一覧へもどる

B10  Clear

 無色の心の彼女は言った。

 あなたの心の色をおしえて。わたしの心を染め上げて。
 何色もうつさないこの心に、どうか一つの色を頂戴。

     *

 金色の髪の歌姫は歌う。

 仕事終わりの男たちが集まる酒場。歌姫が一礼で歌を締めくくると、それまで静まり返っていたそこは拍手喝采に包まれた。
 歌の礼にと舞台に投げられたおひねりに気を良くした彼女は、本来の仕事も忘れてカウンターに置いたままだった自分の麦酒を豪快にあおる。どっと歓声をあげた酒場の男たちにウインクを返すと、隅っこでちびちびとウイスキーを口にする女を視界に入れた。彼女の隣の椅子に自分の居場所を見つけて、許可も取らずに座り込む。
 自分の空間への闖入者に目をぱちくりさせた女は、一見して異国の者とわかるような装いだった。細身の彼女にはおよそ似合わない長剣を腰に提げている。
 そんな女に、歌姫はほろ酔い気分で話しかけた。
 ――ねえ旅人さん、よければこの国の昔話をしてあげましょうか?
「いいのかい?」
 最後の一口を飲みこんだ旅の女は尋ね返す。性質の悪い酔っ払いだ、と追い払うことはしない。歌姫はもちろん、とうなずいた。もとよりおしゃべり好きな彼女である。
 どんなことを語ろうか、とそらを見たのは数秒。
 ――ここには昔、広大な麦畑があったの。けれどあなたも見たでしょう、今ではその三分の一も残ってはいない。どうしてか分かるかしら?
「分からないな、教えてくれないか」
 どうやら旅の女は人の言葉に耳を傾けることを苦としない性分のようだ。歌姫の語りに熱が入る。
 ――少し昔、二十年とちょっと前よ。そのころはこの国もまだ緑に包まれていて、大地からは沢山の恵みがもたらされていたの。けれどあるとき、北から軍勢がやってきた。
「北端の国、ノクティスかな」
 ――そう、ノクティス。その軍にあっという間にお城を取り囲まれて、この国の兵士たちは大した反撃もできなかったの。麦畑も草木も全部火をつけられて、王様は結局ノクティスに下るしかなかった。そうしてこの国は支配され、後には荒れ地が残ったってわけ。
「でも、その割にはこの国は栄えている。民にも自治権があるみたいだし、なによりノクティスを恨んでいるようには見えないな」
 歌姫の性情を理解した、絶妙な切り返しだった。歌姫は旅の女に自分の知識を分け与えることの満足感にすっかり取りつかれ、片手の麦酒を一口飲んで口を開く。
 ――王様が投降した瞬間、ノクティスの軍は兵を引き上げたの。我が配下にあればそれで良い、だがもし反逆を企てれば次に枯れるのは土地ではなく民だ、ってね。何もかも失ったこの国はノクティスの技術で瞬く間に復興して、今じゃこうして好きにお酒が飲めるってわけよ。ノクティス様様ね。
 そう言って、最後に残った麦酒を一息に胃に流し込む。妙齢の女性の男勝りな飲みっぷりを目の当たりにした男たちは、負けていられるかとあちこちで飲み比べを始めた。あとほんの数刻ほど待てば、この酒場は酔いつぶれた彼らのうめき声で一杯になるだろう。
 活気の戻った酒場を一瞥して、女はうなずいた。
「ありがとう、懐かしい話が聞けた。きみが麦酒を好きで好きでたまらないってこともよく分かったよ」
 ――懐かしいって、なによ、もしかして知っていたの?
 それには答えは返されなかったが、歌姫の表情に怒りは見えない。旅の女が微笑んで一枚の金貨を差しだすと、歌姫は目を丸くした。
「話の礼だよ。受け取ってくれ」
 ――そ、そんなのいらないわよお! こっちこそ、最後まで聞いてくれて嬉しかったんだから。ねえ、旅人さんはこれからどこに行くの?
 自分に向けられた興味本位のその問いに、旅の女は肩をすくめた。
「ここには私の探す色はないみたいだから、もっと違うところに向かうとするよ」
 色、と首をひねった歌姫にはそれ以上口を開くことなく、女は席を立つ。手元に残った金貨を酒場の主人に投げて寄越すと、彼女は酒場を後にした。

