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B08  色鬼

 私は幼い頃から色鬼が好きだった。色鬼でよく遊んでいた。今でも覚えている。
 私が公園を歩いていると、茂みからひょっこりと少年が飛び出してきた。藍色の浴衣を着た少年だ。お祭りでも行くのかと思ったが、親御さんの姿が見えない。少年は私を見つけるとにっこりと笑って駆けてきた。
「お姉さん、色鬼せーへん?」
 この地方のものではない方言で、少年は話しかけてきた。もし、少年が顔いっぱいの笑顔を浮かべていたら、私は断っていただろう。しかし、私を見上げる彼の恥ずかしそうな表情は年相応のもので妙に現実的だった。
 だから、いいよ、と答えた。
「僕が鬼な。お姉ちゃん、逃げるんやで」
 少年は十を数え始めた。私は、少年の声が聞こえる範囲の中で逃げた。少年は数え終わると、明るく声を張り上げた。
「こきはなだ」
 そう言うと、少年は私の方に向かって駆けてきた。私は少年の声が上手く聞き取れていなかったと思い動揺した。しかし、逃げなくてはいけない。
「さっき何って言ったの?」
 走りながら後ろを走る少年にそう尋ねた。
「お姉ちゃん、こきはなだやって」
 聞いたことのない色の名前だった。一体なんだろう、と考えながら走っていると、足を軽く触られた。足を止めて振り返ると、嬉しそうに笑う少年が立っていた。
「お姉ちゃん、こきはなだ触らな。僕、鬼ごっこもめちゃくちゃ強いんやから」
 ここにいっぱいあるやん、と言って少年はつゆ草の花を手に取った。
「お姉ちゃん弱いで。もうちょっと強くなってな」
 そう言って少年は無邪気に笑うと、私を何度も色鬼に誘った。少年は鬼をやりたがった。少年はずっと色の和名のようなものを言っていたが、何十回もやっていれば色も絞られてくる。私は少年から逃げ切れることが多くなった。
「お姉さん、強くなったやん」
 少年はそう言って、また十まで数え始めた。
「あかさびいろ」
 赤錆色。今までの色の名前の難しさに比べたら、とても簡単な名前だ。
「赤錆色なんてどこにもないよ」
「よう探してみ? お姉さんやったら絶対見つけられるで」
 赤錆色は見つからなかった。木は幹が灰色の欅しかない。土の色は黒色だった。私は少年から逃げながら赤錆色を探した。
 芝生に差し掛かった時、つま先に硬い石がふれ、体が大きく倒れた。視界は一面の緑と思いきや、ところどころ赤錆色になっていた。私はその一本を摘まんだ。
「お姉さん、見つけた?」
 少年の声がした。私はにやりと笑って摘まんだ草を引き抜いた。そして、立ち上がろうと体を起こした。
 私の視界に入って来たのは信じられないものだった。あまりの衝撃に腰が抜けた。私の着ている紺のワンピースを纏い、私の履いている茶色のサンダルを履いた「私」が血塗れになって倒れていた。
 私は手に持っていた草を落とした。草には「私」の血が広がっていた。
 「私」は死んでいた。
「私は死んでいるの?」
 私は呆然と少年に問うた。少年に分かるはずなどない。しかし、私はそこまで頭が回らなかった。
「見ての通りや」
「でも、私は……」
 今、ここにいる、と言おうとした。
 思い出したくない。見えなくなったはずだ。消えていたはずだ。私が見ていたのはただの夢だったはずだ。
「お姉さん、知っとったやろ。知らへん振りしとっただけやろ。見えへん振りしとっただけやろ?」
 少年は穏やかな笑顔を浮かべていた。まるで大人のような笑顔だったため、酷く不自然に見えた。
「若くて無念なのは分かるわ。受け入れたくないんも分かる。でもな、お姉さんより若くて死んだ人もたくさんおんねん」
 この少年は何者なのか、ということを考える余裕はなかった。
「誰がやったの? こんなこと」
 私は寿命などではなく、明らかに誰かに殺されている。
「誰がこんなことをしたの?」
「お姉さんは知れへんよ。死んどるやろ?」
 少年は困ったように笑った。
 私は死んでいる。赤錆色と冷たくなった死体を見ながら思った。瞼を軽く閉じても赤錆色は消えなかった。
 私は幼い頃から色鬼が好きだった。
「見とってもしゃーないやろ。色鬼しよう」
 少年はにっこりと笑って、十を数え始めた。私は少年の声が聞こえる範囲の中で逃げた。振り返りたい気持ちを抑えて私は死体から離れた。あの赤錆色を忘れたかった。しかし、もう忘れられない気がした。
「お姉さん、最後は天色」
 少年の声は明るかった。私は走った。走って走って、息が切れた。空色なんてどこにもなかった。走っていくうちに、何故か地平線が見えた。草原の向こうには、確かに空色があった。
 涼しい風が夏の草原を揺らしていた。私は澄み渡る空に手を伸ばした。空に触りたかった。私の血を消し去るような天色に触れたかった。触れることができるのなら、私はあの赤錆色から逃れることができるのだろうか。
 空に伸ばした手はゆっくりと天色になっていった。
「お姉さん、色鬼強くなって良かったなぁ」
 空を見上げ、残された少年は笑った。私は彼の言葉を聞く術を持たない。私は消えていた。


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