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B04  ラッキーデイ

 学校から帰宅途中の俺、高木清丸は、わかりやすく浮かれていた。
 今日は実に幸運な日だった。高校二年になって初の席替えで、こっそり気になってた女子、川島夏実の隣になれたのである。決まった瞬間、思わず机の陰で足をつねっていた。人間って、いきなり夢みたいなことに遭遇すると本当にお約束な行動をしてしまうものなんだな。ありがたいことに痛かったので現実だと認識した俺は、今度は心の中でガッツポーズをさせてもらった。
 そんなことしてないで男なら当たって砕けてこいとでも言われそうだけど、ごめんこうむる。せっかく隣の席になれたのに、いきなり告白してさくっとフラれたら、明日からどんな顔して登校したらいいかわからないじゃないか。そんな賭けをするくらいなら、おとなしく隣同士という甘い現実に浸っていたい。俺の選択は間違ってるか? 間違ってないよな? そうとも俺は悪くない。けっして意気地なしでも負け犬でもないぞー。
 というわけで、今日は文句なくひっじょーにラッキーな日だったわけだ。こういう幸運は立て続けにやってくるのが定石。きっと、可愛いあずきがいつも以上に懐いてくれるに違いないっ。あぁ、なんてハピネス!
 ──なんて、想像に溺れて思わず拳を握った直後だった。目の前に突然飛び出してくる影を見て、俺は反射的に飛びすさっていた。
 うおぅ、びっくりした上に恥ずかしいっ。小ガキ生ならともかく、高校生にもなった人間が一人でニヤニヤしながら歩いてたら気持ち悪いに決まってるじゃないか。俺がそんな変態寸前の奴だと思われるのは、いかに二度とお会いすることもないだろう通行人だって嫌だ。……というか、やっぱり気づかれてるよな、ガッツポーズしたこと。
 さりげなーく相手の顔色を窺おうとして──拍子抜けした。そこにいたのは一匹の黒猫だったのだ。
 考えてみれば当たり前か。ここはまぎれもなく道のド真ん中で、曲がり角は前後ともに数メートル先だ。つまり横から現れるには他人の敷地から塀を乗り越えて来たことになるわけで、人間だったら完全無欠の変態。もとい、犯罪者だ。相当運が悪くない限り遭遇するとは思えない人種である。いきなりのことで驚いたとはいえ、慌てすぎだろう、俺。とりあえず自分を落ち着かせるために、止めてしまっていた息を吐いた。
「驚かすなよ~」
「すまない」
 …………………………………………どちら様ですか?
 見渡してみたけど、やっぱり周囲は道の真ん中+曲がり角なし+俺のみ+猫一匹である。
「驚かせたことは謝ろう」
 また声が聞こえてきた。
 顔を向けるとそこにいたのは、黒猫。
「しかし異界の者よ、ここは危険だ。今すぐに立ち去れ」
 ごめんなさい。しがない一般男子高校生である俺に、その提案への即断即決は無理です。っていうか、どーゆーこと? 猫が喋ってるよ。どこの映画撮影だよ?
 だけど周囲は相変わらず人の気配ゼロだし、カメラも見つからない。ということは、何? 本当に猫が喋ってるとでも? いやいや、まっさかー。そんな馬鹿げた話にはだまされないぞー? そもそも異界の者だなんてそんな、漫画やアニメみたいな単語が日常生活の中で出てくるはずないじゃないか。ははは。
「いたぞ! あそこだっ!」
 新たな声のあと、向こうの曲がり角からやってきたのはダックスフントにウェルシュ・コーギー、ダルメシアン。道を塞ぐように俺と黒猫の前で横一列になると、コーギーが後ろを振り返った。
「陛下っ、発見いたしました!」
 ……今度は犬が喋ってる……。
 もしかして俺、幸せのあまり気絶しちゃってる? さすがに道で居眠りするのはどうだろう。考えるまでもなく、それはまずい。いつ交通事故に遭うかわかったものじゃないし、とにかく他人様に迷惑だ。というわけで起きろ、俺の体。
 おもいっきり頬をつねる。
 痛かった。
 ………………えーと…………………………どうしよう?