 金色の髪に麦酒の杯。どうやら自分の色ではないらしい。

     *

 青い瞳の少女は笑う。

 彼女の遊び仲間の少年たちによってまんまとおびき出された一匹の魚を、少女は片手でつかみ取って腰の網に放つ。しばらくの間もがいていたそれは、やがて疲れ果てて口を開閉させるのみとなった。
「へえ、うまいもんだ」
 その様子を少し離れたところで眺めていた女が感嘆の声を上げた。その気配に気付かなかった少女たちは声に驚いて体を震わせる。申し訳ない、と謝る旅の女に悪意がないことを感じ取った少女は、女に近寄ると蒼穹を宿した瞳で顔を見上げた。
 ――旅の人?
「ああ、少し道に迷ってしまってね。この国で最も優れた人間を探しているのだけれど」
 それを聞いた少女の目がきらりと輝いた。なんだなんだと彼女の周りに集まってきた少年たちは、皆一様に日に焼けた肌を晒していた。普段は自分たちと同じように、いや、それ以上に海の仕事をこなす彼女の顔が少女らしいはにかみを浮かべるのを、気味悪そうに眺めている。
 ――そ、それなら黒騎士メイア様だよ。
「なるほど、メイアか」
 ――メ、イ、ア、様!
 うっかり呼び捨ててしまった女の無礼に対して頬をふくらませるが、すぐにその頬も恥じらいの色に染まった。
 ――旅人さんは知らないかもしれないけど、メイア様は本当にすごい方なんだよ。今までばらばらだった領地をまとめ上げて、ずっと勝てなかった敵国ブランディエにも勝っちゃったんだから!
「その軍勢を、一人でまとめ上げたのか?」
 少女が勢いよくうなずく。
 ――それでもメイア様は王様にならずに、ずっと騎士っていう立場のままでいるの。はあ、素敵なお方……。
 恍惚の溜息をもらした少女を指差して、少年たちは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。そのうちの一人が思わずうげ、という声を漏らすのを聞くと、少女は振り返って彼らの頭に一発ずつげんこつを叩きこんだ。はっきりしている関係性に苦笑した旅の女は、さらに問う。
「ブランディエの他にも難敵は多いだろう? この国の広大な土地を狙っている国はまだあるんじゃないか」
 ――もちろん、それも全部やっつけちゃうよ! メイア様は剣術も馬術も統率力も一流なんだよ。次は南の方を制圧するって言っていたし、きっとメイア様なら大陸中を支配しちゃうんだから。
 少女は胸を張る。汚れのない澄み切った心で、彼女は黒騎士メイアに淡い憧れを抱いているのだ。
 崩れかけた政治のぶれのしわ寄せを受けるのは大人でも、子供たちは親の苦難を敏感に感じ取る。逆に言えば、子供が一心に統率者を慕うのはその政治手腕が素晴らしいことの現れになる。
 旅の女は無邪気な少女の言葉に頬を緩ませた。
「いい話が聞けた、ありがとう。きみが空のように澄み渡る心を持っていることもわかった」
 ――ええ、そんなことないよ。
 今度は首を左右に振って否定する少女の、その小さな頭を軽く撫でる。その手の思わぬ硬さに少女が目を丸くすると、女は立てた人差し指を自分の口元に寄せた。
 女同士の秘密。年を経るほど疑わしくなるそれも、この年頃の少女には絶対のものだ。力強くうなずいた彼女は、そこではたとして女に問う。
 ――そういえば、旅人さんはどうしてそんな方に会いたいの?
 その問いを受け、女は未だ日が高く上る青空を見上げた。
「ここには私の探す色はないみたいだから。きみの言うような人になら、教えてもらえるかもしれないな」
 言葉の意味を測りかねた少女が口をへの字に曲げた。それを笑って、旅の女は海に背を向ける。
 砂浜に足跡は残れど、少女たちは追うこともせず無言で見送った。

