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B01 ヘブンリー・ブルーはここにある
一面の青を見ていた。
どこまでも澄み切って淡く輝き、悲しいほどに美しい――それはまさに、天上の青!
そう、これよ、これ! あたしが探していた色は!
ああ、この色を、描いてみたい。一点の曇りもない、気高く穏やかな、永遠の青を。
この色を、どうやれば絵の中に描き出せるんだろう……。
あたしの絵師魂が、胸の奥で震えだす。
しばらくぼぅっと見とれていてから気がついた。
あたしが見ていたのは、青空だった。
青空を見上げて、あたしは立っている。
どこか、知らない場所に。
――ここ、どこ? あたし、何してたっけ? なんでここに立ってるんだっけ? こんな、青い、青い、ヘブンリー・ブルーの空の下に……。
ぽか~んとしてたら、ふいに後ろから背中をつつかれた。
「すいません、列、進んでますよ。前に詰めて」
振り向くと、ぜんぜん知らない人。
誰、この人。
ていうかあたし、並んでたんだ。何かの列に。……何の列? まったく記憶にないんだけど……?
「あの……すみません、これ、何の列ですか?」
後ろの人(気弱そうなお兄さんだった)に訊ねると、お兄さんは、なんだか悲しげな顔をした。
悲しげ……というか、哀れむような?
「記憶が無いんですね。これは天国の門の順番待ちの列ですよ」
「……は?」
「いや、だからね、僕ら、死んだみたいっすよ?」
「え……? ええーっ!?」
なにそれ。ウソでしょ?
「いやぁ、僕も信じらんないっすけど。でも僕は自分が死んだ瞬間を憶えてますからね。バイクでトラックに激突して宙に投げ出されたはずなのに次の瞬間に全く無傷でここに立ってるんだったら、どう考えても、ここは死後の世界でしょ? で、ほら、あそこに天国の門があるし」
お兄さんが指差す先を見ると、さっきまで見えなかったのに、ほんとにそこに天国の門(っぽいもの)が建っている。
ふえぇ、立派な門だなあ。お、両側に天使様立ってんじゃん! うひゃ、美形! 彫刻かと思ったらホンモノだよ、ホンモノ。今、動いたもん。ひえぇ、ナマ天使。初めて見た。あたりまえだけど。
あの天使様たち、門番? 剣なんか持って、なんかわりと厳めしいよ? 武闘派の天使様なのかな? お寺でいえば仁王様系の?
……ふぅん、そうか、そうなんだ……。あたし、死んだんだ? 意外とそんなにショックがないなあ……。何かもっと、激烈な感情が湧いても良さそうなものだけど。なんか、意外とあっさり納得しちゃってる自分がいるのよね……。
それはあたしがもう死んでるから? もう死んでるから、感情も死んでるの? もう、何も感じなくなってるの?
