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E01  魔石の彫金師

 耳に当てると風の音のするターコイズ、触れると幻を見せる真珠、小さな星のように自ら輝くスタールビー――。彫金師アリエナはその中からちろちろ燐光を放つオパールを取り出すと、今まで作っていた石座にあわせた。
 石座はぴたりと合っていたがアリエナは溜息をつき、石座のわきにつけていたダイヤモンドの小粒を外し始めた。時間をかけて作ったダイヤモンド枠をすっかり解体してしまうと、もう一度オパールを合わせる。アリエナは満足げにうなずくと木槌をとってオパールを固定し始めた。六本の爪を慎重に曲げていく。一本、二本……。
 ダン、ダン、と乱暴にドアを叩く音にアリエナは迷惑そうに顔をあげた。
「アリエナ、嫌な感じがする。出ないほうがいいよ」
 工房にはアリエナ以外の姿はない。主のいない声にアリエナは笑ってみせた。
「ただのお客さんだよ。どうぞ、開いてる」
「アリエナ・チャーマーだな?」
 開いたドアの向こうに立っていたのはサーベルを下げた軍人だった。
「そうだけど。あんたは?」
「ファーマー伯近衛隊長、ジョンだ。このロザリオを彫金したのはお前だな? この工房の印が入っている」
 軍人はポケットから華麗なロザリオを取り出した。
 アリエナは眉をひそめた。十字架の中心にあったはずのトパーズがない。石座の爪は無残にへし折れていた。
「たしかに私が彫金したものだよ。どうしてこの石を砕いたか教えてもらえるかい?」
「この石の魔力で死人が出た。お前を魔女とみなし、裁きの場に連れて行く」
「これを彫金したのは二〇年前なんだけどね」
「言い訳は法廷でするんだな」
「……わかった。身辺整理のために三日の猶予をもらえるかい? 逃げも隠れもしないからさ」
「立場をわきまえよ! お前に選択肢があると思うか!」
「さてね。それはあんた次第だ」
 不意にアリエナがさっきまで握っていた木槌がカタカタ音を立て始めたと思うと、ビュウッと軍人に向けて飛んだ。ぎょっと息を呑んだ軍人の背後で掃除道具棚が箒やバケツを派手に撒き散らしながら倒れかかる。
「私は腹の中にいくつか魔石を呑んでいる。どうしても手に負えない暴れ者の魔石が悪人の手に渡らないようにね。私に何か無理強いしたいなら腕のいい祓魔師を連れてきてからにしな!」
 軍人がサーベルの柄に手をかけた。が、アリエナのほうが早い。鏨(たがね)の鋭利な切っ先が軍人の首すれすれに浮いている。
「三日後に来な。それまでは邪魔しないでおくれ」
 軍人はアリエナに唾を吐きかけると表へ飛び出した。
「やれやれ。ありがとう、ロバート。あんたが透明人間で助かったよ」
「なんだよあいつ、いちゃもんにもほどがある! 罪に問われるのはどう考えても使った人間だろ。百歩ゆずって魔石が悪いにしても、二〇年も経てば魔石の性格が変わるなんざ当然じゃないか!」
 鏨を振り回して気炎をあげる弟子にアリエナは笑いかけた。ロバートがこの工房に来て五年。なんでも「手違いで魔石を呑んだ」とかで、来たときから体がなんとなく透けていた。それでも顔かたちくらいはわかったのだが、三年経つころには完全に透明になってしまった。
「さすがにそれだけの理由では引っ張られないさ。そんなことをしていたらこの国から彫金師がいなくなっちまう。おおかた私が妙な術を使うってんで通報されたんだろう」
「とりあえず逃げなきゃ。三日後に来いだなんて縁起でもない。本気じゃないだろうね?」
「本気だよ」
 ロバートは絶句したらしい。鏨が宙でぴたりと止まった。アリエナは黙って鏨をとりあげた。
「逃げる気はない。……どちらにせよ私はそろそろ死ななきゃならないからさ」
 アリエナの手が宙を掻く。ロバートの透明な手をさぐりあてると、ぎゅっと握った。


