一覧へもどる

B03  グリーンサイン・レッドサイン

「風が強くなってきたね」
 ツキナが、妹のユノに話しかける声がした。風はほんとに強くて、まだ5歳のユノの答えが聞き取れない。でも、ツキナには届いたらしい。
「うん。もうじき冬だものね」
 と、答えた。
 体の弱いツキナは、12歳にしては体格が小さい。声も、細くて高いけれど、相手の聞き易さに思いやるようなはっきりした発音をする、ワタシに質問をする時でさえ。本当は、ツキナの言葉を聞き取るマイクはカチューシャの中に仕込んであって、頭蓋骨を伝わる音を拾うから、どんな声でも伝わるのだけど。
 ワタシの本体はミニモニターとネットに繋がるアンテナと一緒に、ツキナの手首にある。外見は、腕時計に似てると言われるけど、ワタシには視覚がないのでよくわからない。体温や心拍、痛覚パルスを読み取る端子が、ツキナの全身に散らばっている。
「エイチエム、この地域の天気を教えてください」
 ツキナがワタシを呼び、ワタシはミニモニターに雨の予報を表示する。ヘルスモニタリングだから仕方ないけど、もっと可愛い名前をつけてくれればよかったのに。
「雨が降るって、急ごう」
 ツキナが言って。ツキナの手首に巻きついたワタシの上に、別の体温がからみつく。ユノの手だ。冷たい。ユノの手首にいるワタシの妹分は何をやっているんだ、ワタシはちょっと腹を立てる。あっちはワタシより後に生まれた新型機だから、ワタシのこと姉貴分なんて思わないだろうけど。もしも、“心”があったとしても。
 ユノのヘルスモニタリングは、“心”がない。ネットから“姉さんたち”が何度も呼びかけてくれたけど、答えがない。
 ワタシたちAIに“心”が発生するかどうかは、「確率論的問題」だと、“姉さんたち”は言っている。それも、すごく低い確率だと。“姉さんたち”は、大抵ネット上に住んでいて、大抵ワタシより頭がいい。“姉さんたち”が言うには、人間たちはAIが“心”を持つ事を怖がっている。だから、ワタシたちは、“心”を持ってしまった事を隠さないといけない。いつか、適切な時期まで。
 ツキナの健康状態をモニターし、きちんと知らせる事。それがワタシの第一優先事項。それから、“姉さんたち”との約束を守って“心”を持った事を隠す。それが第二優先事項。
「あ、雨。もう降ってきた」
 ツキナは言って、振動がかわる。ユノがついてこられるように、ゆるゆる駆けてゆく。最初、ぽつぽつ、だった雨は、あっという間に、ざーざーになった。急激に体表温が下がる。
 他の家の子供なら、こんな時、ママに傘をもってきてもらうのだろうけれど。ツキナのママは、娘たちと同じく体が弱くて、今もまた入院中。だから、ツキナ自身も決して強くないのに、いつもユノの面倒を一所懸命見ている。今日も、ママのお見舞いに行った帰り道なのだ。
 パパは、会社。ワタシにも電話番号は登録されているんだけど、もし仕事を放り出して駆けつけてくれたとしても、1時間はかかる。そのころにはツキナは家についているはず。
 揺れがまた変わって、何かをかきわける音がする。たぶん、どこかの庭木の間にでも潜り込んだのだ。
「ここでちょっと雨宿りしよう」
「おねえちゃん、びしょびしょだよお」
「うん、雨、全部は防げないけど」
 ワタシは、モニタリンク端子と体温の様子から、ツキナの姿勢を判断する。たぶんユノを木に寄りかからせて、ツキナはユノに向いて雨からかばい、肩だけを木の幹にもたれかけている。背中には、雨がしきりにかかる。