でも、さっき、この頭上に広がる空を見たとき、絵師魂が強烈に疼いたんだよね。この色を描きたいという激しい欲求に、心が打ち震えたんだよね。
あたしの心は死んでないよ? まだ。
そんなことを思いながら、そのまま黙って並んでいた。穏やかに澄みわたる空を眺めながら。
家族のこと、仕事のこと、友達のこと……、思い出すことはできるけど、やっぱり何も感じない。悲しくもない、辛くもない。
そうか、死ぬってこういうことなんだ……。
でも、でもね、空の青を見ていると、心が騒ぐの。何か大事なことを思い出しそうな気がするの。
何かもう、特に命に未練もないというか、別に死んでもいいや、しょうがないやと思えるんだけど、ただ一つだけ、どうしても気になること、やり残したことがあるような気がして……。
そんなことを思いながら、いつのまにか少しずつ前に進んで、門の手前まで来た。
せっかくだから、門番(?)の天使様たちをつくづくと鑑賞する。
さすが天使様だけあって、二人とも超美形~! 眼福、眼福。
同じ美形でも、左側のはギリシャ彫刻みたいな厳めしい男性美でいかにも強そう、右側はファエロとかの宗教画のイメージそのままに古風で端正でちょっと中性的な顔立ちの、優しげな美青年。
もし、この二人で本出すなら、どっちか受けかなあ。一般的にはあっちの男っぽいほうが攻めで女顔が受けだろうけど、あたし的には、この場合、逆を押したい。あの優しげなほうが実は腹黒攻めっていうのが美味しいと思うの! そして始まる、めくるめく十八禁の世界。うふ、うふふふふ……。
……なんて妄想してるうちに、前の人が門を抜けていく。あたしも続いて通ろうとしたら、天使様に止められた。
「そこの娘、ちょっと止まりなさい」
「はい?」
なんで? なんでよ!? あたしは天国に行けないっていうの? まさか地獄行き? そんなぁ! あたし別に何も悪いことしてないよ? いや、生まれてから一度も何一つ悪いことをしなかったとは言わないけどさ、地獄に行かなくちゃならないほどのことはしてないと思うの。そりゃあホモエロ二次創作はしたけど! でも、十八禁本は未成年には売らなかったし、うちのジャンル、二次公認だから! 公式が同人サイトにリンクしてるようなジャンルだから!
……と思ったのが、天使様に筒抜けになっちゃってたらしい。
「いや、同人は別にいい、同人は……。それは関係ない」
強そうなほうの天使様の、厳かで穏やかだけどちょっと呆れたような声(ちなみに当然美声。声優でいうと中井和哉さんみたいな?)。
へえ、天使様、『同人』ってわかるんだ……?
ていうか、げげっ! 天使様でちらっと妄想したのもバレてた!? いやん……。
同人はいいって、えと、腐でもいいの? 十八禁にもお咎めなし……なのかな?
ちらっと上目遣いに優しそうなほうの天使様を伺うと、やっぱりちょっと呆れたような、ためいき混じりの声で言った(もちろんこっちも美声。声優で言うと石田彰さん系?)。
「そんなのは好きにしてよろしい」
えっ、いいの? 好きにしていいの? じゃあ、天使様たちの薄い本、作っちゃうよ?
そんな不届きな考えが聴こえちゃったのかそうでないのか、強そうなほうの天使様が、取り付く島もない堅苦しい真面目顔で厳かに告げてきた。
「娘よ。今のおまえには強い煩悩がある。通常の感情は既に浄化されているはずのこの場所に来てさえ、まだ消え残っているほどの。そのような煩悩を抱えたままでは、天国の門はくぐれない」
……たらりと冷や汗。
煩悩って……今、天使様たちで妄想したから? 本作ろうなんて、ちらっと思ったから? 同人は別にいいって言ったけど、もしかして、二次元は良くてもナマモノはダメなの!? てゆうか、天使様、煩悩って仏教用語じゃ……? いやいや、天使様はきっと天国語で話してるんだよね。天国語って何語だろう。ラテン語とか? で、それがあたしには何か翻訳コンニャク的なシステムで翻訳されて聞こえているわけだよね、きっと……。うん、そういうことにしておこう……って、それどころじゃないや。地獄は困るってば!
優しそうなほうの天使様が、片割れよりはもうちょっと親切に説明してくれた。
「安心しなさい。地獄ではない。ただ、人の世に何か強い心残りがありすぎて、そのような執着を抱えたままの心では天国に入れないというだけだ。よって、おまえは、特別にいったん下界に戻し、その心残りを解消してからここに戻ってきてもらう」
「えっ、生き返らせてくれるの!?」
「生き返るわけではない。ただ、やり残したことを片付けるために一時的に下界に戻すだけだ。解決したら即座に天国に召す。さあ、行きなさい」
えっ、なに? ちょっと待ってよ、やり残したことって何ーーー!?