 青い瞳に晴れた空と海。どうやら自分の色ではないらしい。

     *

 赤に落ちた兵士は叫ぶ。

 血に染まった彼の両手に、残った兵力を集めて最後の合戦を始めるだけの力はもう残っていなかった。自分の無力を悔やみ、生き残ってしまった無念さに拳を震わせる。なまじ実力があったために、国を守るために散った仲間と共に逝くことができなかった。
 敵兵は戦場に届いた伝令に従い、つい先ほど彼に背を向けて去っていった。もう決着はついたのだ。
 山裾に隠れ始めた夕日は、毒々しいほどに赤い。戦場に流れた血も、炎に巻かれた畑や家も、その夕闇に沈んでいく。やがてあたりにも夜の帳が下り、それから間もなくこの国はノクティスに膝を折るだろう。
 圧倒的な戦力差がものを言うまでもない。麦畑に火をつけられた時点で、戦の勝敗は決していた。
 この国の麦畑によって生み出される利益は国益の半分を賄って余りある。それが燃えてしまったとなれば、戦争に勝ったとてこの国の存亡は危うくなる。消火と防衛に数を分けられた兵たちはもはや多勢に無勢、敵軍に為す術もなく敗れ去ったのだった。
 自分の槍を握りしめて、枯れた大地に両手をつく。そうしてうなだれる兵士の目の前に、長い影が降りた。その主を見上げ、女のものと知って兵士は言葉を失う。もう戦いが終わったといっても、軽装の女と戦場とはまったくもって不釣り合いだった。腰に帯刀しているものの、彼女がそれを使いこなせるとは到底思えない。
「あなた方の負けだ、レイミスの戦士よ」
 ――分かって、いる。
「悔しいか」
 女の言葉に神経を逆なでされ、兵士はかっとなって大声を上げた。
 ――悔しいに決まっているだろう! 我らは、土地も民も王もこの国も、どれ一つとして守ることができなかったのだぞ!
 兵士の激昂に臆することなく、それを聞いた女は自分のまとうマントの左胸の部分をめくって見せた。
「私はきっと、あなたが心より憎む敵なのだろう」
 下から現れたのは軽い金属の鎧、そしてそこに刻まれた敵国ノクティスの国章だ。女も参戦していたのかと自分の目を疑う兵士だが、彼女の身につけたものに血の跡は見当たらない。
 ならば、後ろで控えていることが許される相応の立場を持った人間だ。よくよく見れば鎧には職人が精魂を込めた装飾が施され、腰に下げられた長剣の鞘には小さな宝玉がいくつか散りばめられている。
 呆然と、兵士は問うた。
 ――お前は、何者だ?
「麦畑に火をかけることを進言した。今や大陸中に名を轟かす、ノクティスの黒騎士メイアの副官だ」
 この女が麦畑を。
 兵士は槍を手にふらりと立ちあがった。決して許してはならないと、頭の中に響く声に従い槍の穂先を女に向ける。しかしそうされてもなお、彼女は腰の剣を抜こうとしない。表情の変化すらも見せない女が、兵士の光無い瞳を見つめた。
「殺すがいい、それでもこの国の末路は変わらない。自分の策で勝利を得たのなら、私はそれで十分だ」
 ――貴様あああっ!!
 大きく振りかぶった斬突両用の槍で、むき出しのままの女の首を狙う。せめて多くの仲間の命を奪ったこの女を自分の手で消し去ろうと、そのまま真一文字に振り払った。
 その槍は、女の首に到達する寸前でぴたりと止まる。
「できない、か」
 膝から崩れ落ちた兵士の目から、大粒の涙が落ちる。無力な女に、そして無抵抗の相手には決して剣を向けるなと貫いてきた騎士精神が、兵士の一閃に最後の最後で歯止めをかけた。女の白い首に、ほんの切り傷を残すことさえもかなわなかった。
 女を斬って何になる。麦畑や民が、国や仲間が戻ってくるわけではないのに。
 悲痛な慟哭と、言葉にならない呻き。それらがない交ぜになった声を漏らして涙を流す兵士を見下ろして、女は抑揚のない口調で言った。
「怒りに身を任せることもできないか。……ここにも、私の探す色はないみたいだ」
 靴音を大地に響かせて、凛と歩を進める。どこへ、と問う声はそこにはない。