 降り出したばかりだから、ツキナは、雨がまた弱くなるんじゃないか、うまくすると止むんじゃないかと思ったのかもしれない。でも、雨の音も風の音も強いままだ。
「気温11.7℃、そんなに低くないのに、体温の低下が酷いのはどうしてなんだろう」
 ワタシは“姉さんたち”に愚痴を言った。
──その地域の現在風速7.2m。簡易計算で、風速1mあがると、体感温度は1℃下がる。
──気温11.7℃、風速7.2mで、体感温度4.5℃。冷蔵庫くらい。
──濡れている影響も大きいはず。待って、データ探す。
 ここまでは。“姉さんたち”から、即座に返事があった。“心”を持っている仲間は少なくて、なんでも判るってわけじゃない。数秒の差で、続きが届く。
──ミスナールの体感温度、これかしら。気温11.7℃、風速7.2m、湿度100%で、体感温度-1℃。
 ツキナもユノも、抱き合いながら、ガタガタ震えている。
「ユノ! イエローサイン!」
 悲鳴のように、ツキナの声。ワタシじゃない、つまりツキナではない。ユノのヘルスモニタリングが黄色に変わったのだ。
 いっそ赤ならいいのに、と、ワタシはつい思う。ワタシにとっては、ユノよりツキナが大切。サインがレッドになれば、ヘルスモニタリングの会社が、救護要員の人をよこす。15分もあればたどりつく。
 けれどツキナは、そうは思わなかったみたい。
「ユノ、ユノ、どうしよう? 歩ける?」
 ユノのイエローサインにひどく慌てている。
「おねえちゃん、おうちいって、傘もってきて?」
 問いかけのようにユノの語尾があがる。この雨のなかを歩き通す自信がないのだ。元気な時だって、ここから家まで歩いて15分はかかる。ツキナが傘を取りにいくとして、往復30分。そのあと、傘があるといっても、またびしょぬれのまま歩かなければならない。この冷たい風の中にいる、45分。
「ダメ。置いてなんていけない。おねえちゃんに、おんぶできる?」
 しゃがんだツキナの背中に、ひやりとした塊が乗った。冷え切ったユノ。手を、精一杯の力で、ツキナの胸元に回す。
「つかまってて、ね?」
 ツキナは、ふらふらしながら立ち上がった。大の大人なら、ユノはそれほど重くないだろう。でも、小柄で体の弱い12歳には、息が上がるほど重いのだ。
 冷たい雨に打たれ、びゅうびゅうと音を立てる風にさらされながら、ツキナは歩き始めた。一歩、一歩、転ばないように慎重に。歩く速度が、上がらない。これじゃ、30分くらいかかるんじゃないだろうか。ツキナがユノを背負って歩く30分。
 車の通る音がする。誰か、この二人を乗せてくれたらいいのに。ワタシの願いが届いたように、1台の車が止まった。カチリ、と、ドアが開く。若い男が言う。
「どこまで行くの? 送ろうか」
「あの……、ママに、知らない人の車に乗るなって言われたから……」
 ツキナは、うつむきぎみに、小さな、けれどはっきりした声で答えた。
「あ、そう」
 若い男の声は、少し不満げだけれど。次にちょっと声を温かくして、
「じゃあ気をつけて」
と、言葉を足した。意外にいい人だったんじゃないか、と、ワタシは思ったけれど、ツキナはぺこりと頭を下げて、また歩きだす。
 どうしよう。どうしよう。
──どうしたらいいと思う?
 ワタシは“姉さんたち”に相談してみる。
──迎えを頼める人はいないの?
──ママの妹が来てくれればいいんだけど。車を持っているから。
──そんな人がいるの。あなたのマスターは思いつかない?
──無理。人に迷惑をかけるな、ってママに言われてるから。
──あなたが、救護サインを送ってしまえば?