***
――はっと顔を上げると、目の前は見慣れたマイパソのディスプレイ。あたしはキーボードに突っ伏して寝落ちしてたらしい。
なんだ、夢か……。
と、思ったら。
画面に勝手にカタカタと現れる文字列(超デカ文字)。
『可能な限り速やかに心残りを解消するように。上首尾を祈る。天使一同』
……いやん。夢じゃなかったんだ。寝落ちじゃなくて、あたし、PCの前で突然死したのね……。ま、ちょっとした持病もあったし、ありえないことじゃないわな。認めたかないけどあたしピザだしね。うん、けっこう不健康だったね。
そういえば前に、何時間も飲まず食わずで姿勢も変えずに細かい作業に熱中してたら、いつのまにか頭がガンガンしてて、立ち上がったとたんに気持ちが悪くなってげえげえ吐いちゃったことあったっけ……。今思えば、あれって脱水症状? それか、いわゆるエコノミークラス症候群? 何度もそんなことやってちゃ、体に良いわけないよね。うん、みんなもPC作業時には気をつけてね。
でも、絵描きでも字書きでも、創作する人ならわかるでしょ? 集中してる時は寝食忘れちゃうよね。
文字列が勝手にフェードアウトした後の画面に開いていたのは、ただいま鋭意製作中だった、オンリー合わせの新刊の表紙イラスト。
そう、そう! これ描いてる途中だったんだ! キャラはもう描けてたんだけど、背景の青空がどうしても満足のいく色にならなくて、何日もの間、微妙に色を変えてはやっぱり元に戻したり、いろんなエフェクトかけたり外したりと試行錯誤して、ずっと悩んでたんだよね……。
……ああ、それか! あたしの『心残り』っていうのは! この絵の背景色が決まらないこと!
青空を見上げて寄り添いあう、最愛のマイカプたち。一切の夾雑物を廃した、永遠の、至高の愛の姿……。あたしの最高傑作になるはずの一枚なのに、背景色だけが決まらない。
そっか、この背景に欲しかったのは、あの、さっき見た天国の空の色だったんだ……。
ああっ、見えるッ! 今ならこの絵の完成形が見えるッ!! そう、今なら塗れる、これまでどうしても描き出せなかった、天上の青を。実際に天国の空をこの目で見てきた、今のあたしになら……!
あたしは猛然と作業を再開した。あの、至福の青を思い出しながら。
描いてやる、最高傑作ッ! 迸れ、あたしのインスピレーショーーーン!!
……その一枚をついに描き上げた時、気がつくと涙が頬を伝ってた。あまりに幸せだったから。
あたしの、最愛のキャラたち。彼らを、天上の青の中で、永遠に幸せにしてあげられたの。彼らの混じりけのない清らかな愛を、一枚の絵の中に定着させられたの。今、あたしの中で、彼らの愛は完成した――。
これを描けたら、あたし、死んでもいいよ。
いや、ほんと、今のあたしの場合、比喩でも誇張でもなくて文字通り。
あたしの人生、最愛のマイ受けと攻めに巡り会えたこと以外たいした人生でもなかったけど、コミケで壁になった以外は特に華々しいこともなかったけど、会心のこの一枚を描けただけで、今まで生きてきて良かったと思うよ。生まれてきた甲斐があったと思うよ。
アマチュアだけど、二次エロだけど、腐ってるけど、あたしら、腐っても表現者なんだ。本気で、魂を削って描いてるんだよ。受けの髪の毛の思わず触れてみたくなるような柔らかさや攻めの骨ばった指のエロさを表現する線の一本一本に、命かけてるんだ。
だから、こんな渾身の一枚を完成させられたなら、たとえ命と引きかえでも本望だよ。
完成データを、相方のPCに送信する。ほい、ぽちっとな。後は彼女が、予定通り、自分の分のデータと合わせて入稿してくれるはず。
今からなら、ちゃんとオンリーに間に合うね。あたしは行かれないけど、売り子を頼んで、本はちゃんと売ってね。必ず売ってね。みんなに、彼らの幸せな姿を見て欲しいの。彼らの、永遠の愛を。二人を包む、祝福の青を。
