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D12  Redbook/Bluewitch

 先発隊の銀の翼が、太陽の光を反射し白く輝く。
 隊列を組んで大空を翔る戦闘機は、やがて、機体を大きく傾け右方向へと旋回していく。
 先にあるのは戦場だ。ただし、戦う相手は人ではない。
 遺伝子を組み合わせ、気が遠くなるほどの塩基配列演算を繰り返し、人の手により生まれ……やがて、人の手を離れ進化した生物兵器。
 つまりは――竜だった。

 金属というより、宝石のような鱗の一枚一枚が空の蒼を反射し、光のオーラさながらに竜の巨体を包んでいる。
 そこに向かって、次々に最新鋭の音速戦闘機が突入し攻撃を仕掛けていく。
 私も、操縦レバーを微調整し、機首を左上45度に傾け、竜の頭上で宙返りしつつ、こんどは逆方向に機首を傾ける。
 マニューバ・シャンデル。
 リボンをテーブルの上でねじり、Uの字にしたような戦闘機の動きを示す用語を心の中でつぶやく。
 これで高度は上がった。
 今、私は竜の頭の斜め上あたりに位置していた。
 同時に、先ほどまで私の隊が居た場所に、竜の口から放たれた雷撃が横走る。
 蒼い空に、青紫の光。
 戦闘機の銀の駆体は、一時として同じ色を翼に映さない。
 狙うは竜の首の後ろ。
 一部分だけ透き通った鱗が密集する急所。
 人間でいえば延髄にあたる。そこを狙わなければ竜は死なない。
 だが、戦闘機がはたき落とされることも珍しくない巨大な翼を持ち、空の王者として君臨する生物の小さな弱点を狙うのは難しい。
 現に、亜種といわれる小竜を撃墜する者は数多くいても、ドラゴンキラーは……原初の竜を倒した者は存在しない。
 そう。未だかってだれ一人として。
「ウィッチ・リーダーに、ウィザード・ワン。これから攻撃態勢に入ります」
 部下のノイズがかった声が、通信機から直接耳の内部に響く。
 相変わらず慣れない雑音まじりの声に、ことさら冷たい声で言う。
「ウィッチ・リーダーから、ウィザード各位。攻撃はまだ早い。先発隊が竜を疲弊させるまで待て」
「あいつが疲弊するって? 俺たちの燃料切れが早いんじゃないのか?」
 回避や旋回行動ばかり取らされていたからか、部下の一人が毒づく。
 竜の背後であるこの場所が、絶妙の攻撃ポイントであることは隊長の私がよくわかっていた。
 だが、まだだめだ。
「ウィザード・フォウ、無駄口を叩くな。燃料が心配なら、一度空母に戻ってもかまわんのだぞ」
 我ながら抑揚が薄い、人の誤解を生みやすい、淡泊で金属的な声が出た。
「蒼の魔女。アンタにとっちゃ毎度の事でも、俺たちにとって、原初の竜とランデブーするのは一生に一度のチャンスだ。それをみすみす逃してたまるか!」
 誰だって、ドラゴンキラーになりたい。
 ドラゴンキラーになって、こんなヤバイ仕事から足を洗い、ピラーの最上部に英雄として住む権利を手にしたい。
 それはわかっている。だが。
「ドラゴン・ハント・ポイントが見える! もう我慢できねえ!」
 ウィザード・フォウが――私より四つも年上の男が、駄々っ子さながらに叫び隊列を崩すと、それが合図だったように、部下達が次々に旋回しミサイル攻撃を開始する。
「よせ! 命令違反は軍法会議ものだぞ! 駄目だ!」
 天性の直感が、早すぎる、と、脳裏で紅の警告灯を明滅させていた。
 先ほどまでの理性の冷たい感覚とは違う、熱い危機の予感が、流体金属加工のパイロットスーツに包まれた身体を、汗ばませる。
 ボンベから送り込まれる空気が、急に冷たく感じられた。
 瞳を見開いた瞬間。
 竜が長い首をもたげ、こちらに顔を見せ、赤黒い口を開き、純白とも透明ともつかない、純然たる光の色を喉奥に見せた。
 来る。
 手が勝手に動き、操縦レバーを引っ張る。
 機首が上がる。竜の翼が生み出す音速の乱気流の道を読み、上昇迂回する。
 バレルロール。
 単純にして、もっとも基本的な動きで攻撃を回避した途端、突撃した部下達の機体が雷撃の嵐に巻き込まれ、爆発し、失墜するのが見えた。
 一つ、また、一つ、次から次に味方の機体がレーダーから消えていく。視界からも消えていく。蒼い海に墜ちていく。
 ああ、また、私だけ生き残ってしまうのか。
 絶望ともあきらめともつかない感情に、胸が押しつぶされそうになったとき。
 視界に竜の頭部が、その紫の瞳が、透明なバブルキャノピー越しにはっきりと映し出された。


