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02  踊り子と王様

「あんたばっかじゃないの?」
 まさに小夜鳴鳥の歌声と何ら変わらぬ美しい声で彼女はいささかも発音を違えることなくそう言った。
 一方彼は大変気まずい気分のまま、俯き加減に「すまぬ」などと呟いた。麻布の上衣は無惨に破け、靴は泥だらけ、髪は錯乱した鬼女のようにばらけておまけに身体中裂傷青痣だらけである。彼女はもう一度、今度は疑問ではなく断定口調で、ほんとばか、と吐き捨てた。艶麗な微笑つきだった。彼はさらに肩を落とし、下手な言い訳も思い浮かばぬものだから、ただ情けなく項垂れるのみであった。
 実際、彼自身も失敗したと腹の底から身に沁みて感じていた。城下に降りることはそう珍しいことではなかったが、今宵は少々度を越え過ぎていた。完全なる自業自得である。
「まあ死ななかったんだからいいんじゃない? さっさと帰れば」
 目も覚めるような真っ赤な髪をばさりと背に流し、緑眼を月光にきらめかせて彼女は小汚いゴミ捨て場にうち捨てられた瓦礫のようなものに躊躇なく腰かけ、しゃらんと腕輪を鳴らした。鈴生りになった金の飾り。華奢な輪と銅片、歪な鈴。髪と同じく真っ赤なドレスは大きく肩と胸元を露出した、いわゆる踊り子の衣装だった。今までさほど踊り子には興味がなかったのだが、彼女の姿をとっくり眺めているうちに、なんとなく、その身が誰の視線も構わず踊る様を見てみたくなった。しかしやがてその綺麗に両目が怪訝そうに彼を窺いくるのに気づき、漸く返答する。
「ああ、そうしよう。ところで君の名を聞いても良いか」
 深い意味はなかった。教えてもらえれば儲け物だ、くらいにしか考えていなかった。だが彼女はひどく奇妙なものを見たかのような表情になり、不快げに唇をひん曲げた。失言だったかと後ずさろうとしていた、時。
「ラスティマ。それが今のあたしの名前よ」
 詰まらなそうに彼女は名乗った。





 オーガスト・ドルト・ルイス・ガウェイン・ラウィーニアは己の性格をだいたい浅はかでやる気がなく、かつやる気があったとしても大して周囲に貢献できぬどころか甚大な被害を催すなんとも役立たずな道楽者であると自負していた。
「とは言っても命は惜しいものだな。昨日は本当に助かった。礼を言う」
「出会い頭に何言ってんの? ていうか何であたしがいる場所分かったわけ?」
 菓子折りを主君に献上するかの如く差し出したところ、差し出された少女の方はあからさまに嫌そうになった。しっしっ、と犬の子にするように手で追い払われる。遠く海へと続く水路が見える橋の、より城から遠い位置にある開けた小広場の隅。行商人や隣国ディオロスの人間らしきいかめしい男共、華やかに会話する少年少女に恋人達が通りを行き交う中、ふらふらと性懲りもなく歩き回っていた彼は、目当ての踊り子を見つけた途端無表情ながら相好を崩したつもりだった。が、どうも喜びは伝わらなかったらしく、少々辟易した様子のラスティマには距離まで取られてしまった。ちょっと傷つく。
「別に分かったわけではない。昨日は向こうの路地で助けてもらったので、まあ、ここら辺をうろついていれば会える、かもしれないと適当に歩いていただけだ」
「……なにそれ。ほんと適当ね。まあいいわ。くれるなら、ちょうだい」
「うむ。……ありがとうな」
 警戒が解けたらしいラスティマは彼の手から菓子折りを取った瞬間、緩慢に長い睫毛を瞬かせた。まじまじとオーガストを見つめてから、はじめて幾分好意的な笑みを閃かせた。
「昨日から思ってたけど、あんたってえらっそうね。何様?」
「…………オウサマ」
