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B06  金紫の衣をその身に纏いて

「ルイス・オーヴェン・ロウム伯爵。貴殿の功績をたたえ、ここに金紫の衣を与える」
 空(くう)に広げられる、紫の地に金糸の刺繍で縁取られた外衣。風をはらみゆっくりと降りる先には、地にひざまずく一人の男がいる。きらびやかな正装に身を包み、榛色(はしばみいろ)の髪を柔らかな風にたなびかせる彼は、貴公子と呼ぶにふさわしい風体の青年であった。
 外衣が両肩に乗り落ち着くと、彼は顔を上げ深い菫色の目を前へと向ける。立ち上がり、踵を返す。青年を見守る一千の群衆を振り返る。
 群衆は、彼の動きに呼応して雄叫びをあげた。新たな英雄の誕生に喜び沸き立った。祭は、最後にして最高潮を迎えていた。

 その様子を、若き女王であるリスティアは一番高い座から解せない思いで眺めていた。
 四年に一度開かれ、貴族も平民も、男も女も、大人も子供も誰もが参加できる国をあげての剣闘大会。今年の大会も例年に劣らず素晴らしいものだった。決勝は、軍第五部隊の隊長サビィ中位と、医局研究室に属するルイス・オーヴェン・ロウム伯爵との戦い。サビィ中位は将来の軍を担うと期待されている若者で、優勝候補筆頭と呼び声も高かった。一方、ロウム伯爵は年齢こそサビィ中位と変わりはしないが、医局研究室勤務の文官であり、普段の物腰も穏やかで争いごととは無縁、決して武に優れているとは思われていない人物だった。しかし、試合が始まれば二人は互角だった。経験と自らの技を駆使するサビィ中位と、無駄な動きを徹底的に排除し着実に相手の急所を狙い体力を奪っていくロウム伯爵。最後は、ロウム伯爵が試合用の模擬剣を、サビィ中位の鎧の隙間から首筋に突きつけて決着がついた。それまで剣や拳をその身に受けた回数はロウム伯爵の方が多かっただけに、鮮やかな逆転劇だった。
 文と武を備えた英雄の誕生を民衆は歓迎した。

「しかし、わらわにはどうしても解せぬ」
 夜。王城の会食室にて。
 会食最後の品である、砂糖シロップに漬けられた果物を口に運びながら、リスティアは呟いた。自分の目の前にいる男――昼間行われた剣闘大会優勝者であるルイス・オーヴェン・ロウム伯爵は、匙の動きを止めてリスティアに視線を当てる。その菫色の目を見ながら彼女は続けた。
「優勝者に与えられるのは、国最強の名誉、国王との会食、金紫の衣。どれも貴公が欲する理由が見あたらぬ」
 ルイスが剣闘大会に参加すると聞かされたときからずっと疑問に思っていた。が、誰もなぜ彼が参加するのか、明快な理由をリスティアには教えてくれなかった。ルイス本人ですら。
「理由が見あたりませんか」
 ルイスは視線を落として呟いた。止めていた匙の動きを再開させ、口へと運ぶ。リスティアは卓に肘をつき、彼の表情を見逃さまいと注視する。
「オーヴェン家は文の家系。貴公自身も医局に身を置く文の者。武の名誉はさして重要ではあるまいし、それ以前に貴公は争いを嫌悪しているとわらわは認識している。この会食も結局いつもの食事と大して変わりはしない。金紫の衣だとて、近い将来わらわと同じ金の衣を纏う貴公にどれほどの意味があるという? 大会も終わったのだ。そろそろ真意を聞かせてほしいものだな」
 果物の器に落としていた視線をちらりとリスティアに向けると、ルイスは匙を置き手元のナプキンで口元を拭う。ゆるりと口を開きまず発するのは、リスティアへのお小言だ。
「リスティア様。卓に肘をつくのはおやめくださいませ。足も組んでおられますでしょう。はしたないことです」
 何か言い返そうとして、思いとどまる。肘を卓からあげると足をほどき、ドレスの形を整える。それから口をとがらせる。
「良いではないか。どうせここにはわらわと貴公しかおらぬ」
「給仕の者たちがおります」
「下がらせよう」
 リスティアが軽く手を挙げる。リスティアとルイスの背後にひっそりと控えていた四人の給仕が、卓上の器と匙を下げて部屋を出ていく。扉が静かに閉まれば正真正銘、部屋にはリスティアとルイスの二人だけとなった。途端にルイスは、大きなため息をつく。
「不服か?」
 リスティアには彼がなぜここでため息をつくか、その理由がわからなかった。自分の態度に呆れているのか? しかしなぜ?
