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B05  シキ、若しくは渇いた刑場

 風が乾いた赤土を浚い、砂埃が舞い上がる。ただ広いだけの土地は有刺鉄線で囲われ、その外側に大勢の民衆が集まっていた。
 土地の北側にある高い石造りの塀の中央に設けられた鉄の扉が静かに開く。数人の男に囲まれて、両腕を縄で縛られた老人が現れた。
 色付きの大逆者、清晶(チン=ジン)である。

 明英(ミン=イン)は、何の装飾もない抜き身の太刀を脇に抱え、門の脇に立った。黒い鉄の扉が二人掛かりで静かに開かれると、禁色である黒色の帯を締めた恰幅のよい官吏が、土地の中央へと進み出た。清晶がそれに続き、彼の左右にはやや距離を取って、装飾付きの黒い鞘に収まった大刀を差した大男が並んだ。いずれも金銀の勲章を胸に着けた軍人で、階級章を見れば、左が大佐、右が中佐と分かる。明英はその後に続いて、赤土の大刑場に踏み出した。
 これまで、明英は十年以上、中央監獄の看守として数々の執行に携わってきたが、大刑場での執行はこれが初めてだった。
 大逆の罪に限って用いられる大刑場での執行は直近の例が十二年前、明英が十六歳で上京した直後、まだ看守見習いとして掃除夫の仕事をしていた頃のことである。
 だが、大刑場であろうが監獄の北端の処刑室であろうが、執行人たる看守の仕事内容に変わりはない。やるべきことはいつも同じだ。太刀の柄をしっかりと両手で握り、しかし力むことなく、自然に両腕を振り上げ、そのまま振り下ろす。それだけで仕事は終わるのだ。

 明英の前を、清晶がゆっくりと歩く。白麻の薄布から伸びた手足は細く、骨ばっている。
 清晶は、収監された時、既に一人の弱った老人だった。収監直後の診察でも、医師は、そう長くは持たないだろうと見込んでいた。
 今更、刑に処すまでもない。
 それにもかかわらず、政府が極めて迅速に裁判手続きを終え、刑の執行を急いだのは、彼の死が世間に与える影響を考慮してのことに違いなかった。国家の安寧にとって、彼の死は決して安らかなものであってはならなかったのだ。

 ここ数年、西方地域で続いている渇水は、国内有数の農業地域である南部に及び、国の全土にその影響を広げていた。
 天の気まぐれは政府の責任ではないが、飢えた国民は、この危機に何ら解決策をもたらさない政府に対して、明らかに不満を高めている。
 政府は畏れていた。清晶の唱える新思想が、そんな国民の不満の受け皿となることを。
 新思想が生まれたのは二十年以上前だが、これまで彼らが国民の多数派になることはなかった。これからも、多数派になることはないだろう。しかし、政府の弾圧によって彼らの結束は強くなっていた。新思想は、政府がそれを脅威と認識するのに充分な力を持っていた。時に、それが真実であればこそ。
 小規模な争乱が各地で頻発していた。騒乱は飢えた国民による略奪行為に始まったもので、新思想とは何の関係もなく起こっていたが、それは政府に対する不信の表れであるとともに、それ自体が政府に対する不信を煽っていた。政府はこれを取り締まらねばならなかった。ただ、無闇に取り締まれば国民は更に政府への不信を高めるだろう。
 中央政府に集う優秀な官吏たちが、自らの危機である国家の危機に気付かないはずはない。そこで彼らが考え出したのが、新思想という敵に全ての責任を押しつけて、混乱を治めるという一石二鳥の妙案である。
 政府は高らかに宣言した。
 ――邪悪な新思想が国を滅ぼそうとしている、と。

 刑場の中央まで進んで、先頭を行く官吏が足を止めた。
 清晶と明英の後ろに続いていた下級役人たちが進み出てむしろを敷き、白紙に包んだ小刀をその上に置いた。
 官吏は恭しく黒く縁取られた書状を広げた。黒の縁取りは国王の命令書を意味する。
「この者、清晶、大逆の罪を犯したる者なり。これより、国王の裁定に基づき、刑に処す」
 官吏は甲高い声で宣言した。
「愚かな色付きに制裁を!」
 刑場を囲う民衆の一人が声を上げた。その一声で集まった民衆がそれぞれに声を上げる。
 《色付き》とは、清晶が唱えた新思想を信仰する者たちに対する蔑称だ。
 国民の正装は一般に白色とされているのに対し、信者たちが式典用として赤色の服を着ることから付いた呼び名である。

 だが、それは、彼らの思想的立場を踏まえるならば、適切な表現とは言えないだろう。
 彼らにとって色《シキ》とは、「目に見えるもの」であり、この世に存在する実体を意味する。それは彼らがその思想的立場において重んじる「目に見えないもの」、愛や誠である義《カミ》と対立する概念であり、彼らはそれから解き放たれることを目指している。
 彼らの思想の深層において、彼らは色《シキ》を纏わない。
 従って、彼らの思想に色は付いていない、付いていてはならないのである。

