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A06  俺と彼女の模範解答

「人の心って何色だと思う」
いきなり話が吹っ飛んで、俺は目を瞠った。

ホテルのラウンジ、午後七時を少し回った頃。
デートの帰り、高級な部類に入るそのレストランの窓際の席。
夜景はとても綺麗で、テールランプやビルの明かりがキラキラとまぶしい。
そんな夜景をよそに、小夜子はパスタを飲み込んで一言。
その言葉にワインを右手に固まる俺。
えーと。
心の中で今までの流れを整理しようとしてパンクする俺の脳。
息を吹き返せ大容量ハードディスク。
起きろ。
スターターを蹴飛ばすように無理矢理エンジンをかけてやると、ちょっとずつ記憶が戻ってくる。
ああ、そうだそうだ。
さっきまでパスタ美味いとか言ってたんじゃなかったかお前。
夜景見て、まるで動かない人工蛍だなとかなんとか言ってなかったか。
色気のないことを、とか思ってた俺に対する仕返しかなにかか?
いまだ目をしばたたかせる俺を見て小夜子は笑い、そしてもう一口ワインを含む。
「健太はどう思う」
微笑むでもなく、純粋に質問している。
俺は質問の意味を理解しようと脳内で反芻する。
「色って・・・」
「色は色だ。健太日本語解さないのか」
「お前俺のこと馬鹿にしてんのか」
「なんだ日本語喋ってるじゃないか」
淡々と笑いもせずにワインを飲み、パスタを口に運ぶ小夜子。
普通は、と言おうとしたところで、
「一般的な模範解答はいらん。お前個人の意見が聞きたい」
開きかけた口に釘をぶっ刺すように付け加えられる。
全部読んでやがるし、と内心眉を寄せつつ新たに考える。
心の色、か。
「学校の課題か?」
「いや、小説に出てきてな」
これだ、と出したのはライトノベル。
・・・に見えたが、普通に文庫本のようだ。
装丁がどことなく若い雰囲気をかもし出している。
「・・・若い作家?」
「なんでそう思う」
「その名前聞いたことあるから」
「そうか」
本屋の店頭になら大々的に広告出てるけど、と言ってその本にブックカバーをかける小夜子。
その彼女の仕草を見つめつつ、俺はワインをくーっとのどに流し込む。
色か。
口腔内の酸味と甘みを確かめながら、外を眺めた。
綺麗な色だ。
赤、黄、橙、白、緑、青、桃、そして色とりどりのネオン。
こんなにもたくさんの色があるのに、目の前の理屈主義な彼女は人の心を一色でしか表せないと思ってるらしい。
虹色でいいと思うのに、と考えつつかたくなな彼女を見やる。
ふと目を伏せる。
そのまま白ワインを少し味わったあとで、

「白か」

「白なのか?」
「いや、ワイン飲んで思っただけだけど」
そうか白かも、と思ったところで理由を訊かれる。
「人の心を白だと思う理由は?」
どことなく口角が上がっている小夜子。
こんな表情が好きだ、と思いつつ一言。
「お前の心、白だといいなと思って」
「せめて理論的に話せ」
「よくある話だろ、俺色に染めてやりたいとかなんとか」
小夜子のワインが反射しているのか、少し頬に赤みが差しているように見える。
珍しいものなのか、はたまた偶然なのか。
グラスを揺らしてワインをもてあそんでいる。
そんな小夜子の仕草さえ、どこか可愛らしくて、なのになまめかしくて。
あーなんでこいつ俺と付き合ってんのかな、とか考えてみたり。
確かに中身が個性的というか奇抜というか、要するに奇人なんだが、見目は綺麗なのだ、並以上に。
そして俺は並なのだ。
平均的、標準的、一般的。
俺はいわゆるそれだ。
なのに何故彼女は俺なのか。
考えるべきではないと思うが、いつも心の片隅に塵のように積もっていく。
ゆらゆらとまだグラスは揺れている。
遠心力を楽しんでいるのか、その様子をゆったりとした色気のある目で見つめている。
くそ、ワインお前立ち位置俺と代われ、うらやましい。
そして揺らぎを楽しむばかりでなにも言おうとしない小夜子。
「返事なしかよ小夜子」
またしばらく黙ったあと、小夜子はなにか吹っ切れたらしく、ワインを流し込むように飲んで、
「模範的解答だな、聞かなかったことにしてやる」
「ひどっ」

