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C06  モノクロ

 配達を終えて、新しいパンのことを考えながら歩いていた。売れるパンを作らないといけないもの。
 上の空で歩いていたのがいけなかった。道端に転がっていた木箱に、思い切りすねをぶつけてしまった。あまりの痛さに涙まで出てきた。
「もう、誰よ。こんなところに木箱置いといたやつ……」
 崩れた木箱を直そうと、手をかけて息をのんだ。真っ赤な血がべったりとついている。私のじゃない。誰かの。
 道の向こうにも点々と血が落ちていて、横道に続いている。震えるような気持ちで、道を覗き込んだ。
 薄暗い道の影、隠れるようにして黒い男の子と白い男の子がうずくまっていた。
「え、どうしたの。大丈夫?」
 黒い子がこっちに気がついて、震える手をこちらに向けた。その手には拳銃。銃口はまっすぐ私に向けられていて。
 カタカタと震える銃を持つ手が、急にぱたりと力を失った。銃も音もなく消えてしまって。
「誰か!」
 我に返って、声の限り叫んだ。そして私は元来た道を戻って走った。

 紙袋いっぱいにパンをつめて、治療院にやってきた。香ばしいパンのにおいが鼻をくすぐる。うん、今日もおいしく焼けてる。
「こんにちは、先生。お昼をお届けにやってきましたよ~」
 扉を開きながら呼びかけると、廊下の奥から先生が、ひょっこりと顔を出した。無精ひげを生やした顔をしわくちゃにして笑っている。
「待ちくたびれたよ、アンちゃん」
 うちのパンの自慢は、他の店にはまねできない歯ごたえ。先生が焼きたてのパンをバリボリとかじっている。先生は数少ない大事な常連さんで、昼過ぎになるとこうしてパンを届けに来ている。
「先生、あの子たちは?」
「まだ目が覚めないんだよ。傷はもういいはずなんだけどねぇ。でもねぇ」
「何か心配ごとでもあるの?」
 先生がかじるようにして食べていた手を止めた。眉間にしわを寄せて、難しい顔をしている。
「魔道経路、ええと、体の中を魔法の力が流れているんだけど、それがうまく流れてなくてね。二人の魔力が混ざってるようなんだ」
「よくわからないんだけど、それってよくないの?」
「このまま目が覚めないと、非常にまずいね」
 そういって、先生は目を閉じた。私にできることは何にもない。助けた以上、生きていてもらわないと寝覚めが悪いんだけどな。
 静かな午後に、派手な音がした。ううん、騒がしい午後でも気がついたと思うけど。何かが倒れるような音とガラスの割れる音。先生と私は顔を見合わせると、音がした方へと走りだした。
 部屋は、恐ろしい状態だった。あちこちに治療用のよくわからないものが転がってる。散らかった部屋を見回して、白い塊を見つけた。
 白い塊は、例の男の子の片割れだった。こっちに気が付くと、ガラスの破片を握って、とがった先をつきつける。
「ここはどこだ。お前たちは、何者だ!」
 握りしめた手から、真っ赤な血がたれて床を汚す。それを見て、すうっと周りが涼しくなった気がした。体の血が逆流したような気分。
「アンちゃん!?」
 先生が止める声も聞かず、男の子に近づく。私に脅えるような表情をしている。そんなので許すか。
 乾いた音が辺りに響いた。
「あんた、馬鹿じゃないの!? 助けてやった人間に対してその態度? あのまま、道に倒れて死ぬ気だったの?」
「助け……?」
「謝りなさい」
 男の子の顔が、手のひらの形に赤くなっている。叩いたんだから当然だ。
「謝れっ!」
 赤くはれた頬をおさえて、きょとんとしていた。なんなわけ? 親の顔が見てみたいんだけど。
「……ごめんなさい」
「私にじゃない。先生によ。あんたなに考えてるの? せっかく怪我がよくなってるのに、わざわざ怪我を増やすようなことをして」
 これ以上怪我を増やさないように、そっと手を取ってガラスの破片を取り上げた。まったく。こんなもので何をしてるんだか。男の子は素直に先生に謝る。それでいい。
「先生、笑ってないで消毒液!」
「はいはい。アンちゃんは、他人使いが荒いねぇ」
 先生は消毒液を取りに行ってくれた。あとは私の仕事よ。床に座り込んでいる男の子の方に向き直ると、赤くなってしまった頬に手を添えた。まだ万全じゃないのね。
「ごめんね、痛かったでしょ?」
 あれ、この子なんで、叱られてるのに楽しそうなの? まったく、開いた口がふさがらないわよ。男の子は、体を二つに折って笑い始めた。信じられない。
「まったく、無知ってのは笑えるね」
「し、失礼な」
「なら、俺達がモノクロだって言ったらどうする?」
「モノ……何?」
「ほら、知らない」
 なんなの。生意気。どう育てばこうなるの?
