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D10  祈りをあなたに

「青い眼は綺麗。灰色の眼は陰気。黒い眼は腹黒。鳶色眼玉はお化け」


 石を磨く作業に没頭していたデキーは、自分でも知らずに外国の古い歌を口ずさんでいた。
 こういうときは、たいてい作業が思う通りに進んでいる。今回もそうだった。
 石の表面をさっとひと磨きし、デキーは気持ちよく息を吐いた。
「研磨完了!」
 でき上がった石を掌にのせると、自然と笑みがこぼれおちた。あとは紐を通す穴を開ければペンダントの完成だ。
 若く瑞々しいデキーの手は、よく見ると指の腹に小さなタコがある。順調に職人のそれとなりつつある手の上で、雫型の石がつやつやと濡れたように輝く。膨らみをもたせた部分には、目玉そっくりな模様が浮き出ていた。
 縞瑪瑙である。原石の特徴であるレースのような縞模様を利用しているのだ。 
 原石は、デキーの村の傍にある原野で採れ、黒、茶、赤系の色があり、滅多にはないが緑が出ることもあった。今回手がけた石も黒地に白い縞だったが、瞳芯となる部分に緑が出た。
 奇跡のような珍しい石だった。だからそれを磨くデキーの手にも自然と力がこもったのだった。
「これを見たら、イーライもきっと驚くわ。誰だって驚くに決まってる、うん」
 そのときの顔を思い浮かべただけで、デキーの心は浮き立った。
「早く渡したいなあ」
 逸る気持ちは、一週間後のヒツヅリ祭までおさえなければならなかった。 
 
 
 デキーの村と、隣接する二つの村とが合同で行う稔り月前の祭りを、ヒツヅリ祭といった。
 その祭りの中に、剣闘技トーナメントというものがある。三つの村の血気盛んな男衆が各々立候補する個人戦だ。
 デキーたちの親の世代が、祭り内での余興を増やそうと外国のものを真似たのがはじまりだったが、昨今では祭り最大の盛り上がりとなっていた。
 華を添えるのは勝ち乙女と呼ばれる若い女たち。対戦前の闘士にペンダントをかけてあげるという演出が毎回あり、とりどりのリボンや花で飾られた台の上から、祈りを込めて作った石のペンダントを、勝ち乙女はただひとりの闘士に捧げる。
 デキーの想い人、イーライは、四つ年上のお隣さんで、そんな勝ち乙女たちが群がる人気者だった。
 イーライの家の壁には、毎年数多くの勝ち乙女から捧げられたペンダントが、数え切れないほど掛けられている。
 たとえその中に混じったとしても、今回デキーが磨きあげた緑の瞳芯を持つこの石は、きっと光り輝いてくれるだろう。


 小さい頃に色々と世話を焼いてくれたイーライは、背が伸びはじめた頃から顔立ちも急激に大人びて、とても凛々しくなった。
 もともと優しくて賢くリーダー的な要素もあり、そんな精悍な青年を村の女たちが放っておくわけがなかったのだ。
 もう何年も前から、イーライは自分だけの優しいお兄さんではなくなっていた。
 イーライの行くところになら、どこにでも纏わりついていたのは私ひとりだけだったのにと、デキーはことあるごとにぼやいている。
 デキーが勝ち乙女として台にあがるようになってから、今年でもう三年。
 だからイーライの家には、デキーのペンダントが既に二つあるのだが、他のペンダントと一緒くたにされているのを見るたびに、今の自分と同じだと落胆してしまう。
 自分も大人にならなければ。イーライの取り巻きの美女たちと並んでも見劣りしないくらいに。
 月のものが始まり、胸も人並みに膨らんだ。でも、それではダメ。集団から抜け出さなくては。今度は自分が変貌を遂げる番だ。
 だから、村一番の乳の張りを持つヤギの乳を、村一番の大きさを誇る胸の持ち主に絞ってもらい、その乳で作った特製クリームを寝る前に毎日胸にすりこんだ。もちろん大量に使うと大人に叱られるので、ほんのちょっぴりをこれでもかというほど延ばして使った。 
 最近になって効果は徐々に出始めてきたように思う。
 

