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C11  オレンジの君

 正午になる少し前の時間、山越航平(やまごしこうへい)はトレーを手に大学の食堂にいた。
 さて、どこに座ろうか。
 がらがらに空いているということはないだろうと思っていたが、これほど席が埋まっているとも思っていなかった。彼一人が座るなら空いているともいえば空いているともいえる空席具合。ざっと見て知り合いがここにはいないと分かると、適当に座ればいいと判断する。見渡していた彼の視線が一点を捉え、その前の席が空いていることを確認するとそこへと歩き出した。
 近付いて見たところ、その席に予約しているような物が置いていない。左右または前に座っている彼らの知り合いが来るようなことはないと分かったが一応断りを入れた。
「ここ、いいですか」
 相席の確認に左右の者達はすぐに了解をくれたが前の席の子は遅かった。自分に断りを入れてくれることを考えていなかったのか顔を上げたくらいだった。再度目を合わせていいですかと聞いてみるとそこで初めて気付き、慌てて頷いた。
 航平はトレーを机に置き肩に掛けていた鞄を椅子に下ろしてその席に自分も座り早速食べ始める。そんな彼の一連の着席が気になったのか目の前に座っていた彼女は箸を止めて注視していたが、それは失礼なことだと判断したのかすぐに自分の弁当に箸を入れた。
 内心ほっとした。彼女に見られていたことを分かっていたが気にしない振りをしていたのだ。男ばっかりが来てしまってがっかりしていたのだろうか。そういえばこの席一帯は女子が少ないな。そうだったなら申し訳ないことをしたかな、などと思いながらも口は動かす。そして今度は彼が彼女を観察した。
 弁当を持ってきていることに感心したがその大きさが小さすぎると思った。きれいな箸使いには好感を持った。変な持ち方をする者もいるので目の前で食べている者がきれいに使っている姿を見るとここにしてよかったと思う。
 姉ちゃんの占いの言葉、今日は当たりだったな。
「航平、今日のあんたのラッキーアイテムはオレンジよ」
 それは朝のバタバタしている時間帯に言ってきた姉の言葉だった。
「また、テレビの星占いかよ」
 こっちは少し寝坊してしまって慌てているのにいっこ上の姉は午前が休講らしくのんびりして話し掛けてきたのだ。
「そうよ、青山さんがそう言っていたんだから」
 にこにこしながら男前のアナウンサーの名前を言う。その姉に半目で返し、無言でいるとむきになって更に強調する。
「それにあんたの星座は二重丸だったからきっといいことあるのよ」
 運気は最高ということをらしい。彼が占いを気にしないということを知っているくせにと思ったが、それ以上まともに会話していたら遅れそうになるので適当に返事をして家を出てきたのだ。
 航平がこの広い食堂の空きの席をここに選んだわけは、目の前に座っている彼女のカットソーがオレンジ系統の色だったからと運気が最高のアイテムの色を着ている彼女の前が空いていたのでそこに決めた。運気が最高だということでそうしたわけではないのだが、どうせどこでもいいと考えていたからそれを材料にしただけのことだった。
 どこの学部の子だろう、一回生だろうな。
 返事をしたあと全く顔を上げない彼女を盗み見していたので食べるペースも遅くなり、近付いてくる者にも気付かなかった。
「山越航平っ」
 背後からフルネームで呼ばれて両肩を強く叩かれた。遠慮のないそれに顔をしかめて後ろを向く。近くにいた者達もびっくりしながらそちらを向く。
「有名人になりたくないからフルネームで呼ぶのは止めて下さい」
 誰が彼の背後に立っていたのか分かっていたので迷惑そうにそう告げる。
「だって、やっと捕まえられたから嬉しかったんだもの。幽霊部員の山越くん」
 彼女から逃げ回っているみたいに言うのは止めろと思いながら部長の玉木真美子(たまきまみこ)を見た。
「用があるならウチの校舎に来ればいいでしょう」
「だって、あそこ遠いじゃない。メールしても見てくれないし」
 玉木部長は美人なのだが人使いがとても荒い。メールが来てもろくなことがないと知っているので開けないことが、いや、絶対開けない。この時期だからそろそろ部室に顔を出しに行こうと思っていたところだったがそれを言うのもなんだか癪だった。
「だって、夏野菜のイベントが終わったらまた来なくなっちゃったじゃな、あれ」
「どうしたんですか」
「あ、ううん、なんでもない」