□■□

「リングのゆがみはほとんどないな。唐草模様も言うことなしだ」
 十四歳のアリエナはぱっと顔を輝かせた。性格こそ穏やかだが彫金のこととなると別人のように厳しくなる父――マエストロ・スティーヴの口から手放しのほめ言葉が出るとは思わなかったのだ。アリエナはまだ商品を作っていない。スティーヴのチェックの後は石を丁寧にはずし、地金も全部溶かしてしまう。これはもしや……。
「だが、お前にはまだ石の心がよくわかっていないようだな」
 アリエナはうなだれた。アリエナは物心ついて以来この工房で働いている。地金をリングに加工することを教わってからは六年、それでも何も売り物を作れないのは辛かった。
「この石は一番美しいところが端にきすぎている。こっちは石座が主張しすぎだ。これはただの宝石だからいいが、魔石で同じことをやればへそを曲げて上手く力が引き出せなくなる」
 魔石の前にアリエナがへそを曲げかけているのがわかったのだろう。スティーヴはほほえむと、ダイヤモンドのペンダントをアリエナに渡した。
「アリエナ。好きなものを作ってみないか」
 ダイヤモンドは護符だ。スティーヴもペンダントをつけると、工房の隣にある大理石造りの魔石庫へ入っていった。魔石庫は工房とほぼ同じ広さがある。スティーヴは保管されている色とりどりの魔石を見回した。
「これからお前は職人になる。時間も資金も自分のために使えなくなる。だからこんなことはこれ一度きりだ。ここにある石からひとつ選んで、お前自身のために好きなものを作れ」
 ダイヤモンドを渡したときとは別人のような険しい声で言い放つと、スティーヴはきびすを返して魔石庫を出て行った。
「それって、つまり……?」
 最終試験だ。アリエナはぎゅっとこぶしを握りしめた。
 アリエナは悩んだ。スティーヴの課題は「石の心がわかること」。どこをどうすればわかるだろう? まだわかりやすそうな黒猫に化ける黒曜石を使おうとも思ったが、カットしようとしたとたん派手にひっかかれてしまった。
 何日も悩んだ末に、アリエナは魔石であるとわかっているもののまだ力を発現していない水晶を選んだ。心がわからないなら心が定まっていない石を使えばいい。カットしながら、装飾を考えながら、互いにゆっくり合わせていけばいい。苦し紛れにそう考えて、水晶をカボションカットし、何枚もデザイン画を描いた。そして銀をなまし、得意の唐草の透かし模様を入れたブレスレットを作った。
 できたブレスレットを見せると、スティーヴは目にルーペをつけ、真剣に鑑定した。普段の習作とは比べ物にならないほど真剣に。そしてびくびくしているアリエナの腕にブレスレットをはめなおすと、満面の笑みでアリエナの頭をなでまわしたのだった。


□■□

「死ななきゃならないなんて……どうして」
「あんたもわかってるだろう、理由くらい」
 アリエナはぶっきらぼうに言うと、急に顔をしかめた。
「アリエナ!」
 体を二つに折り、椅子から転げ落ちる。苦悶に顔を歪め獣のように唸るアリエナの腹にロバートは作業机の上にあったダイヤモンドを押し当てた。
「……ふふ、魔石を操ってきた私が次は魔石に操られる番ってわけだ」
 ロバートは力の抜けたアリエナの体を抱き上げると、工房の隅にあるソファーにそっと横たえた。
 さっきの軍人はアリエナが呑んだ魔石で魔法が使えると思ったはずだ。とんでもない。アリエナは魔石を押さえつけるので精一杯、意のままに力を使えるわけがない。今までは若さもあって魔石をなんとか押さえていられた。けれどアリエナはもう五十二歳、しかも先日強盗から守るため十三個目の魔石を呑んだばかりなのだ。
「だからやめろって言ったのに」
「どうしようもなかったろう。あれを盗人の手に渡すわけにはいかないさ」
 身の内に封じた十三個の魔石は互いに反発しあい、ときには炎を吹いたり牙や爪に変化してアリエナの体を激しく蝕んでいる。ダイヤモンドは魔石の長。全てを平伏させる力があるが、強引に押さえつけるのだから反発は免れない。遠からずダイヤモンドを使っても押さえられなくなる日が来る。アリエナが体の内側から引き裂かれる日が。
「私が死んだら魔石は暴れ狂うだろう。私は魔石が大暴れしてもびくともしない場所で殺してもらわなきゃならない。本当はあんたにその役を頼もうと思っていたんだけどね。あんたは優しいから。言い出せなかったところに、ちょうどこのお達しがきたというわけ」
 ロバートは黙っている。おそらくは抗議の視線を向けて。
「私は腹の石に限らず、ずいぶん多くの石に恨まれているだろうね。私はさしずめ人買いだ。穏やかに眠っていた岩を掘り起こし、その身を削り落として整形し、その魔力を制御するために唐草や紋章を銀で描いて取り付ける。石にとってみれば隣近所にいた親しい石と引き離され、自らの手指を落とされたあげく、檻の中で見世物にされるようなものだろう。暴れるなとはとても言えない」
「そう思っている人間はあんまりいないよ、アリエナ。魔石は道具だ」
「そうかい?」
 アリエナはまっすぐに透明人間の弟子を見つめた。
「私は石が好きだ。石それ自体も、魔石が放つ火花や力を見るのも好きでたまらない。だから魔石彫金師として生きてきたし、これが天職だと思ってるよ。でもね」
 アリエナは軍人の放り出していったロザリオをじっと見つめた。無残に砕かれ、工房の床に転がったロザリオ。それがゆっくりと宙に浮かび、アリエナのもとへ運ばれてくる。手渡されたそれをアリエナは胸に抱いた。
「生まれ変わったら水晶になりたい」
「……じゃあヴェスヴィオス火山にでも身を投げればいい」
「そうするつもりだよ。処刑人を脅して連れて行ってもらおう」
「本気で言ってる?」
 アリエナは答えずソファーの脇から紙と鉛筆を取り上げた。
「最後に大切な弟子へのはなむけだ、形見に何か作ってあげよう。これ以上恨まれたくはないから魔石は使わないがね。炉に石炭を足して銀をなましておくれ。あんたは唐草の透かし模様が好きだったね?」
 ロバートは動かない。アリエナは淡々とデザイン画を描いていく。あのブレスレットと同じ模様を、水晶ぬきで。