 適当に呟いたこの返答が何故か彼女のお気に召したらしく大笑いされ、以後その頭の悪い上に不敬な呼び名を通されるようになるとは、この時はさすがに思っていなかった。
 王様。
 勢いでそんなバカなことを言ってしまった彼の身分は第八王子である。
 さらにはもうそろそろ引退を宣言して久しい王の次代の後継でもあった。
 何故たかだか八番目の王の息子というだけの道楽者がそんなありえない地位を手に入れる予定になったのかと言えば、四年前の大病禍、ビュセルの悪夢と呼ばれる感染病のおかげで第二王子と第八王子を除き、その他全ての現王直系が死に絶えたことと、ぎりぎり生き延びた筈の第二王子が一年前にディオロスから送られた刺客に暗殺されたことによる。丁度正式に友好交渉を結ぶ最中の、一部の過激派による仕業だったのだが、まさか第一王位継承者が亡くなった以上最も重要であったろう次代の頼みの綱が呆気なく殺されたことに激怒した賢人議会とパレニア現王ウオルドは、すぐさま報復に乗り出した。ディオロスの二大防壁の一つ、カーウッドの砦をまさに怒り心中の様で攻め落とし、ディオロスで未だ燻っていた戦意を今度こそ根こそぎ奪い取ったのである。それによりパレニアは大分ディオロス側にとって有利と言えぬ条約をつきつけ、これから三ヶ月弱ほどで和平交渉が行われる予定なのだった。
 というのはまあ、良い。何事も平和が一番である。
 だが、怒りも興奮も収まった議会と王の考えることは一つである。実に。
 世継ぎが末のちゃらんぽらん王子しか残っておらぬ、ということである。
 今まで政治どころか軍事にさえ目を向けず、教育係も匙を投げるほどの道楽者。はっきり言ってパレニアはお先真っ暗である。お偉い方は絶望した。だがしかし、もっと絶望したのは第八王子本人である。
 道楽者と言っても、一応己の今後の人生設計は立てていたのだ。今までなるべく避けてきたとは言え、それでも少なからず血税に世話になってきた身、物心もつかぬ幼子の頃の贅沢の極みをなかったことにできるものならしてやりたい、と思う彼の目標はパレニアの辺境で外部の監視をしつつパンでも焼いてのんびり生きていくことなのだった。
 商売についてだけは真面目に取り組んできたものの、公務も今までそれ関連しかやってこなかったのだから、これまた裏目に出た感じにまずい。ウォルド王は道楽息子の所行をひとつひとつ報告されるたびに頭を抱えた。
 だがどれほどあほんだらだろうと継承権から言って確実に王位はオーガストのものである。
 結局、いやに暗い面持ちで「頼みます……」と念を押され、王直々に呼び出しを受けた彼はため息ひとつで諦めた。これがたとえばコレこういう旬の娘がいるので結婚しろなどという内容ならば嫌だ俺の好みじゃない、くらいの我が侭は言えただろう。だがしかしそんな簡単な話ではない。正直腐りかけの王冠など全く欲しくもなかったが、どんなに不本意でも拒否権などないのだ。
 と、いう風に、半ばやけっぱちで受け入れた彼は、以来一日の半分は帝王学などの教育を浴びせられており、その情け容赦ない怒濤の『お勉強』に耐えかね、ついに内心半狂乱で城下に繰り出してしまったのが昨日のことである。
 道楽者と言ってもパン屋で働いて日銭を稼いだり、酒場に入り浸って安い酒を呷ったり、町に流れてきた一座の芸を見たりとしょぼい道楽が主だったので、城下は慣れていたし、大抵の破落戸から逃れるくらいはできた。だが昨日は滅多に行かない裏通りの初めて見た暗い店で、いつも以上に酷い酒をかっぱらっていたらいつの間にか外に引っ張り出され、見知らぬ大男共に囲まれ、典型的極まりないことに薄い財布を奪い取られた。しかし彼の財布は実のところほとんどないに等しく、その軽さに疑問を思ったらしい男達が中を開け、結局烈火の如く怒り狂った奴らに殴られていたところを、何故かラスティマが助け出してくれたのである。