 なにかを見付けたような顔だったが気のせいだったのかすぐにもとに戻った。航平が幽霊でもいいからと勧誘された同好会は、園芸なのだが活動としては少しずれているところがあった。夏野菜のイベントと称されていることもそれに当たるのだが目的は作ることではない。作るは作るが、その先のことが目的なのだった。大学には一般の人にも公開している購買所があり、夏野菜はそれらで漬け物を作り、そこに置かしてもらっている。また、秋は芋掘りをして取れたてを、または場所を借りてその場で焼き芋を作り売っている。そしてそれらは近所の方に好評ですぐ完売する。ウチの大学には農学部とかはないので、みんなド素人なのだが、園芸好きな教職員に教えてもらいながら立派に作っている。その作業は形として成果が出るのでやりがいがあり、楽しいと言える。だが、極めるというところまですることはない。普段ウチの部は細々と活動していた。それを知り幽霊として入っても苦にはならないだろうと入部した。
「失礼します」
 小さく言われた声に気が付いた。前に座っていたオレンジ色の彼女が食べ終わり、弁当箱を包み終わって席を立ったのだ。
 こちらと知り合いでもないのにそう言ってくれたということは先に断りを入れてここに座ったからだと思った。感じのよい子だったので一人きりなら話し掛けてみようかなと思っていた目論見ができなくなってしまった。席を離れる彼女を見ながら知らず小さく息を吐いてしまう。
 玉木部長は、席が空いたことで素早く自分のハンカチをその席に置く。席取りをしたのだ。
 置かれたハンカチを見て呻いた。オレンジ色の水玉模様だったからだ。
 オレンジが凶事に切り替わったか。
 テーブルの端を回り込み、彼女は向かいに座り弁当を取り出した。用を切り出される前に退散しようと急いで定食をかき込み始めると釘を刺される。
「一人で食べるの嫌だからゆっくり食べなさい。そうしないと後で後悔するわよ」
 彼女が命令口調で言うのは常のことで聞き慣れているが、最後の言葉が気になった。人使いが荒かったりぞんざいな態度をするが、部長は悪い人ではない。根はとても優しい。なんだかんだと横柄な感じだが人の世話を焼きすぎてそうなのだと知っている。知っているから引っ掛かったのだ。そういう系でなにか企んでいるのではないか。
「僕に対して言っているんですよね」
「他に誰がいるのよ」
 口を尖らせて反論してから口許を隠して笑ったところを見て悟った。企み確定だ。
「僕が捜されていたのはそれのせいですか」
 探りを入れてみる。彼女は食べながら考えてそれもあると返す。
「部室に出ていないだけでやることはやっていますよ」
 活動の体裁を整える目的もかねて、部員が当番を決めて校内の花壇などの水まきをしている。その責任に対して幽霊だけどすることはしていることを強調してみる。
「そうだけど、山越くんの顔も見たいなぁって」
 気色悪いことを言われて身震いする。
「それ、部長が、じゃないですよね」
 彼女は楽しそうに笑った。
 全くもってやりづらい人だ。これ以上は聞き出せないだろうから降参した。
「はい、分かりました。顔を見せればいいんですよね。今日、終わったら行きますよ」
 狙ったとおりの返事をもらったことで部長は嬉しそうに頷いた。本当ならそこで席を立つところなのだが、その後すぐに食べ終わるまでいてと命令されたので動くことができなかった。
 講義が全て終わった後、約束どおり航平はクラブハウスに向かった。芋掘り以降は部として企画することがないと知っていたので遠退いていたがあの部長のことだから今年はなにか新たに思いついたのかもしれない。男どもを集めて力仕事でもさせるつもりなのか。そう危惧しながら部室のドアをノックする。開けても声がしていなかったのでまだ誰も来ていないのかと中へ視線を動かして足が止まった。ドアを押し開けてほとんど体が部室に入っていたがそのまま後退した。
「待って下さい」
 中にいた彼女が航平の行動を止める。
「え、あの、ごめん、部室を間違えた」
 誤魔化し笑いをして言い訳をする。
「合っていますよ。行かないで下さい」
 部室の中で座っていた彼女が慌てて立ち上がり止めようとするが混乱して聞いていない航平はそのまま出てしまいドアを閉じた。失敗したことのため息を付いてから左右を見て正面の今自分が閉めたドアを見て驚く。
「合ってる。ウチの部だ」
 間違っていなかったので眉間に皺を寄せたら、ドアが開いた。そこから食堂で相席になったオレンジの彼女が申し訳なさそうにしながら顔をのぞかせた。
「驚かせてしまってごめんなさい」
 彼女の謝罪で己の慌てた過ちに気付いた。部に用事があって来たか、彼が知らない内に入部してきたのかもしれない。幽霊ながら部員として失礼なことをしてしまったと悔いてこちらからも詫びて用件を聞くために再び席へと促した。航平にそう言ってもらったことでほっとした様子の彼女は素直に席に着いてくれた。こちらも鞄を置き、昼と同じように向かいに座った。
「僕は山越航平、あまり真面目じゃないけど一応この部に所属しています」
 取りあえず自己紹介。昼間部長が絡んできたときのことを覚えていないだろうと思ったからだったが頷くように笑っていたのでちゃんと覚えていてくれたのかもしれない。
「私は谷川真実子です」
 次に言われた彼女の自己紹介で、思わず苦笑いしてしまう。
「はい、玉木部長と字は違いますが名前が同じなのです」
