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C05  白魔道の街で

 玄関の扉の向こうで大きな物音。
 ステファンは立ち上がって静かに呪文を唱えた。ここは街から離れた森の奥に建つ一軒家。一人暮らしのステファンの元を訪ねてくるような知人はいない。
 つまり、扉の向こうにいるのは魔物の類。
 その昔、この大陸に光臨した『魔王』は各地に『魔物』を放った。知能の欠片もなく獣の数十倍獰猛な異形の化け物たちは人間を襲った。屈強な傭兵部隊、攻撃魔法に特化した黒魔道師部隊を国が組織し交戦した。その結果、大陸の東半分が人間の土地、西半分が『魔王』たちの土地となり睨み合う状態となった。
 とりあえず保たれていたこの均衡は数年前から崩れ始めている。大陸の東に位置するこのノイフィールドの街も二年前魔物に襲われた。そして、街の南側に広がるこの森には数十匹の魔物が住みつくようになった。
 呼吸を整え、ステファンは扉を開け放った。同時に呪文を放とうとして慌てて言葉を飲み込む。
 玄関の前にいたのは、目を回して倒れる若い男だったのだ。



「いや、ありがとう。ごちそうさま」
 傭兵姿の若い男は几帳面に頭を下げてから食後のお茶をすすった。
「僕はアーサー。いやあ、助かった。ノイフィールドの南の森がこんなに広大だったなんてね。道に迷って三日、飲まず食わずで大変だったあ」
「ここの森はそれほど迷いやすくはないはずですが」
「人家があって助かったよ。お兄さん名前は?」
「ステファンです。それを飲んだら、さっさと帰ってくださいね。街への道は教えますから」
「いや、ノイフィールドに用はない。この森に住んでいるステファンさんという人間を探していたんだ」
 ステファンの片眉が跳ね上がる。先ほど、うっかり名前を口にしたことを後悔した。
「……何の御用ですか?」
「勧誘しにきた」
「何の?」
「僕と一緒に魔王を倒しに行かないか?」
 ステファンは鼻で笑った。アーサーはそ知らぬ顔でお茶をすする。
「随分な冗談ですね」
「冗談じゃないよ。僕は勇者だから」
「『勇者』……例の、『龍の年の勇者』ですか」
 三年前、この大陸全土の神官たちが一斉にお告げを受けた。曰く、『龍の年、七の月に生まれた者が魔王を倒すであろう』。
 この大陸の暦は、龍の年、蛇の年、といったように十二種類の動物によって数えられている。つまり、龍の年の十二年後にはまた龍の年が来るのだ。『龍の年生まれの人間』は、現在六歳、十八歳、三十歳、四二歳。そうであるから、お告げが伝えられてから、大陸のあちこちで大勢の『勇者』が誕生した。我こそは魔王を倒す勇者なり、と意気込んで故郷を飛び出した人間も多いと聞く。
 しかし、『勇者が魔王を倒した』という話は聞かない。
 ステファンは改めて目の前の相手を観察した。お茶のお代わりを自分で注ぐこの青年は、十八歳の勇者。
「『魔王を倒す』のは龍の年生まれの人間の役目でしょう。私は、あなたより一つ年上です。魔王を倒す義理はありません」
「ああ、ステファンさんは『兎の年』生まれか」
「生まれ年の話はさておき」
 自分の生まれ年の動物が気に入っていないステファンは、咳払いをして話を戻す。
「勇者からのせっかくのお誘いですが、辞退します」
「そこを何とかならないかな」
 勇者はお茶のカップを置いて言った。
「僕には仲間が必要なんだ」
「わざわざこんな所に来なくても、ノイフィールドに行けばいくらでも優秀な白魔道師はいますよ」
 攻撃しか行えない黒魔道と違い、白魔道は人を癒し人を守る。大陸一の白魔道の都であるノイフィールドには、どんな大怪我でも一瞬で治せる者、どんな攻撃でも防げる結界を張れる者、どんな魔物でも半永久的に封印できる者がわんさかいる。
「こんな森に引っ込んでる変わり者の魔道師を勧誘する意味がわかりませんね」
「僕もよく変わってるって言われるし、変わり者同士仲良くやろうよ」
 勇者はテーブルの上で手を組んでにっこり笑った。
「お断りです」
「そこを何とか!」
「第一、こちらの実力もわからないでずいぶんと大胆な人ですね。いいですか、この際だから言いますけど、私は、大きな怪我を治すことはできないし、防御の結界なんて一瞬で消えるし、封印なんてかけた端から解けていくんですよ」
 自分で言っておきながらステファンは空しさを感じた。何故こんなことを力説しなければならないのか。ノイフィールドの街で劣等生だった自分を思い出し、胸の奥がざらつく。
「ステファンさんは二年前からこの森に住んでるんだってね」
 突然話題を変えられステファンは戸惑った。
「ノイフィールドの街に初めて魔物が現れたのも二年前」
「……何が言いたいんですか?」
 ステファンは勇者を睨んだ。勇者は手を組んだ姿勢のまま動じる様子もない。
 おそらく彼はノイフィールドの街で噂を聞いたのであろう。
 あの魔物はステファンが召喚したのではないか、という噂を。

