一覧へもどる

E07  海賊と白と菫

 ルベル内海は海上交通の要所である。
 風光明媚、穏やかな気候の一方、干満の差が激しく潮流が見た目以上に速い。優れた航海術を有する漁師も多かった。身を隠すための大小の島々にも事欠かない。
 ゆえにルベル内海は海賊の海であるとも言う。

 海賊達は今日も、ルベル内海を航海する船を襲った。

 彼女は、海賊船の一室にいた。彼女は本日の戦闘における彼らの戦利品である。側付きの騎士を最後に見たのは、海賊達に猿ぐつわを噛まされ両手を後手に縛られ、両腕を胸ごと縄でぐるぐる巻きにされて足枷をはめられていた姿だった。
 彼女は拘束されていない。身包みを剥がされることもなかった、今のところは。
 船の上で海賊船の船長らしき男を見た。その男が、側に控えていた銀髪の男に「部屋に連れてこい」と言ったのも聞こえた。彼女は海賊達に丁重に迎えられ、そしてこの部屋で待機しているようにと言われたのでそうしている。大人しく従ったからかもしれないが、乗っていた船を襲われてからここまで彼女自身には乱暴なことは何一つなかった。
 鳩羽鼠のドレスの裾をそっと直しながら用意された一人掛け用の椅子に腰掛ける。
 スワトウ刺繍のハンカチを固く握りしめながら居住まいを正し、船長を待った。目の前にはちょうど彼女の座った椅子と向かい合わせになるように簡素な椅子が置かれている。
 彼女はそっと目を伏せ、ここにいたるまでの道程を思い返した。

 ラルカンシエル第二王女ブランシュはかつて王女とは認められていなかった。
 父王には歴とした他国の王族出身の王妃がいて、その王妃の侍女がたわむれの寵愛を受けて生んだ子どもが彼女だった。実母は産褥熱であっけなく死んだ。一部では、嫉妬に狂った王妃ガッタネーラに毒殺されたのではないかと噂された。
 男子ではなかったブランシュに父王の愛は注がれなかった。母を失い父の愛も知らぬ赤子は遠縁であるヴェルト夫人に預けられ、深い森の多い辺境の領地で育てられた。夫人は若い頃美貌と知性で評判となった人で、自分が受けた教育と同じ物をと、彼女に宮廷作法と教養と学問を与えた。
 時々森に静養にくる某国の貴族の子らとも親しくなり、幼い恋も育まれた。のちにその子らが、お国で船遊びのさなか亡くなったと聞かされたときは子どもながらに泣き明かしたものだ。
 穏やかな森での生活は、遠い異国で一人の老伯爵が亡くなったことでピリオドを打たれる。
 かの伯爵には幾人かの息子がいて後継問題には何の障害もなかったはずだった。が、伯爵が老境に入ってから息子達が次々世を去った。後継者に孫を指名するはずだったがこれまた相次いで亡くなっていった。兄弟やその子も失われていた。伯爵に残された身内は、嫁ぐ王女に付いて他国に渡った娘が残した、一粒種のみ。それがブランシュだった。亡くなった老伯爵の遺言状には、孫娘に全てを残すと記されていた。唯一の血縁者とはいえ他国の王の娘に領地を残したのである。
 これにより、ブランシュは広大な領地を引き継いだ。
 法にのっとると、女領主が未婚の場合は父親に後見の権利が発生する。父王はこれを知るとブランシュを正式に王女として認めた(表向きは養女である)。
 早急に王都に戻るよう命令がくだった。急ぎなので日数のかかる陸路ではなくルベル内海を通る海路が選ばれた。現在の宮廷は、王子を生んだ王妃の意のままだという。行きたくないと駄々をこねることもできずブランシュは泣いて船に乗った。
 鈍色の心とは裏腹に、青い空碧い海を背景にした白い帆は陽をはじいて輝いていた。