 ――人が、絶滅危惧種として、レッドブックに載るまで、あと何年残されているのだろう。

 急激に進化しすぎた科学や文明は、あっけなく倫理の金網を飛び越えた。
 それまで、遺伝子を調べ、品種を掛け合わせることで満足していた科学者達は、やがて、種子や卵子の頃から遺伝子を改造しはじめた。
 その代表的なものが、嗜好品である蒼い薔薇と、生物兵器である竜だった。
 それらは、生殖機能を持たせないことで、人類によるコントロールがされていた。
 けれど自然は、人の手におえるものではなかった。
 最初は、戦争での使用を目的に、陸戦でも空戦でも有効な兵器として生み出されていた竜が、長く続く自然環境と戦いの中で、己を進化させ、無性生殖に――つまり、己のクローンを生み出すことに成功したのだ。
 竜の変異生殖に対する好奇心から、この無性生殖を報告せず観察していた研究者達が、クローンである第二世代の竜に、人間のコントロールが及ばない事をしったのは、第二世代の竜達により、研究所がマグマのような灼熱の緋炎に包まれ灰となった時だった。
 第二世代の竜は、やがて、世代を重ねるうちに無性生殖から有性生殖へと己の子孫をつむぐ方法を変化させ、多種多様な竜を産みだし、竜属は、それまで自分たちを道具と見なし続けていた人類に天罰をあたえるように、あらゆる都市や、村までもを襲った。
 同時期に、人の夢であった筈の蒼い薔薇、空の色と透き通った花びらを持つ薔薇の株が、国家の生産工場から持ち出され、闇商人の手を得て、好事家や園芸家に天文学的な価格で販売されだした。
 販売された薔薇も、竜とおなじように、最初こそ無害に庭を彩っていたが、ある世代を境に変質し、花粉と芳香から強度の麻薬成分を飛散させはじめた。
 最初は陶酔感、多幸感をあたえるその成分は、やがて、人から生きる意志を奪い、取り付かれた者は、蒼薔薇の側で呼吸することすらやめてしまう。
 依存性は高く、一度取り付かれたら逃れるすべはない。
 人々は怖れをこめて、それを蒼薔薇症候群と名づけた。
 肥料食いの蒼薔薇は、人の死体を養分に、恐るべき繁殖力で地上を覆い尽くしていき、蒼い花びらと紫の葉で陸地を侵略していくことで、人類以上に地球に適応していった。
 二大品種により絶滅寸前となった人類は、世界統一政府主導の下、竜の被害がすくなく、蒼薔薇の栄える土壌がない海へと逃れ、対竜戦争を行う軍人と関係者のみが暮らすアルミニウム合金の人工海洋都市と、一般市民と要人が住む七つの「ピラー」と呼ばれる天をつらぬく塔へと居住空間を変えさせられた。
 そして、人々は、自らを絶滅危惧種としてレッドブックに記す日を数え、生きて居る。