 解決策になるとは思えなかったけど犬猫を振り返ると、向こうからゴールデン・レトリバーがゆっくりとした足取りで歩いてくるところだった。
 大型犬が三匹の犬を追い越して一歩前に出る。
「一介の近衛騎士ごときが、ずいぶんとてこずらせてくれたものだ」
 ……異界の者の次は近衛騎士ときましたか。
 何とも入っていきづらい空気の中、黒猫が敵っぽい大型犬の動向を警戒して向き直る。その瞬間、猫の表情が強張った。体勢が崩れる。どうやら後ろ足を怪我してるらしい。けど猫はひるまずに大型犬を睨みつけた。
「デントリー皇帝……!」
 あちらのわんこさんは皇帝陛下ですってよ。へー、かっこいー。
 完全にヒいた俺をほったらかしにして、会話は続く。
「まさか、皇帝陛下がお出ましになるとは……。ずいぶんと念入りでいらっしゃる」
「ふっ。王家最後の生き残りである姫を始末し、名実ともにキャットランド王国の領土が我が物となる瞬間を味わうのも悪くないと思ったものでな」
 キャットランド……って、まんまかよ。
「さぁ、ワンダフルト帝国の繁栄のため、答えてもらうぞ」
 今度は駄洒落かい。
「貴様が逃がしたシャミア姫はどこだ! 答えねば、その身に我が牙を受けると思え!」
「見くびるな! 忠誠を捧げた主を護らず、何が騎士だっ! たとえ死のうとも言うものかっ!」
「おいおい本気か? にゃんこさん」
 ……あ。ベタな台詞の応酬に我慢しきれず、つい口を挟んでしまった。
 少しばかり後悔がよぎったけど、全匹の目が向けられてしまっては仕方ない。こうなればヤケだ。
「チワワあたりの小型犬が相手ならともかく、向こうはレトリバーだぞ。自分の何倍でかいと思ってるんだ?」
 黒猫が、キリッ、と胸を張る。
「それがどうした! 騎士たるもの、強大な敵であろうと恐れはしないっ!」
「いやいや、精神論じゃなくて物理的な問題を言ってるのであって……。あ、ほら。世の中には勇気ある撤退とかいう便利な言葉もあることだしさ」
「……それ以上は言わなくてもいい」
「やっとわかってく──」
「気遣いには感謝しよう。だが、きみは部外者だ。我が国の戦いに巻き込みたくはない……。さぁ、奴らの足止めは俺に任せて、早く逃げるんだっ!」
「言ってることはカッコいいけど、人の話を聞けよ」
「心配するな。奴らには爪一本触れさせはしない。……行けっ!」
 駄目だこりゃ。にゃんこ騎士はすっかりやる気だ。
 さーて困ったぞ。この状況をいったいどうしたものか……。
「ふっはっはっはっはっ!」
 いきなりの笑い声に驚いて顔を向けると、レトリバーが口を開けて笑っていた。
 綺麗な歯並びが眩しいです、陛下。
「どうやら、そちらの間抜け面のほうが賢いようだ」
 ……今、俺の顔を見て間抜け面とか言いやがりましたか陛下。
「傷を負ったその足で私と戦い、足止めができると? 驕るにもほどがあるわっ」
 確かに俺はイケメンからは程遠いとも。言われなくてもそれくらいは自覚してる。自分の顔に自信があったら、降って湧いた幸運に浸ってないで自分から川島に話しかけるくらいのことはしてるさ。
「よかろうっ。望み通り相手をしてくれる!」
 いや、これだってただの言い訳なんだろうな。あーあーそうさっ。俺は意気地なしの負け犬さっ。悪かったなっ。けど、だからって初対面のわんこに笑われる筋合いだけはないっ! 人間様を馬鹿にするなっ!