 目の奥に蘇るのは魔物に蹂躙される街と血まみれで倒れるあの人の姿。

 どうしようもなく腹が立って、ステファンはアーサーの腕を掴んで椅子から無理やり立たせた。そのまま引っ張って家の外に放り出す。
「ちょ……話はこれから……」
「ノイフィールドの連中に何を吹き込まれたか知りませんが、あの魔物は私が呼び寄せたんじゃないですよ。あいにくと、私にはそんな才能がない」
 それだけ言って戸を閉める。鍵をかけ扉を背にして座り込んだ。背中の向こうでノックの音。
 しばらくして戸を叩く音が止み、人の気配が遠ざかる。ステファンは両手で顔を覆った。



『この程度の傷を治すこともできないのか?』
『この街の魔道師ならできて当然のことだ。どうしてできない?』
 頭の奥から声が聞こえる。
『大恩ある神官長様を傷つけるなんて、お前は最低の魔道師だな』
 ステファンは目を開けた。悪夢のような過去の出来事。思い出したのは、あの勇者のせいか。
 のろのろと立ち上がる。
 神官長様はどうしているだろうか。ノイフィールドの神官長は国随一の白魔道師で、孤児だったステファンの育ての親でもある。魔道師の才能ありと言われ育てられたステファンだったが、今となっては顔向けができない。
 白魔道の都であるノイフィールドは医術の都でもある。大陸中から病人や怪我人が救いを求めてやってくる。神官長の下にも傷ついた人々が数多くやって来た。そんな彼らに手を差し伸べる姿をステファンは幼い頃から見てきた。
 いつかは自分もそうありたいと願ってきたのに。