□■□

 水晶のブレスレットを完成させたアリエナは翌日から販売用の彫金を任されるようになった。ブレスレットはしばらくアリエナの腕を飾っていたが、やがて貴族の娘に買われていった。
 ブレスレットは娘の腕を飾ったが、そのうち飽きられ売られていった。売られたブレスレットは貴族の若者に買われ、娼婦に贈られた。娼婦は受け取ったときは喜んだものの、若者が帰るとすぐ質に入れた。そうしてブレスレットはころりころりと主人を変えた。
 そして七人目の主人に売られたときだ――彼に人格が生まれたのは。
 七人目の主人、宝石商の奥方はおそろしく太ったご夫人だった。その極太の手首にはめられてはかなわない。指先に血が通わなくなるのはわかりきっているのに、気に入ったからと強引にはめるのに耐えかねた水晶は「やめてくれ」と叫んだのだ。人間の声で、はっきりと。
 奥方は卒倒したが、宝石商は「売り物になる」と見た。自分の意のままに、話させたいときだけ話せるようにしようとアリエナの作ったブレスレットから石をはずし、魔石を制御する紋章でごてごてと飾りつけた。がんじがらめにされた水晶は抗議し、あがき、もがき、そうこうするうち怒りを爆発させて人の姿に変身した。そうして、逃げた。
 水晶は帰りたかった。自分の生まれたヴェスヴィオス火山に。けれど石に戻っては誰も連れて行ってくれないから、水晶はロバートと名乗り、人として旅を始めた。
 けれど、ロバートに備わった魔力には限りがあった。何年も人として暮らし魔力を消耗すると、彼の体は透け始めた。そんな時だ、アリエナに再会したのは。偶然工房のそばを通りがかった。
 魔力を回復させてほしい。そう言うつもりでアリエナの工房に立ち寄った。が、アリエナは父であり師であるスティーヴを暴走した魔石の力で喪ったばかりだった。あまりに不安げで悲しげな、けれど無理やり気丈に振舞おうとするアリエナの姿に、ロバートは何も言えなくなってしまった。
 魔石を呑んだら体が透けた、行き所がなくて困っている。弟子としてここに置いてほしい――彼女の傍にいたいがためにそう言った。アリエナは信じていないだろう。けれど彼女は父を殺したガーネットを呑みくだし、「好きにしな」と言ったのだった。


□■□

 アリエナの指定通り三日後、軍人は多くの仲間を引き連れやってきた。アリエナは両手首に縄を巻かれ、軍人に呼ばれてきたらしい祓魔師にさらに縛をかけられて、小突かれながら歩き始めた。
 ロバートはいない。いくら体が透明でもアリエナには彼の居所がわかる。宝石に埋もれた一粒の魔石がわかるように。ガラス片にまぎれた一粒の水晶がわかるように。けれど工房のどこにもロバートの気配はない。
 歩きながら工房を振り返ったアリエナは、ふと足に冷たいものが当たる感触をおぼえて視線を下げた。
「ロバート……」
 足首に水晶のブレスレットがはまっていた。見間違えようもない、あのブレスレットがアリエナが一歩踏み出すたびしゃなりしゃなりと揺れていた。


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