 ゴールデン・レトリバーが牙を剥く。
「この地で朽ち果てるがいいっ!」
 俺は靴先で猫を押しのけて前に出た。今まさに飛びかかろうとしてる犬をがっちり真正面から見据え、言い放つ。
「おすわりっ!!」
 すたっ。
 まんまと腰を落としやがったっ。畳みかけるっ!
「おて!」
 ぽふっ。
「おかわり!」
 とすっ。
「ふせ!」
 ざざっ。
「よしよしよし、いい子だなー。よくできましたー」
 強引に両手でなでてやるうちに、ゴールデン・レトリバーが腹を見せて尻尾を振り出した。ふっ、勝ったな。
 俺が勝利を確信すると同時に、部下犬たちがうろたえ始める。
「こっ、皇帝陛下っ!?」
「陛下っ、どうかお気を確かにっ!」
「はっ!」
 今ごろ我に返っても後の祭りだ、わんこ皇帝め。それにしても、さすが王様だけあって綺麗な毛並みしてるじゃないか。あずきが可愛いのは言うまでもないけど、長毛種もいいなぁ。よし、この際だから思う存分なでまくってやるっ。
 一度は正気に返ったレトリバーだったけど、俺のなでなで攻撃に再び屈したのもすぐだった。そーかそーか気持ちいいか。ほぉらもっと喜べ。ははははは。
「き、貴様っ! 陛下を離せっ!」
 ダックスフントが近寄ってくる。俺は左手をレトリバーから外して、そいつに向かって突きつけた。
「やるか?」
「うっ」
「いかん、下がれっ!」
 ダックスフントがびびったのを見て、ダルメシアンが声を上げた。
「戻れ! お前のかなう相手ではない!」
「この俺に尻尾を巻いて逃げろとっ?」
「落ち着け! 落ち着いてあの動きをよく見ろっ。間違いなく素人ではない。奴は……プロだっ!」
 コーギーが歯軋りをする。
「しかし、このままでは陛下が──」
「わかっている! だからといって、無策のまま飛び込むのはあまりに無謀っ。おめおめと奴の術中にはまるだけだっ」
「くっ、いったいどうしたら……!」
 …………、OK。こいつらをあしらう要領がわかった気がする。
 だんだんクサい台詞回しが面白くなってきたところだけど、あずきが早く散歩に行きたくてそわそわしてるころだろうから、さっさとお帰りいただこう。俺はなでる速度を落とした。
「あきらめろ。お前たちじゃ俺には勝てない」
「こっ、皇帝であるこの私を愚弄するかっ!」
「勘違いするな。お前が弱いわけじゃない。ただ、俺が強い。それだけのことさ」
 含み笑いをする俺を見上げて、ゴールデン・レトリバーが体を強張らせる。お、いい反応。ちょっと楽しくなってきたぞ?
「俺は今までに何回も犬を屈服させてきた」
 ※俺は飼い犬の躾をしてるだけだから、勘違いしないでもらいたい。
「今では俺の顔を見るだけで尻尾を振りまくって喜びやがる。可愛いもんだよ」
 ※ただの飼い主バカだ。ほっとけ。
「何をすれば嬉しいか、何が嫌いか。そんなものはすぐにわかる。お前たち犬を調教するのは簡単だな」
 ※ただし溢れすぎて止まらないラブ必須。
 と、各種注意事項はさておき、脅しはこんなものでいいかな。そろそろ仕上げと行くか。俺は少しばかり身を乗り出して、犬を真上から見下ろした。
「なぁ、皇帝陛下。お前も俺に従わせてやろうか? なーに、腹が立つのはちょっとの間さ。すぐに俺をご主人様だと認めさせてやるよ」
「黙れ! 貴様ごときに屈するものかっ! ──な、何をするっ。やめろっ。腹をなでるなーっ!」
「皇帝陛下っ!」
「陛下、ここはひとまず撤退を!」
「くっ……やむを得ん……」
 ゴールデン・レトリバーは根性で俺の手を振り払って部下犬たちのところへ戻った。
「覚えていろっ!」
 そして捨て台詞を残して、わんこたちは全速力で逃げていったのだった。勝利っ!