 目を閉じれば思い出すのは、血にまみれ倒れる神官長の姿。
 他の誰でもない、ステファン自身が傷つけたのだ。

 命は取り留めた。だが、左足がうまく動かなくなった。神官長様をそんな体にしたのは自分だ。
 ステファンは椅子に腰を下ろした。テーブルの上には勇者がお茶を飲んだカップが置いたままになっていた。
「そういえば」
 ふと思う。あの勇者は無事に街に辿り着けたのだろうかと。
 放り出した手前、罪悪感が少しある。ステファンは外に出て、街の方向へ歩き出した。この森の中には旧街道が通っており、街へ続く道は石畳で舗装されている。道が使われなくなった今では、かなり古びてしまったがそれでも迷うことはない。この道があるのだからあの勇者だって大丈夫だろう。そうは思うが、念のため先を急いだ。
 街まで半分のところに来た時、違和感があった。右奥、木立の向こう側で何かが争う気配。
 口の中で呪文を唱えながらステファンは走った。木々の間を抜けて、見えたのは勇者と魔物が戦う姿。
 勇者は剣を振るい戦っていた。しかし、動きが遅い。大柄で単調な動きをする魔物たちにも彼に剣は見切られ避けられている。魔物が繰り出した鉄の爪を勇者は何とか剣で受け止めた。衝撃でバランスを崩した勇者の後ろから、別の魔物が爪を振りかざす。
 危ない。
「炎よ我が意に従え フレアロード!」
 ステファンが放った一筋の炎は、勇者の背後の魔物を正確に貫いた。一瞬にして消し炭となり崩れ落ちる魔物には目もくれず、ステファンはさらに呪文を唱え、地に手をつく。
「大地よ我が意に従え グラスソード!」
 もう一匹の魔物の体に地面から伸びた草の刃が生える。断末魔の咆哮を上げ魔物の体は消滅した。
 ステファンは辺りの気配を探り、魔物はもういないとみて構えを解いた。勇者は地面に尻餅をつく。
「ありがとう、助かった」
 眉間に皺を寄せ、ステファンは勇者を見た。先ほどの戦い、剣術は素人のステファンの目から見ても勇者は明らかに弱かった。魔物相手にあの様子で、どうやって魔王を倒すというのか。
「悪いことは言わないから国に帰りなさい」
「あ、それよく言われる」
「でしょうね」
「そうはいかないよ。だって僕は勇者だから」
「勇者なんて他にもいっぱいいるでしょうに」
「でも僕が魔王を倒す勇者かもしれない。龍の年七の月に生まれの誰が魔王を倒す勇者かなんてわからないじゃない」
「それはそうですが」
「だから僕は行くよ。万が一、僕が予言の勇者なら、僕が動かなくちゃ何も変わらないからね。僕は僕のやり方で魔王を倒す。そう決めたんだ」
 尻餅をついた情けない姿で勇者は言い切った。ステファンは真っ直ぐな勇者の目を見れず、視線を外す。
「無駄足です。あなたの力では魔王のところまで辿り着けもしませんよ」
「うんわかってる。だから僕は一緒に戦ってくれる仲間を探してる」
 勇者は立ち上がって剣をおさめた。服の裾についた土を払い、ステファンを見る。
「ステファンさんは凄いね」
「何がですか」
「僕もあちこち旅してきたけど、ステファンさんみたいに、短時間でいろいろな獣類の魔法を発動させる黒魔道師は初めてだよ」
「……私は白魔道師ですよ」
 勇者は口元だけで笑った。
 幼い頃から言われたように、ステファンには魔道の才能があった。ただし、望まれていた白魔道ではなく、黒魔道師としての才能だった。どう頑張っても擦り傷以上の傷を治すことができないステファンだが、炎の魔法で小屋を焼き尽くすことなど造作もなかった。
 白魔道師たちは、ステファンから距離を置いた。あからさまに陰口を言う者もいた。ただ、育ての親でもある神官長だけはいつもステファンを気にかけてくれていた。だから、ステファンは耐えられたのだ。
 それなのに。
「二年前、街が魔物に襲われたとき、ノイフィールドは防戦一方だったんだってね」
 勇者は淡々と言う。
「白魔道師は、魔物が入ってこないよう結界を張ることはできても、街に入ってきた魔物を倒すことはできなかった。この街は内陸で襲われることなんてなかったから、街を守る兵士の数も少ない。たまたまこの街にいた傭兵は魔物の数の多さに逃げ出し、残ったのは怪我人ばかり。だからステファンさんは街中を駆けずり回って、魔物を全滅させた」
「誰から聞いたんですか、その話」
「でもその中で、ステファンさんが放った魔法の流れ弾が家や彫像を壊した。その上、怪我人の治療にあたっていた神官長様を傷つけてしまった。それで街の人たちは怒った」
『大恩ある神官長様を傷つけるなんて、お前は最低の魔道師だな』
 あの日の罵声がステファンの耳に蘇る。
「そして、あらぬ疑いをかけられた。そもそもこの平和な街に魔物が現れたこと事態、ステファンさんが仕組んだことじゃないのかとね。それから、ステファンさんはこの森で暮らしている」
「……ええ、そうですよ」
 誰から聞いたか知らないが、事実である。ステファンは顔を片手で覆った。
「私に魔物を召喚する才能がないことくらい、魔道師の仲間は知っているでしょうに」
「どうして誤解を解こうとしないのさ。とんだ言いがかりじゃないか」
「私はあの時、調子に乗っていたんですよ。それで、神官長様を傷つけてしまった。私の力は人を傷つける力だということを忘れていたんです。そんな力を持つ人間は、人から離れていた方がいい」
「そうかなあ。さっきはその力で僕を助けてくれたじゃない」
 ステファンは顔を上げた。勇者は穏やかに笑う。