 このことを、明英は囚人から没収した『清説』ーー清晶によって記された新思想の解説書ーーから学んだ。
 囚人は須く収監に当たって看守による身体検査を受け、所持品を没収される。法の定めに従えば、没収した所持品は国の財産として適切に処分されるはずだが、実際には、貴金属を中心にほとんどの没収品は、検査に立ち会った看守の懐に入ることになっていた。これは、掃除夫から看守に昇格した明英が一番最初に上司から教えられたことであり、その上司曰く、これこそが開所以来の《古き良き伝統》であるらしい。
 それゆえ、汚職で捕まった貴族の身体検査に率先して立ち会う看守は多かったが、新思想のために摘発された者の身体検査を担当したがる看守は少なかった。新思想の支持者は大概において貧しく、没収できる金品もほとんどなかったからである。
 したがって、多くの組織における仕事の割り振りに関する一般法則の通り、彼らの身体検査は下級の看守が担うことになり、明英は多くのそれに立ち会った。そして、新思想を
支持する者たちの数少ない所持品である『清説』をざっと八百冊ほど手に入れた。
 もっとも、同じ本を八百冊も持っていても場所を取るばかりで意味はなく、新思想に関わる物は公に売買することもできない。結果として、手に入れた『清説』のほとんどは冬場のストーブに焼べることになったのだが、いくつかは退屈な監視業務の合間に目を通すこともあった。
 下級の傭人とは言え、政府の役人が新思想に関する書物を読むことは法が禁じるまでもなく認められないことだった。しかし、明英は世間から隔絶された監獄の看守だった。看守の仕事は、囚人の脱走を防ぎ、政府の決定通りに刑を執行することであり、これらをきちんとこなし、賭博に興じる上司らの邪魔をしない限り、給与は確実に支払われた。

 そもそも、国民の正装が白になったのもごく最近、先代国王の治世下においてである。それまで国民の正装には、何物にも染まらない完全無欠の王を表す色《黒》を除いて、あらゆる色が用いられていた。
 それが変わったのは十五年前、皇太子の二十歳の誕生日を祝う国王主催の夜会での些細な出来事による。各地の領主が色とりどりのドレスを纏って出席する中、北方の小領主が一人だけ飾りのない白い服で現れた。領主とは名ばかりの貧しい男は、着物を染めることもできなかったのだ。
 出席者の多くは男のみすぼらしい服を笑ったが、当時の皇太子である現国王は優しく男に声を掛けた。
「素敵なお着物ですね。国王の黒は何物にも染まらぬ絶対的な色ですが、そなたの白は何色にも染められる、あらゆる可能性を秘めた色。私は白が最も好きな色なのですよ」
 一時は乳飲み子でも知っているほどの有名なエピソードだったが、今や国民の大多数は「国民の正装は国王が最も好きな色、無限の可能性を表す白である」という単純な結論しか覚えていない。
 国王は、赤や青、緑や紫の服を着ることを禁じてはいないし、官吏の帯はその地位によって色分けされている。その色分けにおいて、赤は国王の色である黒に次ぐ高位を表す色なのだ。

 清晶はむしろの上に腰を下ろし、白紙の上の刀と対面した。
 明英は清晶の斜め後ろに進み出て、抜き身の刀を両手で握る。
「国王陛下の御慈悲により、この度、罪人に贖罪の機会を与えん。清晶、ここに自らの罪を悔いよ」
 官吏が甲高く叫ぶ。
 執行前の決まり文句である《御慈悲》は、決して免罪の意味ではない。贖罪の言葉を求めているわけでもない。それは目の前の刀をもって自ら刑を執行せよという国王の命令であり、強いて言うなら執行人を務める看守の心労軽減のための御慈悲である。
 清晶は静かに、ゆっくりと綺麗に研がれた刃に手を伸ばした。そして、笑った。ーーいや、笑ったように見えた。
 明英の立ち位置から、清晶の表情を直接窺うことはできない。鋭く研がれた刃の腹に一瞬だけ映った清晶の表情が、笑って見えた。

 風が強く吹いた。赤土が舞い上がる。
「老師!」
 砂煙の向こうから、少年の声が響いた。
「老師!」
 砂煙が晴れると、褐色の肌をした少年が自らが傷つくことも省みず、刑場の正面の有刺鉄線にしがみついている。
 少年の後ろに立っていた若い女が、慌てた様子で少年の口を両手で塞いだ。
「愚かな色付きに制裁を!」
 有刺鉄線を囲む民衆は、少年や女には全く注意を向けず、清晶に向かって侮蔑の言葉を投げつける。
 老師ーーそれがいかにこの場にふさわしくない言葉か、彼らは気付いていない。確かに、都市部の若者たちが用いる俗語で「老師」と言えば、それは年老いた役立たずを意味する。しかし、明英はそれが都市部の若者の俗語ではなく、西方方言として発せられたことに気付いていた。それは明英の故郷の言葉であり、年長の師に対する尊称だった。

 清晶が刃を自らに向けて構える。風が強く吹く。砂埃が舞い上がる。有刺鉄線の向こう側で、若い女の外套の裾がめくれる。鮮やかな赤が渇いた刑場を潤す。明英は抜き身の刀を振り上げる。

 ーー清老師。

 明英は知っている。清晶がかつて西方の田舎町で私塾を開いていたことを。多くの子供たちが清晶を師として慕っていたことを。


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