で、と今度は俺の番と言わんばかりに眼力を強める。
「お前はどう思うの」
「私か?」
ちろ、と飲み干したワイングラスを片目に俺を見た。
「そうお前」
「うん、そうだな・・・私は」
ふむ、ともう一度悩み、

「ショッキングピンク」

ごふっと盛大にむせる。
俺は勢いに任せてワイングラスをテーブルに叩きつけ、とにかく咳いた。
高級レストランというのも忘れ、気管に入ったワインを必死に元の食道に戻そうとする。
豪快に咳き込み、さっきまでは物静かだったのが一転、止まらなくなる。
えほ、けほえほっ。
せっかくのワインがもったいない。
深呼吸。
吸う、吐く。
落ち着け俺。
とにかく息をしろ。
心配するな、小夜子はこんなことで周りの目気にするような肝の小さい女じゃない。
そんな考えがめぐるうち、咳は落ち着いて一息つく。
「柄にもない色をご所望のようで小夜子さん」
「冗談に決まってるだろう」
せっかくフォークに巻いたパスタがまた皿へ落ちる。
冗談かよ。
「じゃあ何色なんだよ」
「ヒントは人の心」
「は?」
「当ててみたらどうだ」
口元をテーブルナプキンで整えている。
優雅な仕草しつつとんでもないことを言う。
「・・・いらんことクイズ形式にしやがって」
「自信がないのか。そうか健太がそんなに引け腰なやつだったとはな。見損なった」
「今に見てろ当ててやる」
売られた喧嘩は買う主義・・・というよりもただの負けず嫌いな俺は噛み付くように叫んだ。
が、結局わからずすぐに正解発表。
その答えは至極彼女らしいものだった。

「無色だよ」

「ああ、透明か。そりゃ心は見えんしな」
「違う、無色だ」
「透明だろ?」
「透明は透明色という色だ。無色は色がない」
ああなるほど。
要するにあれだな。
「・・・わかりやすく的確に言ってくださいませんかね」
はあ本当にわからん奴だなふう、とやたらため息をはさんで呆れられる。
いや、馬鹿にされてるような。
それでも彼女は丁寧に説明する。
「透明っていうのはピンクやらブルーやらの色の名前。無色というのは無。ないんだよ」
「色がか?」
「違う。ないんだよ、なにも。色がないってことは、存在物がないってことだ」
「心があるだろ」
「・・・健太、お前は左胸に納まってるのが本当に形なき心だと思うか」
「心臓という名の血液輸送ポンプ、あるいは肺とかいう空気だめ容器の左部が収容されてるな」
「・・・それはまあ身も蓋もない」
おお、小夜子が半眼に。
ついに彼女を口負かすときがこようとは。
してやったと言わんばかりの笑みを浮かべる俺。
くっと眉を寄せ、悔しそうな小夜子。
意地のように話を続ける。
「心というのはどこにもないんだよ。だから色も形もない。無色だ」
「・・・そうか?」
「そうだ。心なんて存在しない。あるように思っているのは、脳が勝手に色々考えてるからだ。ある種脳が心だと言える」
その言葉を聞いて俺は息詰まり、彼女の目を見つめた。
透き通った、まるでなにもないような瞳。
ただの鉱石のような。
「・・・女のくせに夢のないこと言うのな」
「そういう女ですので」
達観したような物言い。
そんな彼女に俺はいつも置いていかれているような感覚に陥る。
俺は悲しい。
彼女ばかりが大人に見えて。