「船長がお着きです」
 声が、彼女の思考を遮った。
 振り返ると、入ってきたのは若い男だった。船の上で見た顔である。もう一人、先ほどこの男の側にいた銀髪の男も一緒に入ってくる。思わずブランシュは体を固くした。
 海賊船の船長たる男はおどけるような口調でいった。
「ようこそ、海賊船へ」
 よく通る心地よい声だった。そうして大げさな動作でブランシュの目の前の椅子に座る。銀髪の男はブランシュの後ろ、出入り口のすぐ側に立っていた。退路を断ったつもりらしい。
「さて、お嬢さん、名前は?」
「人に名をたずねるときはご自分から名乗られるのが筋ではありませんか?」
 海賊船の船長と対峙しながら、よくもこんな物怖じしないセリフが出てくるものだと自分でも滑稽に思う。
 だが船長は気分を害した様子はなかった。
「キャプテンレッドと人は呼ぶ。好きに呼んでくれたらいい」
「ヴィオレットと申します」
「なるほど確かに美しい菫(スミレ)の瞳だな」
 この偽名を考えたのは彼女ではない。あまりに単純だったかもと苦笑混じりにブランシュは微笑んだ。その顔を見た船長はちょっと表情を変えた。その事にブランシュも気づく。
「何か?」
「いや。ところで、おまえを側で守っていたあの男だが」
 いったんそこで切って、彼女の菫の瞳をひたと見据える。
「恋人か?」
「違います」
 反射的に答えて、ああ、しまったと思った。事前の打ち合わせではそういう事になっていたのだ。
 ブランシュ王女が途中でよからぬことを企む“誰か”に襲われることは十分考えられたので、大艦隊を率いての帰郷ではなく一隻の立派な商船が用意された。乗船しているのは侍女を除いて全員軍人。この航路で王妃の息のかかった者が毒を盛ってくるかもしれないと、食事も喉を通らなくなった。侍女ジョーヌとその兄オランジュ卿はそんなブランシュを心配し、なにくれとなく親切にしてくれた。
 海賊に襲われたとき側にいたのもその二人だった。ジョーヌとはその時の混乱ではぐれてしまったが、オランジュ卿が手を引いてくれた。海賊に捕まる直前、王女付きの侍女とその恋人ということにしておこうと取り決めをした。王女らしくない地味な鳩羽鼠のドレスを着ていたことも功を奏した。ヴィオレットはその時オランジュ卿が付けた偽名だ。ちなみにオランジュ卿はプルプルという偽名を名乗っている。
 船長はにやにやと笑った。
「違う、と? だがあの男はおまえを恋人だと言ったぞ。指一本触れるなとな」
「プルプルに会いましたか?」
「あの男はプルプルと言うのか。ああ、会った。拘束させてもらったが命に別状はない」
 その言葉に胸をなで下ろした。自分を守ってくれた騎士が無事なのは喜ばしいことだ。
「プルプルは親友リラのお兄様です。実を言えばプルプルに求愛されています。でも私は、遠い昔の幼い恋がいまだに忘れられない子どもですので丁重にお断りいたしました」
 興味を引かれたのか船長は身を乗り出し、顔の前で両手を組む。
「その初恋の相手は、今は?」
 ブランシュは船長の黒い瞳を見つめかえした。
「亡くなったと聞かされました。長い間それを信じていました。今は、生きていると思っています。確証はありませんけれど今は、限りなくそう思っています」
 視界がいつの間にか潤んできたので、まばたきを繰り返す。
「なるほどね」
 そう返ってきた声が心なしか嬉しそうだったのは、ブランシュの気のせいだろうか。
「質問は終わりだ。あとは自分の無事を神にでも祈っていることだ」
 船長は立ち上がる。ブランシュは言うべきことを思い出して慌てて言った。
「あの! 囚われた捕虜は海賊の物と聞きかじっておりますが、できればプルプルは国のご家族の元に帰してはいただけないでしょうか? 私には帰りを待っている人はおりません。ですから、私のことはお好きになさってくださって構いません。ですからどうか」
「奴隷として売られても?」
 振り返ってこちらを見た黒い瞳。その言葉に驚きを隠せず、彼の瞳を見つめ返した。
「あなたが、あなたのご意志でそれをお命じになられますか?」
 ならば仕方ない。声音に諦めがにじんだ。だが、船長は意外にも
「いや、やめておこう」
 と言った。
 船長の手がブランシュの顔にのびてきて無造作にあごをあげられた。初心な彼女は次の刹那、盛大に赤面させられることになる。
 船長は朗らかな笑い声をあげながら部屋を後にした。

 気がつくと誰もいなくなっていた。入口にいた銀髪の男も一緒に退室していたようである。
 ブランシュは、自分が固く握りしめていたものがハンカチだったことをようやく思い出して、口元に当てた。まだ顔の火照りが収まらない。
「今のは、私のことが解った上でなさったのかしら?」
 ハンカチの下に残る感触から、疑念が確信に近いところまで固まる。
 あの船長が、亡くなったと聞かされていた幼なじみだという確信が。

 近くの城に静養にきたという貴族の子女。友達のいなかったブランシュに、庭に迷い込んできた年上の少女は黒い瞳をまっすぐにむけて「お友達になりましょう」と手をのばしてくれた。
 少女と仲良くなってすぐに紹介されたのが、双子の弟だという少年だった。今の船長とは似ても似つかない、色白で線の細い少年。体が弱く静養が必要だったのは彼のほうだった。一緒に生まれた姉が全部持っていってしまったからねと彼が笑うと、彼女がそんなことはないと反論して、ブランシュはよく笑わされた。
 優しくて、いたずら好きでもあって、三人でやんちゃをしては後で彼だけ熱を出した。
「どうか僕のお嫁さんになってください」
 幼いなりに真剣な顔のプロポーズ。ブランシュは本気で彼の花嫁になれるのだと舞い上がった。後になって知った。少年は正嫡の跡継ぎ息子で、とても庶子の娘とは釣り合う身分ではなかったこと。
 なぜ今、海賊になっているのかは解らない。だが、彼らは海に落ちて死んだと聞かされた。