 まぶしくて目をあけた途端、蛍光灯の白い光が瞳をつらぬいた。
「起きた?」
 それまでベッド横の事務デスクでカルテを打ち込んでいた軍医が、女らしさを強調する胸を揺らしながら、こちらへと体をひねった。
「私、は」
「竜の攻撃範囲から待避したものの、雷撃の影響で後部車輪が出ずに、空母の甲板に胴体着陸したのよ。幸い、燃料がからだったから炎上はしなかったけれど。それは覚えてる?」
「……いや」
「いつものことね」
 大げさにため息をつかれ、白衣ごと肩がすくめられる。
 黄金色のゆるいウェーブを持つ髪が、彼女の象牙色をした美しい顔をふちどり、さら、と音をたてた。
 吐息をついて、ゆっくりと身体を起こす。
 ひじや背中に痛みはあるが、動けないほどではない。
 おそらく、胴体着陸したあと、コックピットから引きずり出された時に打ったのか、帰還中に無理な操作をしたのか、だ。
 いずれにしても記憶がない。彼女が言った通り、いつものことだ。
 竜の目を――紫水晶よりも遠い、黄昏に似た瞳を見た瞬間から、私の記憶は飛んでいる。
 一体どうしてなのか、記憶が飛んでいるのに、戦闘機を操縦できるのは何故なのかわからない。
 意識がない間の交信記録を一度だけ聞いてはみたが、確かに自分は管制塔と交信していた。
 ただし、機械的この上ない声だったが。
 それは、訓練やシュミレータではわからなかった、私の、戦闘機乗りとしての欠点であり、また、利点でもあった。
 ――どんな戦闘状況でも、生きて帰ってくる。
 生存率が限りなくゼロに近い状況でも。
 そんな事が何度も重なるうちに、人々は私のことを蒼の魔女と呼びはじめた。
 成層圏まで飛翔しても意識をうしなわず、竜の絶対攻撃範囲に突入しても撃墜されない。
 だから、蒼薔薇の麻薬のように、竜を麻痺させる何かを出しているにちがいない。という噂に尾ひれがついたのだ。
 そもそも私に取って、記憶の欠落は珍しいことではない。
 軍人として徴兵される以前の記憶が、私にはまったく無いのだから。
 友人である女医の彼女に言わせれば、生存本能の一種か、竜や蒼薔薇とは違う意味で進化、あるいは適応したのだろう。と言っている。
 いずれ詳しく研究させてほしい。とも言っているが、それに関しては丁重に断っている。
 最も、抜け目ない女医先生のことだ。
 私が意識を失っている間に、血液を抜き取り、検査機関に回すなり、論文のネタにするなりしているのかもしれないが。
 竜戦争の兵士は、ピラー下層以下、あるいは海上都市貧困層の中から、蒼薔薇症候群免疫因子を持つ子供すべてが選ばれる。
 いや、選ばれるというのは、3Dビジョンの向こうの政治屋どもの言い分で、実際は強制収容されてしまう。
 見つかってしまえば最後。
 何歳であろうと、親や社会から引き離され、「スクール」に押し込まれる。
 そこで適性に応じた教育がされ、七つの海に存在する軍のどこかに配備され、ピラーを守る為だけに戦わさせられる。
 年齢があがりすぎ戦えなくなっても、軍人は、海洋都市、あるいはピラー下層以外に立ち入ることは許されず、結局は、商人や、兵士相手の酒場の主人となって、貧民街に近い場所で一生を終える。
 逃げ出す方法はただ一つ。
 原初の竜――単性生殖に成功した七体の竜にして、竜たちの王――を倒す、ドラゴンキラーと呼ばれる存在になるしかない。
 ドラゴンキラーには、ピラー最上部で英雄としての暮らしが約束されている。
 そうなれば、なんだって想いのままだ。
 けれど、現実に、原初の竜を倒したパイロットはいない。
 原初の竜は陸地を好み、海にでてくることが少ないのもあるが、最大の要因は、簡単に人が倒せる生物ではない。ということだ。
 それでも、ただ一人、ドラゴンキラーだったのでは、と噂されている人物がいる。
 私が初めて配属された部隊の若き隊長であり、はじめての相手でもあった男。
 今は、碧い海のどこかで眠っている男。彼だけだった。


 作戦は失敗だった。
 第一攻撃部隊ウィザードの生還率は一割というから、とんでもない損失だ。
 部下を生きて帰すこともできないのかね、部下に命令を聞かせることもできないのかね。という、上官の嫌味を散々聞かされた後、一人、ふてくされて空母の狭い通路を歩いていた。
 そうして下士官が集う酒保、つまりは酒場の近くまで来ると、雑多な声が聞こえてきた。
 その中から、ネットラジオ特有の、雑音まじりの哀切を帯びた女歌手の声が響いてくる。
 