 デキーは完成した石を手に外に出た。
 意味もなく石を太陽に掲げ、くるくると回り、即興の歌を口ずさんで跳ね踊った。
 売りに出せばきっと高い値がつくことだろう。けれどもこの石の主はもう決まっている。石を胸に押し当てて、デキーはイーライの姿を思い浮かべてうっとりとした。
 そのときだった。背後から急に声をかけられ、もう少して石を落としそうになってしまった。
 弾かれたように振り向くと、視線の先にどこかで見たような顔の若者が立っていた。
 名前は、すぐに思い出せた。
 ルゥリン。デキーは頭の中でその名を読み上げた。隣村の人間だ。
 彼は去年の準決勝でイーライと激闘を演じた。だから覚えていた。
 からくもイーライが競り勝ちはしたが、それで相当の体力を消耗してしまい、イーライは優勝をあっさりと逃してしまったのだ。
 そんなこともあってデキーはちょっぴりルゥリンに対して恨みを抱いている。
 ルゥリンの濃い眉毛と、ぎょろぎょろと大きい目を一目見ただけで、いかにも意地悪そうだと決めつけもし、そして苦手な相手だとレッテルを貼った。


 いつから自分は見られていたのだろうか。
 浮かれた自分の一部始終を見られてたかと思うと、猛烈な恥ずかしさが込み上げてきた。 
 デキーにとって最悪なことに、ルゥリンが柵を乗り越えて近づいてきた。内心は逃げたくてたまらなかったが、露骨な行動をする勇気もなく、踏みとどまるしかなかった。
 デキーの前で立ち止まったルゥリンは、ちょうど子供相手にするように、腰をかがめてデキーと目線を合わせた。
「ずいぶんと立派な石だね。それに珍しい色だ。これまで俺が見たどの石よりも綺麗だよ」
 石は掌の中だ。彼の立つ位置からは見えないはずだった。やはり、かなり前から見られていたのだ。ばかみたいに踊る自分の姿を。
 デキーは応えすに石をポケットに押し込んだ。子供じみた態度にルゥリンが笑いだす。
「君が作ったものだろう? 盗ったりしないよ、隠さなくてもいいのに」
 図星を刺され、デキーはますます恥ずかしくなった。
「もちろん祭り用だよね。その石、俺が欲しいといったら、どうする?」
「どうするって……」
 声を振り絞ってようやく言葉が出た。
「俺の首にかけてくれるってことは可能かなってこと」
 ルゥリンの言ったそのままを脳の中で復唱してみた。が、なぜか言葉が脳に染み込んでいかない。まるで知らない言語を喋られているようだった。
「大事にするよ」
 なんの反応も返せないでいるデキーに、ルゥリンは念を押すように言った。その目はどこかからかうようであり、それで急に頭が冷めた。
「何をいっているの?」
 ルゥリンの言わんとしていることがようやく理解できて、デキーは毅然とした態度を取り繕った。
「私があなたにペンダントを捧げられるわけがないでしょう?」
 そんなデキーにルゥリンは眉根を寄せて返す。
「その口ぶりだと、同じ村の男にしかペンダントをあげちゃいけないって聞こえるけれど、そんな決まりでもあるのかい?」
 当りまえじゃないと断言しようとしたデキーだったが、ふと口をつぐんだ。ある話を思い出したからだ。