「君の力は、人を守る力だよ」

 ステファンは目を見開いた。瞳が揺らいだ。その目から一筋の涙が流れ落ちた。
「黒魔道師の力は傷つけることばかりじゃない。敵を倒して誰かを守ることができる。ステファンさんが二年前、ノイフィールドを守ったようにね」
「けれど、私は神官長様を……」
「それは、ステファンさんが悪いんじゃない。君は君のやり方で立派に街を守った。それを誇りに思っていいんだよ」
 ステファンの顔が歪んだ。堪えようとしても抑えきれなかった。ステファンは両手で顔を覆い、泣いた。



 勇者にステファンのことを吹き込んだのは、他でもない神官長であったらしい。二年振りに帰った街で魔道師仲間から浴びせられる視線はやはり冷たいものだったが、神官長だけは昔と同じように出迎えてくれた。
「ステファンに謝らなくてはなりません」
 神官長は言った。
「わたしはあなたに黒魔道師として生きていく道を示すべきだった。わたしの力不足であなたをずっと苦しめてしまった」
「いいえ、神官長様。私は、師があなたで、あなたに育てられて幸せでした」
 神官長の左足はうまく動かないままだ。胸が痛まないわけがない。
 けれど、それだけでは駄目なのだ。
 自分のやり方で魔王を倒す。そう言い切ったあの勇者のように。
「私も私のやり方で、あなたのように人を守る魔道師になります」
 旅に出ると告げる。神官長は頷いて、無事に帰っておいでと微笑んだ。
 勇者は街の入り口で待っていた。
「では改めて、ステファン、僕と一緒に魔王を倒しに行かないか?」
「私の力が役に立つなら、ご一緒しましょう」
 勇者は右手を出した。ステファンはそれを強く握る。
「これからどうします?」
「ロイズの街に行こうと思う。あそこは傭兵が集まる場所だし、まずは仲間を集めないと」
「そうですね。あなたの芸術的なまでの戦闘能力の低さをカバーしないといけませんからね」
「うわ、ひどい」
 ノイフィールドの街を出る。ステファンは振り向くことなく故郷に別れを告げた。
 街道をしばらく歩くと道が二つに分かれていた。道しるべは右がロイズの街だと示している。
 それを確認して、勇者は一つ頷いた。
「よしこっちだ。行こう、ステファン」
 迷いなく左の道を歩き出した勇者の首根っこをステファンは掴む。
「この状況で、どうやったら間違えるんですか」
 南の森で三日間道に迷ったという話は、どうやら嘘ではないようだ。
 剣術下手で方向音痴の勇者。しかし、彼は魔王を倒すという。
 おかしくなってステファンは笑った。勇者は怪訝な顔をする。
「どうしたの?」
「いえ、別に」
 ステファンは右の道へ足を踏み出し、勇者の名を呼んだ。
「では行きましょうか、アーサー」


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