「命の恩人にどういうつもりなの?」
「ふ~ん。じゃ、あんたが治療院に運んでくれたんだ。まあ、それに関しては礼を言うよ」
 なんなのこの言い草。失礼にも程があるでしょう? あまりの言われように、何をどう言ったらいいかわからなくなっていた。
「俺は、ノワール・クロージング。そっちでまだ寝てるのが、ブランシェ」
 白い肌に、整った顔立ち。意地悪そうな表情。今、初めて冷静にこの子の顔を見た。こんなに綺麗な子どもは見たことない。そうか名字、それで納得できる。この子、貴族様なのね。だから、こんなに綺麗なままでいられるんだ。
「そんなに見られると、穴があいちゃうんだけど。それとも、惚れちゃった?」
 頬が熱くなった。この子、何言ってるの?
「違いますっ! それより、あなた、貴族なの?」
「まあ、似たようなもんかな。そんなことより、嘘つかなくてもいいよ。顔赤いぞ? まあ、こんな真昼間よりは夜の方が盛り上が――」
「いい加減にしなさいっ! 誰に何を言われたか知らないけど、言って良いことと悪いことがあります!」
 しまった。言ってしまってから慌てて口をおさえたけど、一度口から出た言葉は元に戻らない。あの子たちが本当に貴族なら、私みたいなのは簡単に殺せるんだった。
「あんた、変わってんな。普通、貴族にそんな言い方しないぞ?」
 心の底から、不思議そうな顔をしている。私の人生もこれで終わりかな。
「殺さないでくださいっ!!」
「殺さねえよ! お前、貴族に対してどんな印象もってんだ?」
「本当に?」
「本当に。てか、あそこまで言っといて、今更殺さないでくださいって。面白いな、あんた」 物珍しそうに私のことを見てくる。私は見世物じゃないんですけど。
「ノワール様?」
「気持ち悪いから呼び捨てでいい。ま、しばらく厄介になるわ。アン?」
 ノワールの目は、薄い金色で蛇に睨まれた気がした。なんで、私の名前を知ってるのよ? やっかいな物につかまったような気分だった。
 家に着いてからやっと、先生が私の名前を何度も呼んでいて、ノワールがそれを聞いていたことに気がついた。あの子、頭いいのね。

「ねえ、あなた達、頭いいんでしょ? 私の弟に魔法を教えてよ」
「なんで俺達が」
 ノワールが心の底からあきれたような顔をした。いいじゃない。ちょっとぐらい。
「あの子も頭いいのよ。学校に入れたいんだけど、学費が払えなくて」
「僕たちは動けるようになったら、すぐここを発ちます。責任持てませんよ」
 ベッドから軽く身を起こしたブランシェが、優しい表情でゆっくりと言った。色違いのノワールと言えばいいのかしら。顔はよく似てるけど、色は黒い。話を聞くと、二人は双子なんだって。黒いブランシェがお兄さんで、白いノワールが弟。
「にしても、これなんだ? 食えるのか?」
「何って、パンに決まってるじゃない」
「そうかそうか、パンっていうのか。で、これは食えるのか?」
「食べ物に決まってるでしょ?」
 この子は、何を言ってるの。ノワールは小麦色に焼けた顔の大きさほどのパンを抱えて、じっくりと見ている。早く食べればいいのに。