「そういえば健太、さっき俺色がどうのと言ったか」
また急に話の切り口が変わる。
頭の回転が速いせいか、いつも急に路線変更する。
「あれ、聞かなかったんじゃなかったか?」
「・・・聞いてた!」
何故か意固地になる小夜子。
酒のせいか、ずいぶん本性が現れている。
「で?」
「・・・私が白だというなら、健太は何色なんだ」
・・・・・・おっと。
新しい視点からの攻撃に、俺は固まる。
対応できない。
しっかりとした理由がなければ彼女は納得しない。
今、彼女が本当に酔っていたとしても。
たとえば今彼女を押し倒したとして、彼女は押し倒された理由を探し、そして俺が答えから逃げたと見抜いてまた負けず嫌いの闘争心に火をつけるに違いない。
ほう逃げるのかこの弱虫へっぴり腰云々とけしかけて。
それはそれでいいのだが、のちのち彼女がベッドで俺を拒否するとそれはそれは悲しいので避けたい。
・・・そんな俺も、相当酔っているのだろうか。
恥ずかしい考えから頭を切り替え、さてどうしたもんかと思ったところで、

「白だな」

妙案が思い浮かぶ。
「・・・? 混ざったところで同じ色だろう」
「びっみょーに違うんじゃないか?」
「なんで訊く?」
不可解そうに眉を寄せる小夜子。
「だからさ、俺が思うに、お前の白は真珠色で、俺の白は雪っぽいんだよ」
でな、と幼い我が子を諭す母親の気分で我ながら笑いそうになる。
「混ざったらさ、また違った白が出来そう・・・じゃん?」
「なんだその自信なさげな物言いは」
「仕方ないだろ。お前が納得する答えなんか、俺持ち合わせてねーもん」
ラスト一口のパスタを口へ押し込み、それにさ、とふて腐れたように続ける。
「俺はお前のことやばいぐらい好きだけどさ、お前がどうかは知らないから」
しばらく小夜子は押し黙り、それでも彼女は口を開いた。
とんでもない形で。

「愛してるぞ」

げっほげほっ、ごふっ。
思いきりむせる俺。
「なにをそんなにむせる」
「いっいきなりおまっ・・・」
またワインの酸味がのどを刺激し、咳き込む。
ひとしきりむせたあと、心を声にしようと口を開いた俺を小夜子がさえぎった。
「私だってお前が好きだ。お前が想うよりおそらく強く」
むせた次には開いた口がふさがらない。
酔っているにしても度が過ぎる。

「私は今結婚しようと言われても異議はないぞ」

いきなりなにを言い出すかと思えば、どうしていつもそう急に話が飛ぶのか。
いや確かに話を振ったのは俺だが。
だからといってこんな・・・。

こんなレストランのど真ん中で逆プロポーズはないだろ!

「おまっ・・・こんなとこでなに言い出して」
「なんだ、お前が言えって言ったんだろう」
「勘違いするな、そんなことは言ってない」
思わず声を荒げそうになり、ぐっと自分の口をふさいで周りを見回す。
「私は世間の目など気にしないぞ」
「俺が気にするんだよ!」
そして彼女はくすくすと笑い、ついにはけらけらと笑い出した。
ひとしきり笑って、俺を見た。
「ふむ」
「なにがふむなんだよ」
恥ずかしさでついに爆発しそうな俺は眉を寄せてつぶやく。
「先程お前は二人とも白だと言ったな」
言ったけど、と返すと、小夜子は嬉しそうに微笑む。
「そうだな、白だ。いや同じ色ならなんでも構わないな」
一人納得し、ずんずん進んでいく。
「好きという気持ちさえ一緒なら、何色でもいいのかもしれない。無色ではいけないな、好きという色がない。染めたいなら白でもいいとは思うが・・・そうか」
そうしてそれこそとどめのように、彼女は笑った。

「お前の模範解答も、案外捨てたもんじゃないな」


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