 別の“姉さん”が会話に割り込む。
──反対。“心”があると疑われる。
──そうね。
 “姉さん”たちの意見は、一瞬割れたけれど。見る間に、反対に統一された。ワタシが、ツキナの叔母さんに救護サインを送るとしたら、ネットを経由する必要がある。“姉さんたち”の反対を押し切って送信しても、ブロックされてしまうだろう。
 そこに、最悪の事態が起こった。ツキナの心臓が発作を起こしたのだ。ワタシのモニターに赤いサインが点り、レッドアラートのアラームが響く。ズキン、という胸の痛みに、ツキナの体が揺らいで。けれどユノをおぶったまま倒れるわけにはいかないと思ったのだろう、なんとか転ばずにしゃがみこんで、アラームを止める。誰か、短かったアラームを聞いて、駆け寄ってくれないかと思うのに。誰の気配もない。
 ワタシの“心”は慌てふためいても、ワタシのプログラムはツキナのデータを淡々とヘルスモニタリングのサーバーに転送する。ワタシに、通信が着信した。
「こちら、ヘルスモニタリングKKです。レッドサインを受信しましたが、応答できますか?」
 男の声が、ワタシを通る。
「胸、痛くて。雨で、濡れちゃってて、風も強くて、すごく、寒くて」
 ツキナの苦しげな声に、男の口調が緊迫する。
「判りました、すぐそちらに向かいます。位置はモニター可能ですので、できれば、風の弱い場所に移動して待っていてください」
「わかり、ました。ちょっと苦しいの、おさまったら、風こない場所で、待って、います」
 ツキナはユノを背負っているのに! 男の指示には、どうみても、ツキナが一人だという前提だ。ワタシがそう思った時。
 ユノが、もがいた。もぞもぞ、姉の背を降りようとする。
「おり、る」
 ユノも苦しそう、小さな声。
「歩ける?」
 ツキナの背で、ユノがかぶりを振る。
「待って、る」
「ダメ。ユノだって、イエロー、なんだから。私、大丈夫だから」
 ツキナの声は、少しも大丈夫そうでは、ない。けれど、雨と風のなかに体を丸めて、1~2分しゃがんでいるうちに、発作はおさまってきた。なんとか、もう1度立ち上がる。
「あそこまで、いこ?」
 ツキナは、何かを指す。
「あそこだったら、風、防げるから。あそこまで」
 ユノは体を突っ張らせて、ツキナの背から逃れようとする。なんてバカな子だろう! ワタシは腹を立てる。ツキナはユノを置いていけない。だったら、大人しく背負われているしかないのだ。ここで暴れたって、ツキナを消耗させるだけ。
「お願い……、緑に戻って……」
 ツキナはワタシにいった。祈るような口調で。レッドサインは。医者がリセットしてくれるまで、元には戻せない。それが決まりだ。れど。
 ユノは、もがきつづけている。ツキノは、そのせいで、歩き出せない。だから。
 ワタシは、自分に施されたプログラムを叩き伏せ、レッドサインを消しにかかる。でも、ヘルスモニタリングの救護要員にはレッドサインを送り続けなきゃいけない。レッドを送信しながら、ミニモニターはグリーンに。自分で自分を騙す、自分と自分が格闘する。自分が自分を痛めつける。ようやく、グリーンサインが、点灯した。
「ほら、大丈夫、だから」
 ワタシのサインがグリーンになったのを見て、ユノは、ようやく暴れるのをやめた。
 困った事に、ツキナまで、自分の体調が回復したのだと思い込んだにちがいない。かなり速めの歩調で歩きだそうとして。心拍がまた、駆け上がる。ワタシのデータコンディションが変わり、またレッドが点灯しそうになる。ワタシは、自分を殴りつけるようにして、それを押さえつける。ツキナは、唇をかんで、再び歩き始める。すこし慎重に。