 後に聞いたところによると、彼女は男達のほんの僅かな隙をついて、踊るように間を通り抜けていきながら彼を助けてくれたらしい。いまいち分かりにくい説明だが、ともかくすごい、ということなのだろう。あの時はかなり朦朧としていたのでよく覚えていないのだ。
 腕輪を鳴らして立ち去ろうとする彼女に、オーガストは我知らず声をかけていた。
「君は明日もここにいるか」
 ラスティマは笑って、「さあ、わっかんないわ」と言い残して雑踏の中に消えていった。
 しかし、それ以来、彼は毎日のように城下に降り、そして毎日のようにラスティマを見つけた。異国の様相の踊り子。足の見えないフリルがたくさんついた真っ赤なドレスばかり着て、気紛れな極彩色の鳥のようにオーガストの前に現れる。昏い緑眼をあざやかにきらめかせ、あでやかに笑い、ときどきひどく冷めたく吐き捨てる。その言葉の端々から憤りと諦観と皮肉とがごった煮になった感情が滲み出て、その時ばかりは彼女もこの世の生き物なのだと認識できた。
 とめどなく多くのことを話した。何が嫌いで何が好き。何が退屈で何が楽しい。花屋で売られている赤い花を見て、これがこの世でいちばん好きだと、思い出したように言われたりもした。
 分かったことは、彼女が芸子奴隷なのだということだった。
 近隣国と違い、ほとんど奴隷も庶民とそう変わらぬ目で見られるパレニアと言えど、確かに奴隷は存在するのだ。その中の、芸を嗜む者に課せられる制度。それが芸子奴隷。肉体労働は外されているが、かわりに主が良いと言うまで芸を売る。踊り子なら踊りを。歌い手なら歌を。弾き手なら己の領分である楽器を、たとえ爪が割れても弾かねばならぬ。そして他国の奴隷と変わらず、彼らは主に服従しなくてはならないのだ。
 ラスティマは決して、オーガストの前で踊らなかった。
 ただ、他愛もない話をして、ときどき甘い蜜のかかった冷菓をおごって、ほんの少しの時間を一緒に過ごした。それだけだった。ときどき、彼女と自分は友達なのだろうかと、そのようなことを考えたりもした。……よく分からなかった。
 あるとき、王宮で宴が催された。オーガストも政務も勉強も昔のように逃げ回っていたわけでもなかったので大分疲れており、踊り子達を呼ぶと聞いた時は、そうかで終わった。ディオロスとの交渉があらかた整い、建前上仲良くしましょうという、薄ら寒い宴に呼ばれたのはエイムズという男の芸子奴隷集団だった。既に酒が回り始めた瀟酒な大広間の中、彼らは呼ばれた。
 面をあげた踊り子の一人と、目が合った。
 目も覚める豊かな赤い髪。冷めた緑眼。杯を落としそうになった彼に向かって、娘はうっそりと微笑んだ。ばかね、というように。そしてオーガストは初めてラスティマの踊りを見た。
 翻る真っ赤な裾と真っ赤な髪。韻を踏み、踵が台を叩き、仲間と組んで手を打ち合わせる。一分の隙もなく優雅に艶麗に、彼女達は踊った。
 とても美しいのに、どうしてか窮屈そうに見えて仕方なかった。
 幾度も曲は変わり、さすがにもうやめさせた方が、と眉をひそめた頃、一人の少女が足を踏み外して転倒した。しん、と一瞬室内が静まり返り、踊り子達は青ざめた。が、すぐさまエイムズ卿が王の前に平伏した。
「申し訳ございません! ただちに、ただちにこの娘の首を刎ねますれば、どうかお許しを!」