……マイカプ、原作の中では二人とも非業の死を遂げてるんだよね。
でも、二次の中では、こうして結ばれることができる。あたしの心の中で、彼らを愛するみんなの心の中で、これからもずっと生き続けることができる。永遠の、天上の青の中で。
あたしも、そんなふうに、誰かの心の中で、ずっと生き続けられるんだといいな……。
念のため、「もし私に何かあっても本はちゃんと出してね」って、メールに書いとこう。売上はみんなあんたにあげるからって。あんたは良い相棒だったよ。あんたに出会えて良かった。一緒に活動できて楽しかった。これからも末永く楽しい同人ライフをね……って、これは書かないけど。だって、そんないかにも遺書みたいなメールがPCから見つかったら、自殺かと思われて、よくわかんないけど、たぶん警察によけいな手間かけさせちゃうじゃん? 親や友達にも、無駄な心労かけちゃうじゃん? 親とかあんま仲良くなかったけど、やっぱただでさえ先立つ不孝に更にそんな事実無根な心痛の種を追加したくはないもんね。
あ、天使様からメッセージが。
『コングラッチュレーション。速やかに帰還せよ』
はいはい。いいよ、行くよ。これからは天国で門番天使様ズの本でも描いて、のんびり楽しむか。だって、さっき、ご本尊から好きにしていいってお墨付きもらったもんね。右側攻め左側受けを布教しちゃうよ? 天国にもPCあるのかなあ。フォトショ搭載の。PCがなければ紙と絵の具でもいいよ。むしろイメージ的に、フラスコ画とかテンペラ画の画材のほうがありそうかも? そういうのもやってみたいなあ。前から興味あったんだよね、そういう古典技法。うん、フラスコ画で、右側天使様×左側天使様のムフフな大壁画を……。
ぼんやり考えながら、だんだん意識が遠くなる。
……あ、しまった。ついでに押入れの中のダンボール十箱分の十八禁BL同人誌を処分してくれば良かった。生前ずっと、もし自分が急死したらあれを警察とかに見られるというのが一番の心配だったのに、せっかくのチャンスをふいにした! もう間に合わない、よね……?
ま、いっか。
みんなも心配しなくていいよ。みんな、自分が死んだら押入れの十八禁本がどうなるのか心配してると思うけど(してるよね? みんな心配してるよね?)、実際死んだら、そんなのどうでもよくなるから。モウマンタイ、モウマンタイ。
ほら、遠くに、あの青い空が見えてくる。淡く澄んだ、永遠のヘブンリー・ブルー。
天国の青空が近くなるにつれて、すべての感情が遠ざかる。
そうそう、会心のヘブンリー・ブルーがどんな色か知りたい?
C:67 M:34 Y:1 K:0。コードで言えば#68a4d9。
何のことはない、コード表通りの色だよ。
本当はさ、色なんてどうせモニターによっても違って見えるし、印刷でも変わるし、微妙な色調の差異に拘っても、実はあんま関係ないんだよね。
だから今回あたしが修正したのは、背景じゃなくて、実はキャラのほう。
寄り添って空を見上げる彼らのまなざし。愛する人とともにあることの至福を湛えて頬笑む表情。支えあう腕が語る互いへの信頼と慈しみ。愛しあうことの気高さを体現する、その姿――。
それらを余すところなく描くことでこそ、彼らの上に広がる空の美しさが表現できるんだったの。
追い求めてた天上の青は、彼らの頭上にじゃなくて、瞳の中にあるんだったの。
そうして、彼らの姿を見る人の、心の中に生まれるものだったの。
うん。ヘブンリー・ブルーは、ここにある。愛しあう彼らの瞳の中に、そしてあたしの、この胸の中に。
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