 眉根を寄せて考えていれば、リスティアに顔を向けたルイスは柔らかく微笑むのだ。
「不服など滅相もございません。気兼ねがなくなったと安心したのです」
「おかしなことを言う。給仕はいつも我らの背後に控えているではないか」
「左様でございますね」
 不意に浮かぶ屈託ない彼の微笑は、リスティアが幼い頃から見慣れているものだ。なのに今は、頬が熱くなってその笑顔が直視できなかった。逃げるように傍らのワイングラスを手にする。一口、喉に流し込む。
「名誉、リスティア様との会食、金紫の衣」
 ルイスは、卓の上に置いた両手を組み合わせ、落ち着いた声でリスティアの疑問について語り出す。
「どれもが私には必要でした」
 もとより理解ができない話であった。本人の口から聞かされる返答もすぐに理解できないものであることは想定内だった。それでもリスティアは一瞬動きを止めて思考しなければならなかった。が、朗らかな表情で目の前に座るルイスをしばし眺め、手にしていたグラスを卓に置けば、問いつめる台詞は自然と口をついて出る。
「文の者である貴公に、武の名誉が必要であったというのか?」
「左様です」
「いつもと変わらぬ今宵の会食が、そなたには必要であったというのか?」
「いつもと変わらぬ会食となったのは、本来、国王と宰相、一位将軍との会食であるところ、私がリスティア様との二人きりの会食を望み、その我儘がかなえられてのことです」
「では、わらわの伴侶となった暁には金の衣を纏う貴公にとって、価値の劣る金紫の衣はそれほどまでに必要なものであったというのか?」
 そう。ルイスはリスティアの婚約者であった。まだ国民に知らせてはいないが、議会が決めた正式な国王の伴侶となる者。国の英雄の証である金紫の衣以上に尊く国の象徴であるのは、国王とその伴侶が纏う金の衣。金の衣を身に纏うことが約束されているのに、なぜ金紫の衣を望むのか。リスティアにはどうしてもわからない。
 ルイスはリスティアの最後の問いかけにも流れるように答える。
「当然、金の衣をこの身に纏えるのは光栄で喜ばしいことです。しかし、金の衣を纏う日を胸を張って迎えるためにも私には必要だったのです。この色の衣が――」
 ルイスは立ち上がり、背後の衣掛けにつるされる金紫の衣に近寄り手を伸ばした。なでるように指先を表面に滑らせる。愛おしげな眼射しで衣に触れるルイスの横顔を眺め、リスティアは鋭く一言を放つのだ。
「なぜだ?」
 ルイスは、衣を見つめながら明瞭に答える。
「それは、あなた様が生まれながらの王だからです」
 リスティアは前国王の第一子。前国王が高齢でようやく授かった子であったため、誕生と共に王太子の座を与えられ、物心つく前から帝王学を身につけさせられ、周囲には彼女を支える人間が集められた。三年前、前国王崩御のために若いリスティアが王座に就いてからも国が揺るぎなく安定しているのはそのためだ。
「その事実が理由だと?」
 厳しく追及するリスティアに、ルイスは衣から手を離して向き直り、いつもの通りに微笑む。
「私は幸運にも幼き頃より友人たちと共にリスティア様のおそばにおります。ために、リスティア様が素晴らしくご立派な国王であらせられることに疑問の余地はありません」
 相づちのかわりにリスティアは頷く。ルイスは続ける。
「そして三ヶ月前、私はリスティア様の伴侶となる栄誉を授かりました。幼き日よりリスティア様をお慕いしている私にとって、これ以上の幸福はありません」
 さらりと混じる台詞は、子どもの頃から思いを寄せられているリスティアが今取り立てるほどのことではなく、ただ頷いて応える。
「しかし、私は同時に知っております。私と同じように、幼き日よりリスティア様のおそばにいた友人たち、婚約者候補であった彼らも皆、素晴らしい者たちばかりです。リスティア様への忠誠は、私とも互角でありましょう」
 脳裏に浮かぶのは、自分とルイスと共に同じ師の元で学んだ友人たちのことだ。彼らは彼らでそれぞれに優れた人物で、ルイス同様、国の主要な役職に就いており、皆、今でもリスティアの数少ない友人として交流がある。
「そのような私の友人たち以上に、私はリスティア様のために何ができるであろうか。私はそれを考え、悩み、」
「ルイス」
 危機感に似たものを覚え、反射的にリスティアは口を挟んだ。いつの間にか力なく伏せられたルイスの双眸を射抜くかのように睨みつけ、強く、有無を言わせない声音で告げるのだ。
「貴公が婚約者として私の前に来た、そのときに私ははっきり言ったはずだ。議会は貴公を国王の伴侶として欲した。そして私も、心の中ではずっと貴公だけを欲していた」
 だから、何も不安になることはないのだ、と。
「ああ、リスティア様……」
 溜め息に似た口調でリスティアの名を声にしながら、ルイスは先ほどまで座っていた椅子に引きつけられるように近寄り、背もたれに片手を置く。目を細めてリスティアに微笑みかける。
「その言葉を聞いたからこそ、私は金紫の衣が欲しかったのです。私はリスティア様に、国に、私の実力を示したかった。私が武に優れていることを証明したかった」
 リスティアは卓上に両腕を乗せ、両手で頬杖をつく。身を乗り出し彼の目をのぞき込むようにして、改めて、問いかける。