 さーてと、問題は残りひとつだ。しゃがんだ格好のまま近くを見下ろすと、視線に気づいた黒猫がちらっと俺を見たあとで耳を寝かせた。前足を揃えて腰を下ろす。
「余計な真似を……と言いたいところだが、助けられたのも事実だな……」
「馬鹿にされた仕返しをしただけだから気にするな。それより、足は大丈夫か?」
「ああ、かすり傷だ。舐めておけば治る」
「だったらいいけどさ」
「その猫ちゃん、高木くんちの子?」
「………………………………………………………………、っ!?」
 ワンテンポ以上遅れて、後ろから声をかけられたんだと気づいた。慌てて振り返る。するとそこにいたのは、か、か、川島夏実ぃぃぃっ? なぜ彼女が今ここにっ? どこから見られてたっ? しかも笑顔で覗き込んでくるとか何この状況っ!? ──いやいやいや、パニックに陥ってる場合じゃない。返事がないのを不思議に思って首を傾げている川島に顔を向け直した。
「……通りすがりで、ちょっと……」
「あれ、違うの? じゃあ野良猫ちゃんなんだね」
 川島が猫の様子を見ながら恐る恐る俺の横にしゃがむ。
 次に反応したのは黒猫だ。川島から逃げるように俺の肩に飛び乗ると、体をすり寄せる振りで耳打ちしてきた。
「もう逢うことはないと思うが、もしもまた顔を合わせる機会があったならば、そのときはうまいミルクでも酌み交わそう。ではな。……まぁ頑張れ」
 ニヤリ、と笑ってみせると、俺を踏み台替わりにして塀の向こうへと消えていったのだった……て、お前、絶対気づいて、からかうつもりで言いやがったなっ? 怒らないから、頼むから戻って来ーい! 川島と二人っきりなんて、ちょ、いきなりすぎて心の準備が~っ!
「あーあ、行っちゃった……」
 塀の上を見ている川島は、とんでもなく残念そうだ。
「野良ちゃんと仲良くできるなんて、高木くん、すごいねー」
 いろんな意味で心臓バクバクなんですけど。
「うち、犬がいるから。たぶん偶然」
「わんちゃん飼ってるのっ? 何犬?」
「柴犬。いちおう、豆柴かな」
「わ、豆柴! ちっちゃくてもこもこで可愛いよね~っ。いいなぁ、わんちゃんっ」
 目をきらきらさせてる川島だって可愛いよっ。それにしても、そっかぁ、川島は猫も犬も好きなのかぁ。
 …………ん? ちょっと待て。よく考えてみればこれは、もしかしなくてもチャンスってやつですかっ? そ、そうだ、あ・く・ま・で・さりげなーく誘うっていうか提案をだなっ。うおおおお頑張れ俺っ! ここで逃げたら本当の負け犬だぞっ!
「……じっ、時間あるなら、犬、見てくか? うち、近いし。帰ったらすぐ散歩に連れてくから……」
 うわぁぁぁぁぁ言ってしまったぁぁぁぁぁっ! 逃げたいっ。全力で走り去りたいっ。恥ずかしすぎるっ。どうしようっ。
「え、ほんと? いいのっ?」
 ほんとですとも、いいですともっ! ………………え、マジ?
「……川島が嫌じゃないなら、俺は別に……」
 思わず川島を真正面から見ると、彼女の表情がぱあぁぁっと明るくなった。
「うわぁ、ありがとう高木くんっ! じゃあ、早く行こうっ?」
「あ、ああ」
 川島と一緒に帰りながら犬猫談義に花を咲かせることになるなんて、本当に、何がどうしてこうなった?
 けど、ひとつだけは確かだ。どうやら俺の知らないうちにラッキーデーはミラクルデーに変化してたらしい。しかも、うまくいけばこの先ずっと続いちゃったりなんかして……。あれ? こ、これはまさかの、バラ色の高校生活がやってくるかもってやつですかっ?
 うわあぁ、なんてハッピネスっ!


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