「俺の知ってるパンと違うみたいだな」
「ハンマーが必要かもね」
「失礼な。うちの自慢は、その歯ごたえよ。あごが強くなるんだから」
 うちの自慢。だけど、貴族の二人には合わなかったみたい。白い目で見られてしまった。
「学費を払える日が来るのか?」
「きっと来ないだろうね」
 二人揃って失礼な。確かにうちの店、あんまりはやってないけどさ。
「それよりブランシェ、体調はどう?」
「あんまり。体力だけじゃなくて、魔力も戻ってこないんだ」
「ま、寝てりゃすぐにでも戻んだろ」
 ノワールの精一杯の励まし。たぶん二人とも焦ってる。理由はわからないけど、二人はすぐにでもここを飛び出していきたいようだった。だけど、体がそれを許してくれない。だからもどかしいんだと思う。

 二人と出会ってから、一週間が経とうとしていた。ようやくブランシェも少しずつ動けるようになっていた。それでもすぐ息が上がってしまって、まだ安静にしているように言われている。本当は今日もお見舞いに行くつもりだった。出かける直前にあんなことがなければ。
 どこからかうちのうわさを聞きつけた、街の不良どもが店に押し掛けてきた。それで大暴れしたうえに、信じられないことに、パンの固さを馬鹿にした。父さんは、勝手に言わせておけばいいって。だけど、横顔が悔しそうだった。私も片づけを手伝えば良かったんだけど、どうにも許せなかった。それで父さんと弟の目を盗んで、こうして裏通りを大股で歩いてる。
 見つけた。もう使われなくなった教会の扉を力いっぱい開く。中には、懺悔なんかしそうにないやつらがごろごろと。私が説教してやるから。
「さっきのパン屋の姉ちゃんじゃん? 何の用? ねんねは家でおとなしくおままごとでもしてな」
 教会が下品な笑いに包まれる。まったく。礼儀を一からたたき込んであげる。
「女性には優しくしなさいとママから習わなかったの?」
「ああん?」
「知らないなら、私が代わりに教えてあげる」
 気合一番、大きく腕を横に振って、近くにいた男の腹にたたき込む。男の口からうめき声が漏れる。体勢が崩れたところにすかさず蹴りを入れる。
「パン屋の体力なめんじゃないわよ」
 さっきは自分の店だから、暴れられなかったけど、今は違う。悪いけど、子ども二人抱えて走れるぐらいの体力はあるの。女だからって甘く見ないでちょうだい。
「てめ、調子に乗んのもいい加減にしろ」
 しばらく暴れた頃だった。突然、世界がぐにゃりと曲がった。人の足だけがあり得ないほどのびたり、身長が膝までしかない人間が急に出てきたりする。それにぐるぐるする。自分を支えられずに、ふらりと傾くと、そのまま椅子にぶつかった。魔法?
「地面に這いつくばって、いい気味だな。なあ、嬢ちゃんよ? お望みどおり、優しくしてやんよ」
 どこかからそんな声が聞こえて、ずしりと体の上に何かがのしかかった。悔しい。地面に倒れているはずなのに、ぐらぐらと揺らぎ続ける世界の中で、唇をかみしめた。
 建物の外で、乾いた音が一つした。それが合図だったように世界が元通りになった。どうして?
