一覧へもどる

D08  ばら姫と枯れた魔女

 昔々ある国に、美しい姫君がおりました。
 蕾のころより期待され、生まれてからはその美しさを皆がたたえました。
 姫君はすこし小振りな野ばらの母に似て、控えめながら清楚な姿でしたが、花びらは血のように濃く赤く、触れればまるで絹のよう。姫が歩けば、恥ずかしがりやの菫たちは顔を伏せ、優美な薫りを嗅ぎつけた虫たちが、その姿をひとめ見ようと顔を出す。鳳蝶と黒揚羽がそんな彼らをからかうように舞い、金糸雀が姫君の美しさを歌いました。
 王様と王妃様はこのばら姫をいたくかわいがり、姫の望むものは何でも与えました。
 虹のしずくをかためた宝冠、かすみ草のレースのドレス、朝露のガラスを削りだした靴、翡翠の羽根を織り込んだ外套、蒲公英の綿毛のピンプローチに、雲雀の涙を連ねた首飾り──この世の美しいものすべて、ばら姫のものでした。
 砂糖菓子のごとく甘く育てられたばら姫は、とても欲張りな娘になりました。

 そんなあるときのことです。太陽の奥様は、月のだんな様の新しいお妾である真珠星に嫉妬して、姿を隠してしまいました。常春のはずの王国は、機嫌を損ねた太陽がいなくなって寒さに震えました。
 さて、常春の王国の反対側には、冬将軍のおさめる王国がありました。
 冬将軍はひとりきり、氷細工で飾ったぼたん雪の精が舞い踊る玉座で物憂げに過ごすのが常でした。
 常春の国から太陽の光が逃げてしまったことをしった冬将軍は、常春の国にゆき「寒さにたえられない民を守るために力を貸そう」と王様に言いました。「その代わりに美しいと評判のばら姫を后に迎えたい」とも。
 しかし、ばら姫は「そんな寒いところに行くのはまっぴらだわ」と答え、王様と王妃様はさもありなん、と娘の言葉に頷いて、厳冬の国にばら姫をやれない、と断りました。
 冬将軍はその答えに立腹し、「この国に暖かさが戻ることなど二度とないだろう!」と帰ったのでした。

 いつもはすぐに笑顔を見せる太陽の奥様も、今回ばかりは月のだんな様がご機嫌を取っても知らんぷりです。
 花たちはだんだんその鮮やかな色を失って枯れ、虫たちは土に潜り込んだまま過ごしました。蝶たちは口説く相手が見つからずに去り、鳥たちは小さなからだを寄せ合ってなんとか日々を乗り越えてゆきました。
 彼らは、ばら姫を冬将軍のもとに嫁がせなかった王様と王妃様をうらめしく思うようになりました。
 王様と王妃様は民の声を聞いて心を痛めましたが、ばら姫の笑い声をきくと、その痛みは心のすきまにとけてしまいます。
 ばら姫は今までの常春の国では見られなかった景色に、最初こそはしゃいでいましたが、今や前の方が良いと惜しむようになりました。それも、次々と運ばれてくる宝物たちのすばらしさの前には気にならなくなりましたが。
 もちろん、これらは王様と王妃様からの贈り物です。
 この国でただひとり、苦しさを知らないのはばら姫だけでした。
 そのことを知っている民たちは、ばら姫もうらめしく思うようになりました。

 冬の厳しさは民だけでなく王様と王妃様をもおそい、次第にふたりの花びらは色を失ってしわくちゃになってゆきました。
 ふたりの姿を見ていたばら姫は、こうなりたくない、ずっと美しいままでいたいと願い、その方法を侍女の矢車菊にたずねます。
 多くの侍女はすぐに花びらを落としてしまい、醜かったので辞めさせてしましたが、矢車菊はこの寒さのなかでも美しく、とりわけその青色がばら姫の好みでした。
 矢車菊はばら姫の問いに淑やかに答えました。「北の王国、冬将軍のおさめる土地に魔女がおり、かの者が色を取り戻し、姿を美しく保つ薬を作れるとか」
 ばら姫はその魔女に会うために旅に出ることにしました。もちろん一人ではありません。
 豪華な金蔓草の馬車といくつもの着替えやお茶やお菓子、ばら姫が快適に過ごせる一式も一緒です。この贅沢な装いを見た民は、わがまま姫君も、ようやく民を哀れんで、冬将軍の后になってくれるものだと思い、ばら姫の旅立ちを言祝いだのでした。