「どうして?」
 視線が絡む。ルイスが微笑みに苦笑を混ぜたのは気のせいだろうか。
「それは、あなたがお強いからです」
 予想だにしなかった返答に、リスティアの呼吸は止まる。次の句がすぐには継げない。
「リスティア様はその細い両肩に、幼き日より国を背負ってらっしゃる。その肩を支えるためには、私は誰よりも強くなければならなかったのです」
「誰よりも強く?」
「左様です。私は、政治のことは疎く兵法も得意ではありません。ひたすらに医療のことにしか回らない頭と体です。されど、私が誰よりも強くあれば、あなたを害するものからあなたを守ることができましょう。少なくとも、あなたが伴侶の身の安全を憂う必要は全くなくなりましょう。そうすれば、一つ、あなたの身に降る懸案事項を払拭することができ、私はあなたの手助けをすることができる」
「手助けなど、私は頼んだ覚えはない」
「なにより私が誰よりも強くあれば、あなたがよろめきそうになったとき、私は真っ先にあなたの肩を支えることができる。あなたの背が冷えたとき、私が真っ先にその背を守ることができる。あなたが泣きたくなったときには、他の者から涙を隠すことができる」
「しかし、ルイス」
「リスティア様。私は強いのです。この国で一番、誰よりも強い。国を支えるため強くいらっしゃる国王のあなたが寄りかかれるのは、金紫の衣を纏う私だけです」
「…………」
「それを、あなたには思い知って欲しかった」
 金紫の衣は、英雄の証。最強の者の証。
 国でもっとも強い者の。
「なぜ、それほどまで……?」
 なぜ、似合わない剣闘大会に出て優勝までして、国王たる自分を守ろうとするのか? 国王は、国と国民を守るのが使命なのだ。その国王が伴侶であっても一国民に守られるなど本末転倒ではないか。
 頭の中でそれだけの台詞が回るのに、口ではなぜと問うのが精一杯だった。
 と、ルイスは、いつになく清々しい笑みで、返答をくれるのだ。
「あなたは幼き頃、捕らわれの姫と姫を助ける王子の話を好んで読まれていました。私はよく覚えておりますよ」
 そうだ。リスティアは幼い日、捕らわれの姫を王子が助ける話を好んで読んだ。颯爽と姫を助ける王子に憧れ、助け出してくれる王子がいる姫に憧れた。今の今までそのような本のことは忘れていたというのに、ルイスの言葉で思い出す。あの日、本を読みながら心に抱いた甘く淡い感情が一気に胸に広がる。
 だから、リスティアは笑った。声を出して、クスクスと笑う。
 そのようなことを貴公はずっと覚えていたというのか。
「おかしな男だ。ならば、貴公が泣きたくなったときは誰が貴公の涙を隠すのだ? まさか、金紫の衣を持つ者が、わんわんと声を上げて街中で泣くわけにもゆくまい」
 それはそれでとてもおもしろい光景かもしれないが。思い口角をつり上げれば、ルイスはいっそう爽やかに微笑む。
「私は泣きません。あなたを支えるためにも、泣きません」
 貴公子の句が似合う婚約者に、リスティアはにやりと笑ってみせる。
「バカな男だ。それではつまらぬではないか」
 今度驚いたのはルイスだ。目を丸くして繰り返す。
「つまらない、と?」
 リスティアが助け出され守られる姫に憧れたのは、過ぎ去った時のこと。成長と共に、国のこと、王という立場のこと、世の中の理を知り、おとぎ話の姫に闇雲に憧れた自分はもう今はいないのだから。
 姫を助け出すしか脳がない王子には、用がない。
「そなたが泣くときはわらわがその涙を隠してやろう。おまえが望むなら、この胸を貸しても良いぞ?」
「…………」
「そう約束しよう。その方が、おもしろい」
 驚いた表情でしばしの沈黙を置いて、ルイスはおもむろに足を進めた。リスティアの傍らまで寄り卓上の片手を両手で包み込む。その場にひざまずき、彼女の胸の位置からリスティアを見上げ、
「願わくは、陛下」
 すぐそばから向けられる、熱く、潤んだ眼射しに、リスティアは呼吸を忘れ、彼の言葉を待つ――。
「陛下の可愛らしいお胸は、できれば閨でお借りしたい」
 ごん、と。
 鈍い音ですんだのは、そばに刃物がなかったからかもしれない。
「陛下。紛れもなくあなた様はうら若き女性なのですから、グーで脳天はさすがにどうかと」
 殴りつけられた脳天に片手を当てながらルイスが呆れ口調で言えば、
「貴様がバカなことを口走るからだ!」
 若き女王は頬を赤く染め上擦った声で怒鳴りつける。
 ルイスは喉を鳴らして笑いながら、捕まえているリスティアの手に唇を寄せ、キスを落とした。そっと、触れるように。
「リスティア様に、生涯変わらぬ忠誠と、愛を」
 向けられる菫色の双眸は、優しい色で溢れている。
「なんとも手の込んだ求婚であることよ」
「国一番の女性を伴侶にしようというのですから、当然のことです」
 ルイスが微笑む。頬がいつもより色づいて見えるのは気のせいだろうか。
「いつ何時も私の背を守れよ」
「金紫の衣に誓い、必ず」
 国の英雄となった婚約者に、リスティアもまた、微笑みを投げた。


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