 と、そこへ。
 轟音がして船が大きく左右に揺すぶられた。椅子が動く。ブランシュはその場にしゃがみこんで船床を滑る椅子にしがみつく。轟音が大砲の音だとすぐ気づいた。何か、外で起こっている。攻撃されている?
 荒々しい足音が近づいてきて、船室のドアが乱暴に開いた。身を竦めたが、それは船長だった。ブランシュを見てほっと息を吐いた。そして近づいてきて、手を差し出された。
「来い、菫!」
「! はいっ」
 呼ばれたそれは船長に告げた偽りの名。だがその名で呼ばれると全く新しい自分になれた気がした。反射的に返事をして立ち上がると、彼の手を取り、その日焼けした首にしがみつく。大きな手が抱きしめ返してきた。
「おまえを取り戻しに来たらしい」
 びくりと体がこわばった。布越しの肌を通じて多分、船長にも解っただろう。思わずきつく彼の服を握りしめた。
 レッドはブランシュを抱きかかえたまま揺れる甲板へ走った。
 甲板の上に出ると、赤と青の船団がほぼ互角の損害を受けていた。向こうは濃紺の海賊旗、こちらは深紅の海賊旗を掲げている。ブランシュは初めて見たが、濃紺の海賊旗をかかげている船団が自国の私掠船であることは理解した。しかもあちらの船はレッドの船よりもずっと大きい。
 力の均衡を崩すため何かきっかけはないかと両者とも機をうかがっていた。

 誰からともなく声が上がる。
「新手だ!」
 もう一船団見えてきた。両者に緊張が走る。
 近づくにつれ見えてきた船の旗印は、赤い薔薇。
「嘘だろう」
 鳩を飛ばしたのはついさっきだぞ、と毒づきながらレッドは彼方を見た。
 船頭に、男物の上着に身を包んだ長い髪の女性が立っている。銀髪の男が目の色を変えた。
「ローズ! あなたという人は! もう一児の母だというのに、何かあったらどうするんです!」
 腕に抱えられたブランシュは目を見張っていた。驚きの表情で船長を見つめる。
「あなただけではなく、お義姉さまもご無事だったのですね?」
 船長は面変わりしているが、彼女はちっとも変わっていない。あれは間違いなく、幼なじみの双子の姉のほうであった。
 レッドはブランシュを見つめ返して、苦笑した。

 昔々、体の弱い跡継ぎはいらぬと姉ともども海へ突き落とされたのだという。弟を跡継ぎに据えたい親戚の仕業だった。
 彼ら二人を助けたのは銀髪の家庭教師と、海賊達で。死んだとされているのをいいことに子ども二人は海賊になるべく育った。家庭教師はずっと少年の教育係のままで。のちに突き落とした親戚を手引きしたのは自分だったと告白された。罪滅ぼしで一緒にいると。けれど彼を恨むことはなかった。
 海の上で、少年の体は驚くほど丈夫になった。素質があったのは姉のほうで、女というデメリットをはねのけて海賊になった。女海賊の夫に選ばれたのは、幼い頃からずっと一緒にいた一回り年上の教育係アルジェントである。
「ただでさえ頭の上がらない相手が、よりによって義理の兄になったってわけだ。今は娘もいて幸せそうだよ」
「よかった」
「さて、おまえはどうする?」
 黒い瞳が菫の瞳をのぞきこむ。
「国へ戻るか。今なら、まだ間に合う」
「嫌です」
 これまで周囲に流されてきた彼女の、初めての抵抗だった。
 このまま王都に入ってもブランシュに幸せな未来など待ってはいない。よその領地から搾り取れるだけ搾り取る口実としての女領主、いずれは王の命令でどこかに縁組させられる。同盟を結ぶ道具、子どもを産むだけの道具として。
「あなたと、お義姉さまと、三人で過ごした幼い日々がどれほど今の私を支えてくれたでしょう。二度と会えぬと泣き伏して、ですが神様は私に今日の奇跡を用意してくださった。白の王女は死にました。ですからどうぞただの菫を摘み取って、海へ連れて行ってください」
 赤と菫は視線を交わしあう。
「安心した。躊躇されたらどうしようかと思った」
 黒い瞳が笑った。
「はい?」
「プロポーズは、こちらからしようと思っていたのに」
「一度目はそうだったでしょう? 二度目は、私からです」
 どちらからともなく交わされた唇によって、誓約はなされた。
 銀髪の副船長が船長代理で大きく手を挙げる。
「撤退!!」
 ほぼ倍の数になった赤の海賊団は、濃紺の海賊団を振り切って逃げぬいた。

 後日。
 小舟に乗せられ、捕虜達は海に浮かんでいた。捜索にあたったラルカンシエルの船に発見され、王女以外の無事が確認された。捜索は続けられたが王女の遺体も痕跡も発見されなかった。仮にも王女として認められた後だったので葬列は空の棺で行われた。なお女領主を失った領地はその国の王家に没収されたそうである。
 ラルカンシエルの海賊討伐は厳しくなり、海賊は拿捕され縛り首になった、と公式発表された。
 後年ヴェルト夫人は養い子について「海賊の花嫁になりました」と答えている。

 ルベル内海の海賊達の間では今でもささやかれている。
 海賊船の船長レッドと、その花嫁ヴィオレットの物語。物語はもちろん、こう終わるのだ。二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。


一覧へもどる

inserted by FC2 system