 道行きは楽なものではありませんでした。暖かさを失った国は乾ききった色になり、一面を覆い尽くしていた緑はどこにも見当たりません。
 車輪をやわらかく受け止めるはずの土も堅く殻のようでした。がたがたと揺れる不快さにばら姫は腹を立て、御者を叱りつけようとしました。その度に矢車菊がばら姫の興味を誘うような話をしたり、ゲームをしてみせたりしました。
 ばら姫の一行はゆっくりとしかし、確実に北へと向かいました。
 そうしてたどり着いた冬の王国では、さらに進むのが困難でした。
 ぼたん雪の精は、見たことのない一行をからかって、馬車の足をすくい、兵たちを美しい歌声で誘い、楽しそうに弄びました。
 ばら姫は彼女たちを睨み付けます。「わたしの邪魔をしないでちょうだい!」
 しかし、ばら姫の一喝に首をすくめたのは、ばら姫の侍女や兵士たちでした。ぼたん雪の精は楽しそうにくすくすと笑うばかり。「これはこれは ばら姫さま」「私たちの主をふった 気位の高い姫君」「わがままでなくて?」「あら 本当のことをいっては 失礼よ」ぼたん雪の精たちの言葉に、ばら姫はいらだちます。
 侍女と兵士たちはそわそわとしながらやり取りを見守ります。こんなことをいう者は、常春の国にはいません。
「わたしが冬将軍の后? そんなの釣り合うわけ、ないでしょう!」
「たしかに そうね」「そう 主には見合わない」「主は ばら姫さまには もったいない」「ふさわしい姫君は ほかにいるもの」
 ふわふわとばら姫のまわりを躍りながら、彼女たちは言います。ばら姫はこれまでこんな屈辱を受けたことがありません。顔を真っ赤にして──もともと赤いのですが──、彼女たちを白鳥の羽扇子で追い払いました。
 きゃあきゃあと甲高い声を上げて、ぼたん雪の精たちは去ってゆきました。
 ふん、と鼻を鳴らしてばら姫は先を急ぐように皆に告げました。ばら姫には聞こえないように、小さくため息をつく兵たちを矢車菊がなぐさめました。