 あなたは蒼い空が良いというけれど、碧い海が好きだというけれど、それは本当なの?
 わたしは金属の島に閉じ込められた小鳥。
 あなたの飛行機が乗る船が戻るのを待って、毎日ただ歌うだけのカナリア。
 それともオウム?
 ドラゴンキラーにならないで、ドラゴンキラーにならないで。
 わたしのところに帰ってきて、この腕の中でおやすみなさい。
 空の夢なんて見ないで、海の夢なんて見ないで。
 薔薇によって染められた蒼色の大地を想い出すから。
 あの場所が、緑豊かな森だったなんて信じられる?
 白い薔薇が、紅い薔薇があったのだって、嘘みたい。
 今は薔薇というと、蒼だとみなが答えるわ。
 でも、私は写真でみた白い薔薇のほうが素敵だと想った。
 あなたの笑顔のほうがもっと素敵だと想った。
 なのにあなたは空に帰るのね。
 ドラゴンキラーになったら、白い薔薇を腕いっぱいに送ってやるよと言うけれど。
 ドラゴンキラーにならないで、ドラゴンキラーにならないで。
 さっきのは嘘なの、本当は。
 ただ、あなたが腕の中にいてくれればいい。

 士気が下がることはなはだしい歌だ、と唇を噛んだ。
 最近、下士官や兵士たちの間で流行っている歌らしいが、この歌はあまりにもひどい。
 軍人は結婚することがゆるされない。
 結婚するには、手か足を失い戦えない身体になって軍艦から下りるか、ドラゴンキラーになるしかない。
 だから、男達はみんな、わたしに言う。
 ドラゴンキラーになったら、結婚しよう。
 鉄やアルミニウムや蒼い薔薇じゃない、楽園のような場所を見せてやるよ。と笑いながら。
 ――最初の彼がそうだった。
 くったくなく笑い、仲間から呆れられながらも、年代物の古い写真を、祖母のまた祖母がイギリスに持っていた庭なのだという、色とりどりの花開く庭園の写真や、一面に咲く、黄金色したひまわりのパネルを狭い部屋のいたるところに飾っている、どこか少年じみた男だった。
 そのくせ空が好きだった。
 戦闘機を自在にあやつり、飛行機雲で空に白い花を描いた馬鹿だった。
 自分とは正反対の、感情たっぷりの、明るく、まぶしい、彼が飾っていたひまわりの写真に似た男だった。
 そして、私は彼が竜と相打つ瞬間をこの目で見ていた。
 きりもみ状態に二重らせんを描きながら、竜と蒼い海に墜ちていくのを。
 けれど、どちらの生死もわからず、彼はドラゴンキラーではない。と軍に言われた。
 ドラゴンキラーだったと言われても、生きていなければ意味はないけれど。
 あれから、何人もの男が私を通り過ぎて行った。
 彼以外の何人もの男が。
 愛しているとも言われた、結婚しよう。とも。
 だから言った。
 ――ドラゴンキラーになれたなら。
 そうして、誰も戻ってこなかった。
 そんなことが重なり、私が、蒼の魔女として、撃墜王として認められるようになるにつれ、この空母では暗黙のルールにができあがった。
 ドラゴンキラーになった男が、蒼の魔女を手に入れるのだと。
 正直、馬鹿馬鹿しいと想ったが、それはそれでいいと想った。
 最初の彼がいないのなら、誰だって同じことだろう。と。
 だけれど、この歌はあまりにも酷い。
 ドラゴンキラーにならないで。
 わたしの腕に帰ってきて。
 叫び出したくなって、めちゃくちゃに通路を走り抜けて、甲板に上がった。
 蒼い空と碧い海が、遠く、遠くのほうで一つにまじりあっていた。
 水平線が白くぼやけているのは、蒼薔薇につつまれた大地のせいなのか。
 それとも私の目がおかしくなっているせいなのか。
 よく、わからなかった。


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