 夕焼けに染まる大地に、血の涙を落とす兵士。どうやら自分の色ではないらしい。

     *

 黒い鎧の騎士は尋ねる。

 目の前の上等な椅子に腰を下ろした女に、一つの問いを。女は柄にもなくぽかんとした表情を見せていたが、開いていた口に手をあてて首を振った。
「……すまない、驚いていた」
「見ればわかる」
 騎士は、戦場とは全く異なる顔で一笑した。自分の発した言葉でこの女の意表が突けたのならば、それだけでも大きな収穫があったというものだ。なにせこの女、軍議ではどの将軍の冗談であってもにこりとも笑わずにその意味を尋ねてくるような神経の持ち主だ。
「それで、どうだ? 私の妻になる気はないのか」
 再度言葉を重ねると、女は今度こそ考え込んだ。彼女の頭の中では、黒騎士と籍を置くことで生じる利益と損失がフルスピードで区分されているのだろう。それほど色恋というものからは遠く離れた女だ、恥じらうことすらもしてみせない。
「申し訳ないが、受けられないな」
「私を夫とするには、損失のほうが大きかったか」
「まあ……それもあるが」
 他の理由を匂わせる発言に、騎士はおや、と小さく首をかしげる。
 女はそこで話を打ち切ろうとしていたが、騎士からの無言の訴えに眉をひそめた。
「知りたいのか、理由」
 うなずく。
「どうしようもないぞ」
 もう一度うなずく。
 女は呆れと諦めの混じったため息をつくと、額に指をあてて緩やかに首を振った。
 騎士は黙って椅子の背もたれに深く体を預け、彼女が利害以外の思惑を口にするのを待つ。騎士も石頭と言って過言ではないほどの頑固者で、こうと決めれば決して意志を曲げない。それを副官として接する中で理解している女は、観念して顔を上げた。

 あなたのような石頭にはどうしてもなれそうにない。どうやらこれも、自分の色ではないらしい。

     *

 無色の心の女は語る。

「長い間旅をして、それからあなたのもとにたどり着いた。あなたを、そしてその主を大陸の王とする今の今まで支えてきたが、それでもずっと探してきた自分の色にはたどり着けそうにない」
 ――色?
「そう、色だ。どうにも自分には、人の心と言うものが理解できない。ならばなにか一つの色に染まれば理解ができるのではないか、と考えて故郷を出た。しかし、満足の金も、思慕の青も、憤怒の赤も、ありとあらゆる色と付き合ってきたが、それらは皆私の色ではなかった。色に染められ死ぬのならばそれもいいと思ったが、それもかなわなかった。あなたの意志の強さもそうだ、理解できない以上私はあなたと一生を共にはできないだろう」

 ――ならば、お前は透明ではないのか?
「透明」
 ――他人の色を透かす透明。色ではないなどと言うなよ、無色という名の立派な色だろう。
「へ理屈じゃないか」
 ――それでもお前の心の慰めにはなるだろう? お前が出会ってきた色は皆、お前には理解ができなかった。だがそれもお前自身。お前の色だ。

「……どうやらあなたは、私が一生をかけて悩んできたものを綺麗にまとめてしまうつもりのようだ」
 ――面倒な悩みは適当にしておくに限る。それに、好いた女の悩みを除きたいと思うのは当たり前のことだろう?
「む」

 ――ところで、お前の名前は何と言ったかな?





 ……ああ、負けた気分だ。


「クレア、だ」


 ものを忘れがちなあなたの硬い頭に、しかと刻んでおくと良い。


一覧へもどる

inserted by FC2 system