 ぼたん雪の精がいなくなると、一面に広がるのは銀色の世界でした。月のものうげな光を受けて、きらきらかがやく様は、まるで水晶のかけらをまいたようです。春の国では目にできないすばらしいものでした。冬の国で暮らすのはまっぴらごめん、と言い切るばら姫ですら、この景色をひとりじめしたい、と思うほどでした。
 のんきなばら姫を運ぶ一行は、常春の国よりもいっそうきびしい寒さにさらされ、動きが鈍ってゆきました。そうして、とうとうばら姫の乗る蔓草の馬車は動かなくなりました。
「なんということ! 情けないわ!」ばら姫は兵達を怒鳴りつけますが、彼らは返事もできないほどへとへとでした。そして、旅立ったときよりも供の数が減っていることに気付きました。
「途中で逃げ出すなんて!」いらいらと呟くばら姫に、矢車菊は静かに言いました。
「彼らは逃げたのではありません。寒さに耐えられず、枯れてしまったのです」
「わたしは平気よ。なぜ彼らは枯れてしまったの?」
 ばら姫は首を傾げて答え、矢車菊は悲しそうな顔をして、黙り込みました。
 雪原の中に取り残されたばら姫たちを見つけたのは、国をひとめぐりしていた冬将軍でした。
「これはこれは、常春の国のばら姫ではありませんか?」
「おまえはだれ?」と尋ねるばら姫に、矢車菊があわてて耳打ちします。「かの方は、冬将軍にあらせられます」
「ああ、わたしをよこせといった、無礼者ね」
 ばら姫の言葉に、冬将軍が笑いました。「無礼はそちらのほうであろう。だがわしは心が広い。お困りなら今でも遅くはない、后になればよい」
「ふざけないでちょうだい!」
「ふざけてなどおらぬよ。今、春の国は民が息絶えようとしているのに、のんきにご旅行とは」
 冬将軍の言葉に、ばら姫は唇をとがらせます。「わたしは醜く枯れたりしたくはないのです」
「このままでは枯れてしまうことに変わりないが、姫が嫌がるのを強いるわけにもいくまい」
 去ろうとするのを見て、ばら姫が慌てます。后になるのは嫌ですが、このまま放りだされるのも嫌です。
「まって、まってください!」引き留めたのは矢車菊です。ばら姫はおどろいて忠実な侍女に目を向けます。
「冬将軍さま、お願いです。姫さまの代わりに私をお連れください。そして春の国と姫さまをお救いください。それが叶うのならば、私はどうなってもいいのです」
 献身的な侍女のせりふに、ばら姫は鷹揚にうなづきます。冬将軍はうなります。
「まったくまったく、ばら姫には過ぎた侍女。矢車菊と申したか? よろしい。そなたの願いを聞き入れよう」
 欲張りなばら姫は不満げな顔をします。兵たちもいなくなったのに、お気に入りの侍女までいなるなんて。しかし、ここで矢車菊を引き留められません。ずっと枯れないままでいられる薬を手に入れることができるのですから。
「矢車菊よ、暁の女神に頼んでオーロラを紡いで糸にし、わが花嫁にふさわしいドレスを贈ろう。今年一番最初の雪の結晶は宝冠に、海の青を染めた氷河を磨いて首飾りにしよう。きっと似合うだろう」
「そんなのずるいわ!」ばら姫は思わず叫びます。世にも珍しい宝物をいくつも持っているばら姫ですら、聞いたことのないものばかり。それが矢車菊のものになるなんて。「侍女には不似合いよ!」
 冬将軍はばら姫に向かって告げます。
「わしが后にしたのはばら姫ではない。わが花嫁はすでにそなたの侍女ではない。気に食わぬが花嫁の頼みだ。約束どおり、そなたを魔女が住む場所まで送り届けてやろう」
 冬将軍が一角馬の馬車を呼びました。美しい水晶でできたそれに、矢車菊をうやうやしく乗せ、ばら姫も続こうとしましたが、冬の国の兵に止められます。
「何故止めるの?」と首を傾げるばら姫に、冬将軍はトナカイのソリを指さします。
「魔女の家は馬車では通れぬ。こちらへ」ばら姫は怒りで白鳥の羽扇子を折ってしまいましたが、従いました。
 矢車菊を乗せたきらびやかな馬車は、優美な白鳥の兵たちが守られながら空を駆けてゆきました。
 吹きさらしのソリに乗せられたばら姫はそれをうらめしそうに眺めるばかりでした。