 ガラスの割れる甲高い音が響いた。こんなときだけど、私は息をのんだ。
 緑、青、赤、黄、橙。一つ一つが光をはじいてきらきらと、いろんな色が空から落ちてくる。それは世界が変わる瞬間に似ていた。
「どけよ。風穴開けてほしいか?」
 体にのしかかっていた重みが消えた。目の前に透けてしまいそうなぐらい白い小さな手が差し出された。
「ノワール」
「あんたは一体何をしてんの? 馬鹿?」
「アンさんは、無鉄砲なだけですよね」
「ブランシェまで」
 天使みたいな二人が、似合わない大ぶりの銃を手にしていた。どうして? もう動いても大丈夫なの?
「なんだ? ガキは引っ込んでな」
「引っ込んでられないからここにいるんだろうが。覚悟しとけよ、オニーサン?」
「さ、選手交代です。僕たちに任せてください」
 ブランシェが私の服についたガラスを払って、近くの椅子に座らせてくれた。体がうまく動かせない事に気が付いてたみたい。
「手っ取り早く終わらせようか。喜びな。大盤振る舞いだ」
 ノワールがそう言うと、銃口をブランシェに向けた。ブランシェもノワールに向ける。ちょっと、何してるの!
 私の焦りもむなしく、銃が火を噴いた。必至で手を伸ばした。だけど、間に合わない。重いものを落としたような音がして、二人は倒れた。
「な、なんだ? 何しようとしたんだ?」
「うっさい! あんたたちのせいで、二人が死んじゃったじゃない!」
 嘘だよね。嘘だっていって。目の前にいる男の姿がにじむ。
「許さない」
「あいつら自爆しただけじゃねえか」
「誰が自爆したって?」
 頭の上から声がした。ノワール? ううん、だってノワールはさっき。恐る恐る見上げると、黒い髪をした男の人が立っていた。誰?
「うまくいったみたいだね、ノワール」
 優しげな表情を浮かべる白い男の人。頭の上でブランシェ、と呼ぶのが聞こえた。意味がわからない。
「ちょっと待て。うそだろう? お前ら『モノクロ』か? どっかの国の近衛をやってたけど、死んだんじゃ?」
「へ~。よく知ってんな。実際は死んだんじゃなくて、魂と体が合わなくなる呪いを受けて、ここまで逃げてきたんだけどな」
「怪我した僕らは、アンさんに助けられた。君たちは僕らの恩人に手を出したんだよ。覚悟してね」
 それからは、あまりにも一方的だった。圧倒的。銃声が聞こえる度に、色んな魔法が発動して、不良をなぎ倒して行った。あっという間に全員が気を失った。
「さて、終わりかね」
「みたいだね」
 腰が抜けて、動けない。教会の床に座り込んだまま、一歩として動けなかった。
「それじゃ、アンさん。お世話になりました」
「え?」
「動けるようになったからな。国に帰るさ」
「近衛が襲われたってことは、相当良くない状況だからね」
 ノワールは眉間にしわを寄せて、ブランシェはなぜだか楽しそうに言った。そうだ、二人は貴族様で、貴族様ってことは国の重要人物で。
「俺達も命助けたから、これで貸し借りはなしってことで。それじゃな」
「そんな」
 重々しい音を立てて、教会の扉が開いた。薄暗い教会に光が差した。ノワールとブランシェが影になって。
 モノクロ。白と黒の世界。ノワールは黒。ブランシェは白。今の二人は、魂と体が同じ色をしていた。
「次にっ!」
 私は必死で声を上げた。二人が足を止めた。
「次に来たときには、たくさんパンを用意しておくから」
 振り返った顔は影になっていて見ることはできなかったけど、笑ってくれた。ひらひらと手を振ると、また歩き始めた。
「誰があんなパン食うか。またな」
 私は影が見えなくなるまで、見送り続けた。

 これで二人の話はおしまい。私は今日もパンを焼く。おいしそうな香りで釜から出てきたのは、貴族でも食べられそうな、白と黒の柔らかいパン。うちの自慢の新作パンなんだから。


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