテルだ。泡がランプのほのかな明かりに輝き、ビールの香りに味を期待しながら一口飲んで、ため息をついた。ノンアルコールビールで作られたそれは香りだけはよかった。
「マスター」
 善司の恨めしそうな声に、マスターはグラスをきゅっと一拭きをした。
「リアルで稼いで来たら飲ませてやるよ、坊や。……そうだ」
 マスターは振り返り、棚の引き出しから一通の封筒を出した。
「君宛てだ」
 渡された封筒の差出人は離れて暮らす善司の父だ。家に出せば母が善司に渡さない可能性を考えてこの店に出したのだろう。鉛筆のこともあり見覚えのある筆跡に頬がゆるんだが、封筒の中身を確認すると顔が引きつった。父を知るライムとオーカーも手元をのぞき込む。
「これ、サウス予選の参加申込書よね?」
「本選まで上がってこいってことだ。がんばれよ。現全国チャンピオンJr.」
 肘でつついてくる二人に苛立ちを覚えながら善司はシャンディ・ガフもどきを一気飲みした。
「絶対嫌だ」


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