 魔女の家は、雪の谷の奥にある小さな小屋でした。ばら姫を下ろすと、冬の国の兵はさっさと帰ってしまいました。
 ここに来るまでに、ドレスは氷樹に裂かれ、宝冠はどこかへ飛んでゆきました。繊細なガラスの靴は冬の国には向かず、指先は冷たくて痛いほどでした。旅立ったときからは考えられないほど、ぼろぼろになったばら姫は魔女の小屋の入り口の前に立ちます。
「今すぐ扉をあけなさい! 寒くて凍えてしまうわ!!」と怒鳴ると中から小柄な老婆がでてきました。その姿に、ばら姫は顔をしかめます。
 美しいと評判だった母は、茶色くカラカラになっても昔の面影を残していたものですが、この老婆には美しさのかけらもありません。枯れた色に、黒い班が浮いており、見れたものではありません。
「わたしの顔が嫌ならでておゆき。わたしとて、わたしを嫌うものとともにしたくない」
 老婆はそう言い放ち、扉を閉めようとします。「わたしを見殺しにする気なの!?」
「お前は、誰も見殺しにしなかったというのかい? ばら姫さま」老婆にまっすぐ見つめられて、ばら姫は怯みながらも答えます。
「全ては月のだんな様が浮気したのがいけないのです。それにつけ込んだ冬将軍だって、いけないわ」
「冬将軍さまはお前が后になれば、救ってやるといったのではなかったかえ? その申し出を断ったのはお前だ。お前が見殺しにしたも同然だ」
「かりにわたしが見殺しにしたとして、そのわたしを見殺しするのはいいの?」老婆はため息をつきます。「よくないね」
 ばら姫はほらね、と胸をそらします。老婆はまたため息をつき、「中にお入り」とばら姫を小屋へ入れてやります。
 小屋はぼろぼろで、きたなくて、こんなところで寝なければならないことに歯ぎしりをしました。今ごろ、矢車菊は下にも置かない扱いをされているに違いないのに。
「わたしがここに来たのは、色を失わずにすむ薬があると聞いたからよ。作れるでしょう?」たずねると、老婆はうなずきます。
「本当に!? ああ、これでわたしはずっと変わらないままなのね!」ばら姫は歓喜の声を上げました。
「姿形がおとろえるのは普通のことだ。それを失いたくない気持ちが分からぬ」老婆の言葉に、それはあなたが醜いからだ、と思いましたが口にはしませんでした。放り出されてはたまりません。
「薬が欲しいのなら、しばらくうちにいるんだね」
 しばらくの間も、ここで過ごさねばならないのか、とばら姫は落胆しました。

 老婆はなかなか薬を作ってはくれませんでした。その内に、冬将軍と矢車菊の婚礼が行われ、それはそれは豪華で美しい式でした。
 冬将軍は、矢車菊をいたく気に入られ、年に一度里帰りをする后を待ちきれず、迎えにいくほどでした。
 このふたりの幸せそうな様子に、太陽の奥様は祝福を贈り、長い間すねていたことを月のだんな様に謝まりました。そうしてようやく常春の国に、暖かさが戻ったのでした。
 そんな噂を聞きながら老婆と過ごしている間に、ばら姫の花びらの深紅の色が少しずつ褪せてゆきましたが、鏡がないこの場所では気付くはずもありません。
 老婆との暮らしは楽ではありませんでした。暖を取るのに薪を作り、食事をするのに畑を耕し、服を作るのに糸を紡ぐ。そんな生活も、慣れればどうということもないのが不思議でした。
 あるとき、ばら姫は老婆の使っている手ぬぐいにばらの刺繍をしてやりました。ただ暇だったからにすぎないのですが、老婆はとても嬉しそうに笑って、上手いと褒めてくれました。
 昔は、何かをすれば喜ぶ誰かいましたが、いつの間にかいなくなっていました。
 ばら姫は老婆のために刺繍をしましたが、その年の冬の終わりに老婆は枯れてしまいました。

 老婆がいなくなっても、ばら姫に戻る場所はありません。その小屋に住み続け、いつしか老婆と同じように真っ白になり、黒い班が浮かんできましたが、そんなことはどうでもよくなっていました。
 そして、冬の厳しいある日のこと、荒々しく扉を叩くものがありました。
「今すぐ扉をあけなさい! 寒くて凍えてしまうわ!!」居丈高な声の響きに、ばら姫──今や冬の国の枯れた魔女と呼ばれている老婆は、つい苦笑しました。まったく、ばかな娘が来たもんだ。
 扉を開けて言います。
「わたしの顔が嫌ならでておゆき。わたしとて、わたしを嫌うものとともにしたくない」

 ──明くる年の冬に、かつてばら姫と呼ばれた人の最後の花びらが落ちました。
 その花びらはとても白く、雪のように美しい色をしていました。


一覧へもどる

inserted by FC2 system