 ざわめく室内に響き渡った内容に、ディオロス側の王女が震え、それ以上に粗相をした少女は痙攣していた。オーガストと言えば、あまりの唐突さに茫然としていた。何だってうっかりしたくらいで首まで取らねばならんのだ。以後気をつけろで良いではないかと見上げた先、王は気怠げに頷いた。先日のディオロスとのことで力を使い果たしたのか、最近の王は弱っていっていた。そう若い方でもない。当然かもしれぬ。しかしそんなことはどうでも良かった。なんてことを。これでは娘が殺されてしまう。焦る彼の耳にラスティマの声が飛び込んだのその時だった。
「お待ちください。この者は未だ幼い身。精進すればいつの日か役立つ時もございましょう。代わりにわたくしの首を差し出しとうございます。どうぞ、如何様にもなさいませ」
 凛、と放たれた声はよく響いた。水を打ったように静かになり、エイムズ卿と同じく平伏する彼女に、王がふと口を開いた。
「良かろう。だが、その前に踊ってみせよ」
 やめてくれ、とオーガストは叫びたかった。何故こんなくだらぬことで誰かが死ななくてはならない。どうしてあの娘達は抗わない。
 奴隷だからか。
 しかしラスティマは大仰な礼を述べただけだった。立ち上がり、一人、舞台に立った娘は、優麗にお辞儀をした。かつん、と靴が鳴り、腕輪が揺れた。エイムズ卿の所有の証。
 赤が散る。鮮烈に傲慢なまでに堂々と。炎のような舞だった。先までの窮屈さなど微塵も感じさせぬ見事な。
 誰かが感嘆の息をついた。舞い終え、彼女は微笑んだ。安心させるように。――オーガストに向かって。
 宴の空気が良い方向に戻り、日が変わった後も、彼は茫然としていた。あんなに美しく舞った娘は牢に入れられ、処刑を待っている。
 オーガストは処刑前夜、牢に行った。何度もすまぬと繰り返す彼に彼女は呆れた風になった。
「ばかね。仕方ないでしょ、あたしは奴隷なんだから。こういう風に簡単に殺されても文句言えないの。その場で切られなかっただけお優しいわよ」
 それにしてもあんたがそんな風に表情に出すなんて珍しいわね、と彼女は続けた。そして彼の懐から転がり出た赤い花を見てほんのり頬を綻ばせる。
「……ねぇ、あたしの名前はね、買われた時につけられたものなの。意味は『憐れみ』。皮肉よね。ねぇ、オウサマ。ねぇ、あたしの本当の名前、あんたにあげてもいいかしら」
 オーガストの手から赤い花を抜き取り、そっと、彼女は呟く。
「クラベル。あたしの国の言葉で、この赤い花のことよ」



 そうして彼女は死んだ。
  一ヶ月後に倒れたウォルドに代わり、オーガストは王位を継いだ。そして和平交渉の末に嫁がされた王女と二人になった時、彼は震える娘に向かってゆっくりと話しかけた。
「俺は一生愛する女がいた。そういうわけで、あなたのことをそういう目で見れないのだが」
 震えていた王女は驚いたように顔をあげ、そしてとても嬉しそうに笑った。
「はい。わたくしも最も愛する者がおりました。一生彼を忘れることはないでしょう。ですからあなたのその言葉はとても嬉しゅうございます」
 剛毅な姫だった。そして恐らくその彼も死んでしまったのだろう。もしかすれば、パレニアの手によって。
 彼は王になり、子を授かり、そして彼女が死んで以来必死に叩き込んだ政治学を駆使して人権の法を作り上げた。
 彼の時代以降、一切の奴隷制は立ち消え、元奴隷の者達はごく普通の人間として違う働き口を与えられた。もちろん全てがうまくいったわけではなかったがそれでもこのことは後世に偉業と讃えられる業績である。
 パレニア王オーガスト。
 その法令を初めとして数々の華々しい実績を史書に刻む反面、彼は毎日のように踊り子を召し上げるなどという享楽を極めたことにより、後世の人々に道楽王と呼ばれることとなる。


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