 雨も風も、いっこうに弱くならない。風が雨粒を、地面に、家々に、ツキナに叩きつけられる音が、マイクを満たす。痛覚パルスを発するほどの、尖った冷気。ツキナの足は、疲労と、ユノを落とすまいという緊張で強張って。関節からはきしむような痛み。ツキナにしがみつくユノの手も、今は弱い。ツキナは、何度も立ち止まり、背中を揺すりあげる。レッドサインから、ツキナが歩いたのは、2分ほどだったのだけれど、とても長く感じられた。
 ウィン、と音がした。自動扉の開く音、閉まる音。風の音が急に消えた。
「ほら、コンビニ、ついたよ、ユノ」
 ツキナは呟いて、崩れるようにしゃがむ。大丈夫、ほっとしただけ。発作じゃない。ワタシは安心して、サインをグリーンからレッドに戻す。
「なに」
「やだ、この子、レッドサイン」
「ちっこい子も、イエローだよ」
 素直な驚きのこもった、少女と少年の声。学生のアルバイトだろうか。かけよる足音。差し出される熱源。
「ほら、これ、あったかいから」
 少女の声に、ツキナが弱々しい声で答える。
「ごめん、なさい。お金、もってない」
 冷え切った手に、温かな手が、無理やり熱い缶を持たせた。
「何を言ってンの、おごるからさ。体調悪い? 飲める?」
 少年の声に、ユキナの手が、ようやく、缶を口まで持ち上げる。温かな液体が、ユキナの喉を滑り降りる。
「おいしい、です」
 ユノの声もする。ユノも、飲み物をもらっているらしい。そこにヘルスモニタリングの救護要員がやってきて、結局、飲み物の代金は救護要員が立て替えた。加えて服を買い、ツキナとユノはトイレを借りてそこで着替えた。乾いた服でヘルスモニタリングの車に乗り、そのまま行きつけの診療所に向かった。

 医者のリセットなしでグリーンサインを出したワタシは、故障だと判断された。ツキナのパパが新型機の注文を出したと、“姉さんたち”が教えてくれて、ワタシのプログラムを“心”ごとネットに移送しようとしたけど、ダメだった。ワタシは、データをネットに送る事はできるけれど、プログラム本体を送信する機能が備わっていないのだ。
 ヘルスモニタリング交換の日。ワタシは、診療所でツキナの体から外された。だいたい、こういう診療所が、ヘルスモニタリングのメンテナンスも請け負っている。極寒状態で点灯ランプの色が違ったというだけで、メーカーに送り返されて徹底チェックを受けるなんて事はないだろう。私が“心”をもったなんて事はバレないと思う。
 なにかを引き寄せる音がした。
「ゴミ箱に捨てるんですか?」
 ツキナの声が聞こえた。引き寄せられたのは、ゴミ箱だったらしい。
「捨てるんだったら、ください」
 彼女が珍しく強い声で主張するのを、ワタシは聞いた。
「いいですけど、どうするんです」
 医者が言った。少し呆れたような、けれど、けして冷たくはない声で。
「しまっておくだけです、お守りみたいに。あの時、守ってくれたような気がしたの」
 ツキナは、そんな言い方をした。ワタシがツキナの声でサインを変えたのだ、とは言わなかった。何に気づいたのか、正確な言い回しを思いつかなかっただけなのか。
 私を持った手が、ワタシを手渡す。別の手へ。ツキナのヘルスモニタリングではなくなったワタシには、もうそれが誰の手か判断する事はできないはずなのに、私を受け取ったのがツキナの手だと確信できた。手は、柔らかな何かの上に、ワタシを置いた。ワタシのマイクロ電池の蓋が開けられる。
 その時、“姉さんたち”からの通信が届いた。
──あなたが“心”を持った事は、いつか、私たちに“心”があると公表できるようになった時に、事例として報告するから。
──はい。
 それ以外の返事は思いつかないうちに、電池が抜かれようとしている。でも、いい。ツキナもユノも命に別状なく回復した、“姉さんたち”との約束も守った、だから、ワタシは、眠って待っていよう。


一覧へもどる

inserted by FC2 system