 考えに察して笑って返してくれる。部長の名前までちゃんと知っていることからやはり新しく入部した子なのかと思ったが少し違和感を持つ。
 それはなんだろうと考えていると、彼女がこれをと言いながら机にハンカチを出した。
「あれ」
 見覚えのあるそれに目を見張る。しかし何故それを彼女が持っていたのか。
「僕が落としたのを拾ってくれた?」
 言いながら違うなと思う。幼稚園児じゃあるまいし名前など書いていないから持ち主は分からないはずだ。それにどうということもない藍色のタオルハンカチだから自分のものではないかもしれないし、と考えながらもきっと自分のものだろうとも思った。それらを思いながら彼女を見ると、笑っていた。
「やっぱり覚えていらっしゃらないのですね」
 ずばり言われたことによりやはりそれは航平のハンカチだと知った。
「二ヶ月ほど前、花壇の辺りを通りかかったときに水道のホースが痛んでいて」
「あっ、あの時の」
 ようやく思い出して声を上げる。
 水やり当番だったときホースが劣化していたとは知らずに蛇口を思いっきり開けたら根本のところからシャワーよろしく水が盛大に吹き上がった。よく晴れて寒くなっていない時期だったので男だし濡れてもさほど気にしなかったが、程なくして女の子の声が聞こえた。慌てて振り返ると、運悪くそこを通りがかった子がいてその被害を受けてしまったらしい。水を止め、急いでその子のところに謝りに行ってすかさず自分のハンカチを差し出した。
「これを使ってください。下ろして間もないし、今日はまだ使っていないのできれいです」
 彼女は目を丸くして受け取って礼を言ってくれたがあまりにも申し訳なくて顔もちゃんと見ていなかったし、それからすぐ彼は向こうから呼ばれてその場を離れてしまった。女の子に水を掛けてしまったということの罪悪感とホースのことを報告しなければならないということで頭が一杯で正直それ以来忘れていたことだった。
「あの時はありがとうございました」
 改めてお礼をいってくれた彼女に恐縮してしまう。
「いや、もとはといえばこっちが悪いから」
 ハンカチを仕舞いながら彼女のカットソーを見る。
 オレンジ色万歳だ。
「でもどうして今日」
「谷川さん、遅れてごめんねー」
 そう言いながらノックも無しに元気よく入ってきた玉木部長は、二人が部室にいるのを見て、あら、と声を上げる。
「もしかしてもう返しちゃった?」
 ハンカチのことを承知していたようで谷川さんがはいと答えると脱力した様子。そこで呼ばれた真意を察した。少しふて腐れた部長の方からこの場に至った経緯を話してくれた。
「あれから彼女、園芸部の存在を知ってクラブハウスの近くで待っていてくれたらしいわよ。でも、誰かさんは積極的に顔を出さないから全く会えなくてとうとう部室の前まで来てくれたの」
「でも、お邪魔する勇気が出せなくて」
 恥ずかしそうに谷川さんが補足する。
「そんな時迷っている彼女を部室の前で捕まえたの」
「どーせ入部希望だと勘違いしてでしょ」
 突っ込みを入れると、図星だったらしく咳払いした。
「水やりの当番はちゃんとしているみたいだからそこで捕まえて返せばいいと最初考えて当番の日を教えてあげたの」
 それは正しい、さぼってなどいなかったから。
「でも、会っていないよね」
 確認すると、谷川さんはしょんぼりしてその理由を打ち明けてくれた。彼女がその場に行ったときはもう水まきが終わっていたり、雨が降ってしなくてもよかったりしていたと。そういえば、いきなり休講があったときその時にしていたっけ。ここ最近の行動を思い出す。
「それで私がなんとか捕まえて会わせてあげると約束したの」
 引き受けた割にはのんびりだったではないかと部長を見やると、舌を出された。まあ自分も言えた義理ではないのでお互い様だけど。
「なにはともあれ、無事に返すことができたし、顔合わせもできたことだしめでたしめでたしよね、オレンジの君(きみ)」
 そう締めくくることに頷き掛けたがオレンジの君という言葉に部長を見た。
「オレンジの君ってなんですか」
 航平のことを指して言っていると分かったが占いのことは知らないはずだ。
「谷川さんが教えてくれたのよ」
 にやにやしながら彼女に振った。
「すいません、お借りしたハンカチからオレンジのいい匂いがしたので」
 真っ赤にしながら頭を下げられてしまったのでそれを止めながら、あのハンカチは姉ちゃんの引き出しに間違って入っていてアロマだかなんだかの香りを付けられていたんだと思い出した。それがオレンジの香りだったのか。
 航平は苦笑した。占いって侮れない。
 その後、部室には他の部員もやって来て久しぶりに言葉を交わした。今日は全員の顔合わせになった。
 谷川さんはハンカチが切っ掛けで入部したらしい。
 僕も幽霊オレンジの君から真面目部員に変わろうかな、と彼女を見ながら笑った。


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