 かつてデキーの村で、隣村の若者にペンダントを捧げた女がいたのだ。
 まもなく女は隣の村で若者の花嫁となった。デキーが勝ち乙女になるより遥か昔、恐らく十年は前の話だ。
 デキーから見ても、その女の行動はとても大それたことだと思う。当時も相応の騒動だったことは想像に難くない。きっと女の親族が肩身の狭い思いをしたことだろう。
 隣村でも、よそ者の嫁を受け入れたかどうか。
「少なくとも、うちの村にはそんな決まりはないけれどね」
 言い淀んだ一瞬の間にルゥリンに畳み掛けるように言われてしまい、デキーはむっとした。
 決まりはきっとデキーの村にもないだろう。しかし、そういうことではない。
 女神の原野を囲むように隣接する三つの村、それぞれが仲間意識の強い狭い社会だ。だからこそ祭りの試合が盛り上がろうというもの。
 とはいえ恋は盲目ということもある。好きな人のためになら、女はどこまで強くなれるのだろうか。
 激しい恋愛に憧憬を抱きはするが、自身が渦中の人物になることなど、デキーにはまるで想像できなかった。
 でも、もし、その相手がイーライだったとしたら――?


「この石は、もうあげる人が決まっているの。その人を想いながら作ったものだから。相手が誰であろうと必ず勝ち進み、栄光をつかみとってほしい。そう願いを込めた石を今さら別の誰かにあげるなんてできないわ」
 デキーはきっぱりと言い切った。
 これなら反論の余地はないだろう。
 するとルゥリンはつまらなそうに「ふうん」とつぶやき、それ以上は何も言わなかった。デキーの期待通りだった。
 相手が傷つかないよう、ていよく断れたことに、ほっと胸をなでおろした。
 ルゥリンに恨みがあるといっても、それほど強い感情をこめていたわけではない。
 もし恨みを全く抱いていなかったとしても、ルゥリンを応援することじたい、やっぱりありえないことなのだが。
 ふと、そばに立つルゥリンの背の高さを、デキーは急に意識した。去年はもっと線が細かったような……。
 そう感じたとたん、イーライが負けてしまうかもしれないという一抹の不安が駆け抜け、ポケットの中で石を握る手が強くなった。
(イーライがルゥリンに負けることなどありませんように)
 石の持つ力を最大限に引き出したい。デキーは秘かに祈りを加えた。
 顔をあげると、心から残念そうな、どこか寂しげな表情をしたルゥリンと目が遭った。
 ちくりと心に針が刺さった。
(もしかしてルゥリンは誰からもペンダントをもらえないのかしら?)
 デキーは去年のことを思い返してみた。が、ルゥリンの首にどれだけのペンダントがかかっていたかなど、記憶にもない。思い出せるのはイーライの雄姿ばかりだった。
 当然だ。デキーはイーライしか見ていなかったのだから。


「なんだかすっきりしない」
 デキーはシーツを蹴飛ばして寝返りを打った。
 せめて去年のルゥリンの様子を僅かでも思い出すことができたなら、心の中で滲むように広がった苦々しさがぬぐえるのではないかと、ベッドに入ってからも、この目で見たはずのルゥリンの姿をできうる限り思い出そうとした。
 目を閉じると、ルゥリンの大きな黒い瞳が思い浮かんだ。とても怖く見えたそれは、そばで見ると驚くほど子供っぽく、子犬の目のように澄んでいた。
 あのような瞳をもつ石を、いつか探し出して磨いてみたいものだ。
「やっぱり眉毛が太いせいよね、印象が怖いのは……」

 
 翌日、デキーはもやもやとすっきりしないまま、女神の原野に出かけた。ひと月前は女たちで埋め尽くされていたそこも、今はデキーの姿しかない。
 この場所には、縞瑪瑙の原石が見渡す限りにごろごろと転がっている。その中から収入源になるほど良質のものは、ほんのひと握りしかない。
 わかってはいたが、今年の分は、あらかた採られつくされてしまっている。
 デキーはため息を吐いた。
 価値ある石が毎年なぜか決まった量しか採れないのは、その年の分だけが空から降ってくるのだと昔者は言う。
 欲深きも愛おしい人間が石を採り尽してしまわないよう、女神がそうしているのだと。
「海岸の方にいけば、まだ残っているかもしれない」
 思い立ったら矢も楯もたまらず、デキーは翌朝、日の出とともに海岸へと出向いた。


 ヒツヅリ祭当日。
 デキーはなによりもまずルゥリンを探していた。
 スカーフを不自然なほど目深にかぶり、別の村の男衆がたむろしている場所を見つけては、少し離れた場所からルゥリンの姿を探す。 
 やっとの思いで見つけると、後ろからそっと近づきルゥリンの服の裾を引っ張った。時間があまりないせいもあり、自分でも驚くほどの行動的だった。
「はやく」
 誰かに見られるのではないかという恐怖から、デキーはいら立っていた。ようやく木陰に引き入れたときにはほっとした。
「あの、これ」
 目の前に差し出されたペンダントにルゥリンが目を見開いて驚いている。あの日は自分から要求したくせに、なぜ驚くのか、デキーは不思議に思った。
 この石の制作期間はとても短い。デキーは神がかったような集中力で一心不乱に作業をして、これを完成させた。
 磨きは完ぺきだった。色は珍しくないが、濁りのない赤の瞳芯が出現した時は、作り手のデキーですら、はっとしたものだ。
 本来はデキーが首に掛けてあげるべきなのだろう。だが、イーライに石を渡すつもりでいる以上、それはできない。石に込めた祈りが分散されてしまうのだ。
「人前で渡すわけにはいかないから……ごめんなさい」
 ルゥリンが掌に置いた石をまじまじと見詰めている。一秒がとても長く感じた。早くこの場を立ち去りたかった。
 そんな心境だったから何を言われても過敏な反応をしてしまうのは仕方がなかった。だけど――。
「赤眼は恋の石だね」
 こう言われる覚悟はできていなかった。デキーはぎくりとした。頬がカッと火照るのを感じ、山を駆けのぼるように心臓が波打つのがわかった。
(そんなこと、とうに知っている)
 駻馬のごとく暴れだした心臓を鎮めたく、胸に強く拳を押し当てルゥリンを見上げた。その目がすがるようになっていたことにデキーが気付くことはなかった。
(だったら、なぜルゥリンに渡したの?)
 恋の石をあげる行為の意味も考えず。
 そう、考えずに。
「違うわ。この石は赤眼じゃなくて鳶色眼。お化けの石よ」
 うそぶく声は自然と震える。自分でもそれがわかり激しく動揺した。
 この石を見つけた時のことをデキーは思い返す。どうしてもこれを磨き上げてルゥリンにあげたくなったあの瞬間の、どこからともなく突き上げてきた鮮烈とした感情は忘れようにも忘れられなかった。
 デキーはルゥリンから顔をそむけた。こくこくと喉を動かし、ゆっくりと息を吸い込んで、心を落ち着かせて確認する。
 大丈夫。イーライを応援したい気持ちに変わりはない。
 二人が戦う時は、大好きなイーライに勝ってほしいと願う。つゆうそなく心から。
 ルゥリンは敵。イーライの敵。私たち村全員の敵。おまじないのように、そう頭でくりかえした。
 そんなデキーの心も知らずに、ルゥリンが無邪気に笑っている。
「そうか。それでも嬉しいよ。ありがとう、デキー」
 一度、何かを想うように力強く石を握りしめて、ルゥリンはペンダントを首に掛けた。そして石に優しく口づけをする。
 それを見て、体の奥深いところで何かがきゅっと絞られるような感じがした。
 初めて味わう感覚だったが、決して嫌なものではなかった。
 ルゥリンの胸で揺れる、デキーが磨きあげた恋の石。
 でも、あれは、決して勝ち乙女から捧げられたペンダントにはなりえない。
 デキーは胸に芽生えた罪悪感のようなものを、必死に事実で打ち消そうとした。
 そんなデキーを嘲笑うかのように、突如強い風が吹きおろし、あたりの砂を巻き上げた。少し砂を吸いこんでしまい、喉がいがいがとした。
 まるで砂上の楼閣にいるようだ。
 立ち去るルゥリンの背中を茫然と見つめるデキーは、ルゥリンの姿がテントの影に消えても尚、その場を動くことができなかった。


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